綱吉がシャマルに案内されたのは、廊下の突き当たりにある手術室の、すぐ隣にある病室だった。彼は綱吉を病室の前まで案内すると、「俺ァ、寝るわぁ、おつかれさん」とあくびをしながら背を向け、片手をひらひらと舞わせた。シャマルの背中に礼を言って、綱吉はスライドドアと向き直る。


 扉を一枚隔てた先に、リボーンがいる。
 外套の立て襟にあご先をうずめ、綱吉は息を吐いた。


 未来へ来て、リボーンから浴びせられた言葉を思い出すと、扉を開けて入室する気力がみるみるうちにしぼんでいく。未来のリボーンが必要としているのは、未来の綱吉だということは理解はしている。未来のボンゴレファミリィに必要なのは未来の綱吉なのだ。そのことを思うと心も身体も重たくなっていく。

 ボンゴレリングを指にはめ、スーツを着て、外套をまとい、しゃべり方と仕草を映像から未来の沢田綱吉の姿をそっくり写し取っても――、綱吉のなかの空虚は埋まりきらなかった。

 表面的には混乱から脱し、落ち着いていると見せかけることができても、内側の綱吉はいまだに混乱のなかにあった。自分に何が出来るのか。自分がするべきことは何なのか。必死に考えて考えて考えて、どれが最良の道なのかを考え続けていた。資料を読んで、写真を見て、書類に目を通しても、それらは情報でしかない。未来を生きていた綱吉が経験してきた年月がないぶん、綱吉は自分の判断に自信がもてなかった。そのたびに、しょせん、この場所は過去の綱吉が立つ場所ではないのだ――、という足下の不安定さが露呈して、綱吉を息苦しくさせる。


「……しっかり、しろ、ダメツナ」


 口のなかでつぶやきながら、綱吉はスライドドアの取っ手を右手で握る。ひんやりとした取っ手を掴み、綱吉は目を閉じる。リボーンの容態については、廊下を歩きながらシャマルから聞いていた。右手の骨折。顔面の損傷。打撲によって腫れあがったあちこちの傷。リボーンが今まで聞くに耐えがたいほどの怪我をしたことなど、綱吉は遭遇したことはない。彼はいつでも余裕で、いつでもかすり傷一つ負わずに戦場と呼べる場所に立っていた。そんな彼の姿を綱吉はずっと眺めてきた。
 憧れと、
 羨望と、
 嫉妬と、
 誇りを感じながら、彼の背中をずっと眺めてきた。
 そして、これからもずっと眺めたいと思っている。

 ゆっくりと深呼吸をしてから、綱吉は瞼を持ち上げ、――スライドドアを静かに引いた。かすかな音をたててドアが横へ滑っていく。室内の証明はあらかじめ明度が下げられていて、ほんのりと淡いオレンジ色の照明がぼんやりと病室のなかを照らし出していた。

 心電図をはかる機器の連続した電子音が静まりかえっている室内に無機質に響いていた。断続的な電子音はリボーンの心臓が動いている音だ。彼が生きている、死んでいないという事実に綱吉は涙腺が潤んでいくのを感じた。するすると、音もなく綱吉の背後でスライドドアが閉まっていく。

 薄暗い、淡いオレンジ色の照明に照らし出され、密閉された室内には綱吉とベッドに眠るリボーンしかいない。そうっと、足音をたてないように――リボーンに教えられた通りに――気配を消した綱吉は、いろいろな機械がベッドの傍らに配置されているリボーンのベッドへ近づいていった。連続する電子音と鼻に匂う薬品の匂いが、綱吉の心の表面を冷たく流れていく。綱吉が訪れる場所が病室ではなく、遺体安置所であってもおかしくなかったのだという、現実感がじわりじわりと綱吉の心を締め付けていった。指先はつよい緊張のせいか冷たく凍ってしまったかのように動かない。

 リボーンは、かるくてやわらかそうな真っ白な布団にくるまれ、大きな枕に頭を預けて目を閉じていた。口元には酸素マスクがとりつけられていて、半透明のマスクの内側は彼が呼吸をするたびに白く曇った。顔の左半分すべてと鼻筋が包帯で隠れ、右側も目を挟み込むように額と頬に分厚いガーゼで覆われて包帯があてがわれていた。包帯と包帯の隙間からのぞく彼の右目のあたりと口元からあごにかけての、彼の顔色はひどく青白く、血の気がうすかった。

 綱吉は息を殺すように呼吸をしながらベッドを見下ろした。

 右手を持ち上げて、額の包帯にかかっているリボーンの黒い前髪に指先で触れる。血が付着しているのか、彼の髪はざらりとした感触がした。そうっと、壊れものに触れるように綱吉は手のひらをリボーンの額にのせた。温かい、というよりは熱いような彼の肌に包帯ごしに触れる。呼吸するたびに上下する掛け布団を眺めながら、綱吉は歯を噛みしめた。

 こみ上げてきた激情に揺さぶられるように身体をふるわせて綱吉は顔を伏せる。こらえようと思った涙が目尻に溢れ、頬を伝っていった。感傷的になって流れ出した涙は、十数秒ほどでひいていった。
 大きく深呼吸をすると、流れていた涙がとまった。

 少しでも力を入れたら壊れてしまうものに触れるように、綱吉はリボーンの額にかかる髪を指先ですいた。
 彼が生きていてよかった。
 彼が、死んだりしたら、どうしたらいいのか。
 綱吉には分からない。
 今までも、これからも、綱吉の指針として、リボーンがいつも側にいるのだと、綱吉は何の約束もないというのに思いこんでいた。たとえ約束をしても、契約をしても、彼が死んでしまえば、言葉も書類も何もかも無意味なものとなる。

 ふいに、リボーンが苦しげに顔をしかめ、かすかに首を振った。布団の下でもがくように彼の身体がわずかに動き、――ゆっくりと右の瞼が持ち上がっていった。その様子を息を殺すように見守っていた綱吉は、ぼんやりと開かれて天井を見上げているリボーンの顔へ顔を近づけ、彼の片目を覗き込んだ。


「リボーン」


 ぱちり、ぱちり、と瞬きはするが、リボーンに反応はない。
 綱吉は左手でリボーンの左頬を包み込むようにして、彼の鼻先に鼻先を近づけるようにして、顔を寄せる。するとリボーンは、睫毛を震わせるように目を見開いた。そして綱吉の顔をじっと見つめたあとで、何かを言おうと唇を開いたが、口元を酸素マスクが覆っていることに気が付いたらしく、眉間に深いしわを刻んだ。首を振り、マスクが邪魔だと
言わんばかりに顔をしかめる彼の様子を察して、綱吉はそっと酸素マスクをあごの下へとずらした。もぞりと布団の下から、無事な左手を出したリボーンは、綱吉がマスクをさっさと外してしまったので、手持ちぶさたになり、ぱたりと枕もとに左手を出したまま長々と息を吐き出した。

「これ、外して苦しくないのか? どっか痛かったりする? 何かおかしいのなら、シャマルを――」
「つ、な」

 ぼんやりとした様子でリボーンが綱吉の顔を見つめる。普段の彼から想像も付かない、優しくて頼りなげで、今にも崩れ去ってしまいそうなくらいに儚い微笑がリボーンの顔に浮かんでいるのを見て、綱吉はどきりとした。綱吉にとってリボーンは、いくら容姿が年下であれど、教師であり師であり、強く優秀な一人の男だった。そんな彼が、いまにも泣いてしまいそうな顔で綱吉を見ている。

「つな。おまえ、戻って――」
「うん。そうだよ」

 とろんとした彼の瞳の様子から見て、何らかの薬で夢心地のままに口をひらいているようだった。おそらく精神的にも不安定なのだろう。怪我を負って参っている彼を安心させたほうが彼のためだと思い、綱吉は微笑んで嘘をついた。

「戻ってきたんだよ。だから安心して眠っていて。大丈夫だよ。もう、大丈夫。あとはオレに任せておいて」

 綱吉が笑ってみせると、リボーンは今まで見たこともないような優しい顔をした。それは綱吉の心拍を速めるには充分の威力があった。

「おかえり。ツナ」
「ただいま。リボーン」

 吐息で笑ったリボーンは、無事な左手を伸ばして綱吉の後ろ頭を包み込むようにして引き寄せた。綱吉が身構える前に、リボーンの唇が綱吉の唇に触れる。ふにゃりとした柔らかい感触は一瞬で離れていく。身体の動きを止めて驚く綱吉をよそに、リボーンはどこか焦点のあっていないような視線で綱吉の顔を眺めながら、綱吉の唇に触れた唇を開く。


「おまえがいない間、昔のおまえに、ずいぶんと酷いことを言っちまった……」

「……それは、状況が状況だったんじゃないのか。気にすることないよ」

 キスの動揺を悟られまいと微笑を浮かべたままで綱吉は告げる。

「おまえが、何の意味もなく人を罵るような人間じゃないって、きっと過去のオレだって分かってるさ」

 まぶしそうに目を細めてリボーンは綱吉を見上げてくる。

「ツナ」
「ん?」
「おまえが無事で、よかった、ほんとうに、よかった」


 想いを込めるようにリボーンが繰り返す。つよい愛情が感じられるリボーンの声音がくすぐったくて、綱吉はとっさに皮肉ぽく笑って照れくささを紛らわせるように軽い口調で言葉を返した。

「おまえが無事で良かったなんて、こっちの台詞だよ。おまえが死んだらオレは此処で一人きりになるの? そんなことになったらオレはどうしたらいいわけ――?」


 途端、リボーンの顔から笑みが消え、みるみるうちに表情が哀切にゆがんでいった。間近で急な変化を見せた彼の表情にぎくりとして綱吉は肩を震わせてしまった。何か言ってはいけないことを言ってしまったのかと、口にした言葉を反芻してみるものの――、怒られたり皮肉を言い返されることはあれど、悲しまれるようなことは言っていないように思えた。

「リボーン?」

 綱吉が問いかけると、リボーンは目を伏せてしまう。うすくひらいたままの唇がかすかに動いたが、言葉は発せられることはなく、かたく引き結ばれた。

「なに? 急にどうしたの? 痛い? どこか痛いの? だいじょうぶ?」
「……ツナ」
「うん? なに? どうしたの?」

 小さな声、――室内に響く心電図の電子音にすら負けてしまいそうなくらいの小さな声でリボーンが綱吉の名前を囁く。綱吉はリボーンの声を聞き逃すまいと、彼の顔へ顔を近づけた。苦しげに眉を寄せたまま、伏せられていたリボーンの瞼が持ち上がり、漆黒の瞳がぴたりと綱吉の顔を見つめる。その瞳はまだどこか朧気で頼りない感じで、いまにも夢のまどろみの中へ戻っていってしまいそうなほどにぼんやりとしていた。

「やっぱり、オレを許せないのか?」

「え? なに?」

「おまえを『こんなふうに』しちまったオレを恨んでるのか?」

「いったい、何の話をしてるの? 恨むとか、よくわからないんだけど」

「過去から来たおまえに、何もかもをぶちまけちまったほうが良かったのかもしれない。オレとおまえが生きている『いま』に辿り着かないように、『おまえ』に何もかも言っちまったほうがよかったのかもしれねぇ」

「ちょっと待ってって、リボーン、いったい何を言ってるんだよ?」

「だが、結局オレは過去のおまえに何にも言えやしなかった。おまえといる未来を、いまをオレは絶対に無くしたくはないんだ。おまえがボンゴレにならなければ、オレはおまえの側に一生いることはできなくなる。オレは殺し屋だ、ただの日本人のおまえの側にはいられない。ドン・ボンゴレの側にならいられる……、そうだろう?」

「……リボーン……」

 リボーンは力がぬけたように寄せていた眉をはなして微苦笑を浮かべる。優しげでいて甘く、苦く、胸をつくようなきれいな微笑をうかべる。綱吉はリボーンの顔から目が離せず、息をすることさえ忘れてしまうかのように彼の顔に見とれた。だから、リボーンの手が綱吉のワイシャツの襟元を掴んで強く引いた瞬間も、されるがままだった。小さめなリボーンの唇が綱吉の唇に触れる。角度を変えてすぐにもう一度やわらかく触れ、リボーンは右目を細めた。

「愛してるんだ」

 唇が触れ合う距離でリボーンが囁くのを綱吉は呆然と聞いた。

「オレはおまえを手放したくないんだ。たとえおまえが泣いて苦しむのが分かっていても、たとえ過去をやり直せる機会があったとしても、オレはおまえがドン・ボンゴレになるように導くだろう……、すまない、愛してる、愛してるんだ、ツナ。オレはおまえと生きたいんだ、ツナ、綱吉――」

 うわごとのように囁きながら、リボーンは綱吉の唇を甘く吸い、やわらかく触れてくる。気持ち悪いというよりもリボーンとのキスはやわらかくて気持ちよかった。しかし、ぐい、と舌で唇をひらかれ、舌で舌を追われ、からめとられかけた瞬間、これが親愛や友愛のキスでないと気が付いて――考えてみれば親愛や友愛で唇にキスをすることなど確率的に少ないだろう――、綱吉は思わず口内に侵入していたリボーンの舌を噛んでしまった。

「――ッ……」

 痛みで目を見開いたリボーンは、とっさに綱吉の顔から顔を離す。唇の脇から唾液が細くたれて綱吉のあごを濡らした。羞恥心から顔を真っ赤にしてあごを伝った唾液を手の甲で拭いながら、綱吉は伏せていた身体を起こした。


「り、――」


 リボーン。
 と、名前を呼ぶはずだった綱吉の言葉は途切れた。


 綱吉の視線はベッドに横たわっているリボーンに釘付けになる。


 リボーンが心底絶望したような顔で綱吉を食い入るように見つめていた。


 それはまるで、亡霊か何かを見るかのような、驚愕と戸惑いと恐怖が混じった瞳だった。



 一瞬で嘘がばれたと察した綱吉は、慌てて取り繕う言葉を探したが、突然のことで考えはまとまらない。キスのせいで動悸はあがっているし、まともな思考なんて出来そうになかった。早鐘をうつ心臓を洋服のうえから右手で押さえるようにして息を吐く。


「リボーン、あの――、オレ……」


 言いかけた言葉は、しどろもどろのままで口のなかで消えてしぼんでいく。



「つ、な」



 もう分かっているはずなのに、リボーンはすがるような声で綱吉を、――『未来の綱吉の名前』を呼ぶ。綱吉のなかで、急速に「しまった」という思いが駆けめぐっていく。彼を思って『戻ってきたのだ』などと嘘をついたが、彼の様子と表情からその嘘が最も最悪なものだったのだと分かった。しかし、分かったところでもう遅い。頭上から足下へむかって血の巡りが下がっていき、きゅうに身体が冷たくなった気がして、綱吉は肩を震わせた。


「――ごめん。オレ、オレは……」


 瞬きを忘れたかのように綱吉を凝視していたリボーンの瞳が、火花が散るような鮮やかな怒りによって、めらりと揺らめくのを見て、綱吉は呼吸が止まりそうになった。










×××××










 彼に噛まれて舌が傷ついたのか。
 それとも元から口の中が傷ついていたのか。
 リボーンは口の中に広がる血の味を感じながら、失態をおかした己自身へ激しい怒りを感じていた。
 『彼』の服を着た綱吉を『彼』を見間違えてしまうなど最低で最悪の事だ。己が口走った言葉を思い出すとリボーンは背筋が震える。不安や恐れよりもつよい、絶望のような最悪に感情がめちゃくちゃに揺さぶられる。

 愛してると囁いて、キスをしたことを――、どう言い訳をしたところで、現実を覆い隠せるかどうか危ういところだ。

 完全に頭に血が上ってしまっていて冷静な考えなど浮かんでこない。時間を稼ぐように、リボーンは綱吉を睨みつけていた。怒りのこもったリボーンの眼差しに見据えられた綱吉は青白い顔に怯えた表情を浮かべ、身体を硬直させていた。綱吉がいつまでリボーンの眼光で思考を停止しているかは分からない。短い時間で考えた、ありとあらゆる言い訳と取り繕うための言葉は、すべて意味をなさなかった。どれも彼を説き伏せることが出来る理由にはならない。

 愛してると囁いて。
 キスを交わして。
 笑いあった『彼』の存在が、ふわりと背後からリボーンの背中にもたれかかってきたような錯覚が、した。
 目の前にいる沢田綱吉は『彼』だが『彼』ではない。
 そんな綱吉に触れてしまった己自身が、いちばんにリボーンは許せなかった。


「出ていってくれ」


 有無を言わさない絶対的な圧力をこめてリボーンは繰り返す。


「何も言うな。何も聞くな。出ていけ。『おまえ』と話す事は何もない」


「リボーン」


 何かを言いかけて近づいてこようとする綱吉に、リボーンは驚いてベッドの上から飛び起きながら叫んだ。

「出てい――ッ!」

 身体を起こしたつもりだったが、結局は枕のうえから頭を持ち上げただけにすぎなかった。無事な片腕をついて体を起こそうとしても身体のあちこちが痛み、反射的にリボーンはベッドのうえで歯を噛みしめてもだえ苦しんだ。

「バカ。具合悪いんだから大声なんて出すな!」

 両手を伸ばしながら綱吉が駆け寄ろうとするのが、涙にゆがむ視界に移る。

「寄るな!」
「動くんじゃない! 大怪我してるんだぞ!」

 片腕で綱吉の手を振り払おうとしたが、彼はやすやすとリボーンの腕を片手で掴んだ。彼の手のひらがリボーンの手首を握りしめている。冷たい手だった。だけど、リボーンは触れられた箇所が熱くなったような気がしてびくりと身を震わせる。

 刹那、病室の扉がなんの前触れもなく開いた。気配に敏感なリボーンと綱吉が同時にスライドドアへ視線を向ける。半分ほど開けたスライドドアを片手で押さえて廊下に立っていたのは白衣姿のシャマルだった。

「どうした?」

「シャマル。寝てたんじゃないの?」

 綱吉が問うと、シャマルは片手でがしがしと髪をかきながら、眠たげにあくびをした。

「隼人に言われて、薬物接種した死体をもういっぺん検査しなきゃなんなんくてな。寝たの十五分だぞ? 仮眠にもならねえ。――で、おまえはらどうしたのよ?」

「平気。――シャマルは、あっちに行ってて」
「おい。この馬鹿を病室にいれたのはてめえか、シャマル」

 ほとんど重なるようにリボーンも綱吉も口を開く。互いにちらりと視線を交わして、すぐにまた続ける。

「行って。シャマル」
「こいつを連れて出ていけ」

「おまえらなあ……」


 呆れるように息を吐いて肩を落とし、シャマルは言う。

「おっさんは疲れてんのよ。これからまたあのくそガキに命じられて仕事しなきゃならねぇんだから、面倒かけさせるんじゃねえよ」

「お願い。行って。シャマル」


 すがるような目をして綱吉が切実な声音で囁く。

 シャマルの視線がすべらかに動き、リボーンを見た。

 こいつを連れて行け。と黙したリボーンが視線で訴えても、シャマルは困ったように眉を寄せたまま、何も言わなかった。彼は、リボーンと綱吉が決別するか否かの騒ぎの最中、綱吉側へ立っていた人間だ。つきあいはリボーンのほうが長いというのにシャマルは綱吉のフォローへ回った。しかしそれは、リボーンがフォローを望んでおらず、むしろ、リボーンが望むのは沢田綱吉へのフォローであると、知っているからこそ、シャマルは綱吉の理解者になるために情緒不安定になりつつあった彼を人知れず見守っていたのだ。

 シャマルがジッとリボーンを見つめた。
 今度は逃げるんじゃねえ。
 シャマルの瞳に挑戦的な色合いがうかぶ。
 リボーンは彼から目をそらした。
 それが合図だったかのように、シャマルは「わかったよ、ボンゴレ」と肩をすくめながら、スライドドアから手を離した。するすると音もなく扉はスライドして閉まっていく。


 再び、室内には心電図の機械的な音が大きく響き出す。緊張しているリボーンの心音と同じく、先ほどよりも心拍があがっているのがはっきりと音声として形になっているのが嫌だったが――、いまさら皮膚にほどこされた器具を引きはがそうとすれば、綱吉は躍起になってリボーンの所行を止めるだろう。そうなっては、場はいっそう混乱してしまうに違いなかった。


 時間が経過して、ようやくリボーンも――そして綱吉もだろう――、まともに思考することができるようになったのかもしれなかった。
 呼吸をして、あらためて、いましがた目が覚めたかのような気持ちで、リボーンは目の前にいる綱吉を眺めた。
 オレンジ色の淡い照明のなかに彼は立っていた。『彼』の外套やスーツを着ているものの、やはり彼は『彼』ではなかった。どうして見間違ったのか。リボーンには分からない。目覚めてぼんやりとしていたのか、それとも『そうであって欲しい』という強い願いが理性を眩ませていたのか、どちらもとも言えなかった。

 不安そうな表情の綱吉はリボーンが黙って眺めていることに居心地の悪さでも感じたのか、照れたようにはにかんだ。がしかし、はにかんではいても、半分以上は腰がひけているようなはにかみ方なので、どちらかといえば引きつった笑い方になっていた。昔、彼がよく浮かべていた笑い方だなあと思いながらも、リボーンは無表情のままで、彼の顔を眺めていた。


「寝ぼけて恥ずかしかったの? それとも、誰かと勘違いしてたの?」


 顔を赤らめたままの綱吉がとぼけたことを言うのでリボーンは落胆というか、はげしい呆れにみまわれて長々と息を吐き出した。
 寝ぼけてキスをされた相手に恥ずかしかったと問うのかおまえは――。
 それに「ツナ」とか「綱吉」とかきちんと綱吉と自覚してリボーンはしゃべっていたというのに、誰かと勘違いして話をしていたとでもいうのか。

 こいつはこんなに馬鹿だったろうか。

 ひっそりと胸の内でリボーンは失笑する。瞬間的に燃え上がった怒りは、勘違いをしたリボーン自身に向けられるべきで、綱吉にたたきつけるべきではない。だがしかし、危機感のない彼の態度に、いささかリボーンは苛立ちを感じた。思い返してみれば、彼はこちらへきてから、六道骸にいちど唇を奪われている。思い出した記憶がぴしりとリボーンの心にヒビをいれる。


「馬鹿。黙れ。朽ち果てろ」

「う。……ひどい言いぐさ……」

 顔をしかめた綱吉が低く呻く。

「別にさ、キスくらいならそんなに気にしないよ? 殴られたり蹴られたりして痛かった訳じゃないしさ」

「痛かった訳じゃねーって。……おまえ、その態度はどうなんだ?」

「だって……。別に初ちゅーって訳でもないし。おまえのこと、触れるのも嫌なほど嫌いな訳じゃないし。それにさ、骸も、オレにしたもんな。なんだかさ、外国文化にみんな、かぶれすぎなんじゃないの?」

「外国文化、か」

「キスは挨拶みたいなもんなんだろ?」

 きょとんとした顔で綱吉が言う。
 違うと言えば、じゃあどうして?と彼は問うだろう。今は綱吉も混乱しているから、なにか手っ取り早く、事を解決してしまう言葉が欲しいだけなのだ。
 ならば、リボーンは沈黙を守った方がいい。
 彼が彼なりに答えを見つけて納得してしまうのならば、それが一番の解決方法だ。

 琥珀色の綱吉の瞳がリボーンを見つめる。
 時が止まればどんなにか幸せかと、思わずにはいられなかった。


「深くは考えない。それでいい?」


 リボーンが唇を結んだままで頷くと、安心した心地になったのか、綱吉は様々な感情を含んだため息をひとつ落として顔を伏せた。ふわりとやわらかそうな茶色の髪が揺れ、彼の身体をすっぽりと覆っているマントのような外套のすそがひらりと揺れる。

 彼が何を口にするのか。
 リボーンは大きな枕に頭を預けたままで、彼の言葉を待った。
 綱吉は落ち着きを取り戻すためにゆっくりと深呼吸をして方を上下させた。大きな琥珀色の瞳でリボーンを見つめ、背筋を伸ばした彼の態度は、『彼』そのもののように見えた。


「ごめんね。リボーン」


 唐突な謝罪の言葉の意味が分からずにリボーンが反応せずにいると、綱吉は下唇をいちど噛んでから、言葉を続けた。

「オレ、こっちに来てから、おまえに酷いことばっか言ってたよね。――あれから落ちついて考えてみたけれど、オレは本当に駄目だめだったよね。おまえが怒るのも、仕方なかったかもしれない。でもオレ、ちゃんとするから。みんながオレのために必死に頑張ってくれてるの、すごく分かったから。だから、ちゃんとする」

「いったい、何をちゃんとするつもりなんだよ」

「ボンゴレでいちばん強いのは、オレなんでしょう? だったら、オレが表舞台に立った方が効果的じゃないの?」

「そりゃあ、こっちの『綱吉』は最強だけどな。おまえは九年と半前から来た沢田綱吉だろ。高校卒業のころだったよな? おまえ、オレの銃弾なしで死ぬ気になれるようになってたころか?」

「――うん」

「嘘つくんじゃねーぞ。完璧に力を使いこなせてねえだろうが」


 叱りつけるようにリボーンが言うと、綱吉は低く呻いて呪わしげに声をあげた。

「試しやがったな」

「いま、やってみろ」

「へ?」

「死ぬ気の状態になってみろ」


 綱吉は戸惑ったように「うーん」とうなっていたが、仕方なしに両手を身体の前にあわせるようにして、目を閉じた。ほどなくして、ほわりと、室内のオレンジ色の照明とは違う、独特の色合いの炎が綱吉の額に宿った。ゆらりゆらりとゆらめく炎をリボーンはまぶしげに見つめた。綱吉がボンゴレの末裔でなければリボーンと出会うこともなく、平穏な暮らしをしていっただろう。だがしかし、彼の身体にはジョットの血脈がある。生まれる前から沢田綱吉の運命は決まっていた。では、リボーンの運命はどこで決まったのか。
 そんなものは分かり切っている。
 十数年前。
 沢田綱吉という人間を一目見て、そして関わった瞬間から、もはや運命はひとつだけと決まっていたに違いなかった。

「あんまり、見るなよ」

 ぶっきらぼうに言う綱吉の声音で、リボーンは己がじぃっと綱吉を見つめていたことに気がついて、少々呆れた。凝視していたことを誤魔化すように、リボーンはにやりと笑った。ずきりと顔面の筋肉が痛んだが、痛いという顔をすれば綱吉はすぐに心配してしまうだろう。だから顔には出さない。案の定、リボーンの笑みを見て綱吉はぎくっとした。彼の額の炎はひときわ大きくゆらめいたあとで、小さくなって消えていく。

「な、なんだよっ」

「照れてんのか。なんだ? オレの視線で感じちまうのか?」

「下品なこと言うなっ。調子にのるなよ、キス魔め」

「キスのことを引き合いにだすなんて。オレのテクニックにもう骨抜きで腰にキてんのか? 仕方ねーやつだな」

「げ、ひ、ん! なんかもう、やめてよ。オレの知ってるリボーンはそんな下品な奴じゃないんだって」

「じゃあ、どんなだって言うんだ?」

「どんな、って――」

 口ごもるように黙りこみ、綱吉はすこし斜めうえを見て考え出した。彼の顔が少しずつ、納得したくない事実をつきつけられたかのように、苦い顔になっていく。浮かんだ想像を振り払うように首を振り、綱吉はやけにきっぱりとした感じで言った。

「言わない。何でもない」

 綱吉が何も言わずとも、リボーンには彼が何を考えたのかはだいたい読みとれた。

「そうか。褒め言葉しかねーか」

 綱吉は顔をしかめ「勝手に言ってろ」とうめいて、鼻から息をつくように苦笑した。
 会話をしていても、綱吉は別段、精神的に不安定なようには見えなかった。だからといって、綱吉の性格をよく知っているリボーンとしては、今もまだ、彼が混乱の渦中にあるのを必死に押し隠しているのではないか――という疑念が振り払えなかった。

 しかし、いつまで経っても、綱吉を閉じこめておく訳にはいかない。

 ボンゴレの内乱という事実が、隠居した古株の元・ボス達や同盟ファミリィの連中に知られれば、沢田綱吉はどうしても表舞台に立たねばならなくなる。そもそもの原因が綱吉にある以上、彼が事態を収束させなくては誰も納得しないだろう。
 しかも、綱吉が入れ替えられた事実が広がれば、さらに動揺が広がり、どんな企てが派生していくか分かったものではない。
 綱吉自身が望むのであれば、彼を自由にさせ、――黒幕となっている敵をおびき出すこともできる。危険なことだが、事態を一刻も早く解決せねばならないのだから仕方がないのだとリボーンは自分自身の反論をねじ伏せる。
 守ればいい。
 守れば、いいだけだ。
 いまのリボーンにはそれが出来ないことが、実に歯がゆかったが――。
 リボーンには信頼できる友人達がいる。
 身体がましな動きを取り戻すまでは、彼らに綱吉のことを頼むしかないだろう。

「リボーン?」

 視線をさまよわせたまま、ぼんやりと思考にふけっていてリボーンを現実へ引き戻したのは綱吉の心配そうな声音だった。


「疲れたの? もう、オレ、行こうか?」

「いや。――おまえ、これからどうするんだ?」

「どうするって……。行っただろ。オレはオレに出来ることをしたいって」

「そうか」

 綱吉はかたい決意を表すかのように眉をきりりとさせ、リボーンの視線を真っ向から受け止めた。普段は気が弱く、いや、気が優しく、戦いや争いとなると今にも泣き出しそうな顔をするくせに、一度こうだと決めた彼の眼差しはどこまでも強く、そして勇猛な輝きを放つ。内側から何か、強い光が灯ったかのようにさえ思えるのだ。

「おまえは実践をつんでねーんだから、一人で突っ走るのだけはやめとけ。必ず、二人は護衛をつけて屋敷のなかもうろつけ。……護衛は、おまえが昔から知ってる奴らにしとけよ」

「え。――いいの? オレ、鳥籠から出て」

「いいもなにも……。その格好は、『オレにも何かさせろ』ってことなんだろ? もう、勝手にしろ。その代わり、何かするときは、逐一オレに報告しろよ」

「うん。わかった。ちゃんと報告するよ」

 嬉しそうに笑って綱吉はこくりと頷く。

「ありがとう。リボーン」

 年下の子供達の扱いに慣れていた綱吉は他人との接触の度合いが高い。嬉しさからかベッドに寝ているリボーンに綱吉は無防備に近づき、両手をリボーンの身体へ伸ばす。

「触るな」

 毛を逆立てる猫のように拒絶を現しても綱吉は意に介さなかった。

「なんだよ。照れなくたって、いいだろ」
「触るな」

 ふん。と鼻から息をついた綱吉は、リボーンが自由に動けないのを見てにやっと笑うと、ベッドに寝ているリボーンの身体を布団ごとそうっと両腕で抱きしめた。ふわりと彼の髪がリボーンの頬に触れる。目眩のような怒りを感じながらリボーンは舌打ちする。

「……てめぇ……、そんなに死にたいか」

 吐息を震わせるような笑い声がリボーンの耳元近くでした。「ねえ、リボーン」と落ち着き払った、静かな声音で綱吉は囁く。


「おまえが死んだらオレはきっと此処に立っている意味はないって、そう感じると思うよ。……おまえが死んだりしなくて、ほんとうに、よかったよ……。無事でよかった、ありがとう、生きていてくれて」

 身体を起こして抱擁をといた綱吉は、どう反応しようかと考えあぐねていたリボーンの、包帯に包まれている左目のあたりにわざとらしく、ちゅ、と音をたててキスを落とした。心同様に右目のまつげを震わせ、リボーンは間近にある綱吉の顔を見上げた。


「さっきの仕返し。これがオレの精一杯の、しるし」


 そう言って、綱吉は背筋を伸ばして立った。リボーンは枕に頭をあずけたまま、顔をかたむけて綱吉を見上げる。彼が少しでも照れていたら、からかってやろうかと思った気持ちは次第に小さくなっていった。綱吉は優しい顔をしていた。それは愛情は愛情でも――、家族愛に近いような、深くて広くて、そしてどこまでも残酷なほどに優しい微笑だった。

 ああ、やっぱり。
 おまえは違うんだなあ。
 おまえのなかじゃ、オレはまだ『家族』なんだろうなあ。

 リボーンのなかで予感は確信に変わる。
 それが悲しいとは思わなかったけれど、寂しいとは思った。
 いったいいつ、家族から愛人へ、恋人へと彼の気持ちが変化していったのか。
 きっと彼に聞いても答えは出ないだろう。
 リボーンも同じなのだ。
 いったいいつ、教え子から想い人へ、恋焦がれる相手へなったことなど分からないのだから。

 リボーンの思考など知るよしもなく、綱吉は優しい目をしてリボーンのことを熱心に見つめた。

「オレもね、リボーンのこと、好きだよ。大切だよ。――おまえはもう、十分にやってくれたもの。今度はオレが戦う番」

「へまするんじゃねーぞ」

「リボーンのほうこそ、大人しくしててよね。じゃないと、オレのかわりに鳥籠に入ってもらうからな」

「減らず口が」

「お互い様でしょ」


 どちらともなくシニカルな笑みを浮かべて、リボーンと綱吉は視線を交わす。


「オレはオレに出来る事をやりにいくよ」


 にっこりと笑って綱吉が言う。


「無理は、するな」


 リボーンの真剣な様子をくすぐったそうに受け取り、綱吉ははっきりと頷いた。


「わかってる。そんなに心配しないでよ、リボーン」


 外套の合わせから右手を出して、綱吉は己の胸元へ手を添える。
 きゅ、と一度くちびるを引き結んでから、綱吉は真剣な眼差しを浮かべた。


「オレはオレの選んだ道を行くんだ。マフィアになるなんてきっかけ、おまえと出会わなきゃ生まれなかったとは思うけど、それでも、オレはオレの人生を、オレの歩くべき血路を自分で決めたんだ。確かにおまえが導いたのかもしれないよ。でも、オレには選択肢があった。そのなかからオレは、十八のオレは、この未来に、この時代に、続いている道を選んだんだ」


 大切そうに言葉を選ぶかのように、綱吉がゆっくりと言葉を続けるのを、リボーンは黙って見つめていた。


「だから、リボーン。おまえがオレを無理矢理にマフィアにしたなんて、そんなこと、思わなくていいんだかね。――未来のオレの側に、おまえが一緒にいてくれてオレはすごく安心したよ。おまえがいてくれるのなら、おまえがずっと一緒にいてくれるのなら、オレはどんな血路だって構わないって思えそうなんだよ、リボーン」


 リボーンのなかで、先ほど己が口走った言葉が思い出される。

 やっぱり、オレを許せないのか?
 おまえを『こんなふうに』しちまったオレを恨んでるのか?

 リボーンの言葉を聞いてから、綱吉はずっとリボーンが口にした言葉について考えていたのだろう。リボーンとそつなく会話をこなしながら密やかに思考をしていたのだとしたら、随分と頭が回るようになってきたものだなとリボーンは感心した。そして、不覚にも泣いてしまいそうになったので慌てて感傷にひたりそうになった思考を引き締めた。

 綱吉は外套の立て襟にあごをうずめるようにして、少しきつい目をした。


「おまえのことを、そんな風にした奴らを必ず捕まえるから」


 綱吉の瞳に確固たる意志が宿る様を眩しそうにリボーンは見た。戦う彼の顔は、普段の気の優しい彼の顔とまったく違ったように見えた。それは錯覚でしかないのだが、小柄な彼の身体が一回りほど大きくなったかのような、見えない圧迫感が増すのを肌で感じることが出来る。


「それと、オレと……っていうか、未来のオレとおまえが一緒にいることを良く思ってない連中のことも、どうにかするから。リボーン。オレはね、おまえと別れるなんてこと、考えたことないんだ。だからさ、これからも一緒にいてよ。……おまえがよければだけど」


 そこで厳しい表情をすこしくずして、綱吉は肩をすくめた。


「それじゃあ、オレは行くよ」


 リボーンを安心させるためかのように、男らしく快活な笑顔を浮かべた綱吉は外套の裾を翻して病室を出ていこうとする。その背中に「ツナ」と投げかけ、リボーンは彼の足を止めさせた。綱吉は進みかけた足を止めて振り返ると、ベッドの近くまで戻ってくる。


「なに?」


 リボーンはごそりと枕の下に手を入れて、拳銃を一丁取り出した。ぎょっとしたように綱吉が両目を見開いて「危なッ」と言うが「護身用だ」とリボーンが言うと、納得したかのように何回も頷いた。


「これ、持っていけ」

「え」


 リボーンの手によって差し出された拳銃を見つめて綱吉は目を見張る。


「オレの銃を貸してやる」

「え。――オレ、拳銃は実際に撃ったことないよ」

「撃ったことねーことは知ってるぞ。組み立てと整備の仕方は教えたが、実弾を撃ったことはねーことくらいな。誰が教えたと思ってる」


 綱吉はリボーンの手に握られている拳銃を受け取った。
 両手で掴んだ拳銃をしばらく見つめていた彼は、顔をあげたかと思うと首を振った。


「気持ちは嬉しいけど、いい。いらない」

「どうしてだ?」

「きっとオレ、躊躇しちゃうと思うし。そうなったら逆に危ないだろ?」

「わかった。じゃあ、拳銃の弾倉を取り外せ」

「は?」

「いいから、言われたことやれ」

「はいはい」


 困り顔のままで綱吉はリボーンの言うとおりに弾倉を取り外す。拳銃の取り扱い方については綱吉はリボーンから教え込まれている。弾倉を取り外した綱吉は、拳銃の本体の方をリボーンの枕元へおいて、弾倉を持っている片手をひらひらとさせる。


「で? どうするの?」

「一発、実弾をぬけ」


 綱吉はリボーンに言われたとおりに弾倉から実弾を一発だけ抜いた。


「これでいいですか? 先生」


 右手の人差し指と親指で実弾をはさみこむように持って、綱吉は首を傾げる。


「ああ、いいぞ。それをスーツのポケットにでも入れておけ」


 一瞬、リボーンの言葉を理解できなかったのか、綱吉はリボーンと実弾とを見比べていたが、思いついたように「ああ」と声をあげた。


「うん。わかったよ。お守りだね」


 クスッと笑って、綱吉は外套の下に着ているスーツの胸ポケットへ実弾を入れた。そうしてから、なめらかな動作で弾倉を拳銃にセットし直して、リボーンの枕元へ置いた。リボーンは安全装置がきちんとかかっているのを確認してから、枕の下へ拳銃をしまった。

 綱吉は胸元に手をそえ、ぽんぽんと軽く二回胸元を叩いた。


「これで、おまえといつも一緒だね」


 口元だけで笑って、綱吉を見上げながら、リボーンは頭のなかで、どうやってシャマルを説き伏せて、使い物になりそうもない身体を使えるようにさせるかを必死に考え出していた。右腕は折れているが左腕がある。左目が見えなくても右目が見える。足は無事なのだ。

 戦える。
 己の身体のことをよく分かっているリボーンだからこそ、確信を持って言える。
 六道骸のような異能の輩や山本武のように生来の殺し屋のような輩でないのならば、いまのリボーンでも充分に戦い、そして必ず勝利を収めることができると、自信をもって言えるだろう。

 彼ひとりを戦場に立たせる訳にはいかない。
 これは沢田綱吉とリボーンの、二人の戦いなのだ。



「お守り、ありがとう。リボーン」



 病室のスライドドアを引いて廊下に出た綱吉が、ゆっくりと室内を振り返る。
 男性にしては大きな彼の目がリボーンを見つめる。



「いってくるよ」


「気をつけろ」


 綱吉は「うん」と大きくうなずいて、スライドドアから手を放す。





 リボーンはベッドに身体を横たえて大きな枕に頭を預けたまま、閉まりゆくスライドドアの隙間で、黒い外套の裾がひらりと舞うのを歯がゆい思いを感じながら見送った。




 折れていない左腕を身体に引きよせ、指先で唇に持っていく。
 綱吉の唇に触れた唇に指先で触れる。




「……ツナ……」




 唇に触れた指先を、きつく握り込んでリボーンは目を閉じた。