時刻は午後十時を過ぎたころだ。陽が落ちてしばらく経過し、昼間の明かりも熱もすべてが冷え切るには十分の時間が経ち、世界の隅々までが夜の冷たさと静けさが広がりきろうとしていた。
 黒塗り大きな車の後部座視席に沈み込むように座り、目を閉じていたリボーンは音もなく瞼を持ち上げる。
 窓の外のイタリアの街並みには暖かそうな明かりが宿り、まるで幸福が溢れる箱庭のように争い事など起こりはしないのだというように存在していた。
 リボーン達がこれから起こす、血なまぐさいやりとりの予感など少しもないような平穏そのものの夜だった。

 車の運転席にいるのは山本で――彼はどうにかきついスケジュールをこなすことに成功し、うらやむ獄寺に手を振って、今回の作戦に参加していた――、その隣の助手席にはカルカッサに所属をしたままで、ボンゴレとのパイプ役を務めているスカルが座っていた。彼はライダージャケットに細いシルエットのズボンを身につけ、夜の闇でも動物の瞳のように風景を見ることが出来る精巧なバイザーをかけていた。一見して少々ごつめのサングラスといった風体のもので目線を隠しているスカルの口元は、緊張のせいかすこし強ばっているように見えた。胸の前で組んでいる腕の肘のあたりで、しきりに指先が上下してリズムを刻んでいた。
 後部座席に座っていたリボーンの隣には、コロネロがむっつりと黙り込んで座っている。リボーンと目が合うと、コロネロは座席にふんぞり返るように座ったまま、サングラスの下からじろりとリボーンを睨んだ。

「なんだよ、コラ」

「ずいぶんと悪党面な『ドン・ボンゴレ』だな」

「ほっとけよ、コラ!」

 舌打ちをして、コロネロは組んでいた足を組み替える。綱吉がよく着ているブランドのスーツを着たコロネロは、綱吉の髪色を模したかつらをつけていた。まだ十四、五歳とは思えないほどの長身としなやかな肉体は、二十七歳の綱吉と比べるとそう大差ないほどに成長をしていた。似たような体格といえば、バジルも同じような体格をしていて、影武者としては適任だったかもしれなかったが、彼は彼で、ドン・ボンゴレたる綱吉が表立って行動できない分の仕事のほとんどに追われていて時間を割く余裕が一ミリもなかった。

 コロネロ達にはリボーン自身から「手を貸してくれ」と言って来てもらっている。仲介をしたのは獄寺だったので、彼らがどんな顔をしてどんな言葉を言って、今回の囮作戦に参加してくれたのかは分からない。
 昔から、コロネロ達は綱吉のことを気に入っていた。なんだかんだと文句を言いながらも、彼のことを気にかけ、そしてひっそりと手助けしてきた。――思い返してみれば、その一人として己の名前をあげられてもおかしいことはないのだと、リボーンは心の中で自嘲するように笑う。

 車は予定通り、予定の場所に到着した。郊外に設けられた墓標が並ぶ墓地の駐車場に車が滑り込んでいく。駐車場の縁にそって、ぽつりぽつりと外灯が点在し、あわい明かりを灯していた。駐車場の奥にはすでに到着をしていた車が一台停車していた。ボンゴレの車に気がついたのか、停車していた車のドアが開いて、四名の人間が降りてくる。

 駐車場の奥へと向かいながらゆっくりとスピードを落としだした車の中で、リボーンはスーツの内ポケットから携帯電話を取り出して履歴から番号を選び出してコールを始める。

 ぷつ。
 と、電話が繋がると同時にリボーンは挨拶なしで声をかける。

「準備はいいか」
「『おーけいですよーぅ、イタッ、ラルさん、なにすんですかぁ』」
「『情けない声を出すな』」
「『はーい。ちゃんとしまーす。ランボさんにも頑張ってて言われちゃいましたしー、不肖カナリア、狙撃手の任、がんばりまーす』」
「………………」

 何か言いたげなラルの沈黙が痛いほど携帯電話ごしに伝わってきたが、あえてリボーンは何もつっこまなかった。

「頼んだぞ」
「『了解でっす』」
「『任せておけ』」

 二名の狙撃手からの答えを聞いてからリボーンは電話を切る。
 ボンゴレの車は、相手方の車から数メートル離れた場所に停車した。山本がエンジンを切るうちにスカルがすぐに車外に出た。続いてリボーン、そして変装をしているコロネロ、次に山本が車を出た。

 スカルは車の脇に立って黙り込んでいる。彼はあまり社交的な性格をしてはいない。人見知りするような相手ではないことは分かっていても、己から話しかけて挨拶をするまでに行動が至らないのだ。
 逆に、人なつっこさでは群を抜いている山本武が、近づいてきた金髪の美丈夫に向かって満面の笑みを浮かべて片手をあげて挨拶をした。

「こんちわー、ディーノさん。久しぶり」

 金髪の美丈夫は、人懐っこい大型犬のように近づいてきた山本を見て破願した。

「おーう。山本。元気そうだな!」

「また、近いうち、これ、行きましょうね」

 山本がおどけるように、グラスをかたむける仕草すると、ディーノはにこやかに笑いながら頷いた。

「ああ、そうだな」

「ロマーリオさんも、ちわー」

「久しぶりだなぁ、武。また男前があがったんじゃねえか?」

「またまたー。ロマーリオさんの渋い男っぷりには勝てねーっすよ」

 ロマーリオとからかい合うような会話をして、すぐにキャバッローネの他の二名の部下とも挨拶を交わす。あっという間に他人の間合いに立ち入っていった山本の鮮やかな所行を見ていたリボーンの前に、ディーノがゆっくりと近づいてくる。かつての教え子は年を重ねるごとに熟していくかのように、年々と艶やかに美しく花開いた大輪の薔薇のように魅力的な色香を醸し出しつつあった。年をとって少し落ち着いたような雰囲気が、逆にけだるげな印象を深め、三十路も半ばを過ぎた男性とは思えぬ美貌ぶりに老若男女問わず、籠絡させてしまえそうなほどの威力があった。だがしかし、リボーンにとっては彼は教え子でしかない。どんなに美しく、どんなに魅力的であろうと、決して惹かれはしない。
 同じ教え子だというのに、美しく魅力的なディーノではなく、駄目で仕方のなかった沢田綱吉に陥落してしまったことを、リボーンは今でも不思議に思う。だが、その疑問を口には出さない。不思議に思うが、答えはすでにリボーンのなかにあるのだから、問いを口に出す必要もないのだ。

 ディーノはリボーンの前にくると、ボルサリーノからのぞく包帯をちらりと視線で見やり、少しだけ顔をしかめた。彼が心配そうな言葉を紡ぐ前に、リボーンは不敵な笑顔を作って口を開いた。

「よう。跳ね馬」

 強気なリボーンの態度に引かれるように、ディーノは皮肉ぽく片目を細めながら言う。

「よう。リボーン」

 ディーノはリボーンの隣に立っていた――綱吉に変装をしている――コロネロを見て、笑い出しそうになるのをこらえるように唇を結んだ。コロネロがサングラスごしに、ぎろりと音を立てそうなくらいにディーノを強く睨む。本当ならば声を出したいのだろうが、変声機など用意していないので黙り込んでいるしかないのだ。

 くつくつとディーノは笑いだし、双眸を細めながらリボーンのことを見下ろす。


「まったく。お前らってのは、なんていうか――、つくづく運命に翻弄される奴らだよなぁ。神様に嫉妬でもされてんのかよ?」

「その場合、神様に嫉妬されるほど愛されてんのはどっちだよ?」

「そんなのもちろんツナに決まってんだろ」

「――あんたら、喧嘩しに来たんですか?」

 思わず、と言っていいタイミングでスカルがすかさず声をかけながら車の影から姿を現す。ひっそりと黙って己の姿を潜めていた彼を、ようやく視認したのかディーノは大げさな様子で驚いて声を上げる。

「おぉ。スカル! 似合わないサングラスなんてかけて。また大っきくなったんじゃねえのか? むかしはこーんなに小さかったのにな」

「あんたは親戚のおじさんか!」

「う。おじさんか」

「傷ついてんじゃねえぞ、おっさん」

 笑いながら、リボーンが両手を素早く動かして、腰裏のホルダーから二丁の拳銃を引き抜く。静まりかえっていた夜を震わせるように車のエンジン音がどんどん近づいてくる。リボーンは唇に笑みをのせ、背中から這い上ってくる興奮に突き動かされるように両手の拳銃のグリップを強く握り込む。

「おい、こらリボーン。おまえまでおっさんとか言うな」
「ボス。この子達からみりゃ、俺もボスもおっさんなんだろうよ」

 ディーノが鞭を取り出し、ロマーリオが笑いながら拳銃を引き抜く。

「てめえ、自分の面倒は自分でみろよ、コラ」
「わかってますよ」

 コロネロがスーツの内側に両手を入れて、大振りのサバイバルナイフを取り出す。スカルは車の助手席のドアを開けて中からアサルトライフルを取りだし、予備の弾倉が入っているホルスターを素早く細い腰にとりつける。

「おれはあまり、戦闘向きじゃあないんですけどね」
「死にそうになっても助けてなんてやらねーぞ」

 リボーンの声にスカルが嫌そうに眉を寄せる。

「ああ、そうでしょうね。あんたはね。悔しくって死ねそうもない」
「スカル。だいじょーぶだって。もしもん時は、俺がどーにかしてやっから!」
「山本さん……」
「こいつはそう言うが、殺し始めたら意識なんてほとんどねーからな。間違って殺されないよーに気をつけろよ」
「あははー、間違って斬りつけちまったら、ごめんな」
「……なんでおれ、来ちゃったんだろ」

 アサルトライフルを片手で持ち、スカルが低くうめくように言うと、山本が笑い声をあげて帯刀している刀を鞘から引き抜いた。

「そんなの決まってんじゃん」

 抜き身の刀身の背で肩を叩き、山本は歯をみせるように笑みを浮かべる。

「みーんな、ツナのことが好きだからに決まってっだろ?」
「ははっ、そりゃあ、そうに違いねえな」
「おいおい。ツナはオレに惚れてんだ。だからおまえらが報われることはねえ。残念だったな」

 低い声でリボーンが告げると、彼らは苦みが八割笑みが二割ほどの苦笑を浮かべて次々と口を開く。

「性格悪ッ、先輩」
「意地が悪いって、小僧ォ」
「リボーンは赤ん坊のころからいろんなところが悪かったんだって、性格とか意地とか性根とか真っ黒じゃん」
「そうなのか、ボス」
「否定はできねえな、コラ」
「おい。おまえら、あとで全員ぶちのめすぞ」

 リボーンの語尾にかかるように、大きなエンジン音をとどろかせながら駐車場に数台の車がものすごい勢いで走り込んでくる。

「とりあえず、適当に生き残らせておけ。聞くことがあるんだからな」

 リボーンの声に各々が重なるように返事をする。

 足下から頭上にいたるまで、じわじわとこみ上げてくる戦闘への高揚がリボーンを酔わせる。
 闇を裂くように車のヘッドライトが暗がりに立っていたリボーン達を照らし出した。途端、車のドアから離れようとしていたスカルの近くで車の窓が割れる。短く悲鳴をあげたスカルが唇を引き結んでアサルトライフルを両手で構えて身を固める。

「散れ!」

 リボーンの声に反応するようにあらかじめ決められていた組み合わせで散開する。リボーンとディーノ。ロマーリオと山本。スカルとコロネロ。そしてキャバッローネの二人。接近組と援護組に分かれた組み合わせだ。
 リボーンは走りながら横目で車を追う。すぐ後ろでディーノが走る息づかいがした。二人の方へ急ハンドルを切ってつっこんでくる車両のフロントガラスが砕け散り、数コンマ遅れてターンッという銃声が辺りに響き渡る。ラルかカナリヤか。狙撃手として二人が行動を始めたのだろう。彼らからの連絡を受け、百人を越えるボンゴレの部隊が円形の包囲網を縮めるように墓地に向かい出すだろう。誰一人として逃すつもりはない。一台、二台、三台、四台、五台――車は増え続ける、けたたましいブレーキ音と共に停車した車から飛び降りるように次々と人が降りてくる。複数の車のライトのせいで周囲は昼間のように明るくなった。

「追え!! 殺せぇえぇぇえええぇえぇええええ!!」

 答えるように吠えるような声があがる。リボーンは二丁の拳銃を身体に引き寄せるようにして構えて全力で駆ける。人工的に植えられた並木にはさまれた小道を走り、目指すのは個人墓地が連なる場所、十分もすればボンゴレの部隊と合流できる場所だ。後方から銃弾が何発も撃ち放たれたが、どうやら腕が悪いらしく、かすりもしない。走りながらの狙撃はよほどの集中力が必要となる。くす、とリボーンは密やかな笑みをもらしながら、軽くステップを踏んで背後を振り返り、後ろ向きのまま駆ける。ディーノの背後に敵を視認。トリガーを連続で二回引く。心臓と眉間を打ち抜かれた男が二人、地面を踏みしめることなく前のめりに倒れる。追っ手達はひるむことなく死体となった仲間に駆け寄らずにリボーン達を追ってくる。牽制をするように後方から銃弾が連続して発砲される。一発の銃弾がわずかに肩をかすったが、ほとんど痛みはない。立ち止まる必要はない。ステップを踏んで前を向いてリボーンは駆ける。ディーノが口笛を吹いた気配が過ぎていく風にのって消えていく。リボーン達を追いかけてきた追っ手は十人ほどだ。予備の弾倉が必要になるようなことはないだろう。リボーンはグリップを握り直す。並木が途切れ、白い墓標が連なる墓地に到達する。闇のなかで無数の白い墓標が存在を主張するようにぼんやりと並列している。


「ディーノ」
「オーケィ」


 煉瓦の道を踏みしめて、リボーンは立ち止まる。同じタイミングで立ち止まったディーノが右腕を振り上げ、思い切りしならせる。闇を切り裂く鞭を視認できるものなどいない。ディーノの鞭は銃を構えて先頭を走っていた男の腕を叩いて服ごと皮膚を裂く。休む間もなくディーノが腕をしならせ、痛みで拳銃を取り落した男の顔面めがけて鞭をふるう。横っ面を叩かれた男が断末魔ともとれそうなほどの絶叫をあげ、顔を両手でおさえて地面に崩れる。かえす腕でディーノは次の標的の太股を狙った。空気を裂いてうなり声をあげた鞭が男めがけて振り下ろされる。ばつん、という大きな音がして布地と共に皮膚が裂ける音が耳に届く。ディーノはすぐに腕を引き寄せて振り下ろし、足の痛みに悶絶している男の腕に鞭を打ち下ろして拳銃を手放させた。鞭打たれた男の聞き苦しい悲鳴が墓地にこだまする。鞭の動きにひるんで男達の足が止まりかける――、リボーンは両腕を持ち上げて、

「オレ達を制するつもりなら人数が全然足らねーんだよ、クソ野郎ども」

 早口で言い放ち、連続で引き金を引く。
 銃声はほとんど一発のように音として響き渡った。
 両腕に心地のよい銃撃の余韻を感じながら、リボーンは銃口を地面へ向ける。

 男達は一人残らず地面に倒れ伏していた。まるで初めからそうであったように、九名の男達の眉間には銃創が刻まれ、無惨にも血塗れとなっていた。

「……あっという間」

 ディーノは鞭を片手でたぐりよせ、肩をすくめる。

「俺がいた意味あんのかね?」

「おまえがいたらから、息のある奴が二人いるだろうよ」

「おまえ……、最初っから全部殺すつもりだったのかよ?」

「オレは苛々してるんだ」

「そうかよ」

 ディーノは鼻から息をついて、わざとらしく両肩を下げた。鞭を持っていた片手とは別の手を上着のポケットへ入れたディーノは、一本の紐のような細いプラスティック製の手錠を取り出してリボーンの前に差し出した。リボーンは右手の拳銃をホルスターへしまい込み、プラスティック製の手錠を一本だけ受け取った。

 ディーノとリボーンは、鞭で打たれて地面に倒れ伏していた二名の男にそれぞれ近づいていった。腕と足を打たれて気を失っている男の両腕を背中側へ回して、プラスティック製の手錠で手首を拘束する。リボーンが拘束した男はすでに意識を手放してしまっている。拘束した男を地面に転がしてリボーンは立ち上がった。

「リボーンッ」

 ディーノが拘束しようとしている男は、顔を打たれた男のほうだった。皮膚が裂けた顔面の右側からだらだらと血を流してふらふらとしながらも、男は必死に抵抗すように両腕でもがいていた。リボーンは舌打ちをして彼らに駆け寄っていった。ディーノとリボーンが二人がかりで男のことを押さえつけ、どうにか背中側に両腕を回させて拘束するのに数分かかってしまう。
 男が暴れたせいで、リボーンのスーツの袖が彼の血で汚れてしまった。白いワイシャツを汚した鮮やかな血の色が、リボーンの記憶のなかの血を流す綱吉に重なる。震えるような怒りと苛立ちが血潮をめぐって体中に行き渡るまで時間はかからなかった。

 男はわずらわしそうに咳き込んで、口のなかにたまった血混じりの唾液を地面に吐き捨てた。だらだらと顔の傷口から首筋にむけて血が流れている男の顔色は白くなりつつあった。出血のしすぎで意識を失うのも時間の問題のように思われる。

 リボーンは地面に膝をついている男の前に片膝をつき、左手で銃を構えたまま、右手で男の短い前髪を掴みあげた。喉をそらした男が低く呻いて苦しげに息を吐く。

「どこの、人間だ?」

 顔をしかめていた男はリボーンの顔を瞳に映すと、宿敵を見つけたかのように憎悪に歪んだ光を瞳に宿した。黒く暗く燃える感情に起因するかのように、男の顔が狂気的な笑みにゆっくりと歪んでいく。

「死にてえのか? 別に誰か一人生きてりゃいいんだ。殺されねえと思ってんのか?」

 発砲によって熱を持っている銃口を男のアゴ下に押しつける。皮膚を焼かれた男の顔が苦悶に歪む。

「リボーン」

 ディーノが咎めるような声でリボーンの名を呼ぶ。リボーンは聞こえないふりをして男を睨み続けた。ふいに男の目に奇妙なふうに、陰りの炎が宿ったかのように、ぬらりと燃えた。

「我々は個人である」

 リボーンに髪をつかまれ、アゴ下に銃口をつきつけられたまま、男は瞳の周りにぐるりと白目をむきだしにするように目を見開いて、呪文を唱えるかのように抑揚のない声音で言い続けた。

「我々を動かすもの。それは誇り。脈々と続く血の歴史。――貴様とあのジャッポネーゼが我らが敬愛する由緒ある名家の血の歴史を冒涜し汚し、尊き血族の名を踏みにじった。それを正すために我々は同志を募ったのだ」

 男は狂信的な笑みを誇らしげに浮かべて口元をゆるめる。

 誇り。
 脈々と続く血の歴史。
 貴様と、あのジャッポネーゼ。
 リボーンと、綱吉。
 名家の血の歴史を冒涜し。
 尊き血族の名を踏みにじった。
 誇り。
 脈々と続く。
 血の歴史。
 由緒ある。
 名家の名。
 尊き血族。
 リボーンと、綱吉が、踏みにじった尊き血族の名――血族の、名!


「おまえの、所属、は――」


 リボーンは両手から力が抜けるのを必死に堪えた。
 拳銃を握る手。
 男の髪を掴む手に力を入れる。

 うそだ。
 まさか。
 そんな。

 浮き上がってくる言葉が次々とリボーンの心に突き刺さっていく。

 ぬらぬらと陰った炎がにじみ出てくるような、男の狂った瞳から目を離せずに、リボーンは呻くように予感を言葉にして吐露した。


「ボンゴレ、なのか」

「はあ?」

 ディーノが怪訝そうに声をあげる。

「おい。なに馬鹿なこと言ってんだよ、リボーン」

「血の歴史。――古き時代から脈々と続いているボンゴレの血の歴史のことを、言ってやがるんだろうよ、こいつはな! 誰が黒幕だ!? 誰が動いてやがるんだ!」

 激昂するリボーンを見ても男は狂信的な色の濃い瞳に、奇妙なほど落ち着いた笑みを浮かべて言葉をつづる。

「黒幕などいない。我々はボンゴレの未来を憂いた同志が集まったもの。命じるものはいない。我々は死を恐れない。ボンゴレの誇りを守り通した我々を、歴代のボス達が迎えてくれるだろう」

「ツナを、どうして、入れ替えた?」
「誇りを汚す者には断罪を」
「バズーカはどこにある?」
「誇りを汚す者には断罪を」

 リボーンは奥歯を噛みしめると銃のグリップで男の顔を思い切り殴った。指をからめていた男の毛髪が地肌から抜ける。不快感にかられ、リボーンは掴んでいた髪を放して、よろめくように男から離れた。背後からディーノの腕がリボーンの背中を支えるように触れてくる。その腕がなければ、リボーンはもっと後ろへ下がってしまいたかった。

 リボーンに殴られ、口元からだらだらと血を流しながら――男の顔は鞭打たれた傷口からも血が流れ、ほとんど赤く濡れていた――、男は暗く燃える瞳でリボーンたちを睨んで低く哄笑する。

「殺したくば殺せ。我らは無数に存在する個人である。決して途絶えはしない。呪われろ、誇りを汚す恐るべき子供――」

 男の声をかき消す銃声が一発。
 地面に前のめりに倒れた男の頭からだくだくと血が流れて広がっていく。
 リボーンは硝煙がたちのぼる銃口を左手にぶらさげて男の死体を見下ろしていた。
 表面的には無表情を装ってはいたが、内側では様々な感情がうずまいて暴れ回っていた。
 乾いた喉を湿らせようと唾液を飲もうとしたが、口の中は異様なほど乾いていた。短く息を吐くと、そのまま膝から崩れ落ちてしまいそうなくらいだったが、意識はそう簡単に途切れたりはしない。


「内部犯」

 震えるように声に出す。
 内部の犯行。
 情報が何処まで漏洩しているか分からない。
 事態は急を要する。


「オレ達は間違ってた。これは敵襲じゃない。『内乱』だ」

「内乱? え、内乱なのか、これは……。こいつ、ツナとおまえがどーとか言ってたけど――」

 死体となった男のことを視線で示し、ディーノが黙り込む。
 リボーンははがゆさに奥歯を噛みしめ、首を左右に振る。


「オレが浅はかだったんだ。前にツナに、オレとつきあっていることを公表しろと言ったことあったろ?」

「ああ、あったな」

「たぶん、それがこいつらの引き金になったのかもしれねーな。もとから、ツナは日本人だということで、本当にボンゴレの血を引いているのか、未だに疑う奴らも少なくはなかった。」

「え……、そんなの、もう解決してたはずだろ? ツナはもうボンゴレを継いでだいぶ経ってるし、ボンゴレとしてファミリィと掟をきちんと守って、資金調達のルートなんかも新しく作ったりして――、あいつ頑張ってんだろ? どこが気にくわねぇんだよ!」

 ディーノが声を荒らげて吠える。
 リボーンは体中を巡る血潮が限りなく冷えていくのを感じながら言葉を口にした。

「初代の血を引いてるかどうかも不確定の――とはいえ、ツナはちゃんとジョットの血を引いているがな――、『日本人の若造がボンゴレを継ぎ』、あまつさえ、『ボンゴレを没落させることなく、逆に発展させ』、調子にのって、『殺し屋のオレを愛人にした』。『隠居のじじぃ共が、オレとツナのことを黙認した』。よく考えれば、ほかにも理由がみつかるかもな」

「そんなの、くだらねえやっかみじゃねぇか。ツナは正真正銘、ジョットの血族だろう? あいつの炎を見ても信じられねぇなんて、おかしいんじゃねぇのか……ッ」

「……そもそもボンゴレの血を絶やすことなんて、オレもツナも考えちゃいねーんだよ。なのに外野がうだうだ吠えまくりやがって。うるせーったらねえな。――あいつらが必要なのはツナの子供、『ボンゴレの血を引く子孫』なんだろ? そんなもの、あと数年後にはちゃんとお披露目してやるんだから、大人しくしてりゃあいいのに、こんな面倒なこと企てやがって。絶対に後悔させてやる」

「お披露目、って。赤ん坊をか? ツナの、子供?」

 動揺したのか、言いよどみながらディーノは目を見開く。その態度がおかしくて、リボーンは思わず鼻で笑ってしまった。

「なに馬鹿な事言ってんだ? ツナの血をひいた子供じゃねえと意味がねーだろ、ボンゴレにとちゃあな」

「ちょっと待てよ。おまえら、そんなこと話し合ってたのか……?」

 整った美貌に悲壮さをにじませ、ディーノが眉間にしわを寄せる。三十路をとうに超えた男が浮かべるには幼すぎる表情だ。彼もまた、ファミリィを背負っているボスだ。跡継ぎのことを考えない組織のトップなどいるはずはない。

 誰が誰のあとを継ぐのか。

 綱吉がボンゴレを継ぐときももめた。ザンザスと決着がついても、いざ沢田綱吉がボンゴレを継ぐにあたって、それまで結んでいた同盟を反故にしたファミリィがあったくらい、世代交代の際に激しい改革の奔流がボンゴレに吹き荒れた。
 リボーンと綱吉はその時のことをしっかりと覚えている。
 だから、ボンゴレという大きな組織の将来のことはじっくりと話し合った。
 今すぐではないが、数年の内に綱吉は見初めた女性との間に子供を作る。リボーンと綱吉が別れないことを前提に赤ん坊を産む女性――などという都合の良い女性が見つかるとは限らないことを二人はきちんと分かっている。その場合は、代理母として、莫大な金額を費やして――赤ん坊を手に入れるつもりだった。

『非道い話をしている』
 そう言って綱吉は悲しげに笑い、言葉を続ける。
『非道い話だけど、おまえと生きるには避けられないことだものね。オレは、子供に恨まれるかもしれないね。オレは子供を愛したいけれど、それだって、自分勝手な感情だよね……。なんて非道い父親なんだろう』
 リボーンは寂しそうに笑う綱吉のことを抱きしめた。

 彼がボンゴレの血筋でなければ、
 リボーンは綱吉に出会うこともなく、
 最強の殺し屋として裏社会で君臨し続けただろう。

 しかし、リボーンは綱吉に出会ってしまった。
 良かったのか。
 悪かったのか。
 リボーンはいまだに自問する。
 沢田綱吉に出会ったことは、リボーンにとってどんな運命をもたらしたのだろうか。


 ディーノの気遣うような視線が、黙り込んでいるリボーンを見下ろしている。
 かつての生徒は、かつての家庭教師と可愛い弟分が交わした会話を想像したのか、まるで己のことのように落ち込んでいる。ディーノもまた、綱吉に似て、非情なるマフィア向きの性格ではない。
 リボーンは心の中で苦笑する。
 綱吉も、ディーノもマフィアに向いている訳でもなかったのに。
 結局はリボーンが最高のマフィアのボスに教育し、完璧に仕上げてしまった。

「業が深いな」

 口の中で小さく呟くと、耳ざとくディーノがそれを聞きつけ、首をかしげた。そんな彼の態度を鼻で笑って一蹴し、リボーンは意地悪く片方の眉を持ち上げながら口を開いた。


「ディーノ。あんまり落胆させるんじゃねーぞ。当たり前だ。あいつは初代の血を引いてんだぞ? 血脈を途切れさせる訳にはいかねーことくらい分かるだろ?」

「そりゃ、そうかもしれねえけど、な」

「愛だけで世界がすべて丸く収まる訳じゃねーんだぞ」

「――リボーン、」

 何か言いたげなディーノの視線を横顔で受け、リボーンはスーツの内側から携帯電話を取り出し、着信履歴から山本武の番号を選び出してコールを始める。これ以上、ディーノと会話をしてもリボーンの心は渇いていくばかりだ。耳に携帯電話を押しつけながら、リボーンは走ってきた道を早足で戻り始める。拘束していた男は、合流地点に到達した部下達が身柄を捕獲するだろうと考え、リボーンは駐車場へ向かう。ディーノがあとをついてくる気配を感じながら、リボーンは歩みを進めた。
 長いコール音のあとで山本と電話が繋がる。
 彼の方の首尾を確認すると、彼のほうでは五人ほど生け捕ることに成功したと報告があった。リボーンは思わず「よし」と言って、唇を笑みのかたちにしてほころばせる。

「捕らえた奴で、口を割りそうなのを数人、第三の拠点に連れてこい。いったい何を企んでいやがるのか、徹底的に吐かせろ。コロネロ達にも連絡入れといてくれ。ああ、うん、またあとでな――」

 電話をきってスーツの内ポケットにしまいながら、リボーンは後方を振り返った。

「――ディーノ、悪かったな、おまえはまたキャバッローネの仕事に戻れ」
「あ、――ああ……」

 うつむき気味だったディーノが顔をあげた瞬間、彼の背後の暗闇から何かがすごい勢いで迫ってきていた。リボーンはとっさに彼の腕を掴んで強く引いた。が、遅い。ディーノの背中に勢いよく人間の身体がぶち当たったかと思うと、衝撃の惰性で立っていたリボーンすらも巻き込んでもつれるように二人は煉瓦に叩きつけられた。仰向けに倒れたせいで、がつん、と後頭部が煉瓦にぶつかり、目の前が一瞬真っ暗になる。ディーノと、あと一人の人間の重みと圧迫でリボーンは苦しさから唇を震わせる。呼吸ができない。ディーノが素早く身体を起こし、「なんなんだよ!?」と叫ぶ。リボーンは深く息を吸い込みながら体を起こした。頭を打ったせいなのか思考が動かない。痛い。暗い。痛い。苦しい。起きなくては。痛い。攻撃されている。反撃をしなくては。痛い。痛い。

 リボーンとディーノの視線の先には男が一人立っていた。死体となった仲間の頭を片手で鷲掴みにしている男は、ディーノが鞭で腕と足を打ち、両手を拘束していたはずの男だった。男の手首は血みどろで真っ赤に染まっている。通常ならば切断できるはずもないプラスティック製の手錠を力任せに切ったのだろう。手首に食い込んだままの白いプラスティックの残骸がぶらりと垂れ下がっている。

「は、あ? ――なんで……?」

 面食らったディーノが気を取り直し鞭を取り出す前に、男は人間業とは思えない腕力で死体をディーノめがけて投げつけた。とっさに身体を横にして死体をかわしたディーノへ、異常な早さで男は接近した。どさりとリボーンの近くに死体が物体のように転がる。
 男が片腕を振りかぶった刹那、ディーノはようやく男へ視線を移したところだった。身構える時間はない。

「ディー、ノ!」

 途切れそうなリボーンの声をかき消すような鈍い音がして、男の拳が無防備なままのディーノの脇腹に沈み込む。ディーノの口からうめき声ともあえぎともとれない声が漏れた瞬間、彼の身体は煉瓦に叩きつけられる。ごしゃりと煉瓦が変形する衝撃が座り込んだままのリボーンの身体に響いた。男は倒れたディーノに覆い被さるようにして何度も振り上げた拳を彼へ振り下ろす。骨と骨がぶつかるような低くくぐもった音が夜闇に残酷に響く。
 身体が痺れたように動かないもどかしさに奥歯を噛みしめ、リボーンは右手を腰の後ろへまわして拳銃を手に取った。いつもの何倍も、何十倍も遅い速度だ。男があっという間に間合いをつめてくる。銃口を向ける前に男の足がリボーンの右腕を蹴り上げる。跳ね上がった腕先から拳銃が飛んでいく。リボーンは左手で拳銃を引き抜こうとしたが、男に右腕を掴まれて上へ引き上げられる。まだリボーンの体躯は成長期に入って間もないころだ。男に軽々と腕を掴まれて持ち上げられたリボーンはめちゃくちゃに身体を振り回された刹那、――ぬいぐるみを床へ叩き付ける子供のように――、背中側から地面に叩き付けられた。ねじれた右腕が限界をこえ、骨がばきりと折れる音が身体の内側に響く。しかしそんな痛みはすぐに全身の痛みによって紛れてしまった。背中側から突き上げてくるような衝撃がして呼吸がとまる。もう声もあげられない。ぎりぎりまで見開かれたリボーンの目の縁から反射的にこみ上げてきた涙が零れ出す。こめかみに流れていく涙が熱い。男の手がリボーンの腕から放れる。解放されたと思っていると、顔面に強い衝撃。地面を転がってうつぶせに停止すると、鼻から下が熱くなっていた。おそらくは血が流れていると思ったが指先ひとつ動かせない。
 男が近づいてくる。
 逃げなくては。
 殺されるぞ!
 身体の内側から叫ぶ自分の声を聞きながらリボーンは、煉瓦のざらりとした感触を頬に感じていた。
 がつん、がつん、がつん、と左上から顔面を殴りつけられる。痛みなど分からない。ただ、皮膚の内側が燃えるように熱い。髪を掴まれて顔を上向かせられ、そのまま引き上げられる。足先が地面から離れた。
 リボーンは必死に目を開く。血に濡れたまつげのせいで左目がよく開かない。
 すぐ近くに男の無表情な顔があった。
 瞳孔が異様にひらいた、血走った目と目が合う。
 男は獣のように荒い息を繰り返しながら唇の横から白い泡を垂れ流している。
 正常な人間ではない異常さが男の全身から伝わってくる。
 男は、ただの、生命を駆逐するためだけの獣だった。
 鼻が血で詰まって息ができない。口を開いて呼吸をしても息をしている気がしないほど苦しかった。リボーンが苦痛に顔を歪めると、男は歓喜するように狂った笑みを浮かべた。

「――シ、ネ」

 男の片手がリボーンの首を掴んだ。指先に力がこもる。気道をふさがれ、リボーンはあえぐように唇を何度か震わせたが息は出来ない。
 抵抗しなければ、死ぬ。
 頭で分かっていても身体が動かない。
 死、ぬ、ぞ。
 遠いどこかから声がしたような気がした。


『リボーン。どうして――、どうして、オレを……ッ』


 閉じた瞼の裏に『彼の泣き顔』が映って、リボーンは声を上げて泣き出したくなった。


 刹那、連続した発砲音がリボーンの悲壮を打ち壊した。


 リボーンは髪を掴まれていた手からも、首の圧迫からも解放された。しかし、己の足で立つことは出来ず、くずれおちるように煉瓦の道へと倒れ込む。すぐ近くに、どちゃりと血をまき散らしながら男が倒れた。銃撃で破壊された頭部から溢れる血が煉瓦の溝を伝って見る見るうちに広がっていく。


「リボーン!!」


 走り寄ってきたディーノがうつぶせに倒れているリボーンの身体を抱き起こした。あちこちが痛みすぎて、身体に触れられるだけで痛みがはしったが、そのことを訴えられるほどの余裕がリボーンにはなかった。
 ディーノの片手には拳銃が握られていた。それは男に腕を蹴られた際に手放したリボーンの拳銃で、彼はそれを拾い上げて男を撃ったようだった。
 ディーノも男に殴打されて酷い顔になっていた。鼻血が出ていたし、殴られて口の中を切ったのか、唇からのぞく白い歯がほとんど真っ赤になっている。それでも、彼の瞳には意志があった。殴られても折れることのない信念が浮かんだ瞳は、今にも意識を失いそうなリボーンを心配そうに見下ろしている。

 跳ね馬・ディーノは守るべきものがいないと力が発揮できない。
 昔は部下だけが当てはまっていたディーノだったが、今では元・家庭教師であったり、友人であったり、弟分であったりもする。彼はより多くのものを守る力と心を手に入れていた。
 守るべきものがある人間の強さは『諦めない』ことだ。
 己ではなく、誰かを守るときだけ、人は己でも制御できないほどの力を得ることができる。

「すまない、リボーン、オレが注意を怠ったせいで――」

 悔しげに顔をゆがめ、ディーノが泣きそうな声をあげる。三十路をすぎた男が見せるには感情が素直すぎる彼の態度に、リボーンは痛みで途切れそうになる意識のなか、いま出せるすべての力を使って――、シニカルに微笑んでディーノを見上げた。


「てめぇが、死んだら、キャバッローネ、は、どーなんだ、跳ね馬……ッ」


 ほとんど声というよりは、吐息に近い声で悪態を言い切ることができたかどうか――。

 意識を手放してしまったリボーンには分からなかった。