どれくらい走ったかは分からない。途中で追っ手に見つかることもなく、リボーン達三名は林を南下することに成功した。道路が見える位置まで来たところで、リボーンはスーツを探って携帯電話を取り出す。すると電波が入るようになっていた。素早く履歴からクローム髑髏の携帯電話の番号を選んでコールを開始する。電話はすぐに繋がった。クローム達からもリボーン達の位置が把握できたようで、「近くまで来ているからそのまま待機していて」と言った。リボーンも了平も、実のところ怪我のせいでそろそろ肉体的に限界がきそうだったので、クロームの提案どおり、道路が眺められる位置に身を潜めることにした。

 普段ならばそれほど呼吸を乱すことなどないリボーンだったが、今はぜぃぜぃと音を立てて呼吸をしていた。血を流してしまったせいか、頭の先から指先まで倦怠感のようなものがつきまとい、いまにもふわりと意識が飛んでしまいそうになる。それを必死に思いとどまらせているのは――、リボーンの右手を握りしめている、綱吉の手のひらの熱があるからだった。

 綱吉は無言だった。
 リボーンは、彼になんと声をかけたらいいか、未だに分からずにいた。

 大丈夫か?
 絶対にオレが守ってやるから安心しとけ。

 軽口のように言ってしまえばいい言葉が口に出ない。
 
 いくら時間が経てど、十八歳の綱吉は過去に戻ることはなかった。原因はボヴィーノ秘蔵の『十年バズーカ』であることは確かだ。しかし、十年バズーカの設計から開発まではボヴィーノのオメルタで堅く守られているはずで、ボンゴレに敵対する組織に秘密が漏れる可能性は限りなくゼロに近い。
 血液が少なくなっているせいか、リボーンは己の思考がいつもの倍以上も鈍いように思え、ゆっくりと吐息を漏らす。
 座り込んでいる綱吉に寄り添うように、リボーンもしゃがみ込んでいた。その背後に了平が立ち、辺りへ視線を巡らせている。パッと見ると了平は軽傷のように見えるが、彼もリボーン同様、教会の瓦礫に一度埋もれている。リボーンの上の瓦礫を力強くどかして助けてくれたのが了平だった。彼が元から頑丈な体躯の持ち主だとしても、爆発現場で無傷ということはないだろう。そもそも、あの――、化け物のような六道骸があれだけの致命傷を負う事態だったのだ。

 六道骸。
 あの男が死ぬかもしれない。
 あの男が死んだら、『綱吉』は悲しむだろう。『綱吉』は、骸のことをずっと気にしていた。ボンゴレとして一番最初に、確固たる敵として戦い、その後、守護者となった六道骸のことをずっとずっと、気にしていた。
 泣くだろう。
 はげしく泣いて、泣き叫んで悔いて、嘆き苦しむだろう。
 
 そう考えると、リボーンは胸が痛んで、泣きたいような気持ちになる。骸のために泣く訳ではなく、骸のために泣く『綱吉』を想って――だ。薄情な人ですね。きっと骸はそう言うだろう。だがしかし、骸とリボーンが逆の立場だったとしても、同じことだろう。骸はリボーンのことを想って泣く『綱吉』の気持ちを想って泣くだろう。嫌になるほど、リボーンと骸の立ち位置は近い場所にあり、それを互いによく理解している。

 ふいに、遠くから車のエンジン音が近づいてくる。次第に大きくなってくるエンジン音に緊張がはしる。リボーンは綱吉の冷たい手を握り直す。

「……リボーン」

 不安げに綱吉がリボーンの名前を呟く。
 リボーンは琥珀色の瞳を見つめ、「静かにしてろ」と、ようやく言葉を声にして出すことができた。綱吉はわずかに何度も頷いて口を閉じた。泣きすぎたせいか、目は充血していていて、相変わらず瞬きが少なく、顔色も悪い。十八歳の綱吉は、現在の綱吉よりもわずかに髪が短く、顔立ちもすこし幼く、まだ高校入学したての学生のようにも見える。

 十八歳。
 卒業式。
 九年前の卒業式。
 リボーンは綱吉を抱きしめた。
 胸に去来していたものが、いくつものフラッシュのように瞬く。
 満足感。虚脱感。恋情。不安。執着。焦燥。憐憫。同情。――愛情。

 あのとき、リボーンは後悔していないと、綱吉をマフィアにしたことに満足感はあれど、後悔などしていないと――、思っていた。リボーンは綱吉をドン・ボンゴレにするために沢田家にやってきた。九代目との契約通り、リボーンは最高の仕事をした。綱吉は立派なボスになるとリボーンは自信をもっていえる。綱吉も、高校へ入学してからは、さして抵抗もせず――中学のころのように「マフィアになんてならないからな!」と口にすることもなくなった――、卒業するまで素直な良い生徒になった。

 三年の冬には、卒業式を終えたら二週間ほどの準備期間を経て、でイタリアへ渡る予定がすでに決められていた。

 イタリアへ渡れば、沢田綱吉はドン・ボンゴレとして生きることが確定したも同然だった。いや。リボーンが沢田家へ来た時点で、彼がドン・ボンゴレとして生きることは確定していたようなものだ。
 リボーンは綱吉を近くでずっと見てきた。
 だから、少しだけ、不安になった。

 誰よりも優しい彼を。
 このままマフィアのドンにしたら。
 沢田綱吉の生涯は苦悩と後悔と嗚咽だけの悪夢のようなものになるのではないか。


「――……ン、リボーン」

 了平の声で、リボーンは現実に引き戻される。
 道路に停車した五台の車が次々に停車する。一番前の車の後部座席から降りてきたのは、ふんわりとした黒いロングコートを着たクロームとスーツ姿の城島犬、助手席からは黒いベレー帽にスーツを着た柿本千種だった。

 了平が周囲の様子を探るように視線を巡らせ、頷く。リボーンは綱吉の手を引いて、林から出て道路へ降りていった。

 いち早く人の気配に気がついた犬が、林から出てきたリボーン達を見て、近くに立っていた千種の肩に腕を回して陽気に笑った。


「やったびょん。ボンゴレ、いた! パソコン、えらいれ! ね! 柿ぴ」

「機械が嘘つくわけないでしょ」


 抑揚なく言って、千種は肩に犬の腕をのせたまま、かるく頭をさげる。


「迎えにきた。無事でよかった」

「すまねーな。手間かけさせて――」


 リボーンが喋ってる最中に、するりと綱吉の手がリボーンの手からはずれる。呆然としたように、綱吉は犬、千種、クロームを眺めて、ごくりと唾液を飲み込んだ。


「クローム、犬さん、千種さん……、みんな、いるんだ……」


「うっわ、ほんとら。ボンゴレ、なんかちっちゃくなってる? ってか、さんづけ? 気持ち悪ッ」


「え?」


「呼び捨てでいいんら。俺は犬、柿ぴーは千種って、そう呼んでたんらよ?」


「犬。ボンゴレは記憶喪失とかじゃなくて、過去からやってきたんだから……。まあ、呼び方なんてどうでもいいけど……」


「そーう? ボンゴレが好きなように呼んれいいよ?」


「……あ、はい……」


 親しげに話しかけてくる犬と千種の態度に戸惑うように、綱吉は作り笑顔すら浮かべられず、ひたすら困った顔をしていた。そんな綱吉の様子を、ようやく妙だと感じた犬がおおげさなほどに顔をしかめ、「ボンゴレ、変らよ」と千種に訴えるように言う。千種は短く息を吐いただけだった。

 困惑している綱吉の前にクローム・髑髏が静かに歩み寄った。彼女は裾がふんわりとした黒いロングコートを着て、長い髪を頭のうしろでまとめあげていた。昔と変わらぬ眼帯をつけた彼女の顔を見ても、綱吉は理解しがたいものが目の前にあるかのように、怪訝そうな顔のままだった。


「無事でよかったわ。ボス」

「くろーむ?」

「ええ。そうよ。……ボスは、沢田綱吉ね?」

「――そう。オレは、沢田綱吉だよ」


 端から見ればおかしな会話だったが、綱吉の尋常でない様子を眺めていると、確認しなくてはいけないことだった。今にも自失してしまいそうな彼の自我を現実に引き戻すためには必要な問いかけだ。


「よかった。ご無事で!」


 後方の車から降りてきて、走り寄ってきたのは、ブルーブラックのストライプスーツに身を包んだバジルだった。彼のうしろから、ボンゴレの霧の部隊のメンバーが数人一緒に駆けてくる。
 綱吉は走ってきた人物の顔を見て、考えるように一瞬だけ目をそらし、再び目の前に立ったバジルを見た。


「――バジルくん?」

「はいっ。お迎えに参りました」


 目に映っている世界すべてに騙されているのではないか――とでもいうように、綱吉は不安そうな猜疑の目を辺りに向ける。クロームやバジルだけでなく、了平やリボーンにも同じ視線が注がれる。


 これはなに?
 これはゆめ?
 これは――。


 綱吉のなかの混乱がリボーンには手に取るように分かる。


 突っ立ったままの綱吉の背中に手のひらをそえ、バジルは彼に歩くように促す。


「車に乗ってください。追っ手に気がつかれては大変なことになります」

「え、――あ! あのね、バジルくん、まだ林ん中に骸がいるんだ、怪我しててさ、――みんなで迎えに行くの待ってるんだ! 早く!」


 バジルの手をとって林へ戻ろうとした綱吉の目の前に、千種が立つ。


「千種さん、行こうッ、骸が待ってるから!」


 千種は青い顔のままの綱吉を見下ろし、首を左右に振った。
 綱吉の目が、大きく震える用に見開かれる。


「現在の最優先事項は、ボンゴレの生命の安全であって骸様の救出じゃない」

「そんな! だって、オレ、約束したんだよ。あいつ、すっごい、怪我してるんだ! いま助けに行かなきゃ、死んじゃうよ!」


 千種は首を振る。


「できない」


 綱吉は手を握っていたバジルを振り返る。
 バジルは目を伏せて、綱吉から視線を逸らした。

 綱吉は周囲に立つ人間達をぐるりと見渡し、その誰もが動き出そうとしないのを見て、悲鳴のように甲高くかすれた声で「ひどい!」と叫んだ。


「なんで……、どうしてみんな、誰も! 戻ろうって、助けに行こうって言わないの!? クローム達はそれでいいの!?」


 クロームは腹部のあたりでゆるく両手を組み、冷静な様子で激昂する綱吉の視線を受けた。美しい顔立ちには、一切の迷いも戸惑いも浮かんではない。一瞬、六道骸とクローム髑髏の姿が重なったような錯覚がふわりと漂って消える。


「骸様が望んでいるのは、ボンゴレの安全の確保。誰かに助けて欲しいとは望んでいない」

「犬さん! 千種さん! いいんですか、それで!! 骸、怪我してるんですよ!?」

「骸さん、望んでないんらもん。自分のことじゃなくて、ボンゴレのことを守れって言ったんら」

「俺達は骸様が命じることを実行するだけ。骸様が「ボンゴレを守れ」と言うのならば、それに従うのみ」

「そんなのおかしいよ! だって、だって、クローム達は骸のことが好きなんじゃないの!? なんで!」

「好きよ」


 水面に波紋をおとすかのように、クロームの静かな声音が辺りに響く。


「とても大好き。私たちにとって骸様は誰にも代わりなど出来ないくらいに、大切で大事な人。――そんな骸様がご自分の命よりもボンゴレを大事にするのならば、私たちもそれに従いたいの」

「最優先事項はあなたの身柄の安全の確保。これが骸様の望み」

「骸さんがそう言うんなら、俺らは全力でボンゴレを守るんら。じゃないと、俺ら骸さんに怒られるれしょ?」


 クローム達の確固たる意志を目の当たりにした綱吉は、「ああっ」と短く吠えたあと、はじけるように走り出そうとした。そんな彼の前へ、瞬時に飛び出したのは了平だった。駆け抜けようとした綱吉の右腕を掴み、了平は声音低く問うた。


「何処へ行くつもりだ?」
「戻ります」
「――駄目だ」
「了平さん、了平さんも戻らないって決めてたの!?」


 心底裏切られた衝撃を映すかのように、綱吉の目がおおきく見開かれる。了平は言い訳もせずに、「ああ」と短く答えた。殴られたかのように綱吉はよろめき、険しい顔で腕を強く振り、了平の手を振り払った。周囲の人間から距離をとるように後退し、綱吉は両手で胸元辺りをかきむしる。


「どうして、……オレ、約束したんだよ、戻るって、――あいつ、笑ってたんだよ、お願いだから、みんな、――オレのことなんていいから、あいつ、怪我してるんだよ、大怪我んだよ……、あのままじゃ、……あの、まんまじゃあ……ッ」

「沢田どの、落ち着いてください」

「バジルくん! ねえ、どうして!? オレ、戦うから! 敵がいるんでしょう? オレが戦って、相手をやっつけるから、お願い、骸を助けに行かせて!」


 綱吉の両目から涙があふれ出す。泣きすぎて赤い目にはほとんど正気がないような、異様な雰囲気が浮かび、いまにも狂気に飲まれてしまいそうな危うさがあった。
 リボーンは何の言葉もかけられず、激しい混乱に一人突き落とされていく綱吉を眺めるしかなかった。

 綱吉の訴えを受けたバジルは――、困ったように顔を伏せたが、すぐに顔を持ち上げて、首を振った。


「駄目です。相手がどういった勢力で、どういった目的をもって動いているか不明な以上、いったんは身を引いて状態を整えねばなりません」

「そんな! そんなことしてたら、骸が死んじゃうよ!!」


 胸元をおさえるようにして綱吉が絶叫する。
 その場にいた誰も何も言えず、動くことすら出来なかった。

 綱吉は両手で上着の胸元をかきむしり、声の限りに絶叫する。


「なんで!?みんな、おかしい!おかしいよ!!なにこれ、なんで!?どうしてこんなことになるの!?ここ、ほんとに未来なの!?オレの未来なの!?こんな、こんなとこが、オレの?!むくろ骸と約束したのにオレ助けに行くっていったのになんで行けないの?だって待ってるよ骸傷だらけなんだよ死んじゃうよあのままじゃ死んじゃうよそんなのひどいひどいひどい――」


 刹那、叫び続けていた綱吉が喉へ両手をやり、みるみるうちに目を見開いていく。あえぐように開閉された唇から声はつむがれない。驚いた顔をした綱吉はますます混乱したかのようにまるく目を見開いて、ふらりとうしろへよろめく。

「馬鹿! 息をしろっ!」

 リボーンの叫び声が届く前に、声もなく唇を動かした綱吉の両目がくるりと上向いて白目になり、力がぬけた身体がうしろへすぅっと倒れてゆく。

「ツナ!!」
「沢田!」
「沢田殿!」
「ボンゴレ!」

 飛びつくようにして綱吉の腕を掴んだリボーンが、己の身体をクッションにするかのように、身体を抱きしめるようにして受け止めた。気を失った綱吉の肩が口元あたりにぶつかり、痛みがはしる。歯列で唇の内側を切ったのか、血の味が口の中に広がった。

 腕のなかで綱吉の身体を抱え直したリボーンは、浅く呼吸をしている綱吉の胸元を確認して、ホッとしたかのように息を吐いた。

 ふと、リボーンは、己の腕の中の綱吉の体格が少しばかり小さいことに気が付いた。青白い顔のまま綱吉はぐったりとあごをそらすようにして、リボーンの腕に抱かれている。指先で彼の顔にかかっているやわらかそうな毛先をはらう。じっと眺めていた綱吉の顔に怪我をしていた『綱吉』の顔が重なる。目が見えないと叫んでいた彼は、リボーンとキスを交わし、抱き合っていた『沢田綱吉』は、過去に行ってしまった。

 いまのリボーンの腕の中にいるのは、沢田綱吉であっても、『沢田綱吉』ではない。

 両腕で綱吉の身体を一度だけ、つよく抱きしめる。首筋に顔をふせ、両腕に彼を抱きしめた感触を残すように目を閉じる。
 触れるのは、これきり。
 過去の綱吉は、現在の綱吉ではない。
 同じ人間であろうとも、長い年月の間重なったリボーンと綱吉の間にある思い出も記憶も彼にはないのだから、彼に『彼』を求めることはできない。

「リボーン」

 綺麗なソプラノの声音が静かに響く。
 リボーンは綱吉をかたく抱いていた腕をゆるめ、顔をあげてクロームと視線を合わせる。

「こいつを頼んだ」

 クロームと並んで立っていた犬が頷いてしゃがみ込み、リボーンの腕から気を失っている綱吉の身体を両腕で受け取る。抱き上げた綱吉の軽さに驚いたように犬がかるく目を瞬かせたが、彼は何も言わなかった。リボーンの視線と千種の視線が合う。彼はいつものように気だるい様子でリボーンの視線を受け流す。隣に立つクロームに視線を移してみれば、彼女はわずかに顔を上下させてうなずいた。


「おまえらには悪いが、骸のことは奴自身が窮地を切り抜けると仮定して物事を進めるぞ」

「ご自由に」

 クロームが無表情のままに囁き、千種はわずかに双眸を細めた。

「骸様は、最初からそのつもりだろうから……、勝手にすれば?」

「そう簡単に骸様がやられる訳ないびょん」

 綱吉を腕に抱えていた犬がそう言って笑い、リボーンに背を向ける。車へと歩き出した犬の後を追うように、クロームと千種が歩き出す。バジルがリボーンと了平に向かって一礼をして、彼等に早足で近づいていき、何か声をかける。おそらくは綱吉をどの車にのせ、どういった警護体勢でボンゴレの本邸へ戻るのかを打ち合わせているのかもしれなかった。


「行こう」

 了平が短く言い、歩き出す。
 リボーンの足は動かなかった。

『なんで!?みんな、おかしい!おかしいよ!!なにこれ、なんで!?どうしてこんなことになるの!?ここ、ほんとに未来なの!?オレの未来なの!?こんな、こんなとこが、オレの?!むくろ骸と約束したのにオレ助けに行くっていったのになんで行けないの?だって待ってるよ骸傷だらけなんだよ死んじゃうよあのままじゃ死んじゃうよそんなのひどいひどいひどい――』

 胸の苦しさに耐えきれず、リボーンは歯を噛みしめて目を伏せる。
 頭のなかで残響するかのように綱吉の悲痛な絶叫がこだまする。

『ひどいひどいひどい――!』


「了平」

 呼びかけに答えるように了平が足を止めて振り返る。

「あとは任せた」

 言い終わる前にリボーンは了平に背中を向けて、もと来た道へ戻ろうと歩き出す。背後から腕を掴まれ立ち止まり、肩越しに振り返れば了平が苦い顔をしてリボーンを見下ろしていた。


「何処へ行くつもりだ? 骸のところへ戻ったらさらに厄介なことになると、おまえも充分理解してるはずだろう? 言っていることと、やっていることが、ちぐはぐすぎるぞ? 骸は置いて行かれることを望んだ。奴は奴なりに考えていることがあるのかもしれん。確かに普通の人間ならば死ぬかもしれん。だが、あの、骸だぞ? 簡単に死ぬような奴じゃあないさ」

「あぁ……、そうだな」


 切れ切れに息を吐いて、リボーンは了平と向き直るように立った。

 もう、骸のもとへ戻ろうなどという気は消沈していた。

 綱吉があんなにも凄絶なほどに望むのならば戻って骸を連れてきたほうが『彼』は心が安まるのではないか。という思いが、一瞬だけリボーンの身体を頭ではなく、勝手に心が動かしていた。理性で無理矢理に感情を制して、リボーンは意識してゆっくりと呼吸をする。

 記憶に残っている、綱吉が己の喉を陶器の破片で切り裂こうとした場面が、リボーンの頭の中でひらめくように再生される。重なるように先ほどの悲鳴のような絶叫が思い出され、リボーンは今まで感じたことのないような――ひどく落ち着かない気分になって苦しくなった。

 綱吉に泣かれるとリボーンはどうしようもなく、己が愚かで無様な人間に成り下がる気がしてならなかった。彼が泣くのならその原因を速やかにつきとめ、リボーンが持てるだけの力をもってしてその原因を取り除いてしまいたくなる。それが綱吉自身のためにならないと理解していてもリボーンは行動したくなってしまう。ようは理性が感情によってぐだぐだになってしまうのだ。
 彼と愛を交わしあうまでは、そんなふうに愚かに成り下がる己を許すことができず、ずいぶんと苦悩し歪曲した考えを信じて行動している時期もあった。

 だが、リボーンは知った。

 己がどんなに無様で愚かで滑稽でも、綱吉を切り捨てることができないのだと、リボーンは知ってしまった。

 綱吉と別離などと到底出来ることではないと理解したリボーンは開き直って綱吉を愛すると決めた。ときたま、酷く己のことをみっともないと思うこともあるが、綱吉が幸せそうにしている様子を眺めているとリボーンはそんな感情などすぐに忘れてしまえた。


 泣き叫ぶ綱吉の様子がフラッシュバックする。
 あれほどに悲痛な綱吉の絶叫を、リボーンはしばらく聞いていなかった。


 時間が経ってようやく、リボーンは自分が綱吉の絶叫にショックを受けている事実に気がついて、ほんのわずかに下唇を噛んだ。


「あれはきっと本心じゃないはずだ。――沢田は、混乱してるんだ」


 リボーンは伏せていた目線を持ち上げて了平を見る。

 彼の真摯な表情には気遣いと優しさが込められていたが、リボーンにとってはどちらもあまり好ましいものではない。ほとんど反射的に眉間にしわをよせ、叩きつけるように言葉を吐く。


「あれは今のあいつの本音だろうよ」


 了平の心配そうな視線に耐えきれず、リボーンは彼がなにかを言う前に先を続けた。


「平気だ。悪かった。理性と感情がうまく噛みあってねーんだ。オレも、自分がこんなにも動揺してることに驚いてる。――悪いな。お前にまで、憎まれ役をさせちまって」


「俺のことはいいんだ。おまえの方が、極限に辛いはずだ」


 思わず、リボーンは笑ってしまった。己が酷く自嘲的な様子で笑っているのを自覚しながら、リボーンはボルサリーノを片手でおさえて深くかぶりなおす。


「あいつは――、オレが愛してる奴にそっくりだが、別人だ。そう思えば……」


 遠くからバジルがリボーンと了平の名を呼び、片手を高く持ち上げて左右に振る。リボーンは、まだ心配そうな顔をしている了平の腰を片手でつよく叩き、精一杯の虚勢を張るようにシニカルに顔の片側だけで笑む。口内の傷口から溢れる血の味が甘く苦く舌先に感じられた。




「ボンゴレへ戻るぞ」