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午前七時半。
シャマルは独り寝をしていたベッドから起き出して、寝ぼけたままバスルームへ向かった。適当にシャワーを浴びて髪を洗い、バスローブに袖を通して、洗面台へ行き、シェーバーフォームをぬりつけて少々伸びすぎていたヒゲを剃った。久しぶりになめらかになったあご先をひと撫でしたあと、バスローブを脱いで、裸のままでリビングを通り抜ける。室内にはシャマル以外いなかったが、特に人がいたとしてもシャマルは己の裸体には自信があったので羞恥心はほとんど感じなかっただろう。
裸のままウォーキングクローゼットへ向かい、まずは下着を身につけてから、適当にシャツとスラックスを選んで着替えをした。ベルトをしめて、己の立ち姿を鏡で確かめてクローゼットを出る。
ソファセットの中央のテーブル上にあったリモコンを手に取り、ロール状のカーテンを開ける。世界を照らし出す意志の強い朝日が部屋のなかを切り裂くように差し込んでくる。リモコンをテーブルの上におき、同じくテーブルにあったカードキーを手にとってから、シャマルは部屋の玄関へ向かう。
玄関脇の壁に備え付けられている鍵のホルダーから鍵を抜き取り、シャツの胸ポケットへ入れて革靴を履き、部屋を後にする。シャマルの背後でオートロックが作動する機械的な音がした。
細長い廊下を歩いて、エレベータの前を通り過ぎ、通路奥の扉へ向かった。手に持っていたカードキーを細いスリットに差し込んでスライドさせる。短い電子音と共にかちりと音がするのを確認して、シャマルはキーをズボンのポケットへ入れてドアノブを回して室内に入った。
途端、鼻先にコーヒーの良い香りがした。
シャマルは顔をしかめる。それは勝手に室内のものを勝手に使用されたからではなかった。たとえ、リボーンが室内のものを使用しようとも構わない。そういう心持ちでシャマルは彼に部屋の鍵を渡したのだ。
シャマルの眉をひそませたのは、部屋の奥から聞こえてくる鼻歌だった。むろん、リボーンが鼻歌など歌いながらコーヒーを入れているとは考えにくいし、ありえないことだ。 シャマルは靴を脱いで、スリッパに履き替えると少しだけ大股で部屋へ入っていく。ドアを抜けて左手にあるリビング――カーテンは閉められたままで部屋は薄暗かった――、その奥にあるキッチンを覗いた。そこには黒いパジャマを着た沢田綱吉がコンロの前でおたまを握ってなにやらかき混ぜているところだった。
「なにしてんの、おまえ」
全身から力が抜けるような思いでシャマルが声をかけると、綱吉はびくっとしたが、じぃいとシャマルの方を眺めたあと、にっこりと笑ってかるくあごをひいた。
「あ。シャマル? おはよー。勝手にいろいろ作っちゃったけどいいよね? 朝ご飯、いま作り終えたとこだよ。タイミングいいね」
呑気そうに言って、彼はおたまをコンロ脇のステンレス台のうえに置く。指先をゆっくりとさまよわせながら、綱吉はコンロのスイッチをオフにすると、彼はそのまま身体を反回転させて、うしろを振り向き、慎重な様子で足をすすめて冷蔵庫へ向かった。手探りでドアを開けた彼は、老眼の老人のように冷蔵庫のドアに顔を近づけて、牛乳のパックを探し出すと、それを手にとってドアをしめる。
あらかじめステンレス台のうえに用意されていたマグカップのうち、その一つだけに持っていた牛乳パックから、牛乳を注ぎ入れると、綱吉はパックをまた冷蔵庫にしまった。 彼が沸騰しているコーヒーメーカーに近づいていったので、シャマルはぎょっとして早足で綱吉に近づき、彼の手がポットに触れる前に阻止した。
「俺がやってやるから、おまえはもうソファに行ってろ」
シャマルはコーヒーメーカーのポットを持って、三つ用意されていたグラスのうち、三分の一ほどに牛乳が入っているカップへ注ぎ入れる。それを綱吉の片手に持たせ、残った二つの片一方だけにコーヒーを入れてポットをコーヒーメーカーへ戻す。
「そんなに心配しなくたっていいのに」
「見てる方が怖ぇんだよ。どうせもう出来上がってんだろ? 盛りつけるだけなら俺にやらせておけ」
「あはは。じゃあお言葉に甘えようかな。――シャマルがオレに優しいなんて滅多にないしねぇ」
皮肉ぽく声を立てて笑った彼はカップを片手に、目を細めたり開いたりしながら、とてもゆっくりとした足取りでダイニングテーブルへ歩いていく。シャマルはカップを持って、熱いコーヒーを一口喉に流し入れて、用意されている料理たちをざっと確認した。
コンロにかかっている鍋の中にはみそ汁が出来ていた。具はジャガイモとニンジン、スライスされたウィンナーが浮かんでいる。みそは、以前、シャマルの家へ来たことがある女性が買って置きっぱなしになっていたものを使ったのだろう。少しだけ賞味期限がきれかかっていたような気がしたが――、それを綱吉が確認できたかどうだか聞く事はしないほうが良い気がした。彼は彼なりに努力して料理と作ったのだろうから、少しだけ敬意をはらって、彼の作ったものをいただく決意をした。
フライパンにはベーコンエッグが作られており、六つの黄身がきれいに並んでいた。ステンレス台のうえに並べられた皿には、フランスパンをスライスした上にすり下ろしたニンニクとバターを塗ったガーリックトーストが並べられており、その横にはミニトマトが添えられていた。ボールの中には、缶詰のツナとコーンとマカロニが塩胡椒と少量のマヨネーズであえてあるようだった。ひとつまみつまんで口に運ぶと、味は美味しかった。
どこか、子供が好むようなメニューがそろっているような料理達を確認したあと、シャマルは食器棚から食器を三枚ずつ選び出しながら、料理を盛りつけ始める。
「一人でふらふら起きてて平気なのか?」
カウンターキッチンの向こう側にある、ダイニングテーブルの椅子に座っている綱吉は、両手でしっかりとカップを持ったまま、にこにこと愛想よく笑顔を浮かべる。
「ぼんやりとなら見えるからねー。注意深く眺めて歩けば転ばないし、ぶつかったりしないし。あとは、ほら、超直感?」
「便利だな。おまえ」
「いいでしょう?」
「ほんとは見えてんじゃねえのか?」
「あはは。だから、ぼんやりとなら見えるんだよ。あとは、勘かな」
「ほんと。すげぇな、ボンゴレの血って奴ァ」
すました顔で綱吉はカップのなかのカフェオレを飲んだ。熱かったのか、少々顔をしかめてカップをふぅふぅとしきりと息を吹きかけ始める。
「リボーンはどうした?」
シャマルの問いかけに、綱吉はにやにやと笑いながら、片目を細めた。
「部屋。見てきてごらん」
「なんだよ」
「いいものが見られるよお?」
もったいぶった綱吉の言い回しが気になって――料理はほとんど盛りつけ済みになっていたので――、シャマルは水道で手を洗ってペーパータオルで水気をとりさってから、キッチンを出た。綱吉はダイニングテーブルの椅子に座ったまま、クスクスと小さく笑い声をたてている。悪戯をした子供のような態度だ。なんだかシャマル自身も悪戯をしている子供のような気分になってくる。そぅっと物音を立てないようにドアへ近づき、細心の注意をはらってドアを開く――、カーテンがかけられている薄暗い室内、ベッドのうえには小さなふくらみがある。室内に半身ほどを進ませると、ベッドに寝ているのがリボーンだと分かる。思わずシャマルは身を引いて、すぐにドアを閉めた。
「ありゃあ、寝てんのか?」
「うん。ぐっすり。オレが起きても起きなかったよ」
シャマルは口から悲鳴が漏れそうになるのを歯を噛みしめてこらえた。背後を振り返ってみれば、物音も気配もなく、シャマルのすぐうしろに綱吉が立って、ニヤニヤといやらしい感じに笑っていた。シャマルの動揺を感じ取った綱吉は、ふふふと悪戯が成功したかのように得意げに口角を持ち上げる。
「ね? いいものが見られたでしょう?」
「――俺ァ、殺し屋小僧が寝てっとこ、初めて見たわ」
「あ、そう。それは残念だね。あんなに天使のように可愛らしいのに」
いささか、言い過ぎのような綱吉の表現の仕方にシャマルは違和感を感じた。リボーンにいつも泣かされていた綱吉が言うには、「天使のように可愛らしい」というのは少々おふざけが過ぎた言葉だ。
「ずいぶんと見てるような口振りじゃねーか」
「オレは特別ですから」
綱吉は片手を胸元に添えて、おどけるように片目をつむった。そして、リボーンが寝ている部屋のドアに指先で触れて、優しい眼差しを浮かべて双眸をほそめる。
「起きるまで放っておいてあげて。昨日のことで、きっと精神的に疲れてるだろうからさ」
言い終えると、綱吉は向きを変えて、ゆっくりとダイニングテーブルへ戻っていく。シャマルはそんな彼の背中とドアへと、視線を二往復させたあとで、キッチンへ戻った。
転ぶことも躓くこともなく椅子に座ることが出来た綱吉は、テーブルの上をじぃっと眺めたあと、両手でカップを掴んで口元に運ぶ。今度は熱くなかったようで、飲んだあとで「美味しい」と小さな声で言った。
シャマルはキッチンのカウンターのうえに料理の乗った皿をいくつも置いて、綱吉の座っているダイニングテーブルに運んだ。カフェオレをちびちびと飲んでいる綱吉の顔をそれとはなしに確認する。顔の肌の血色はまだ悪そうだった。おそらくは体のあちこちにある打ち身がずきずきと痛んでいるはずで、頭に巻かれている包帯は食事の後で取り替えたほうがいいだろう。
テーブルのうえに、自作の朝食が並んでいくのを嬉しそうに見守っていた綱吉には、リボーンが言っていたような『取り乱した』様子はない。現状と己の位置を把握し、衝撃も混乱も最小限にとどめた彼の、二十七歳の沢田綱吉の意志の強さは驚くべきことだ。だがしかし、彼の精神状態が、はたして表面化している状態と同じとは限らない。シャマルやリボーンに見せているのは、よくできた虚飾で、本当の『彼』はひどく混乱したままでいる可能性は捨てきれない。
いつ戻れるのか分からない。
もしかしたら戻れないのかもしれない。
抗争のさなか、残してきた『彼等』のことを考えると胸が張り裂けそうになるだろう。
様々な要因が『彼』の精神と心にのしかかっているはずだ。
すべての皿を運び、セッティングを終えたシャマルは、己が口をつけたカップを手に、綱吉の向かい側の椅子を引いて座った。
綱吉はシャマルが視線を向けているのを、顔の角度などで判断したのか、首を右へ傾けて微笑む。
「なに?」
「昨日はちゃんと寝たのか?」
「寝たよ」
「――嘘だな。寝たような気配がいまのお前にはないよ、ボンゴレ」
シャマルの断定したような物言いに、綱吉はくすん、と吹き出して、両手に持っていたカップをテーブルのうえにおいた。
「そうだね、嘘だよ。だってさ、ずっとリボーンの顔見てたら、朝になっちゃってたんだよ。もう可愛くって可愛くって。五歳のリボーンってこんなに可愛かったっけかー?とか思いながら、ずぅっと眺めてたら眠るのなんてもったいなくなってきてさー。っていうか、よく、手ェださなかったよ、オレ。えらいえらい。さすがに五歳児に手ェだしたら犯罪だよね。お縄だよね。ははは」
理解の限界値を超えた綱吉の言動にシャマルは一瞬呼吸を止めて、彼の言っていた言葉を頭のなかで反芻する。リボーンの顔見てたら。可愛いくって。手ェださなかったよ。えらい。犯罪だよね。混乱を紛らわすように、シャマルの顔には乾いた笑みが浮かんでくる。
「……あぁーっ、と……。いまのはスルーした方がいい話題か?」
「え。シャマルってば、アブノーマルな恋愛はタブーだったっけ? 愛に性別も国境もないぜ!フリーダムだろ愛ってもんは!なんたって愛は世界を救うんだぜ、ボンゴレ!って酔っぱらいながらオレに言ってくれたの、シャマルだった気がするんだけど?」
はぁあ?と頓狂な声をあげてシャマルは目を見開く。
「そんなこと、いつ俺が言った?」
「えーと。オレを基準としたら、二ヶ月くらい前かなあ。リボーンとオレの関係がいちばんごたついてるときにね、屋敷の食堂のすみっこでさ、男二人さびしく飲んだくれてたときにね、言ってくれたんだよ? オレはねぇ、泥酔したおっさんの言葉に感激してね、ちょっと泣いたりもしたんだけどね」
綱吉が泣く真似のようにわざとらしく目元を指先でおさえるので、シャマルは勢いよくつっこんだ。
「おっさん、言うな! ――ああ、嫌だ嫌だ。どこまで、ボンゴレに知られてんのかね、俺のこと」
「可愛いんだもの、ほんとにさ。額とほっぺと手にはちゅーしたけどね。あとはしてないよ。ほんと可愛い。すんごい可愛い。たべちゃいたい。あとで写真とか撮っちゃ駄目かなー? シャマルん家、デジカメないの? デジカメ。どうせなら、あの寝顔もオレの心のシャッターだけじゃなく、デジタルカメラのシャッターを押して保存したいんだけどなあ」
うっとりとした顔で綱吉が呟くのを、テーブルに肘をつき、てのひらにあごをのせた状態で眺めていたシャマルは、「あー」と間延びした声混じりの溜息をついてから口を開く。
「ひとつ聞いて良いか?」
「どーぞ」
綱吉は上機嫌そうに頷きながら微笑む。
「未来のおまえと、殺し屋小僧はデキてんのか?」
「うん」
「ボスと殺し屋が?」
「うん」
「ボンゴレのボスと、伝説の殺し屋が?」
「うん」
「すげぇな」
「内緒だよ」
唇に人差し指を添える綱吉の様子に、シャマルは脱力してテーブルに突っ伏してしまいたくなった。が、すんでのところで思いとどまり、呆れ果てた気持ちいっぱいの溜息をついて肩を落とすにとどめた。
「だったら、なんで言うのよ、俺に。隠しとけ。馬鹿」
「だって、さ。――オレの、この気持ち……、こっちのみんなは全然知らない訳でしょう? なんか、それって、すごい寂しくてさ……。こう、なんていうの? 秘密の共有者が欲しかったっていうか――」
それまで笑っていた綱吉の顔が、見る間にうなだれてきて、声の張りもなくなっていく。綱吉は容姿は相変わらず異様なほど若く愛らしかったが紛れもなく男性だ。弱々しい綱吉に対して、シャマルは『女性を泣かしてしまった』かのようなばつの悪さを感じて気分が落ち着かなくなってきていた。それは綱吉の声音の強さや目元、口元などのささいな表情の変化は――すべてが少しずつ『演出』されているような気配がしていても――感情を刺激されるだけの雰囲気があった。
目を閉じて嘆息をひとつして気分を切り替え、シャマルは盛大に息を吐き出した。
沢田綱吉という人間のどこに潜んでいたかは分からない、得体の知れない『圧倒的な存在感』をシャマルは肌で感じていた。
「シャマル?」
目を開いて綱吉を見る。
彼は頼りなげな、手折られる一輪の花のようにしおらしい表情で椅子に座っている。反射的に彼から視線を外しながら、シャマルは顔の前で手のひらを左右に振った。
「ああ、わかったわかった。のろけなら聞いてやっから、その顔やめろ」
「ありがと。シャマル」
うなだれていた顔に花開くように綱吉が笑う。ふわりと長めの彼の髪が揺れ、優美な微笑を浮かべる綱吉の頬へ毛先がふわりと落ちた。
シャマルは落ち着かない気分を誤魔化すように、目の前に並べられている皿にのっていたガーリックトーストを手にとって口に運んだ。綱吉は苦笑するだけで何も言わなかった。
口に含んだトーストはよく焼けていて、ニンニクとバターと香草の味がちゃんとしていて、レストランのつけあわせで出てくるものともひけをとらないような味だった。
「お。美味いね。こりゃ」
思わずシャマルが声にだすと、綱吉は嬉しそうにテーブルに両肘をついて身を乗り出すようにした。
「でっしょー? オレね、ちょっと料理には自信あるよ?」
「おいおい。……なんで自信あんのよ、ドン・ボンゴレさんが。お抱えの調理人くらいわんさといるだろうに」
「だってさー、来る日も来る日も書類ばっか見ててさー、たまに外に行ってもイタリアンイタリアンイタリアン!じゃない? ……日本食とか、イタリアンじゃない洋食とかもたまに食べる機会があっても、いっつも豪勢なものばっかでさぁ。――こうね、子供のころ食べた家庭料理ぽいのが食べたくなったらさ、自力で作るしかないじゃないか」
「器用なんだか不器用なだかな……」
「お嫁さんにしたいでしょう?」
「誰がおまえみたいなおっさんをお嫁さんになんかするか、阿呆」
「おっさんにおっさん言われたよ。ショック」
「なに、朝から騒いでやがる。うるせーぞ」
シャマルは口のなかで租借していたトーストが喉に引っかかって咳き込みそうになるのをこらえ、ごくりと唾液ごと口の中のものを飲み込む。
ベッドが置いてある部屋の扉を閉めてリボーンが足音もたてずにダイニングテーブルに近づいてくる。綱吉はあらかじめ彼の起床を知っていたのか、パンを喉につまらせかけたシャマルを見ておかしそうに顔をゆがめていた。かるく睨み付けると、綱吉は声を出さずに「ごめんごめん」と唇を動かした。
近寄ってきたリボーンは綱吉の横に立った。
「あ。起きた? おはよ、リボーン」
何食わぬ顔をして綱吉が挨拶をする様をリボーンは険しい顔立ちで眺める。
「どうかした?」
綱吉の問いに、彼は首を振った。
そして、シャマルの方へ顔を向け、「余計なことは言うな」とでも言いたげに、きつい眼差しを浮かべた。ヒットマンともあろう人間が、他人の前ですやすやと寝入ってしまったことを恥じているのかもしれなかったし、単に寝起きで機嫌が悪かったのかも知れないが、シャマルはよけいな事は言わないでわざとらしく目を開いて首をすくめておいた。
ずらりとダイニングのテーブルに並んだ綱吉特製の料理を眺めたリボーンは、皮肉さが際だった笑みを浮かべて、胸の前で両腕を組んだ。
「なんだこれは」
「え。朝食?」
「おまえが用意したのか?」
「うん」
「食えるのか?」
「あはは、たぶん、食べられる程度には調理できたと思うけど?」
「シャマル」
「なんだ?」
「こいつ、ほんとうに目ぇ見えてねーのか」
「本人はぼんやりとしか見えてねぇって言ってけどな。俺もちょっと信じられんわ」
「なんだよ。二人とも。疑り深いなあ。あのね、そんなにオレに失明してて欲しかったの?」
「いやいや。そんな訳じゃねぇけどな。――あんまりにも」
「要領がよすぎて、気持ちが悪ぃ」
シャマルとリボーンの言葉を聞いた綱吉は、途端に顔をしかめて唇をつきだした。
「なんだよ。もういいよ。おまえら食うなよ! せっかく人が作ってやったのに!」
「あぁー、悪かった悪かった。スネるんじゃないよ、ボンゴレ」
シャマルがとりなすように声をかけても綱吉はむくれたまま鼻から息をついた。途端、何かを思いだしたように背筋を伸ばして目を瞬かせる。
「あ! そういや、昼頃に母さん達が来るんでしょう? さっさと食べて準備しなきゃ! オレ、シャワー浴びたいんだよね」
「シャワーってな……、頭から浴びるんじゃねえぞ。傷口から雑菌が入っても俺ァ知らんからな! そもそも、お湯でぬらしたタオルで身体拭くぐらいにしとけっ、傷にさわる! というか、家主になんの許可もとらずに自由すぎるぞ、ボンゴレ坊主!」
「えー。バスルームくらい快く貸してよ。シャマルのけち」
綱吉の身柄を引き受け、リボーンにカードキーを渡した時点で、シャマルは彼等が部屋のものをどう扱おうともがみがみ言うつもりはなかったのだが、あまりにも綱吉が君主当然のように振る舞うので、思わずケチくさいことを口に出してしまった。わだかまった苛々と情けなさでシャマルは片手で頭をかきむしりながら、にやにやと笑う綱吉を片目を細めて見やる。
「畜生。てめえ、絶対にあとで驚くほど高い治療費請求してやっからな!」
「いいよ。うーんと、請求すれば。――払うの「オレ」じゃないし」
けろりと言ってのけ、綱吉は身体のまえで両手をあわせる。
「いただっきまーす」
テーブルのうえのフォークを掴むと、綱吉はサラダの入った小鉢を手に持って食事を開始する。座っている綱吉の隣にいるリボーンは、困惑しているような笑っているような引きつったような顔をして綱吉を睨み付けていたし、シャマルはシャマルで『この男をどう扱ったらいいのかまるで分からない』という気持ちでいっぱいになっていた。
あちこちの皿へとフォークを伸ばし、『勘よく』食べ物を口に運んでいた綱吉は、席につかないリボーンとフォークを持たないシャマルを交互に見て、首をかしげる。
「食べないの?」
何か言いたげにリボーンが口を開いたがすぐに口を閉じたかと思うと、平手で綱吉の頭を後ろから叩き倒した。「痛いよ」と抗議した綱吉を見もせずに、リボーンは彼の隣の椅子を引いて座り、挨拶もせずに黙々と食事を開始する。
綱吉は綱吉でも、これはシャマルやリボーンが知っている綱吉ではない。紛れもなく『ボンゴレ十代目』として生きている人間なのだ。数百、数千の人間を従えるだけの血と権力と力を保有しているたった一人の個人――、それがシャマルの目の前にいる。
「美味しいよ?」
にっこり笑う、ドン・ボンゴレ十代目に向かって、シャマルは微苦笑を浮かべて頷く。
「あー……、いただくよ。――イタダキマス」
扱いにくい。
本当に扱いにくい奴だ。
心のなかで盛大に溜息をつきながら、シャマルはフォークを握って朝食を食べ始めた。
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