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並盛中学の体育館側から争いあう喧騒が聞こえてくる。綱吉を撃った人間がまだ生きていたとしたらリボーンの手で終わりを迎えさせてやろう。そんなことを思いながら走っていると、横を走る綱吉が弱音を吐いてわざとらしく肩を落とす。いくら二十七歳といえど、彼らしい言動と表情に思わずリボーンは笑ってしまった。
「オレがいるだろ。――なにか文句でもあるか?」
息を吐き出すように笑って、綱吉は両腕を広げる。武士が刀を鞘から引き抜くように、獣が狩りをするために牙をむくように、綱吉の存在感が数倍にふくれあがる。
「あはは! そうだな、おまえがいるんなら、文句なんて何にもないさ! おまえがいるなら、そこがオレの居場所なんだからね――」
高らかに言い放った綱吉の額と両手に死ぬ気の炎が灯った刹那、
「ん?」
綱吉の周囲にもうもうとした煙が生まれ、うずまくようにして綱吉の身体を包んでいく。驚いている綱吉の目と立ち止まったリボーンの目が合う。彼はリボーンと顔を合わせると、困ったように笑って、片目を閉じた。綱吉の姿はすぐさま煙のなかへ包まれていく。
すぐ近くで戦闘が開始されているというのに、リボーンは呆然と薄れゆく煙から目が離せなかった。片手に拳銃を握ったまま、リボーンは消えていく煙のなかから現れた人物を見て息をつまらせる。
とっさに歯を噛みしめて泣きたくなるような感情をねじ伏せる。嬉しげな顔など見せてはリボーンのプライドに関わってしまう。だから冷静な顔をして目の前で起こっていることを眺める事に専念した。
真っ黒な立て襟の外套をはおったスーツ姿の沢田綱吉は、リボーンを見て大きな目をさらに大きく見開いた。殴られたのか、額や口元のあたりが腫れあがり、鼻血をこすったような跡が鼻下と頬のあたりに残っている。
感極まったかのように唇を震わせた綱吉は泣きそうな顔でリボーンに両腕を伸ばした。
「たっ……ただいま、リボーン」
「……ツナ……」
リボーンの声を聞いたからだろうか。綱吉はぼろぼろと両目から涙を流しながら歩き出し、立ちつくしていたリボーンの身体を両腕で抱き寄せた。ふわりと未来の綱吉が身にまとっていたムスクの香りが外套からうっすらと香ってくる。だがしかし、リボーンのことをかき抱いている綱吉の両腕は、十八歳の綱吉のものだった。
「ただいま、ただいま、リボーン、ただいま!」
「馬鹿野郎。おまえ、人がどれだけ、どれだけ……!」
身を寄せてくる綱吉の背中へ腕を回してリボーンは目を閉じる。心のいちばん深い場所からわきあがってくる感情はもう誤魔化しようがなかった。彼が生きて、無事なままで帰ってきた事が嬉しかった。そして安堵した。とても愛しいと思った。いまある腕の中の温もりを失ってしまうなんて到底耐えられない気がした。
「ツナ」
リボーンが名を呼ぶと、彼は力を込めていた腕をゆるめ、リボーンと目線をあわせるように地面に膝をついた。
「おかえり。ツナ」
「うん……。うん、ただいま……」
彼の両手がリボーンの頬を大事そうに包み込み、まるで懐かしいものを見るように潤んだ目を細める。
「よかった。帰ってこられて……」
「ひでぇ顔してるな」
「ちょっと、いろいろあって……」
苦笑してうつむきかける綱吉の顔に片手で触れ、リボーンはその額へ唇を寄せた。びくっと肩を揺らしたものの綱吉は抵抗せず、文句も言わなかった。
「よく、頑張ったな」
リボーンが笑いかけると、綱吉ははにかむようにして笑顔を浮かべた。瞬間、硝子の割れるような音がリボーンの耳に届いた。ぎょっとして綱吉が表情を引きつらせて、身体を硬直させる。
「うっ、わ……! いったい、どうなってるの?」
「未来のおまえが、全部引っかき回してっちまったんだ。責任とって、おまえがどーにかしろ」
「うえっ、丸投げなの? え? とりあえず、なに? 暴れてる奴がいるってこと?」
「そうだ」
「じゃあ、大騒ぎになるまえに静かにしてもらわないと」
深呼吸をしてから綱吉が立ち上がる。袖や裾を折り返しているスーツは滑稽だったが、はおっている外套のおかげかそれほど目立ちはしない。いつも高校の制服姿か私服姿しか見ていなかったリボーンにとっては、スーツ姿の綱吉はとても新鮮だった。
綱吉の事を上から下まで眺めるリボーンの視線に気が付いた彼は、照れたように笑って首を左へ少し傾ける。
「なに? なにかおかしい?」
「その格好、似合ってるぞ」
すん、と泣いたせいで出かけていた鼻水をすすって、綱吉が不敵に笑った。
「いいよ。やってやる。相手はどこ? いまならオレ、負ける気しないな」
以前にはなかなか浮かべなかった彼の表情に、リボーンは何故かぞわりとした快感めいたものを感じて舌で唇を舐めた。
「やけに素直だな」
「覚悟を決めたんだ」
さきほど二十七歳の綱吉が行ったように、綱吉は己自身の意思で額と両手に死ぬ気の炎を灯した。未来へ飛ばされる前は、まだ不安定だったはずの彼の炎は、今は美しく揺らめくばかりで、消失するような気配はない。まるで内側から強いエネルギーを発しているかのように、綱吉の炎は鮮やかに燃え上がる。
「自分の選んだ道を生きるって。だからもう、絶対に後ろになんて退いたりしない。それにさ――」
リボーンと目を合わせて、綱吉は頬に涙のあとが残る顔でにっこりと笑った。
「背中は、おまえが守ってくれるだろ?」
未来の綱吉と同じような、ちょっと自信過剰な感じに言って、彼はおどけるように片目を閉じた。リボーンは失笑しつつも、彼の事を上目遣いに睨み上げた。
「甘えんじゃねーぞ、ドン・ボンゴレ」
「信じてるよ。リボーン」
歌うように言って、綱吉はわずかに顔を右へ傾ける。
ふわりと軽そうな彼の髪が揺れた。
「だから、オレと一緒に生きて」
「一緒に生きてだと? あぁん? 甘ったれボスめ」
「ははは、甘ったれでごめんね。でもさ、オレ、おまえと一緒にいたんだもん。だからさ、いろいろ諦めて、オレの相棒になってよ、リボーン」
「相棒?」
「そう。相棒。――死ぬまで、オレの隣にいてよ」
「そりゃあ、まるでプロポーズじゃねぇか?」
「プロポーズ? あー……あはは、うん。まあ、心持ちはそんな感じかな」
からかうようにリボーンが言うと、綱吉はおかしそうに笑って何度も頷いた。
「健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも――」
綱吉の台詞の予測がついたリボーンは、彼と声を合わせて言葉の続きを言った。
「「これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を別つまで、真心を尽くすことを誓いますか?」」
綱吉は握り込んだ拳を胸元に添え、リボーンと視線をからめて頷く。
「誓うよ。オレにはおまえが必要だから」
「――そうか。なら仕方なねぇ。オレも誓うぞ。おまえと棺桶までつきあってやる」
「棺桶か……。もしも死んだら、並べて埋葬してもらうのもいいかもね」
「ばかやろう。縁起でもねぇ」
「そう。縁起でもない。オレが死ぬのはね、ずっとずっと先の未来だからね。それまではどんなことをしてでも生きなきゃならない」
「そう簡単におまえを死なすオレじゃねぇーぞ?」
「それは嬉しいなあ。オレもね、リボーンのこと簡単に死なすようなことしたりしないからな」
愉快そうに笑って、綱吉が走り出す。
「さあ、さっさとすべてを片づけて、オレたちの家へ帰ろうよ、リボーン」
「――ああ、了解。すべておまえの望み通りにしてやるさ、ボンゴレ十代目!」
高らかに笑い出したい気持ちをおさえながら、リボーンは走り出した綱吉の後を追うようにして走り出した。
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