並盛町から車で三十分ほどの隣町の郊外まで連れて行かれた綱吉は、そこに待っていた二十人を越える男達とたった一人で対峙した。
 すでに周辺地図で人の気配のない場所を検討済みだったのか、到着した場所は閉鎖された工場地区の外れだった。暴れたとしても、周辺住民から警察に通報される恐れはなさそうな場所だ。刺客にとって都合のいい場所は、簡単にいえば綱吉にとっても都合がいい。

 人数はそろえられていようとも十年前の刺客だ。綱吉の生きる未来では、刺客達の使用する武器などの性能も過去と比べればかなり性能の良いものになっている。未来の刺客達と比べれば、過去の刺客達の武器や戦法は綱吉にとっては、何度も経験してきた少し飽きがきてもおかしくないような戦いだった。

 男達に取り囲まれ、じりじりとした対峙が数分くらい持続した。五感を強め、心を密閉して、戦うことだけを意識する。そういうとき、綱吉は自分も相手も生きている人間だと思わないようにしていた。子供のころ夢中になっていたテレビゲームを思い浮かべる。ステージ上にいる敵をすべて倒せばステージをクリアして、次のステージへ進む。

 そうやって、何度でも、何度でも、綱吉はあらゆるステージをクリアしてきた。
 そして、これからもずっとクリアし続けていくだろうと、確信をもって言えた。

 さっさと終わらせて帰ろう。
 みんなが待っているあの家へ――。

 最初に動いたのは綱吉だった。
 両手と額に死ぬ気の炎を灯し、戦闘を開始する。

 時間にして、数十分ほどだったろう。

 その場で立っている人間は綱吉一人だけになった。殺しはしていない。すでに綱吉は相手の身元も素性も背景も知っている。その情報をリボーンに伝えればよいだけだ。
 敵の情報をリークすることは過去に干渉してしまうことになるだろうが、ずっと汚点だと思っていた過去を変えてしまったことで、すでに干渉してしまっている。いまさらひとつやふたつ、情報をもらしたとしても、変わりはないだろう。

 静かになった辺りを見回してから、綱吉はどうやって帰路につけばいいかと思い当たり、低くうなり声をあげて眉間にしわを寄せた。とりあえず、刺客達が乗ってきた車には鍵が差入れられたままだったのを確認し、車に乗って帰ろうかと考えた。彼等が乗ってきた車は黒い塗装のワンボックスカー、しかも窓硝子は内側から黒いシートが貼られていて内部が見えないようになっている。見るからに一般人の車には見えない。運が悪ければ、パトカーなどに停車を求められそうな外見だ。
 しかし、迷ったのは一瞬で、綱吉は車に乗り込んだ。車で三十分の距離を歩いて帰りたくはなかったし、電車が動き出すまではまだ時間があるはずだ。身体を動かして疲れていたし、早く帰って布団に戻っていないと、気が付いたリボーンにどんなふうに怒られるか分かったものではない。
 車に乗り込んでキーを回すと、車内のオーディオ機器近くのデジタル時計がオンになった。時間は、午前三時すぎだった。短く息を吐いてから、綱吉はシートベルトをして、ハンドルを握った。


「あー……、パトカーにだけは、見つかりませんようにー。免許、もってないもんなー、オレ。掴まっちゃったらどうしようね……」


 車をバックさせながら独り言をつぶやき、どうにか並盛町の周辺地図を思い出しながら、車を走らせた。時刻のせいか、通りを走っている車のほとんどがトラックなど大型車ばかりだった。等間隔で設置されている外灯が残像を残すように車の横を過ぎていく。綱吉はぼんやりといろいろなことを考えながらハンドルを握っていた。

 自分はいつ戻れるのだろうか。
 どうすれば、未来に戻ることが出来るだろうか。
 いくら考えても、綱吉にはどうすることもできない。

 過去にきて、一人きりになるたびに落としていた重たい溜息を車のなかでついて、綱吉はしかめ面になりそうな表情をわざとらしく崩して、眉尻をさげる。
 悲観的になる必要はないはずだ。
 未来には、綱吉が頼りにしている仲間達がいる。
 きっと、彼等がどうにかしてくれると、信じるべきだ。

 なるべく無心になりつつ、綱吉は並盛町まで車を走らせた。昔通っていた中学校の近くを通りかかった刹那、反対車線から自動二輪車が近づいてくるのが視界に入る。車のライトに照らし出されたバイクの運転手はヘルメットをしていなかった。危ないな――と思ったのも束の間、バイクのハンドルを握っていた人物が笹川了平だったので綱吉は驚いてブレーキを踏んだ。かちかちと車のライトをパッシングすると、了平がそれに気が付いて二輪車の速度を落とし始める。綱吉はシートベルトを外し、ドアを開けて車外へ飛び出し、片手を上げてバイクを停車させた了平へ手を振った。


「了平さん!」

「沢田! 捜してたんだぞ!」



 綱吉は車の通りのない道路を渡って、バイクを停車させた了平へ走り寄った。バイクのエンジンを切った了平はシートに座ったまま、近づいてきた綱吉の姿をじいっと眺める。上下とも国内の有名メーカーのジャージに身を包んだ彼は、背中を丸めるようにして深く息を吐いて肩から力を抜いた。


「そうか、よかった、無事なんだな? 怪我はないな?」

「ご心配、おかけしまし――た」


 了平の逞しい背中の影からリボーンが突然に現れた。バイクの後部座席から飛び降りた彼は、「た」の口の形のまま停止した綱吉を冷たい視線で睨み上げてくる。思わず綱吉は苦笑いを浮かべながら、背筋を正して彼と対峙した。


「――ただいま」


 舌打ちしたと思ったリボーンの右の拳が綱吉の腹部めがけてくりだされる。ある程度予測していた綱吉は、どうにかみぞおちに拳が沈み込むのを身体をひねって避けたが、握り込まれた小さな拳は脇腹にぶつかった。急所は外れてるとはいえ痛いものは痛い。


「痛ッ、なんだよ!」


「襲撃されんの、知ってたのか?」


 リボーンの黒い瞳が怒気に染まっているのが綱吉にはよく分かった。下手に誤魔化すようなことはしても意味はないことも、すぐに分かった。だから綱吉は、真っ向からリボーンの視線を受け止めながら、頷いた。


「うん。ごめん。分かってた」


「どうしてオレに言わなかった?」


「うーん……。一人で処理できると思ったから言わなかっただけだよ。オレは今の自分の力量がどれだけかよく分かってる、出来ると思ったからやっただけだよ。――ほとんど無事で帰って来られたろ?」


 綱吉が両腕を広げると、リボーンは鼻筋にしわをよせ、不機嫌そうに目を閉じて綱吉から顔を背けた。

 了平はいつの間にかバイクのシートから降り、バイクに寄りかかって立っていた。


「了平さん、こんな夜中なのに――。もしかして、リボーンに呼び出されましたか?」

「ああ。携帯に連絡があってな。獄寺と山本、ドクター・シャマルの車で辺りを捜索してるはずだ」

「あーちゃー……。そんなことになっちゃってましたか、すいません」

「いや。おまえが無事なら、文句を言う奴などいるまい」


 明るく笑って了平が双眸を細める。


「連絡だけは受けていたが、本当に二十七歳の沢田なんだな」

「ええ、はい。……オレにとっては、いまの了平さんは懐かしい感じがしますね」

「そちらの時代の俺は極限に戦っているか?」

「ええ、そうですね、それはもう毎日騒がしい感じです。さまざまなものと戦って、勝ち続けてますよ。ちょう男前で格好いいです」

「そうか! それは極限によかった! 俺はおまえの役にたてているのだな?」

「あー、もう……。役にたってるとか、そんなに純真なこと言わないでくださいよ……、オレ、なんか、悪いことしてるみたいな気がしてきますから……」

「悪いこと? どういうことだ――?」


 了平がきょとんとした顔をした瞬間、綱吉の脳裏に嫌な予感がぶわりと湧きあがった。無意識のままに動いた視線の先、綱吉がたった今まで運転していた車の近くで、ちかりちかりと点滅する赤い小さな光が――、



「あ」



 ほとんど無音に近い発砲音が二回、


 綱吉は左胸に激痛を感じて後方へ倒れ込んだ。



「沢田!?」
「ツナ!?」


 重なるように二人の声が響く。だがしかし、綱吉は胸の痛みのせいで何にも答えられなかった。両手で胸を押さえて身体を縮め、息をするために口を開くが、あまりの痛みに息が吸えずに唇が震えただけだった。


「了平!」
「任せておけ!」


 了平が走り去っていく気配だけで綱吉の目は涙で潤んでいて世界をまともに映していない。小さな両腕が綱吉の身体を抱きかかえる。何度か瞬きをすると視界が開ける。すぐ近くにリボーンの顔があった。まだ幼い綺麗な顔立ちに浮かんでいる悲痛さが痛々しい。そんな顔はして欲しくない。泣かないで。そう言いたかったが、リボーンが綱吉の頭を両腕で抱えてしまったので、言うタイミングを失ってしまった。


「死ぬな、ツナ、死ぬな!!」


 綱吉の頭に頭を寄せ、リボーンが叫ぶ。
 綱吉は目を閉じてリボーンの声を聞いた。
 ああ、死ぬのか。
 死ぬのってあんまり痛くないんだなあ。
 痛すぎて、分からないだけなのかなあ。
 痛さで真っ白になった意識のなかをぼんやりとした思考が流れていく。



「ツナ、綱吉!」



 リボーンを残して逝くのか。
 五歳のリボーンではなく、綱吉が愛し、そして愛を返してくれた十四歳のリボーンと再会できないまま死ぬのか。
 どちらにせよ、『彼等』をおいて死ぬなんて悲しくて寂しくて辛い。
 それでも、綱吉はマフィアのドンで、リボーンは殺し屋だった。
 だから、誰かにいつか殺される時がくるかもしれないと――口には出さなかったが、互いにそういった考えはいつでも抱えていたはずだ。

 それが今だなんて、神様は残酷すぎじゃないのか。
 オレはまだ、リボーンとやりたいことが、行きたい場所が、やまのようにあるのに。
 死ぬのなんてあんまりだ。
 まだ全然、生き足りないっていうのに。

 そんなふうに思いながら、綱吉はリボーンの顔に片手で触れる。
 リボーンは顔をあげ、泣きそうな顔で綱吉を見下ろしている。殺し屋の顔などではなく、たった一人の人間の顔をして、彼は綱吉を見つめる。死にたくないなと思って綱吉は泣きたくなった。残していくのも残されるのもきっと辛くて悲しい。目元に力をいれると、涙が溢れてきて、綱吉の頬を流れていく。


「ごめん、ね」

「やめろ。謝るな。死ぬな、死ぬなッ!」

「オレ、死ぬのかな……」

「お前は死んだりなんかしないっ」


 綱吉の手を握りしめてリボーンが叫ぶ。彼の右の目尻から涙が一筋流れ落ちていった。リボーンが涙を流した場面を綱吉は初めて見て、胸が締め付けられた。彼の泣き顔が最期に見た顔だなんて、それも嫌だなと思いながら、綱吉は細長く息を吐き出す。胸が苦しくて痛かった。


「……死ぬのって、こんなに、痛くない、のかな……、オレ、すごい痛いって思ってたんだけど……、…………ん…………?」


 何か、思い当たるような事が綱吉の脳裏を過ぎていった。

 というか、痛いことは痛いのだが、あまりの痛さで意識が途切れるほどに痛い訳ではない。怪訝な表情をして首をかしげた綱吉を眺めていたリボーンの顔から、泣き濡れた表情がすとんと抜け落ちたかと思うと、リボーンの手が綱吉のスーツの胸元を乱暴に開いた。

 リボーンの手が綱吉の左胸のポケットを探り、何かを取り出した。



「あ」



 小さな手が掴みだした、銀色のステンレス製のケースに二発の銃創があった。ケースをひっくり返してみれば、弾丸はケースの内側で停止していて、銃撃の衝撃で変形したケースの凹凸部分のせいで胸元には浅い裂傷が出来ているだけだった。出血はあるものの、当然、死ぬような怪我ではない。

 信じられないものを見るように、リボーンの視線が綱吉の顔と指輪入りのケースを交互に見る。その顔立ちが見る見るうちに怒りへ変貌していくのを見て、綱吉はへらっと笑ってすべてを誤魔化そうとした。



「あ、ごめ――」



 まず指輪のケースを顔面に叩きつけられた。痛い!と声を上げる前に今度は頬を殴られた、頭を叩かれた、力任せに何度か蹴られ、また殴られ、とどめと言わんばかりにリボーンの渾身の一撃が綱吉の脳天に繰り出される。とっさのことで防御の姿勢もままならなかった綱吉はほとんどの打撃を防ぐことが出来ず、頭と言わず腕やら背中やら顔面やらの痛みで胸の痛みなど分からなくなってしまった。俯いた瞬間、たらりと鼻下にたれてきたものがあって、指先を這わせてみれば、鼻血が出ていた。指輪のケースがあたったせいだろう。ずびりと鼻血をすすり、鼻を片手で押さえながら、綱吉は涙目になりつつも、肩で息をしているようなリボーンを睨んで叫んだ。


「――痛ァッ!! ひどっ、思いっきり殴りすぎだろ!」


「うるせえ! 信じらんねぇ! 死ねっ、いっぺん、死ね! そして土下座してオレに詫びをいれろ!」


 わめき散らしたリボーンが再び右腕を振り上げる。
 綱吉は一瞬、防御しようと腕をあげようとして――やめた。非は綱吉にある、受け入れるべきだ。そんなふうに思って覚悟を決めて目を閉じたが、リボーンの拳は綱吉の顔面へくりだされなかった。

 おそるおそる目を開けてみると、彼は腕を振り上げたまま、綱吉を睨み付けていた。


「馬鹿野郎……ッ」


 引きつれるように言ってリボーンがそっぽを向く。
 厳しく引き締められたリボーンの横顔を眺めながら、綱吉は痛む胸元に手を這わせて、背中を丸めるように深く息を吐き出した。


「はあ、あ……。死んだかと思った」


 ずびりと鼻血をすすってから、口の中に溜まった唾液と血を吐き出すと、リボーンの冷たい視線が降り注いできた。若干の冷や汗が綱吉の背中を伝っていく。


「死ねばよかったのにな」


「……ごめんなさい」


 むっつりと黙り込んだリボーンの視線が綱吉の心に突き刺さってくる。弱々しく唸り、綱吉は頭を下げた。


「本当にごめんなさい」


「――これも知ってたのか?」


「え?」


「てめぇが撃たれるってことをだ」


「ううん。これはオレの知ってる過去にはなかったよ。――ってことはあれかな? もしかして、オレが最初の襲撃者を倒しちゃったから、未来がちょっとずつ変わっちゃってるってこと?」


「オレが知るか」


「ま。いいか。――どうにかなるでしょ、オレとおまえがいればさ」


 綱吉は地面に座ったままでリボーンを見上げる。彼は持ち上げた手のひらで綱吉の前髪をかきあげると、その手でかるく綱吉の後頭部を叩いて、わずかに表情をゆるめた。


「ほんとに悪運が強ぇな、おまえは」


「神様に愛されてるからね」


 悪戯ぽく笑いながら綱吉が言うと、彼は呆れるように息をついて首を左右に振った。そして彼は綱吉の傍らに落ちていた歪んだ銀色のケースを小さな手で広上げる。彼はそれを開こうとしたようだったが、変形してしまっているせいか、びくともしないようだった。


「あーぁ、酷い有様」


「これ、いらねーなら、オレにくれねーか?」


「へ? ――中、どうなってるか分からないのに?」


 ケースを手にリボーンが頷く。

 元々『彼』に手渡すつもりで買ったペアリングだ。実は、リングの内側にはとある一文が入っている。勘の良い彼ならば綱吉とリボーンの関係に気が付いてしまうかもしれない恐れがあった。渡さない方がいいに決まっている。

 これから九年と半年の歳月をかけて、二十七歳の綱吉の前に現れるであろう幼い子供が、指輪入りのケースを手にしている。

 こうして出会うことなど決してありはしないと思っていた相手だ。
 出会えたことが運命ならば、指輪を彼へ譲渡することも運命なのかも知れない。


「おまえが欲しいって言うなら、あげるよ」


「そうか。わりぃな。――新しいやつ買う金、やろうか?」


「ばか。いらないよ。そんなこと気にするなよ」


 綱吉が笑いながら言うと、リボーンは鼻から息をついた。指輪の入ったケースをスーツのポケットにいれ、リボーンが再び綱吉へ視線を戻した刹那――、車のバックファイアのような音が並盛中学の方から聞こえてきた。


「え。学校?」


「了平の奴がおまえを銃撃した奴を追ってったんだ。相手が増援してきたのかもしれねぇな」


 リボーンの右手がしなやかに動き、次の瞬間には拳銃が握られていた。


「うわあ! そういえばそうだった!」


 素早く立ち上がった瞬間、ずきりと胸元が痛んだ。だがしかし、今はそれどころではない。歯を食いしばって綱吉が走り出すと、すぐに隣にリボーンが並ぶ。並盛中学の校舎を懐かしむ暇もなく、硝子が割れるような音がかすかに聞こえてくる。


「わあああ、学校壊したら雲雀さんに怒られるじゃないか!」


「じゃあ、とっとと行って、片づけりゃいいだろ」


「まったく撃たれたばっかりだってのに人使いあらいなあ」


「オレがいるだろ」


 校庭を横切りながら、リボーンがクスッと笑う。


「なのに、何か文句でもあるか?」


「あはは! そうだな、おまえがいるんなら、文句なんて何にもないさ!」


 朝を迎えつつある夜空へと高らかに言い放って、綱吉は額と両手に死ぬ気の炎を灯し、愉快さにまかせて笑いながら両腕を広げる。



「おまえがいるなら、そこがオレの居場所なんだからね」