俺にとっての沢田綱吉は、妹である京子のクラスメイトで、小さくて華奢でとてもではないが、運動が得意そうには見えなかった。だというのに、奴は時折、瞬発的に素晴らしい身体機能を発揮した。だから俺は、ボクシング部に沢田を誘った。一度、スパーリングもしたが、全力で断られてしまった。残念なことに、その後いくら誘っても、沢田はちょっと困ったように笑って、「オレ、ボクシングとか、人のこと殴るとか、こわくて」などと繰り返した。そう言っていた沢田が、ときおり人が変わったようになって暴れ回り、注目を浴びることが度々あるようになった。京子も「ツナくんはときどき、別人みたいになるんだよ」と聞いたのだから、俺の主観だけの話ではないらしかった。 中学のころ、黒曜中の奴らに襲われて歯を抜かれ、入院したときがあった。そのとき、沢田は見舞いに来てくれた。その時の奴の顔は、ひどく怯えていて、それでいて何かに耐えるようだった。気がかりになって、京子に沢田の様子を問いかけてみれば、学校を休んでいるという。 数日経ったころ、再び病室に見舞いに来てくれた沢田の顔からは、怯えはなくなっていたが、重たいものでも抱えているかのように、沈んだ表情をしていた。そのころの俺は、まったくと言っていいほど、沢田の立っている場所、沢田が背負っているものを知らなかった。無論、俺も極限に阿呆ではないから、それからは沢田を気にかけるようになった。同じ校舎のどこかで、元気にやっているのか気になったし、また沈んだ顔をしていないかと、部活中にロードワークをしながら姿を探しているときもあった。 俺が、沢田について知ることになったのは、ヴァリアーと拳を交えることになった件だった。沢田がイタリアの由緒正しきマフィアの血をひいた人間であることを知ったのだ。 指輪の争奪戦が行われることになり、俺はとても良い師匠とも出会え、短い間で飛躍的に力を手に入れた。それは普通という枠からは逸脱してしまうような力だった。大きな力を手に入れたおかげで、俺は守りたいものをきちんと守り通せた。そのことを誇りに思った。しかし、その反面、手に入れた力があまりにも大きすぎることも自覚した。 どんなに強いチャンピオンであろうとも、俺は負ける気がしなかった。チャンピオンはどんなに強くとも『一般人』であって、それ以上でも以下でもない。むしろ、手加減をせねば、相手を殺してしまうのではないか、という恐れのようなものが脳裏をよぎった。 師匠は言った。 おまえが手に入れた力は世界にとっては驚異の武器だ。 拳銃と変わらねえと思いやがれ。 その通りだった。 俺が手に入れた力というものは、常識外のもので。 スポーツとしての殴り合いには過剰すぎる。 全力で行えない試合など、相手に対しての侮辱になる。 そんな試合をするわけにはいかなかった。 ボクシングを愛していた。 とても、愛していた。 俺は選んだ。 己の意志で。 己の未来を。 ボクシングを手放して、マフィアのボスの守護者という立ち位置を選んだ。 手に入れた膨大な力、それを生かし、多くのものを守るために数多くの未来の中からたったひとつを選び取った。 今から、あのころを振り返ると――、まだ覚悟も浅く、己が選んだ道がどれほどに修羅の道なのか理解していなかったように思う。 今でも、よく分からない。 並盛高校を卒業するときに、俺は沢田に言った。 「俺をイタリアへ連れて行け。極限におまえの役にたってみせるぞ」 沢田は、ぽかんとしたあとで、唇を震わせ、泣くのをこらえるかのように一瞬だけ唇を引き結び、そして笑った。困っているような泣いているような笑顔で、彼はなにも言わずに、俺の目の前で頷いた。 沢田は優しい。 とても優しい。 そんな人間がマフィアのボスをやるというのなら、どれだけの疑念と後悔と罪悪感があるんだろうか。俺には想像もつかない。きっとほかに、もっと楽な道があったろうに、沢田が選んだのは、そういう道だった。ならば俺も共に歩みたいと思った。あんなにも優しいあいつが硝子の破片が巻かれた道を素足で歩くというのならば、俺も守護者としての誇りを胸に沢田の隣に立ちたかった。 たとえこの手がどんなに汚れようとも何度も洗い流そう。 そして沢田の隣でいつでも笑っていよう。 あいつがくずれそうになるときに、支える人間が俺であればいいと――本気で考えていた。 |
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『沢田綱吉の場合』 | |
『そして彼等は』 |