|
綱吉は引きつるように呼吸をして目を見開いた。
自分は溺れている。
そんな錯覚がして、懸命に呼吸を繰り返す。綱吉がいたのは水中ですらなく、水の気配すらないような、豪奢な家具や調度品であつらえられた寝室の、天蓋のついた重厚なキングサイズのベッドのうえだった。ベッドの他にもキャビネットやスクリーンと言ってもいいような大きなサイズのテレビが置かれており、広すぎるくらいの寝室だった。
目を瞬かせながら、綱吉はベッドの上で体を起こす。布団のうえには綱吉が着ていたジャンパーがのっていた。喉が渇いていて、無意識に唾液を飲み込んで咳払いをする。――と、ベッドに人が近づいてくる気配がして、綱吉はとっさに身構えるように身体を縮めた。
首にはごつめのシルバー製チョーカー、白いシャツのうえに濃い灰色のセーターを着、下履きは黒。ふんわりとした黒髪に少し気だるげな甘いマスク――、その顔を綱吉はよく知っていた。
「――起きましたか?」
「らん、ぼ?」
「はい。ランボですよ。ボンゴレ」
にっこりと笑って、ランボは呆然とする綱吉に向かっておどけるように一礼をする。その隣に、菫色のブラウスに黒いロングスカートを履いたクロームが現れる。眼帯をしていないほうの瞳が優しい気遣いを含んで綱吉を見つめていた。
「クローム……」
彼女ははにかむように微笑んで、綱吉が寝ているベッドの端に座り、手を差し出した。
「脈をはからせてもらってもいい?」
綱吉はクロームの白く華奢な両手に左腕をさしだす。彼女の温かい指先が綱吉の手をとり、手首に回る。長い髪を首のうしろでゆるく結んだクロームの、うつむきがちな顔を眺める。彼女と重なるように、六道骸の微笑が思い出され、綱吉は痛んだ胸をごまかすように息を吐く。
ここでは誰も綱吉の言葉を聞くものはいない。
九年と半年前の綱吉は、この時代では『使えない』人間でしかない。
ボンゴレのボスだと、周囲から言われ続けてはいても、今の綱吉は人の上に立ったことなど『まだ』ないのだ。
理想と現実。
正義と害悪。
生命と死体。
何を犠牲にして何を守るのか。
何を賭けて何を得るのか。
九年と半年後の沢田綱吉が生きる世界は――、命が天秤の上にのせられるような場所に立ったことのない人間がいるような場所ではなかった。
骸。
六道骸。
彼が死んだらそれはきっと、綱吉のせいだ。
未来の、この時代の綱吉ならば、ボンゴレのボスとして力強く戦い、機転をきかせて負傷をした骸のことも見捨てることなく、助けたのかも知れない。
そう考えると、己が情けなくて、悔しくて――。
ゆるみかけた涙腺がまたゆるみかけて、綱吉は目元に力を入れる。
「――クローム、ごめん」
綱吉の謝罪に、クロームはわずかに頭を横へかたむける。
「どうかしたの? ボスが謝ることなんてないわ」
「……骸を、置いてこさせたのは、オレだから……、オレがいたから――」
「いいの。ボス」
綱吉の手を両手でゆったりと握って、クロームは綱吉の目をまっすぐに見て、首を振る。
「ボスのせいじゃない。これは骸様の意志。あなたを守ることこそ、骸様が望んだことなの。それに、骸様はこんなところで死ぬような方じゃないわ」
「……そう、かな……」
「ボスは、いまの骸様を知らないのね。骸様はあなたのことが大事で大事で仕方がないの。あなたがもしも死んでしまったら生きていけないくらいに、ボスのことが大好きなのよ。ボスが泣くようなことをするはずはないわ」
「あのう」
近くの壁によりかかるように立っていたランボが苦笑する。
「クロームさん。それ、骸さんが聞いたら怒りませんか?」
クロームは硝子玉のように綺麗な瞳をランボへ向けた。
「骸様が何に対して怒るの?」
「いや……。勝手にボンゴレのことを大好きだって、暴露してるのを」
「だってみんな知ってる事だわ」
ランボとクロームとで交わされる会話を聞いていた綱吉は思わず「え?」と声をあげてしまう。
「みんな? 知ってる?って、骸がオレのこと、好きなのを、知ってるってこと? なんで? っていうか、骸って、オレのこと、好きだったの?」
綱吉がきょとんとしたようにランボとクロームを見比べると、彼はますます微妙な顔で笑い、彼女はすこし得意げな様子で微笑んだ。
「ボス。私と骸様は、秘密の約束をしてるのよ」
「約束?」
「ええ。私も骸様も、絶対にボスを泣かせたりしないっていう約束。ボスは骸様がこのまま死んだりしたら、嫌なのでしょう? もしもそんなことになったら、泣くのでしょう?」
クロームの右手の指先が綱吉の頬に触れる。泣きすぎて熱をもって腫れてしまった目元には、彼女の指先は冷たく感じられた。綱吉が頷くと、クロームはほんのりと微笑んで綱吉の顔から手を引く。
「ボス。骸様を信じていて。骸様はきっと戻ってくる。あなたが生きるこの場所へ。必ず戻ってくるわ。それを私は信じてる」
「わかった……。信じるよ。骸と、クロームのことを」
綱吉の言葉を受け、クロームはベッドに立ち上がった。スカートの裾を気にするように両手でととのえたあと、ランボを見つめる。
「私、ドクターのところへ行って来る。ランボ、あとはお願い」
「はい。分かりました」
ランボは片手を上げてクロームに答える。彼女は綱吉達に一礼をして背を向けると、扉に向かって歩き出す。
「クローム」
ドアノブに手を触れたまま、クロームが振り返る。長い髪の毛先が動きにあわせて揺れた。彼女はたったひとつの美しい瞳を優しく細め、綱吉の言葉を待つように静かに待つ。
綺麗な人だ。
綱吉が知るクローム・髑髏は、綺麗というよりは可愛らしい女の子だった。しかし、目の前にいる彼女は確かにクロームではあったが、綺麗すぎて、美しすぎて、綱吉はまともに彼女の事を見ていられなかった。頬が紅潮するように熱をもつのを自覚しながら、綱吉はクロームにむかって頭をさげる。
「あの、……ありがとう。オレに、ついていてくれて」
いいの。
微笑みながらそう言って、クロームはドアノブを回して廊下へ出て、室内を振り返る。
「ボスの近くにいられて、私は幸せだから。――また、来るわ」
丁寧にドアが閉まる。
クロームを見送っていた綱吉は、ベッドの近くの壁に背を預けたままのランボを見た。彼は綱吉と目があうと、甘い色香を漂わせるかのごとく、艶やかに笑んだ。
十年バズーカがたびたび使用されるたびに、綱吉は成長したランボの姿を見てきた。小学校にあがっても、ランボはときたまバズーカを使用したりした。だから、綱吉は、いま目の前にいるランボのことを見たことがある。
この時代に来て、綱吉は初めて安心を感じて、ランボに向かって笑いかけた。
「おまえがいてくれて、嬉しいよ。……『こっち』に来て、初めて、知ってる人にあった気分だよ……。おまえ、いくつなの?」
「十八歳になりました」
「そう。オレと同じなんだね。オレが知ってるおまえは、九歳で、まだ泣き虫で……」
綱吉のなかで思いがたかぶって、言葉にならなくなる。唇を結んでしまった綱吉のことを気遣うように、ランボが壁側から離れてベッドの脇に両膝をつくようにして跪いた。
「ボンゴレ。ずいぶんと、怖い目にお会いになったんですね。でももう大丈夫です。ここはボンゴレの本邸になります。警備も完璧ですし、警護の人員も増員してありますから、国家レベルの襲撃でもないかぎり、破られることはありません」
ランボの言葉は途中から綱吉の耳に入っていなかった。
「……ボンゴレの、本邸?」
ボンゴレの本邸。
急速に曖昧だった意識がはっきりとしてくる。
いま。
綱吉がいるのは。
綱吉が、いるのは――。
過去。
高校。
未来。
ボンゴレ。
マフィア。
卒業。
襲撃。
逃走。
リボーン。
了平。
骸。
六道骸。
ろくどうむくろ!
綱吉は己がどこにいるのか、ようやく自覚した。
ベッドから両足をおろして、綱吉は裸足のままで絨毯を踏む。驚いているランボの胸ぐらを掴み上げ、ひとまわりほど大きな彼の身体を壁に押しつける。
「リボーンは? みんなは何処?」
「ボンゴレ?」
「みんなは何処?」
エメラルドのような色の瞳でランボは綱吉を見下ろし、困ったように眉尻を下げた。
「落ち着いてください。リボーンはみんなと――、襲撃についての情報をやりとりしてます」
「そこへオレのことを連れていって」
「え、それは――」
「リボーンに、連れてくるなって、言われた?」
ランボの手が、セーターを掴み上げている綱吉の手に重ねられる。彼は目線を泳がせるばかりで綱吉の問いに答えない。
綱吉は掴んでいたセーターを離して大股で扉へ向かう。
「どこ? 案内できないなら、口で説明して」
「――あーもう……、分かりました!」
背後から駆け寄ってきたランボが、綱吉のドアノブに触れる前にドアノブを掴んだ。もう片一方の手には、ワインレッドのスリッパを一対持っている。「履いてください」と言いながら、ランボがしゃがみ込んで、綱吉の足下へスリッパをおく。素足をスリッパにいれていると、ランボの手が綱吉の肩のうえにのせられる。
「きちんと呼吸をしてますね?」
「……、してるよ」
「おれのことを見てください」
綱吉は目を逸らさずに綺麗なエメラルド色の瞳を見つめ返す。
ランボは微笑みながら頷いた。
「行きましょう」
ランボがドアを開ける。彼の後に続いて綱吉も廊下に出た。ふわりと鼻先に甘い花の臭いが香る。それが廊下の隅に飾られた花瓶にいけられた大輪の百合の花が目に入る。深紅の絨毯がしかれた廊下を歩く。両側の壁には誰のものか分からない、絵画が飾られている。幾度か訪れたことのあったボンゴレの本邸だったが、綱吉はいま自分がどこを歩いているかよく分からなかった。
綱吉はあらためて隣を歩くランボを見上げる。ふんわりとした黒髪の毛先が歩くたびに揺れる。ざっくりとしたセーターとYシャツ姿には不似合いな、幅が五センチもありそうな首輪と言ってもよさそうなほアクセサリがランボの首で鈍く光っている。ごつめのアクセサリにしても、服装とまったく似合っていない。妙な違和感を感じて、綱吉はランボの腕に触れたあと、指先で首輪を指し示した。
「首の、それ、なに?」
「これですか? ただのアクセサリですよ」
「ごついね、ずいぶんと」
首もとのアクセサリを指先で撫で、ランボは口元だけで微笑する。
「あげませんよ?」
「――別に。欲しくないよ、そんなの」
ランボは肩をすくめて前を向く。歩いていく途中で十字路があり、通路を左へ曲がる。綱吉は、もう自分がどこを歩いているのかよく分からなくなっていた。ランボとはぐれてしまえば、屋敷の中といえど迷子になるだろう。
ランボの隣を歩きながら、綱吉は彼を見上げる。ざっと見積もっても十センチほどの身長差があるようだったし、筋肉の付きいた体つきもしなやかで、どう考えても同い年の綱吉と比べるには立派すぎる体躯をランボはしている。なんだか納得したくない事実に突き当たった気がして、現状がそれどころではないと認識しながらも、綱吉は嘆息してしまった。
「ランボ。背ェ、高くなったんだな」
「そりゃあ、年月が経てば自然と伸びますよ。成長期ですし」
「くそ。ずるいな。オレ、いま、おまえと同じ年なのに、おまえより低いって、屈辱」
「大丈夫ですよ。『こっち』のあなたは、いまのあなたより、背は高くなってますよ」
「そうなの……?」
「ボンゴレ自身が、二十歳過ぎてからも背が伸びた、これは第三次成長期だねなんて言って笑ってましたけど――。さあ、着きましたよ」
足を止めたランボが、通路の突き当たりにあった豪奢な装飾が施された観音開きの扉を片手で指し示す。
綱吉は目を閉じて深呼吸をした。
落ち着け。
落ち着いて話をしなければ誰も綱吉の言うことなど聞いてはくれないだろう。
目を開いた綱吉は、ランボを背後に従えて、扉を両手で開け放った。
室内の中央にあったのは円卓で、その周囲にはたくさんの椅子がぐるりと用意されていたが、誰も座っていなかった。
さらりとした金髪のうえに繊細そうなティアラを乗せた青年は円卓に腰掛け、彼の近くにはスーツを着た小柄なリボーンが立ち、とても背の高い男――こちらも見覚えのある入れ墨を頬にいれていて、ランチアのようだった――が立っていた。三名から離れた壁際には、黒髪に鋭く流麗な目をした青年――おそらくは雲雀と思われる人間が立っていた。
彼らは入室してきた綱吉を見て、話を中断したらしく、みな、綱吉に注目するように視線を向けている。
綱吉はまっすぐに彼らがいる円卓の近くへ進み出る。背後からランボがついてくる気配がした。彼らとの距離が縮まると同時に、綱吉はリボーンの瞳に浮かんでいる冷酷な気配に息がつまりそうになった。綱吉はこれまで、リボーンに酷い扱いを受けることが多々あったが、そのどれの根底にも、彼なりの友愛的心情が少なからず綱吉には感じ取れた。だがしかし、いま、目の前で綱吉のことをまるで怨敵のような勢いで睨みつけているリボーンの視線からは濃く深い『拒絶』しかない。それは殺し屋特有の殺気とも似ていて、綱吉は無意識のまま、息をつまらせかけてしまい、そのことを誤魔化すように咳払いをした。
リボーンの黒い瞳がすぅっと動いて、綱吉の隣に並んだランボを見据えた。
「おい。アホ牛。オレの話をちゃあんと聞いてたのか? 誰がこいつを部屋の外へ出していいと言った?」
ぞっとするほど冷たい声音にひるみそうになる気持ちを支え、綱吉は言った。
「ランボを責めるな。オレが連れて行けって言ったんだ」
ランボが口をひらく前に綱吉が発言すると、リボーンはひたりと冷たく綱吉を睨みつけ、視線を外した。
室内にいるメンバーのなかに笹川了平がいない。
綱吉が最も頼りたいと望んでいたのはリボーンだったのだが、未来の彼はどうしても綱吉が知っているリボーンとはかけ離れていて近づきがたかった。身長が伸び、声音が変わってしまっている彼はもはや綱吉の知るリボーンではなかったし、再会してからのリボーンの態度が異常なほどに綱吉に対して閉じているせいもあって、リボーンに手を伸ばすことなど出来なかった。
そのせいか、了平の温かな手のひらの存在がいまの綱吉にとっては拠り所のようだった。
「あの……、了平さんは?」
「笹川了平は医務室行きー。本邸に着いて車を降りた途端、倒れちゃったんだってさー」
円卓に腰掛けていた、金髪の青年が微笑する。黒ずくめ、金髪、頭上にティアラ――、おそらく綱吉が思い当たった人物の名と、目の前で微笑む人物の名は同じだろうとは思ったが確証はない。
綱吉が戸惑うように眉をしかめると、青年は円卓からひょいっと飛び降りて、踊るような足取りで綱吉の前までくると、視線を合わせるようにわざとらしく猫背になった。
「えー、分かんないの? 薄情者なんじゃないの、ツナヨシってば。――俺だよ、ベル、ベルフェゴール」
「ベル……、ヴァリアーの?」
「そーだよ。よく出来ました」
よしよし。
と、言いながらベルフェゴールは綱吉の頭を撫でる。
「了平さんが倒れたって、なんで?」
「あの人さあ、肋骨を何本か折れてたんだってさ。なのにさ、ツナヨシを守るのに必死になってるせいで分からなかったって言ってんだよ? あと少し手当が遅れたら、内蔵がいくつか使い物になんなくなってた可能性あるんだって。どんな身体してんのよ、あの人は。で、いまはドクター・シャマルが治療してる。笹川了平は絶対安静。今回の戦闘には参加は不可でっしょー」
言葉をつむげない綱吉の様子には気がつかないかのように、にひひと笑って、ベルは背筋をしゃんと伸ばした。
「だいじょーぶなんじゃないの? なんたって、了平だよ? あの人、すごい頑丈だって、おかまも言ってたしさ」
「ベルさん……」
「にしし。ベルでいいよ。ベルで。なんか、ツナヨシ、ちっちゃくなったら可愛ーくなっちゃったんじゃないの? よしよし。王子が守ってやるからね」
ベルが片手で綱吉の頭を撫でて、にぃいと笑う。綱吉は頭のかたすみで、チェシャ猫みたいな笑い方をするんだなあと思ったが、口には出さずに彼の手を表情少なく受け入れて頷くにとどめた。
「てめえがいても邪魔だ。寝室に戻ってろ」
リボーンの酷薄な態度に綱吉のなかで苛立ちがわき上がる。ベルが綱吉の頭から手を引いて、わざとらしく顔をしかめて「うへえ、こわい」と綱吉だけに聞こえるように小さく呟いた。耳ざとく、そのつぶやきを聞きつけたのか、リボーンがベルを睨む。ベルは顔の片側だけで笑むと、綱吉から身を引いた。
落ち着かなければいけないと頭の隅では思っていても、理由も分からずにリボーンに冷遇され続けている現状が綱吉にとっては何よりも苦痛だった。
「骸のこと、どうするつもりなんだよ」
「あいつのことは、あいつがどうにかするだろう」
「出来る訳ないだろ!!」
激昂した綱吉を見たリボーンの顔が、嘲笑にゆがむ。
「――おい、ちゃんと息をしろよ。今度は過呼吸にでもなるつもりか?」
「リボーン。言い過ぎだ」
カッとした綱吉がさらに言葉を重ねる前に、落ち着いた低い声がリボーンの行動を制した。リボーンは鼻から息をつき、綱吉から視線を外す。綱吉はそんなリボーンの態度にさらに苛立ちを重ね、何でもいいから悪態をつこうと思って息を吸ったが、目の前に長身の男が進み出てきたので口をとざした。
頬の入れ墨とたぐいまれな長身のおかげで、綱吉は彼が誰か確信がもてた。
「ランチア、さん?」
長身の男は「そうだ」と言って頷いた。彼はスーツではなく、執事が着るような服装に身を包み、両手に白い手袋をしている。謝罪の旅に出ているはずのランチアが何故、ボンゴレの屋敷にいるのか綱吉には分からなかった。だがしかし、綱吉はランチアがどんなに良い人であるか十分なほどに知っている。
綱吉は手を伸ばして、ランチアの腕に触れる。
「ランチアさん……」
ランチアはむかしと変わらない、逞しく雄々しい顔立ちに柔和な笑みを浮かべて頷く。
「安心していい。ここはイタリアのどこよりも安全だからな。ここには、おまえのことを大事に思ってる奴らがたくさんいるのだからな」
「あの……、ランチアさん、骸が、怪我してて、で――」
「骸のことは聞いている。しかし、悪いが……、ボンゴレ。いくらボンゴレの頼みでも、それは出来ないんだ」
どうして?と問うように綱吉がランチアの瞳を見つめると、彼は一度綱吉から視線を外したあとで、再び綱吉の双眸を見下ろして言葉を続けた。
「守護者といえど、一人の生命を救うために、多くの犠牲を払うリスクは犯せない。――『ボンゴレ』は知っているはずだ。そう、教えられてきたと、俺は『ボンゴレ』自身から聞いたことがある」
「……でも、オレは、……オレは、骸を――」
「ボンゴレ……」
諭すような、優しい表情で、ランボが綱吉の肩に手をおく。その手のひらの重みが、実際の重み以上に綱吉の肩にのしかかる。
「あまり、心を痛めないでください。あの人もきっと、分かっていたと思いますから……」
「ランボ……」
泣きそうになる目元に力を入れ、綱吉はランボを見上げる。
ふいに、クスッと、場違いな笑い声が室内に響いた。
ぎくりとしたようにランボが表情を引きつらせ、綱吉は笑い声をあげた黒ずくめの少年へ視線を向ける。
綱吉と視線を交わしたリボーンは、嘲笑を消しさり、非情なほどに冷たい目をした。
「あいつが死んだとしても、それは仕方がねーことだ」
一瞬で室内の温度が冷えきる。
「リボーン!」
「よせ。リボーン」
ランボとランチアの声が重なる。しかし彼らの声音に制止する拘束力はない。
「あいつはおまえの守護者だ。おまえを守って死ぬのなら本望のはずだぞ」
「黙れ!」
叩きつけるように言って、綱吉は激しくリボーンを睨み付けた。
「おまえがそんな奴だとは思わなかった!! 最低だ、おまえ、なんて最低な――!!」
感情にまかせて綱吉がさらに叫ぼうとした瞬間、金属と硬い物がぶつかりあう鈍い音がひときわ大きく響く。驚いた綱吉は吸い込んだ息を声にするタイミングをいっしてしまい、びくりと体を震わせて動きを止める。
音の発生源へ目を向けてみれば、壁にトンファーをめりこませた青年が――、雲雀恭弥がトンファーを壁から引き抜いたところだった。ばらばらとコンクリート片が高価そうなブラウンの絨毯のうえに散らばり落ちる。
「耳障りだよ」
片手にトンファーを握りしめたまま、雲雀がゆっくりと綱吉に近づいてくる。
「さっきから黙って聞いていたら、君は随分と勘違いしているようだけれど」
「――ひば、り、さん……」
「ここがどんなところか分かってるの? スキなんて見せたら、生死に関わるのが日常なんだ。毎日、誰かが死んだ情報が飛び交うようなところなんだよ? 六道骸がきみを守って死ぬくらい、なんだって言うの?」
抑揚のない、雲雀の言葉が綱吉の胸を突き刺す。
目に見えない痛みがして、綱吉は胸を片手で押さえて目元に力を入れる。
「……酷い……」
雲雀は無表情のままで綱吉を見下ろす。
「ひどい? だれが? なにが? ひどいって言うのさ? 君はね、こっちの君はね、今の君のように短絡的で自分勝手なことなんて言うような子じゃなかったよ。無様だね。九年っていうのがこんなにも致命的だとは思わなかった」
そこで雲雀が嘲笑でもすれば、綱吉は怒りを爆発させてわめき散らす事が出来ただろう。
だがしかし、雲雀の目に浮かんでいたのは、失望と落胆だった。
綱吉は両手を身体の脇で握り込み、歯を噛みしめる。
失望と落胆。
未来のすべての人間が、いまの――『過去の』綱吉に対して感じているであろう感情だ。
そして、綱吉自身がいちばんに、己自身に失望し、落胆していた。
リボーンの銃弾なしで、死ぬ気の炎を制御することは修行中だった。成功率は三割程度、しかも継続時間がどれだけ続くかは綱吉の気力次第というあやふやな状態だ。きっと戦力としては不確定とされ、頼りにされることはない。
ということは、綱吉はただ、守られるだけなのか。
胸の内側で火花が散ったような気がして、綱吉は目をぎゅっとつむる。
大切な人達に危ないことをさせて自分は安全なところで震えて待っている?
それだけは、嫌だ!
綱吉は目を開いてきびすを返してドアへ歩き出す。
「ボンゴレ?」
「ツナヨシってば、どこに行くつもり?」
驚いたようにランボが綱吉の後を追うように歩を進め、ベルは面白がるように声を上げる。
「みんながやらないなら、オレがひとりでやればいいだけです」
「愚かすぎるよ」
すぐ近くでした雲雀の声音。
振り向こうとした綱吉の視界に何かが迫り――、
「雲雀、よせ!」
「ボンゴレ!」
脳を揺るがすような激しい打撃が後頭部からあたえられ、綱吉の視界は反射的に暗転する。どさり。と己の身体が絨毯のうえに投げ出されるのを感じた。絨毯に爪をたてて起きあがろうとしたが身体はそれ以上動かなかった。落下するように意識が途切れて、全身から力が抜けていくのを感じながら綱吉はか細く息を吐き出した。
|