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獄寺が円卓の周囲に並べられている椅子に座り、重ねて持ってきた書類を手元に引き寄せて目を通しだすと、リボーンは獄寺の前の椅子を片手で引いてそこへ座って華奢な足を組んで胸の前で腕組みをした。
どちらかといえば、獄寺の近くに立ったランボは、遠慮がちにリボーンへ視線を向けては、そわそわと視線を彷徨わせている。おそらく、気配に敏感なリボーンは、ランボの落ち着かない雰囲気をいち早く察知しているはずだったが、知らないふりをするようにランボを見ないようにしていた。
「……なんだかさ、すごく疲れてるみたいだね、リボーン」
どう言葉をかけたらよいか分からずに苦心していたランボが漏らした言葉に、リボーンは皮肉げに口元だけを笑みの形にする。
「おまえに心配されるとはな」
「人がせっかく心配してるってのに……」
「ランボ」
獄寺が声をかけると、仏頂面をほどいて、ランボは獄寺へ視線を向けた。
「はい?」
「おまえ、ちょっとコーヒー入れてこい」
「…………。あの、獄寺さん。おれ、別に執事でもメイドでもないんですけど」
「いれてこい」
厳しく獄寺が命じると、ランボは反抗しようと口を開きかけたが、うっそりと息を吐き出して首を縦に振った。
「分かりましたよ。――では、失礼します」
心なしか、少々乱暴に扉を開閉してランボが退室する。獄寺は遠ざかっていく足音に耳を澄ませつつも、資料へ視線を落としていた。
「アホ牛を部屋から出したのはわざとか?」
腕組みをしたリボーンが淡々とした口調で問う。
獄寺は苦々しくこみ上げてきた感情を表情にのせ、首を振る。
「ささいなことでも、あいつに疑いが掛けられるようなきっかけを作らない方がいいでしょう」
リボーンは黙り込んでしまう。
獄寺は整理した資料の束をリボーンのほうへ差し出す。テーブルの上の書類を手に取ったリボーンは、瞳を素早く動かして書かれている事実を読みとり出す。獄寺はすでに頭の中に入っている事柄を整理しながら、言葉にして説明を始める。
「襲撃場所に雨の三部隊送り込んでみましたが、もうすでに襲撃グループはいませんでした。死体を調べてましたが、身元やバックボーンが分かるようなものはなにも出ませんでした」
「顔写真は照合したのか?」
「それが……」
資料からリボーンが視線を持ち上げる。
「どうしたんだ?」
「死体処理にと思って、ルッスーリアを連れてったんですが。奴が言うには、仮面を被っていた奴らには整形をした傷跡が首の裏側や目元や鼻筋、口元などにうっすらと残ってるらしいんです。あいつ、ネクロフィリアじゃないですか。人間のもともとの肉体が好きらしくて、整形とかそういうのには敏感らしいんですよ。気色悪い趣味ですが、こういったときに役にたつと思えば目のつむりようもあるってもんですよ。――とりあえず、シャマルの野郎んとこのドクターに検死依頼しておきましたが……、もとの顔がどんなだったかは再現できねーだろうと言ってました。死体の顔写真を撮って、以前に手術を施したかどうか、医者のネットワーク使って調べておくように手配はしておきました」
「そうか」
相づちをしながら、リボーンは資料へ視線を落とす。
「警察には襲撃されて応戦したと報告してあります。マフィアといえど、結婚式の最中に襲われましたからね。警察の奴らも、我々の報復については見て見ぬふりをしてくれそうな感触があります。……まあ、それ相応の御礼を期待してる節はありましたが――」
「例の、あの警部は?」
「ミスター・ウルフですね? 彼ならいつものように悪態ついてましたけど、捜査資料のほうは手配してくれるそうです。爆弾の破片から予測される部品がどういったルートで入手されたものなのかとか、死体の身元についてもあちらなりに洗ってくれるそうですよ。うちとは違ったネットワークからの情報が出てきますからね。そちらで何かヒットすればいんですけれど」
「ボヴィーノについては?」
「アホ牛が昔、使用していたバズーカですが、保管庫にきちんと収められていました。鍵はドン・ボヴィーノが肌身離さず持ち歩いているそうです。ですからそれが使用されたとは考えにくいと思われます」
「あれは世界でたった一つのものだというふれこみだったのにな。――いったい、誰がどんな思惑で『バズーカ』なんて作り出しやがったのか」
握り込んだ拳でテーブルを叩き、苛立たしそうにリボーンが呻く。
「ドン・ボヴィーノも、研究に携わっていた関係者も、誰もオメルタを破っていないと言ってます。確かに、彼等が我々にたてつく理由などないですし、アホ牛がうちの守護者ですし、それにドン・ボヴィーノは十代目のことをえらく気に入っていらっしゃるようでしたしね……。ボヴィーノ側が協力することはあれど、敵対する可能性は……限りなく低いものでしょう」
「だが、現状では、十年バズーカが深くこの件には関わってる。ツナに使用されたバズーカ自体か、バズーカの設計図か……、もしくは作った奴がいねーとやべえぞ。使用されたバズーカ以外の、たとえばボヴィーノに保管されているバズーカを使おうとしても、ツナの本来の時間を切り離して、無理矢理に歪んだ状態で固定している第二のバズーカだ。第一のバズーカで今のツナを撃っても、おそらくは一時的に戻るだろうが――それこそ本家本元らしく、五分間だけしか保つことはできないだろうよ。ああ、なんだってこんなややこしいことになってんだ。苛々する。――まだ、単純にツナのことを殺しにかかってくれれば、ことは簡単だったってのにな」
「物騒なことを言わないでくださいよ。リボーンさん」
暗い夜を思わせる、リボーンの闇色の瞳がきらりと意志を持って獄寺を見る。
「相手は、ツナを過去のツナと入れ替えて、何かを企んでやがるんだ。いま此処にいるツナが殺されたら、過去にいるオレ達の時代のツナも死んで消える。何が何でも、『ツナ』を相手の前に出すことだけは避けなきゃならねーんだ。それは分かってるだろう?」
「ええ。分かっています。『鳥籠』のなかにいれば、そういった杞憂もすこしはやわらぐでしょう。あそこは――、この屋敷のなかで最も安全なところなんですから」
獄寺と会話をしながらリボーンは次々と資料に目を通していく。ひとつめの報告書を読み終えた彼は次の報告書を手にとって読み始める。
「ボヴィーノの関係者、バズーカの研究に携わっていた人間を過去にかけてすべて洗っています。かなりの人数をさいて調べさせてますから、数日中には何らかの確実な情報が入ると思われます」
「バズーカのことで、ジャンニーニには確認したのか?」
「ええ。しましたけれど……。返事はノーでした。似たものは作れるだろうが、限りなく危険なことになりかねない。模造品は所詮模造品にしかならないと」
「ボヴィーノから設計図を提供してもらうにせよ、やはりツナを撃ったバズーカでしか、この現状を正すことはできないだろうな……。いったい、なにが、目的なんだ……」
独り言のように呟きながら、リボーンは二つめの報告書をテーブルに置き、三つめの報告書を手にとって読み始める。ボルサリーノのふちからのぞく白い包帯が見えた。リボーンがくわしい検査を拒否し、戦線に参加していることを綱吉は知っているのだろうか。と獄寺は思った。
了平の病室へと見舞った際に、獄寺は彼からは屋敷を出発したときから屋敷に戻るまでの間のことを余すことなく聴取していた。綱吉の混乱ぶりも骸の凄絶な怪我もリボーンの様子がおかしいことも、すべて聞いている。
ランチアに抱き上げられて部屋を出ていく綱吉に向かって、リボーンは声には出さずに何かを語りかけていた。その言葉がどういったものなのかは獄寺には分からなかったが、おそらくは綱吉への想いが込められた重みのある言葉であるに違いなかった。
リボーンはうつむいて四つめの資料を手にとって目を通している。ページをめくる指先、爪のいくつかが剥がれかかっているのか、それとも火傷なのか擦過傷なのかは分からないが、白いテーピングが巻かれている。スーツを着ている身体のあちこちにもおそらくは包帯が巻かれたり、湿布があてられているに違いなかった。
誰も、リボーンが戦線に参加することを咎めきれなかった。怪我も痛みも彼の行動を止める理由にはならなかった。何かを焦るようにリボーンは、姿のつかみ切れていない敵を追うことに躍起になっていた。確かに綱吉の生命の危機がかかっているのだから焦ってもおかしいことはない。だがしかし、きっとそれだけではないように思えた。
リボーンが焦っている理由が、獄寺が抱えている不安とよく似たものではないかという予感がしてならなかった。理由、それは――。
『沢田綱吉』の口から「オレはマフィアになんてなりたくはない」「こんな未来はいらない」と言われたら、獄寺は胸が苦しくなって泣き出しかねない。彼に現在を否定されたら深く傷つくし、なにより己の存在自体を綱吉に否定されたような気がして泣きたくなる。
側近として、右腕として生きてきた獄寺がそうなのだ。綱吉をマフィアのドンへ仕立て上げたリボーンが抱えている不安は獄寺よりも大きく深い暗闇だろう。もしも綱吉から「おまえのせいでオレの未来は滅茶苦茶になったんじゃないか。どうしてくれるの?」などと非難されたら――、そんなことを考えると獄寺は心の底から恐怖が湧きあがってくる。
リボーンは、綱吉の唇から紡がれる言葉のひとつひとつに恐怖しているに違いない。
一刻も早く、綱吉の入れ替わりを元のように正してしまいたい。
そうしなければ、絶対に聞きたくない言葉を、綱吉の顔で、綱吉の声で、綱吉の言葉で聞くことになってしまう。
過去の綱吉本人から「おまえのせいでオレは――」などと言われてしまえばリボーンに反論する言葉はない。ただただ静かに悔いて悔いて悔いて、謝ることすらできずに絶望するよりも深く悔いることしか出来ないだろう。
獄寺も、同じだ。
綱吉がドン・ボンゴレになることを疑いもせずに信じ、まだ幼いころからずっと綱吉を十代目!十代目と親しげに呼び続け、彼のことをじわりじわりと追いつめたのは獄寺だ。
リボーンが綱吉を居間の場所へ導いたことが罪だというのならば、獄寺は彼が逃げられないようにずっと「十代目」と呼び続けて鎖をかけた罪があるだろう。
獄寺も、
リボーンも、
沢田綱吉からなじられ、恨み言を言われても仕方のないことをしてしまったのだ。
四つめの資料を読み終えたリボーンは、テーブルに書類をぱさりと投げおいて、不躾なままにリボーンのことを見つめていた獄寺の視線を受け、跳ね返すように見た。
とっさに、ぎくりと身構えるように身体を揺らしてしまったことを誤魔化すかのように、獄寺は思いついたままに言葉を唇にのせる。
「リボーンさん。アホ牛の首の『あれ』は、いつまで?」
『あれ』とは、ランボの首にはめられている幅のひろい銀色のアクセサリに似た――高性能の小型爆弾だった。
十年バズーカが使用されたことは間違いがない。秘密裏に報せを受けた同盟ファミリィのドン達はランボの身柄の拘束を提言し、彼を拷問して『情報』を引き出せと要求してきた。彼等の要求を受けた獄寺は、守護者であるランボを拷問にかけることだけは待ってくれと懸命に訴えた。ドン・トマゾとドン・キャバッローネが獄寺の後押しをする形となり、ランボへの拷問は一時的に保留となった。が、しかし、彼が疑わしい状態であることには変化はない。
もしもの可能性を考えて『首輪』をつけるべきだ。
拷問を回避できたのも束の間、今度は爆弾を首へ添えろと要求してくる。それを拒むだけの演説を獄寺は語り尽くせず、結局、事情を知ったランボが自ら「いいですよ。つけましょう」と微笑んで頷いたことにより、爆発物はランボの首筋を飾ることとなった。
陰鬱な気分になってきて、獄寺は眉間にしわを寄せた。
「この件が終わるまでは外させるな」
「見せしめですか?」
「それもある。……あとは、あれだ。八つ当たりだな」
「八つ当たりって……」
困り果てて獄寺が言葉を濁すと、リボーンはシニカルなふうに笑って唇の片側だけを持ち上げる。
「起爆コードは、設定したお前しか知らねーんだ。せいぜい、間違って起爆させねーようにしとけ」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ」
獄寺が設定した起爆コードを、スーツの内側に入っている小さな、計算機のようなカードの番号のボタンで入力すればランボの首を彩っている銀色の輪は爆発し、彼は死ぬだろう。瞼のうらに映ったグロテスクな幻を振り払うように獄寺は首を振る。意識を切り替えるように片手で髪をかきあげ、獄寺はうすく笑んでいるリボーンへ視線を向ける。
「骸の件はどうしますか?」
リボーンは形のよい柳眉をひそめる。
「……クロームはなんて言ってる?」
「何もする必要はない。とだけ。――あいつ、死んだんでしょうか?」
「それ、ツナの前では絶対に言うんじゃねーぞ」
「分かってます。俺だって、十代目が悲しむようなこと、お耳になんていれたくはありませんからね」
「――例の件の用意は?」
「いま、準備をしています。明日には決行できるでしょう」
満足そうにリボーンが笑う。
「狙いがツナならば、やりようはいくらでもある。奴らは結局、失敗しちまってるんだからな――。罠だと分かっていても、手を出さずにはいられねぇだろうよ」
「本当ならば、俺もご同行したいところなんですがね」
「同盟のドン達以外には、ドン・ボンゴレが病気で伏せっているということにしてあるが――。ある程度は仕事を送らせることができても、まったく停止させることは出来ねーだろ。おまえと山本にはだいぶ負担になってるんじゃないのか? 平気か?」
「平気もなにも。なんとかするしかありませんからね。ああ、そういえば、ヴァリアーからスクアーロとマーモン、レヴィが助っ人として出張してきてくれてますからね。あいつら、普段はけっこうネジがとんでるような奴らですが、ベルやザンザスの野郎と比べればまだ『常識人』ですからね。交渉や会合くらいならなんなく友好的にこなしてボンゴレに良いように事を運んできてくれますからね。……あとで、ヴァリアー側からどれだけ請求されるかが心配ですがね」
「暗殺の依頼はほとんどザンザスの奴が請け負ってんのか? ベルとルッスーリアもこっちによこしてやがるんだものな」
「さあ? その辺の事情はあいつらから聞いてませんが――。難易度の高いものはすべて一人でこなしているんでしょうね。失敗したという情報は入ってこないですから」
獄寺は片眉をもちあげて肩をすくめる。
ザンザスが綱吉に抱いてる感情を知ることはないが、綱吉がザンザスに抱いている感情を獄寺は知っている。綱吉は一人っ子で、ずっと兄弟というものに憧れていたようで――、ザンザスと和解することが出来てからは、表だってザンザスになつくことはなかったが、頼りになる年上の人として、慕っているのだと綱吉本人の口から獄寺は聞いたことがあった。
綱吉のそんな、ひかえめな親愛をザンザスが気がつかないはずはない。彼は彼なりに、きっと綱吉のことを想っているに違いないだろう。気まぐれを装ってザンザスがボンゴレの館に現れるときは、決まって綱吉が窮地に立たされかけていたり、綱吉の周囲がごたついていたりするときばかりなのだ。
今回、綱吉の身にふりかかった災難を知ったザンザスは、己の守護者全員をボンゴレへ出向させ、たったひとりでヴァリアーの仕事を一手に引き受けたという。
ヴァリアーのボスであるザンザス自身が、ボンゴレの問題に堂々と首を突っ込むことはできない。それはキャバッローネであっても、トマゾであっても同じ事だ。ファミリィのドン達の肩にはファミリィの生命と誇りがのっている。それを振り払ってまで、ドン・ボンゴレの元へ駆けつけることはできない。
獄寺は瞬きをした瞬間、まぶたの裏にいつの日かに見た憤怒の炎を思いだす。
どれだけの人間が、彼の圧倒的な憤怒の炎によって生命を絶たれるのか。
ぞわりとした悪寒が獄寺の首筋から背中をなで下ろす。
「ザンザスの奴。一日、一人で何人殺しているやら分かったもんじゃありませんね……」
「あいつも。相当、頭にきてるんだろう」
リボーンの語尾にかぶるようにドアがノックされる。扉を開いたのは、ボンゴレの屋敷に仕えている妙齢の執事で、その横から銀のトレイを両手で持ったランボが入室してくる。執事は深々と室内の二人に一礼をしてから、ドアを閉めて姿を消した。
「どうぞ」
ランボは、獄寺とリボーンの前にソーサーにのったカップを置いた。カップのなかに満たされているのは赤茶色の液体で、鼻先にただよう良い香りはコーヒーではなく、良質なアールグレイの香りだった。
「――紅茶じゃねーか」
鼻から息をつきながらリボーンが細い指でカップを手に取る。
ランボは獄寺の背後のあたりに立つと、トレイのうえからソーサーとカップを両手でとって、白々しく肩をすくめた。
「紅茶が飲みたかったので」
「ランボ、おまえ……」
獄寺が嘆息まじりに椅子に座ったままランボを睨みあげると、彼はにっこりと笑って首を横へかたむける。
「入れてきてあげたんですから、文句言わないでください。ランチアさんが美味しいって言ってましたから、どうぞ飲んでくださいよ」
リボーンは手に取っていたカップに口を付ける。乾いた喉を潤すのにはコーヒーでなく、紅茶だとしても構わないと判断したのだろう。やはりリボーンは精神的に疲弊していると獄寺は思った。本来の彼ならば、ランボがこういった行動をした際には、カップの中身を逆さまにしてすべてこぼしたあと、冷酷な瞳でランボに睨んで「今すぐ入れ直して来い」と命じるだろう。
獄寺がひとりで紅茶に対して文句を言い続ける訳にもいかず、カップを手にとって紅茶を飲んだ。ほんの少しだけブランデーをたらしてあるのか、独特の風味が口のなかに広がり、身体が温かくなってくる。
少しのあいだ、三人は大人しく紅茶を飲んだ。
紅茶を飲みながら、獄寺は話を切り出すタイミングを見計らっていた。胸のあたりがちりちりとするような嫌な緊張感が獄寺のなかにたゆたい始める。すでに決定されたことを代弁するだけだと己に言い聞かせてはいるものの、いざ彼を目の前にするとずきりずきりと心が痛む思いだった。
そんな獄寺の胸中を察したのか、それとも沈黙に耐えかねたのか――、ランボは手に持っていたカップを置いて獄寺とリボーンの前に立った。
「おれに話すことがあるんでしょう?」
「――ああ、ある」
獄寺は椅子から立ち上がり、ランボと向き直るように立った。
彼が五歳のころから、獄寺はランボの成長を見守ってきた。悪態をついたり、時には殴り合いをしたりして、獄寺とランボは兄弟のように時間を重ねてきた。今では、獄寺の身長と並ぶくらいの長身となった彼は、緊張のせいで引きつった顔つきをしたまま、獄寺のことをアメジストのように綺麗な瞳で見つめている。
どうして俺がこいつにこんな言葉を言わなくてはならないのだろうか。
ひどく暗い闇がまとわりつくかのように獄寺の気分は沈んでいく。
それでも、獄寺の唇は冷静に言葉を発してゆく。
「ランボ。おまえから守護者の権利を一時剥奪する。これは門外顧問であるバジルが、例外的にその権力を行使した結果だ。――異論はねえな?」
「異論なんて唱えたくもない」
ひっそりと言ってから、ランボは獄寺に向かってすがるような視線を向ける。
「ただ、これだけは約束してください。うちの、雷の部隊のメンバーのことをよろしくお願いします。今回の疑いはおれ個人に関するもので、彼等には関係のないことですから」
「それは、分かってる。悪いようにはしねえから安心しろ」
「はい。ありがとうございます」
「指輪を」
ぎくりとランボの身体が震えた。
リボーンは椅子に座ったまま黙りこみ、静かに視線を伏せた。
長々と息をついたランボは、左手の中指にしている指輪を右手の親指と人差し指でつまむと――、それを引き抜いた。つまんだ指輪を受け取るために獄寺が手を差し伸べると、ランボは一度だけ唇を噛んでから、指輪をそうっと、壊れ物を手渡すかのように優しく獄寺の手のひらのうえへ置いた。小さな指輪だ。重みなどないに等しいというのに、獄寺は指輪ののった手がひどく重たくなったように思えた。それはおそらく、ランボの顔が絶望で引き歪み、今にも泣きそうな顔になったのを見てしまったからだろう。
ランボは目を閉じて、気持ちを整理するようにゆっくりと深呼吸をした。そして目を開き、ひとつの決意をしたかのように意志のある瞳を獄寺に向ける。
「おれはどうしたらいいですか? 自室にいればいいですか?」
「部屋に一人にはできねぇ。悪いが、監視つきの部屋に移動してもらうことになる」
「あー……、そうですか。本とか雑誌くらいなら持っていても?」
「いいだろう。こっちで検品したあとに、部屋に入れてやる」
「分かりました」
「窮屈な思いさせて、悪いな」
憐憫に突き動かされた獄寺が力無く言うと、ランボは弱々しくも微笑んで首を振った。
「いいえ。本当ならば、拷問されても仕方がない立場ですから。この処置が特例なことくらい察しがつきます。いろいろな方々の叱責を沈めてくれたのは――あなたなんでしょう? おれは感謝でいっぱいです。獄寺さん。ありがとうございます」
「十代目ならば、そうしただろうと思っただけだ!」
深々と頭を下げるランボの態度に、獄寺は照れくさくなって思わず語調を強めて言ってしまった。ランボは笑って、「はい。そうですね」と言って頷いた。
「おい。アホ牛」
椅子から立ち上がったリボーンは、長身のランボを見上げるようにして、顔の片側だけで勝ち気そうに笑んだ。
「あとはオレ達に任せて大人しくしてろ」
「そうだね。このままあんたが黙ってるなんてこと、ありはしないものね。――久しぶりにできた休暇だと思えば、多少は楽かな」
短く笑った彼の表情に陰りがさす。ランボは片手で顔をおさえて俯き、悔しそうに歯を噛みしめた。ランボの身体が強ばったようにぶるりと震える。それは彼の身の内側で暴れている荒々しい感情を表すかのようだった。
「悔しいけれど、おれに出来ることは、こうして大人しく、誰かの監視下にいることだものね……。うちの、ボヴィーノの誇りが汚されてるってのに、……クソッ」
早口でまくしたて、ランボは強く目を閉じる。
泣くのかと思って獄寺が内心で焦ったが、ランボは泣くことはなく、顔を覆っていた片手もとりはらった。幾分か青白いランボの顔には、仮面のように作られたあわい微笑がのせられていて、それがさらに彼の悲痛さを際だたせてしまっていた。
「で? おれのことは誰が連れて行ってくれるんです?」
「待ってろ。いま、呼ぶ」
獄寺はランボから預かった指輪をスーツのポケットへ入れ、内側のポケットから携帯電話を取り出し、リダイヤルから目的の番号を選び出してコールを始める。二回目のコールで出た相手にすぐに会議室へ来るように伝えると、相手はすぐに向かいますと言って電話を切った。
「うちの部下が連れてく」
「獄寺さんとこの?」
「すぐに来る」
そうしたやりとりから数分後、会議室の扉がノックされた。獄寺が返事をすると、扉が開き、二人の男が入ってくる。一人は艶のある金髪にたれ目の若い男で、もう一人は黒い縁の眼鏡をかけた神経質そうな痩身の男だった。
「こんばんわァ、ランボさん」
金髪の青年は片手を顔のあたりまで持ち上げて左右に振りながらランボに近づいていく。ドアを閉めた眼鏡の男が、青年から少し遅れて室内に歩を進めた。
「どーも。元気でしたかー?」
「こんばんは。お久しぶりです」
「あ、なんだ……。あなた達なんですか」
幾分か安心したかのように、ランボの表情がゆるむ。
「ランボさん。この前、教えてもらったとおりにですね、グリップの調整したら、ぐんと命中率あがったんですよー、ありがとうございますー、すんごい助かりましたァ」
間延びしたように話しながら、金髪の青年が親しげに笑顔をうかべる。
「そう。それならよかったです」
「あとでお礼させてくださいねェ。ちょう美味しいケーキ、ご馳走しちゃいますからね」
「――カナリヤ」
眼鏡の男が少々強めに言うと、金髪の青年はわざとらしく鼻筋にしわをよせた。
「なんですか。シアン先輩」
カナリヤはランボのすぐ隣に立って、シアンのことを不機嫌そうに目を細めながら睨んだ。カナリヤはランボよりも十数センチは背が高かったが、その顔に浮かんでいる表情は子どもが癇癪を起こしかけているような不満がべったりと浮かんでいる。対して、ランボはカナリヤの仏頂面とシアンの冷静な視線とを見比べて苦笑していた。とうのシアンはといえば、カナリヤの視線などまったく相手にせずに、眼鏡のレンズ下の真っ青な瞳で真っ直ぐにランボを見つめ、深々と頭を下げる。
「すみませんが、ご同行をお願いいたします」
「はい。こちらこそ、すみませんが、よろしくお願いします。――もしかして、監視役ってのもあなた達なんですか?」
ランボが隣に立っているカナリヤを見ながら言うと、カナリヤは何度も頷きながら答える。
「えぇえ。そうなんですよー。おれと先輩なんですよ。ランボさんの私生活、ばっちりのぞいちゃうんで――痛ッ」
「てめえは本当にな。何か喋るときは、一回あたまの中で考えてから喋りやがれ!」
「なんですかもう、先輩ったら。おれら、これからランボさんにねっちょり粘着してくのは、ほんとの事じゃあないですかァ」
殴られた頭を片手で押さえながら、カナリヤが不服そうに訴えた。カナリヤは獄寺よりも数歳年下だったが、とうに二十歳を超えている成人男性だ。だというのに、彼が浮かべている表情も言っている言葉も、幼稚でつたなすぎる。その姿が仮の姿であるとはいえ――彼が本当に愚鈍で幼稚な人物なら獄寺は彼を側近のように扱ったりはしない――、いささか緊迫した場面には不似合いに違いなかった。
シアンが悲嘆にくれるような目で獄寺に何かを訴えてくるので、獄寺はカナリヤに近づいていき、仏頂面のままでいる彼の肩に手を置いた。
「カナリヤ、そのへんでやめといてやれ。シアンが可哀想だ」
「はい? なんで先輩が可哀想なんですか?」
きょとん、とした顔でカナリヤが首を傾げる。シアンが肩をすくめ、獄寺は苦笑いでカナリヤの肩を二度ほど叩く。ランボはくすくすと笑って、カナリヤの背中をかるく叩いて歩き出す。
「ははは。行きましょう。カナリヤさん」
「はーい。行きましょう行きましょう。おれ、ランボさんにもっと聞きたいことあるんですよー」
「聞きたいこと? おれに答えられることならなんでも言ってください」
「えへへー、そう言ってくれると嬉しいですよー」
歌うように言って歩き出すカナリヤの背中をじっとりと睨み付けたあとで、シアンは獄寺に一礼をした。
「隊長、では失礼します」
「隊長ー、リボーンさーん、お仕事、頑張ってくださいねーぇ」
カナリヤが扉のあたりで両手を前へつきだして左右に振る。彼の奇行を阻止すべく、シアンがしかめ面で大股で扉に近づいていくと、カナリヤはランボの腕をとって笑いながら廊下へ出ていってしまった。
シアンは扉を閉める際にもう一度「失礼しました」と礼儀正しく一礼した。すぐにシアンの足音も遠ざかっていく。
「相変わらず、脳天気だな。カナリヤは」
呆れるように言ってリボーンは口元だけで笑う。獄寺の顔にも似たような笑みが浮かんでいた。
「そう、ですね……。あいつ、普段はちゃらんぽらんなんですが、銃撃の腕だけは最高なんですよね。その腕だけで、うちの部隊ん中からのし上がってきた野郎ですから――。ただ、あの性格がネックっていうか、あいつのあいつらしさって言うか……」
「なんだか。山本みてーなやつだな」
「ああ。……リボーンさんもそう思いますか? やっぱり」
「まぁな。殺し屋ってのは、装うのが上手い奴しかなれねーもんなんだよ」
「殺し屋? カナリヤがリボーンさんや山本と同じってことですか? 一流の、殺し屋の素質を持っていると、でも?」
リボーンはうっすらを微笑むばかりで何も言わなかった。
装うのが上手い奴しか殺し屋にはなれない。
リボーンや山本、カナリヤが周囲に見せている『彼等らしさ』はすべて『装われた』ものであって『彼等の本質』は隠されているということなのだろうか。
確かにリボーンは天才的な殺し屋であったし、そんなリボーンに殺し屋だと認められているのは山本くらいだった。リボーンはカナリヤも殺し屋だという。普段はマフィアだということすら信じてもらえなさそうな言動と雰囲気をもっているカナリヤだったが、彼の狙撃の腕は確かなものだ。狙撃だけでなく、銃撃についての命中率が高い。嫌な話だが、獄寺はカナリアに掃除屋として――暗殺者として――、立ち回ってもらうことが多々あった。彼は一見して、マフィアだとはわかりにくい容貌と雰囲気をまとっているため、殺害対象になんの疑いも持たせないのは、殺し屋としては良い条件なのかもしれない。
獄寺はカナリヤのことを思い出す。彼はよく笑い、よく泣き、よく怒った。感情は子供のようにあけすけで、言葉はいつも飾らずに率直なものばかりで、彼を苦手としたり彼を煙たがる人間も少なくない。昔の獄寺だったら一番に嫌うタイプだ。そんな彼のことを見ても獄寺は嫌いになるどころか、面白い奴だと思って気にかけるようになった。
年を重ね、様々な人間と見てきたせいか、カナリヤのような人間が――感情を抑圧せずに昇華させることができる人間が珍しいのだということを理解することができたからだ。
そしてカナリヤはランボに負けず劣らずに狙撃の腕が達者だった。そのせいか、ランボとカナリヤはとても仲がよい。カナリヤのほうが数歳年上だったが、精神的にはランボのほうがよほど大人で、バランスのよい友人関係のように獄寺には見えた。
カナリヤを監視役にしたのは、他でもない――、ランボの精神的な疲弊が少しでも防げるとふんでのことだった。先ほどのランボの様子からして、思惑どおりに事を運ぶことが出来て、獄寺はひっそりと息をついた。
『綱吉』の生命をおびやかし、綱吉を混乱の底へ突き落とし、ランボに不名誉を与えた人間達を一刻も早く捕縛し、歪んでしまったあらゆることを正さなくてはならない。
机のうえの資料に視線を落としながら、獄寺は囁く。
「――明日、うまくいきますかね?」
「うまくいってもらわねーと困る。こっちは、なんとしても、奴らを生きたままで捕らえねーといけねーんだからな」
仄暗く燃える瞳を資料へ落とし、リボーンは低く吠えるように言う。
「こんな茶番、さっさと終わらせるぞ」
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