ディーノは綱吉の元を訪れたその足で、ボンゴレの私邸へと向かった。出迎えてくれた執事達ともすでに知り合いになっているディーノは、かるく彼らとあいさつを交わし、目的の人物が居る場所を訪ねた。すると彼は、守護者たちや綱吉が憩いの場としているだだっ広いリビングににいると教えてくれた。ディーノはロマーリオに車での待つように言いつけ、すでに場所は把握ずみのリビングへ向かった。

 リボーンは豪奢なアンティークのソファに座っていた。片手でひらかれていたのは何かの専門書で、彼の前のローテーブルにはいつも彼がかぶっている帽子とワインのボトルとワイングラスがあった。ディーノが開け放たれたままのドアをノックしようとする前に、リボーンは本から視線だけを持ち上げた。テーブルに本をふせ、不機嫌そうな顔でソファに背をあずける。


「今日はよく客が来る日だな」


 ディーノは室内に入る。左壁には暖炉がそなえられ、その上には綱吉の大きな肖像画がかけられている。暖炉の上には色とりどりの花が豪華そうな花瓶に華やかにいけられ、わずかに甘やかな香りを部屋に漂わせていた。部屋には豪奢な作りのリビングセットがゆったりと並べられ、揃いのサイドボードの中には様々な種類の酒の瓶が並び、天上を見上げれば絢爛なシャンデリアがくらむような光をたたえていた。守護者たちや綱吉はよくこの場所で談笑している。ディーノもよく訪れ、酒を酌み交わして彼らと親交を深めていた。


「誰か来てたのか?」

 広すぎる部屋のどこかに誰か居るのかと思い、あたりを見回すが誰もいない。

「クロームがな」

「クロームが? また何の用で?」

「骸からの伝言を伝えに」

「なんて?」


 見ている側が思わず怯むような仄暗い笑みでリボーンはワイングラスを手に取る。

「忘れた」

 グラスに残っていたワインを飲み干し、テーブルに戻す。読みかけの本に栞をはさみ、リボーンはテーブルのうえに本を放った。

「で、お前は何の用なんだ?」

 ディーノはリボーンの向かいのソファに腰を下ろす。彼はひどく冷め切った顔でディーノを見ていた。ディーノの年齢の半分の年齢にも満たない彼は、ディーノが幼い頃の家庭教師だった。へなちょこだったディーノに厳しい修行を強いた彼がアルコバレーノ――赤ん坊の姿のままであったら、ディーノは様々なことを思い出してしまい、彼に強く意見することはできなかったかもしれない。けれど、目の前にいるのはまだ十代半ばにもならない少年だ。内面と外面の年齢が食い違っていることは事実だったが、ディーノにとって成長を始めたリボーンは得体の知れない存在というよりも、放っておけない年若い少年でしかなかった。


「さっき、ツナに会ってきた」

「へえ。それで?」

「一部始終、聞いてきた」


 引きつれるように笑って、リボーンは唇をゆがめる。


「ほんと、どうかしてるぞ、あいつ。このオレを愛人だとよ。ははは」

「……おまえ、分かってないのか」

「何を? ツナの馬鹿さ加減を? そんなもの、よく知ってるさ」

「おまえ、五歳ころ、高校を卒業したとき、ツナを抱きしめたらしいな?」

 リボーンは顔色ひとつ変えない。

「そんなことした覚えはねぇーな」

「後悔したのか? 自分のしたことを」


 リボーンは何も言わない。


「ツナを一人前のマフィアにしちまったことを、後悔したんだろう」

「ハッ! 何を言うかと思えば! 後悔するわけねーだろ、オレは元からあいつをマフィアのボスにするためにカテキョーしてきたんだ」

「後悔ってのが気に入らないんだったら、罪悪感とでも言い換えるか? おまえ、本当はツナのこと愛してるんだろう?」

「笑えねーぞ」

 温度のない声音で告げ、リボーンはディーノを睨んだ。ぎらぎらとした苛立ちが透けるようなリボーンの瞳にひるむことなく、ディーノはまっすぐにリボーンを睨み返す。


「じゃあ、どうして、ツナとの食事の最中にいきなり別れを切り出したんだ? 試したんだろう? もしも自分が離れると知ったらツナはどんな反応をするかって」

「違う。いろいろ忙しくて言う暇がなかっただけだ」

「ツナは狼狽しただろうな。なんたって突然だ。ろくな引き留め方ができなかっただろう。だいたい、本当に引き留められたくなかったら、どうして黙って姿を消さなかった? 昔のおまえならそうしただろう? 面倒なことが嫌いだもんな。なのにお前は、ツナを試した。自分がツナにとってどれだけ影響を与えているか知ったうえで、ツナの気持ちを試したんだ。――違うか?」


 突然に声を立てて笑ったリボーンは、嘲るようにディーノを見下す。


「嫉妬にかられた男の言葉は妄想たっぷりだな」

「残念だが、おれは大人だから、そんな皮肉にはのらないぜ。リボーン」

 リボーンの顔から笑みが消え、かわりに酷く攻撃的な表情がうかぶ。

「ツナの首の傷だけは、予想外だったんだろう? だからおまえはあの夜、手術室の前にいるとき蒼白だったんだ。あいつが死を選ぶほどだなんて考えてなかったんだろ。おれや獄寺が話しかけてもろくに喋らなかったしな。――リボーン、おまえ、ヤバイことしたんだぞ」

「………………」

「ツナは自傷しておまえを引き留めたって理解してる。おまえが姿を消そうとすれば、また自傷するぞ。ツナがおまえを解放したとして、ツナはおまえがいないことに耐えられなくなれば、自分の意志とは裏腹に、自傷するに決まってる。あいつは強いようで弱いんだ。どうするんだ? おまえは一生、ここで飼い殺しにされてくのか? 伝説のヒットマンともあろう人間が男の愛人だって?」

「黙れ」

 拳銃の銃口がディーノの眉間を向いていた。一瞬の動作で早抜きされた拳銃を手に、リボーンは切れ味の鋭い視線でディーノを射抜く。

「これはオレとツナの問題だ」

「違う。個人の問題じゃない。ボンゴレの問題だ。そして同盟ファミリィであるおれには口を出す権利がある。いったい、どう始末をつけるんだ?」

「オレは囲われた身でね。どうするかなんてご主人様にきかねーとな」

「ご主人様ね。――おまえがそういう態度でツナに接してんなら、俺は許さないよ」

「キャバッローネ。誰がおまえに許しを得るってんだ?」


 せせら笑うように少年が言う。ディーノは拳銃を構えたままの彼を睨み付け、必死に殴りかかりたい衝動を膝の上で両手を強く握ることでこらえた。

「――クソガキが」

「ハッ! なりはこんなだが、オレのが年は上だって忘れてんのか、ボーヤ」

 リボーンは声をたてて笑った、が、表情は固まってしまったかのように、ひどく苛立ったままだった。リボーン自身も綱吉と同じく、現在の状態に神経をすり減らしているのかもしれない。ディーノとの会話でも、ポーカーフェイスで貫き通す彼らしくなく、すぐに苛立ちをあらわにしていた。


 やはりこのままではいけない。

 二人とも駄目になっていくばかりだ。


 ディーノは握り込んでいた拳から力をぬく。相手は元・家庭教師、それでいて今は十代の情緒不安定な時期の少年だ。三十路をこえたディーノが怒りにまかせて怒鳴っても大人げないだけだ。

 意識を切り替えるようにディーノは長くため息をついたあとで口を開く。

「愛人、愛人っていうんなら、愛人としてツナのこと満足させてやれよ」

「こんなガキのなりでか? あいつがおまえにそう言えってか? 稚児趣味なんて実に日本人らしいな」

「ツナが言う訳ないだろ。――おまえ、どんな覚悟でツナが――」


 がたん!と大きな音を立ててテーブルが揺れ、ディーノの方へ動いた。ワイングラスが倒れて割れ、ワインボトルも倒れて転がりテーブルから絨毯へとおちる。

「おい、キャバッローネ」

 テーブルを靴底で踏みつけたまま、リボーンは低く吠える。

「ツナ、ツナと――気安く呼ぶんじゃねぇよ」


 リボーンの周囲に温度の高い青白い炎を見た気がして、ディーノは内心でため息をつく。これだけの執着心を抱えたままで、よく今まで周囲に知られることがなかったのか疑問である。綱吉の告白によってリボーンも影響を受けて変化しつつあるのかもしれなかった。殺伐としたヒットマンが人間らしく嫉妬をする様をしばらく眺めていると、彼はテーブルから足をおろし、銃を構えていた腕もおろした。おそらくは、つまらないことで激高してしまった自分を悔いたのかもしれなかった。

 正直に愛を告白した綱吉に真摯に向き合わずにリボーンは逃げた。リボーンが何も告げず、綱吉の気持ちばかりを欲しがったせいで、現在の状況が招かれている。打破するにはリボーン自身がもっと変わらなくてはいけない。リボーンが綱吉を欲しがりさえすれば、彼らを取り巻く状況が変わらないにせよ、きっと彼らの世界が変革することは間違いない。

「数日中にツナは決断するってさ。どう、決断するんだろうな」

 ディーノは立ち上がり、突き放すような視線でリボーンを見据え、出来る限り意地の悪い声を投げつける。

「せいぜい、捨てられないようにすがればいいんじゃねーの、愛人さんよ」

 鼓膜を破るかのような火薬の爆ぜる音と背後でガラスが砕け散る音だけしかディーノは認識できなかった。硝煙があがる拳銃を手に、リボーンは冷徹な目でディーノを睨んでいる。背後を振り返れば、各国の酒の瓶が並べられているサイドボードの扉ガラス割れ、中に置かれていたボトルがひとつ砕け散り、惜しげもなく中身を滴らせている。ディーノは短く口笛を吹く。


「おいおい。いつもの冷静さはどうした? 銃、しまえよ」

「うるせえ。オレの前から消えろ。目障りだ」

「リボーン、おまえさ、――」


 傲慢な態度のリボーンに対して、ディーノが小言を始めようとすると、ふいに廊下を走る音が聞こえてくる。おそらく銃声をきいたロマーリオが駆けつけてくるのだろう。部屋のドアが勢いよく開き、予想通りにロマーリオが慌てた様子で顔を出す。

「ボス!」

「なんだよ、ロマーリオ。さっきの銃声はガキの癇癪だからなんともないって」

 ディーノはへらへらと笑ってロマーリオをなだめようとした。しかし、ロマーリオの次の言葉はディーノが予測していた言葉ではなかった。

「ボンゴレが連れ去られた!」

「は、あ!? 護衛はどうしたんだよ!?」

「隼人と了平がついてたらしいんだが、奴ら複数人の一般人を人質にして、ドン・ボンゴレに投降を要求したらしい。それで、ボンゴレは――」

 ロマーリオの視線がディーノから左へと外れる。思わずディーノも視線を移すと、いつの間にか立ち上がっていたリボーンがディーノの横を通り過ぎるところだった。ボルサリーノを目深にかぶっているため、ディーノからは表情がよみとれない。殺気立っているリボーンに気圧され、ロマーリオが思わずドアから離れる。廊下に出たところでリボーンは室内を振り返った。

「おい、キャバッローネ。これはボンゴレの問題だ。手を出すな」

「しかし、ツナが――」

「ボンゴレの内部反乱にキャバッローネが関わったなんて恥もいいとこだ」

「犯人に検討はついてるのか?」

「オレの情報屋は優秀なんだよ。すぐに見つけてやる」


 リボーンは狂気的に唇だけで笑う。



「ボンゴレを脅かすことがどういう事か教えてやるよ」




 どす黒いと称しても良い雰囲気をまといながら歩き出したリボーンを見送ったディーノは、片手で額をおさえて天上をあおぐ。


「あーあ、ありゃヤベエな」

「一人で乗り込んでってまずいってことか?」

 ロマーリオがディーノに近づく。ディーノは体の力が抜けたかのようにソファに座り込んで肩をすくめる。

「いや、ヤベエのは、さらってった奴らだよ。ありゃあ、そうとう怒り心頭してるぞ。……まあ、半分くらいはオレが怒らせたようなもんだけど。のこのこ連れ去られたツナのことも怒ってるだろうし……、荒れるぞありゃあ」

 ロマーリオがリボーンの歩いていった方向を見る。

「彼の本気か。見てみたいもんだ」

「そりゃあ、俺も見たことないな。でも見ねぇほうがいいぜ」

「なぜ? 伝説のヒットマンの本気なんてさぞかし――」

「そんなもん見たら、自信なくしちまって、マフィアなんてやめるって言い出すぜ」
 笑うディーノを見て、ロマーリオは少し怪訝そうにする。

「ボス、ボンゴレが心配じゃないのか?」

「リボーンがあの様子ならすぐに片づくさ。さっきはちょっと動揺したが、まあ、ツナもドン・ボンゴレなわけだし。そういや、獄寺と了平は? 怪我とかしてねーの?」

「強力な催涙スプレーをあびたらしく、病院に。視力に別状がないといいんだが」

「じゃあ、残るは雲雀と骸、ランボに山本か。それぞれ仕事で離れた場所にいたとして、駆けつけるのに一時間か二時間はかかるだろう。そのころには終わってるかもなあ」

「ボス。俺たちはどうする?」

「あれだけ言われちゃあ、お家騒動に首つっこむ訳にもいかねーだろ。とりあえず、古参の老人どもに今回の件でも報告に行くよ」

「報告?」


「男の愛人くらいでぎゃーぎゃー言わないほうが身のためだってこと」


 ディーノがわざとらしく声をひそめたことに、ロマーリオは微苦笑をうかべる。両腕を振り上げて伸びをしたあとで、ディーノはソファから立ち上がった。

「ツナとリボーンだぜ? 近距離も遠距離も最強の二人がいてマフィア界を治めるとなれば、イタリアの空の下はある程度平和が保たれる。下手に女の愛人囲うよりもリスクは少ないしな。なんたって伝説のヒットマンを囮にボンゴレのボスを呼び出すなんて出来そうもないだろうよ」

「確かに」

 可笑しそうにロマーリオは呟く。ディーノは部下の相づちをもらえたことで機嫌良く笑う。

「さて。うるせえヒヨドリを黙らせるためには、まずは老齢のヒヨドリからてなずけねーとな。そこで、オレの美貌が役にたつわけよ、なあ、ロマーリオ」

「へいへい。我らがボスは魅力的だぜ」

「そうだろう、そうだろう」

 歩き出したディーノの半歩あとをロマーリオはついてくる。廊下に出て掃除の行き届いた絨毯のうえを歩いて玄関へと向かう。その途中、ふとロマーリオが言った。

「ふられちまいましたね」

「は、急になにを言ってるんだ?」

「ボス、ボンゴレのことも、リボーンさんのことも、愛してたんだろ?」

「あはは、二股するような奴なのか、オレは」

「違うか?」

「うーん。そうだな。まあ、どっちも愛してたよ。けど二人とも、俺と添う人間じゃあなかっただけだ」


 おおげさに肩をすくめてみせたディーノの背を、ロマーリオがかるく叩く。


「落ち込むことはないぜ、ボス。ボスにはきっと良い人がみつかるさ。なんたって俺達のボスなんだからな」

「そうだといいけどなぁ。俺もいい年だしなぁ」

「大丈夫だ、ボスはまだまだ二十代に見えるさ」

「そうか? 俺、まだいけるかな? っていうかさ、あーあ、おっさん同士でなに悲しい話してんだろうな、俺達」

 快活に笑うディーノに惹かれるように、ロマーリオも笑う。三十数年間、愛や恋もいくつも経験してきた。そのどれも素晴らしいものだったし、生きていると感じられる瞬間が何度もあった。綱吉に対する愛もリボーンに対する愛も同じではない。色も温度も形も違う。言葉では説明ができないし、誰かに話して理解してもらいたい訳ではない。

 二人が駄目になっていくことだけは避けたかった。出来るのならば、ディーノ自身の手で幸せにしてやりたいと思ったこともあるが、今となってはその役割はディーノには回ってこない。


 玄関ホールでボンゴレの館で働く執事やメイド達に見送られ、扉をくぐって外へ出る。あたりは暗くなり、玄関から広大な庭園を横切り、外界まで続く道には、転々と丸い外灯が設置され、夜道を照らしていた。

 ディーノが車に近づいてくると、配置されていた部下が車の後部座席のドアを開けた。ディーノは後部座席に乗り込む。ロマーリオも同じく後部座席に乗り込んだ。ドアを閉めた部下は助手席に乗り込み、ようやく車は発進する。
 ディーノが綱吉とリボーンのために裂いた時間に行うはずだった仕事――新しく建てる孤児院についての見積書や土地候補の書類に目を通す――を車内で始める。大ざっぱな見切りだけをつけ、ディーノは書類をすべて封筒に戻してロマーリオへと手渡した。


「さて。愛する二人のために、ちょっくら老人でもたらしこむとするかー。ロマーリオ。会合の準備してくれ。金とか女とかなんでもカードにしていいから、来てもらえるように」

「今夜か?」

「もちろん」


 ロマーリオはスーツの内側に手を入れ、携帯電話を取り出した。ディーノは携帯電話を持ち歩かない。持ち歩いていたころもあったが、部下がディーノから離れてしまうとディーノが持ち前の才覚を発揮できない妙な癖だけは、三十路をこえた今でもぬけず、携帯電話もことごとく使用を誤って破壊してばかりだったので、しまいには持つことをあきらめたのだった。なのでロマーリオが持っている携帯電話は二台あり、そのうち一台にはディーノの仕事関係者や友人たちの電話番号やアドレスが入力されている。

 ロマーリオは電話帳を呼び出しながら、渋い顔で低くうなった。

「そうか。――急なことだからな、相手さんがのってくれればいいが」

「あー、じゃあいいよ。オレが直接電話する。携帯、かして」

 ロマーリオの手から携帯電話を受け取り、最も古参でありながら、今でも影響力の強い人物の名前を電話帳から選び出し、呼び出しを始める。数回のコールのあと、電話がつながる。秘書かまたは愛人か。どちらかは定かではないが、女性は丁寧に応対をして、電話を目的の人物に手渡してくれる。


「もしもし、――ええ、オレです、跳ね馬ですよ、ミスター」


 ディーノは持ち前の魅惑をたっぷりと声音に染みこませる。


「お久しぶりですね、お元気そうでよかった。実はあなたにお会いしたくて、お電話さしあげたんですよ」


 携帯電話のスピーカー越しに聞こえるくぐもったような老人の声を聞きながら、やわらかく微笑む綱吉と不機嫌そうなリボーンの顔を思い浮かべる。それだけでディーノは微笑んで美麗字句をいくらでも言うことができた。