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リボーンが綱吉の頬に触れると、彼はゆっくりと目を閉じていた。それまでがくがくと震えていた体から突然に力が抜け、リボーンの腕に綱吉の重みのすべてがかかる。
「おい、ツナ」
うすく唇をひらいたまま、綱吉は反応しない。とっさに胸に耳をあてる。心臓は動いている。次に口元に頬をよせる。息も弱いながらきちんとしている。
「ツナ! くっそ!!!」
ぐったりとした綱吉を腕に抱えたまま、周囲に視線をはしらせる。おそらく何かの薬品を投与された可能性が高い。解毒剤がない取引など成立はしない。倒れ伏した男の手になにか透明な筒が握られている。リボーンは綱吉を優しく床の上に寝かせ、男の手に飛びついた。男の手に握られていた注射器は、彼が死の間際に握りつぶしたのか割れており、中身はすでに流れ出てしまっていた。男のスーツやズボンのポケットを探すも解毒剤は見つからない。
「畜生!!!!」
めったに出すことのない大声で罵声を叫び、リボーンは握った拳で床を打った。骨にじんと痛みが響く。痛みが脳にまで到達するまでにリボーンは立ち上がって綱吉の側に戻る。もう一度胸に顔をふせて鼓動を確認する。病院か。表に待たせている車まで綱吉を運ぶためにリボーンは綱吉の身体を背負おうとした。が、リボーンの身体と腕力は小さすぎ、綱吉をおぶることさえ敵わなかった。忌々しい幼い身体に心の中で呪いの言葉を吐いた刹那、
「あちゃー、こりゃーひでーなー」
凄惨たる情景をぶち壊す暢気な声音が、血の匂いが煙る部屋にひびいた。
「もしかして、もう終わってるってか? あー、気合いいれてきたんだけどなぁ」
「ありゃまあ、ひでぇやこりゃあ」
左手に鞘に入ったままの刀を持った山本と、薄汚れた白衣を着たまま顔をしかめるシャマルの背後には、少数精鋭のボンゴレの部隊の顔を見ることが出来た。山本は背後の男と何か言葉を交わした。男はスーツの内側から携帯電話を取り出す。おそらく別部隊で創作しているメンバーへの連絡を行っているのだろう。
山本は転がっている死体の間を踊るように歩いて近づいてくる。シャマルは靴が汚れるだのとぶつぶつ呟きながら、歩幅を広くとりながら歩み寄ってきた。
山本が間近にリボーンとその腕に抱かれた綱吉を見下ろす。緊張感のない顔を殴りたい衝動がはしったが、リボーンは舌打ちしてこらえた。
「ドクター連れてきて正解だったなあ。オレ、接近戦向きだから、本当は遠距離から戦闘補助してもらおうと思ったんだけど」
「ちょっとかせ」
シャマルの腕が綱吉に伸ばされる。とっさにリボーンは綱吉の身体を抱きしめて身を固くしてしまった。瞬間、まずいことをしたと思ったが、今更綱吉をシャマルに突き出すこともできず、リボーンは綱吉の肩と腕を掴んだまま、歯を噛みしめる。
「離さねぇと治療できねぇんだよ。――なんて顔してんだ」
揶揄するように言われ、リボーンは頭に血がのぼった。短く悪態をついたあと綱吉をシャマルの腕に託す。シャマルの両手は、綱吉のスーツの袖をまくりあげたり、まぶたを指先でもちあげたりと、せわしなく動き出す。
リボーンはシャマルの背後で立ちつくしていた。今のリボーンが綱吉に出来ることはない。拳を握って周囲に当たり散らすイメージが一瞬だけ頭のなかをよぎって消えていった。
「なぁ、小僧。本当のところどうなんだよ」
リボーンの脇に立ち、山本は首をかしげた。
「何がだ?」
「何がって。この場合、話題になることはひとつしかねーんじゃね? 俺はツナのこと大事だからさ、やっぱりツナ側に立って考えちまうから心配でさ。でもこいつ大丈夫だっていうし」
「………………」
「だんまりかー。弱ったな、こりゃ」
血だまりのなかの会話とは思えぬ、山本のかるいノリが今のリボーンには癪にさわる。ぎっと強く睨んでみると、彼は降参をするように胸の辺りで両手をあげる。
シャマルの動きが止まる。診察が終わったようだった。
「どうなんだ」
「死ぬかもな」
気がつけば、リボーンはシャマルの胸ぐらを掴んでいた。まばらに髭のはえた顔でシャマルはかるく目を見開く。らしくない行動を抑えることもできず、リボーンは激昂する。
「助けろ!!」
「おいおい、熱くなるなよ。未登録の薬品ってのはどんな副作用があるかわかねぇんだ。死ぬかどうか生きるかは運次第。応急処置はした。あとはこいつの回復力次第だ。とりあえずこんな場所からは移動するぞ。まずは暖かいベッドにねかせて様子をみるべきだ」
言って、シャマルが綱吉の身体を抱き起こし、器用に背中に背負った。
「山本。死体まかせていいか?」
「おー、了解。死体はおれと部下とで始末しとく。ツナのこと頼むな、ドクター」
「ああ。こいつが死んじゃあ、俺の給料払ってくれる奴がいなくなるからな。なにがなんでも生かしてやるさ。こいつほど俺を大金で雇ってくれる奴はいねえからな。――っていうか、くそ、男なんて背負ったってつまらねぇなァ」
一言ぼやき、シャマルはふらふらと出入り口のドアに向かっていく。ぶらぶらとゆれる綱吉の腕、意識を失った横顔にきざまれた殴打のあと。リボーンは拳銃をひきぬいて、注射器を握っていた男に銃弾を撃ち込む。一発では飽きたらず、何発も撃ち込んだ。あきらかに弾の無駄だったが、いったん憤怒した感情は抑えられない。
がちん。と装填されていた弾数がからになるまで撃っても、リボーンの気持ちは収まらなかった。
「やめろって。もう死んでる」
ようやく、殺人現場に似合いの低い声音で山本が言った。リボーンは硝煙があがる拳銃を握ったまま、山本へと向き直る。彼は笑っていなかった。山本の瞳の中に哀れみが見え隠れするのを感じ、リボーンは嘲笑うように唇を笑みのかたちにした。
「――なあ、小僧。おまえがいくら逃げようとしたって逃げられねぇと思うよ。おまえがはまってる罠はそーゆー罠だ」
「罠にはまってたらどうだってんだ」
「はまったんだったら覚悟決めたらどうよ?」
「簡単に言うんだな」
「そりゃ、言うだけは簡単だからな」
悪びれもせずに山本は言う。
「オレから見りゃあ、ツナのがよっぽど強いと思うぜ。んで、小僧のが卑怯だ」
「ハン? オレは悪者か?」
「だって俺はツナの味方だからなー。あいつにはね、幸せになってもらいてぇなって思ってっからね。愛してやってよ。できんの、おまえしかいないんだから」
「駄目になるって分かっててもか?」
「駄目にならねぇように二人でどうにかするって選択肢ねぇの?」
「………………」
「ツナも小僧も、一人で考えすぎなんだよな。肝心なことはなにひとつ言わねぇまんまで、じたばたしたって仕方なくね? 今回のことだって、ツナは自暴自棄になってたんじゃねえかとオレは思うよ。いくら人質がいたからって、いつものツナならすきをついて、人質を助けて襲撃者を返り討ちにくらいできたはずだぜ? でもあえてせずに、のこのこ拉致られてひでぇ目にあってさ。そういうツナはみてらんねぇよ」
山本の言葉をおざなりに聞き流そうとしていたリボーンは、彼が言った言葉を理解するのに少々遅れをとった。火の粉が風にあおられるように胸のなかでちりちりと音を立て始める。
「ツナがわざと捕まったって?」
山本は「たぶん、そうだと思うぜ」と言って、顔をしかめる。
「だって、あいつ、愛人宣言したあとから、配下のファミリィの動きを見張らせてたんだぜ? まあ、いくつかのファミリィで、暴動っていうか、下克上ってのかな? ちょろちょろ動いてたから逐一報告してたんだ。――だからツナにはある程度、予測のついた事態だったわけ」
リボーンは短く悪態をつく。いったい何の考えがあって拉致された。痛めつけられ、生死の境を彷徨うほどに、逃げ出したかったのか。なにから――逃げ出したかったのか。腹の底でちりちりと青白い火の粉があがり、次第に炎へと大きくうねりだす。
リボーンから逃げ出したかったのか。
くっ、自虐的にでた笑いをこらえる。
違う。
首を突き刺した自傷行為と同じ種類の衝動に突き動かされただけだろう。危険に近づけばリボーンが必ず綱吉を守るために、助けるために行動するだろうと。
リボーンは試され、そして合格してしまった。
途端、リボーンは自分がしでかした事の重大さに気がついて愕然とした。
もしも、今回の件にリボーンが関わらなかったら、綱吉はリボーンに対して諦めて見切りをつけ、愛人騒ぎにもピリオドがうてたかもしれない。しかしリボーンは、綱吉を守るために誰よりも速く駆けつけてしまった。彼は愛されている実感を手に入れたようなものだ。いくらリボーンが綱吉を冷たくあしらおうとも、ヒーローのように現れたリボーンを知っている綱吉は、きっとリボーンの冷たさを許してしまうだろう。
せっかく愛人騒動を公表し、周囲のバッシングやつきあげによって、彼が諦めるのを待っていたというのに、とんだご破算だ。
大人しく黙り込んだリボーンを横目で見ていた山本は、リボーンと視線をあわせるように突然にしゃがみ込んだ。馬鹿にされているような気がして、リボーンは憮然と山本と視線をかわす。
「小僧はさ、ツナをどうしたいんだ? どう、想ってんの?」
「愛人にしてえって言ったのはあいつの方だ」
「それはツナの想いであって、小僧の想いは無関係じゃねえ?」
いつもは鈍いくせに、微妙なところで鋭い山本の探るような視線をきつい眼差しで跳ね返す。
「山本」
「んー?」
「おまえは『オレ』が『ボス』を愛人にしててもいいのか?」
「うーん。ツナが幸せならいいよ。おれは応援する。不幸になんのはね、ちょっと近くでみてらんないから。――愛してやんなよ。小僧にしかできねぇんだからさ」
ハッ、と息をついて、リボーンは山本に背を向ける。
「そんな簡単に愛してやれるほどオレの愛は軽くねーんだよ」
しゃがみ込んだままの山本をおいて、リボーンは死体を跨ぎながら出口へ向かった。待たせている車に乗り込んで、ボンゴレの私邸へと戻らなくてはならない。目が覚めた綱吉にどんな言葉をかければいいかを、いくつも思案しながら、リボーンはビルの階段を降り始めた。
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