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時刻はすでに零時を過ぎ、外は暗闇に支配されている。
山本とリボーンは、夜陰に紛れながら屋敷の横手にある森林の合間にいた。
屋敷の持ち主はキルベティの知人の名になっていたが、屋敷の本当の持ち主も使用者もキルベティで間違いはなかった。
木の幹に背中を預け、山本は眼下に広がる屋敷の庭を見下ろしている。片手に持っている小さな暗視スコープで除いた庭には、ざっと数えても両手にあまるほどの人員が見張りとして配置されている。
もう一度、山本は手に持っていた暗視スコープで屋敷の玄関辺りを覗き見た。明るく照らし出された玄関では、破顔したキルベティの隣で微笑む『アリス』、そして背後にはコロネロとスカルが立っている。彼等はキルベティに導かれるままに屋敷の中へと姿を消す。
「ツナからは何にも言ってきてねーのに、俺らで動いちまっていいもんなのかね?」
目線からスコープを外し、山本は隣にいるリボーンを見る。彼は被っていたシルクハットをすでにどこかへ置いてきてしまったようで、オールバック気味の黒髪を片手でなでつけながら目を細める。
「だいたい、なんでオレたちが苦労して仕留めようとしてた奴をあいつらに横取りされなきゃならねーんだ。オレたちはオレたちで、仕事を遂行すっぞ。山本」
「はいはい、分かってるって。――バグはちゃんと内部にもぐりこんでんの?」
「ああ。オレ達が動いているのを知って、キルベティにはもうあとがないと思ったんだろうな。犬のように従順でありがてーもんだ。バグには高性能の盗聴器を持たせてある。――それを『アリス』のドレスにつけるようにも命じておいたから、そろそろ――」
そう言ってリボーンはしゃがみ込み、足下近くに置いておいた小型のトランクを両手で開ける。両の手の平にのるくらいの機械を取り出して立ち上がった彼は近くの木の幹に背中を預け、手際よくスイッチを入れアンテナをするすると伸ばす。ラジオのチャンネルを合わせるときのように砂嵐のような音声が続いたが、リボーンがつまみを調節するように動かすと、ふいにはっきりと声音が聞こえるようになる。
『素晴らしいお屋敷ですね』『いえいえ、そんなたいそうなものではありませんよ』『あの絵画、カルロの作品じゃありませんの?』『おお、カルロを知っておられるとは、ミス・アリスは絵画に関しても知識がおありのようですね』『知識とよべるほどのものではありません。たまたま、知っていただけですもの』…………
綱吉とキルベティの会話が機械のスピーカーから流れ始める。少々の雑音を除けば、充分に何を言っているのか分かるくらいだった。山本は短く口笛を吹く。
「へえぇ。すげーなあ」
山本は感心しながら機械からリボーンへと移す。
リボーンはスピーカーから流れる綱吉の声を耳にしたあたりから、困っているような悩んでいるような複雑な表情をし始めた。先ほど、綱吉達に仕事を横取りされることを苛立っていたことなど幻だったかのような有様だった。
山本がじぃっとリボーンの顔を眺めていることに、彼はたっぷりと十数秒ほどかかってから気が付いた。そのことを恥じるようにリボーンは唇を引き結んで、片目を細める。
「なに、見てんだ?」
「――俺にまで思考がだだ漏れだぜ? そんなにせっぱ詰まってるってことか?」
「なんのことだ?」
「ツナのことだ」
動揺しまいと引き結ばれたリボーンの唇が、逆に彼の心に波がたったことを示していた。
山本は彼の動揺に気が付かないふりをして微笑を崩さずにいた。
「おまえは、あいつから何か聞いてんのか?」
「まぁなー。これでもツナの親友だからな。そんで、小僧のことも大切な友人だって思ってんだ」
「……それはありがてーな」
暗がりのなかでリボーンは皮肉ぽく笑う。スピーカーからは綱吉とキルベティが社交辞令の応酬を続けている。まだ踏み込むような段階ではない。
「まだ踏み込むには早いからちょっと話しでもするか」
山本は持っていたスコープをスーツのポケットにしまい、片手を帯刀している刀の柄にのせて口を開く。
「小僧はさ、ツナのこと好き?」
無言のまま、リボーンは山本を睨んできた。
直球はお気に召さないらしい彼のために、山本は乏しい語彙力をしぼって言葉を考えながら話を続ける。
「おまえら二人を見てっとさー、人間の感情って、すっげー複雑なんだなーって俺は思ったよ。どっちもお互いのこと想って行動してんのにそれがちっとも相手に伝わってねぇんだもの。小僧はツナのこと好きだろう? それに間違いはねぇよな?」
「――ああ」
山本の言葉に頷くのが不服そうに顔をしかめつつ、リボーンは小さな声で肯定した。
「あいつのこと、幸せにしてやれる?」
「……あいつがそれを許すんなら、いくらでも」
「うーん。――その台詞がいけねーと俺は思うんだけどな」
リボーンは手元の機械を眺めていた視線を持ち上げる。一点の曇りもない闇色の美しい対の瞳が山本を見た。
「『あいつがそれを許すんなら』なんて、以前の小僧なら言わねーと思うぜ。そう、前の小僧だったら俺の問いかけには『嫌がって泣くほど幸せにしてやる』ってくらい言ってたんじゃねえのかな?」
「……………………」
「ツナもだけど、小僧もさ、――相手にしなくていい遠慮してるせいで、ごちゃごちゃになってるだけなんじゃねーのかな? ……っていうか、俺はツナに黙ってろって言われなかったし、このまま黙っておまえら二人が余計にごちゃごちゃすんのはどうかと思うから――、うーん……、本当は俺がツナの気持ちを代弁しちまうのって、どっちにとっても卑怯かもしんねーけど、駄目だ、俺、黙ってはいられねーや」
山本は幹に背中を預けたまま、リボーンのほうへ顔を向ける。彼もまた、山本の方へ顔を向け、いったい何を話し出すつもりなのか、と不安と苛立ちが混じった眼差しをしていた。何も山本はリボーンに辛い事実を突きつけるわけではない。こんがらがってしまった双方の思いをつなげるために、山本は微笑をして言葉をつむぐ。
「ツナはさ――、小僧のことを本当に好きで、自分の側にいるせいで、おまえが「本来のおまえらしく」なくなってくのが嫌なんだってよ。ツナのために言いたいこともやりたいことも我慢したり、ツナのご機嫌とるために小僧があくせくしてるのが気に入らないんだってさ……、まあ、俺から見てても、微笑ましいくらい小僧、頑張ってたからなー、ツナのために。でもそれが逆に、ツナにとっちゃいらねー遠慮だったんだと思うぜ? いつもの小僧みたいに、有無を言わせない感じでさ、強引にツナのことなんてお構いなしに、振り回すくらいの愛し方でよかったんじゃねーのかなあ?」
「……オレが、オレらしくねーって?」
「そう。俺から見ても、最近の小僧は小僧らしくなかったぜ? そんなに不安がったり心配したりしねーでいいと思うけどな。ツナはさ、小僧のことが好きで好きで好きでたまんなくて、小僧がツナのこと嫌いになれば、以前の小僧に戻るって思って、あんな行動してんだぞ? どうよ? これでも小僧は「あいつが許すなら」とか弱気なこと言うつもりか?」
リボーンは目を伏せてしばらく沈黙を守った。
無機質的な美しさを持つ子供はゆっくりと瞼を持ち上げる。深い黒色の瞳には、もう惑いも迷いもなかった。長いこと囚われていた悪夢から目が覚めたかのように、彼は深呼吸をしたあとで背筋を伸ばし――、笑った。
「山本。てめーの言いたいことは分かった」
自信に満ちた目と、彼らしいシニカルな笑い方を見て、山本は肩の荷が下りたような気がした。山本の目の前にいるリボーンとならば、綱吉は共に歩むことを考えるかもしれない。山本は、綱吉にもリボーンにも、どちらにも不幸にだけはなって欲しくなかった。
「うん。その顔が実に小僧らしい」
片目を細め、リボーンは鼻から息をつく。昔の山本ならば、「よしよし」と言いながらリボーンの頭を撫でくり回したいところだったが、過去、数回に渡って頭を撫でた際に、本気で怒ったリボーンに半分くらい殺されかけたのでやめておいた。いくら脳天気だと言われる山本にも学習能力はある。撫でたい衝動をおさえるために、山本は片手を無意味に動かした。
「あー、……とりあえず、今回のことが終わってか――」
スピーカーから聞こえていた音声が乱れる。キルベティの耳障りな哄笑と陳腐な台詞――、混乱は一瞬、山本の中で静と動のスイッチが切り替わる。
「あんの、阿呆どもが!!」
リボーンは言うが早く、通信機械を放り捨てる。
「山本、待機部隊に連絡をまわせ!」
「小僧は!?」
「先に行く」
言うが早く、リボーンは拳銃を右手に携え、闇が流れる木々の合間に姿を消した。小柄な影はすぐに夜に紛れて見えなくなった。
「姫を助けに騎士が走る――か。こりゃ、お姫様が惚れても仕方ねーかもなあ」
彼が本気になれば、待機部隊など必要はない。
あっという間に事は片づくだろう。
枯れ木や落ち葉にまぎれた通信機器のスピーカーからはキルベティの耳障りな笑い声が響いている。嫌な笑い声だ。山本はしゃがみ込んで通信機器の電源をオフにする。そのあとで、スーツの内ポケットから携帯電話をとりだして、待機部隊へ「突入」の指示を下す。
おそらく到着した彼等の仕事というのは、先攻した殺し屋の後始末くらいしかないだろう。
リボーンから遅れて数分。
「さて。――俺も行きますかー」
山本も彼同様、山の斜面を駆け下り始める。左手を帯刀している刀の柄にのせたまま、飢えた獣のように身を低め、戦闘に興奮していることを隠そうともせずに、獰猛な笑みを浮かべながら、走る、走る、走る。
「俺らのアリスに手を出しておいて、ただですむと思うんじゃねーぞ」
夜の風のなかを走りながら山本は小さく声をたてて笑った。
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