前を行く綱吉の背中を眺めながら、スカルはリボーンの表情を意識の隅に思い出す。先程顔を合わせた彼は、未だかつて無いほどにポーカーフェイスが出来ていなかった。綱吉だけでなく、スカルに応じている際も、いつもならば隠し通せている動揺の兆しがありありと感じ取れるほどに、冷静さを失っている。

 スカルはリボーンのことが苦手だ。いまだにスカルのことをパシリだと言ってはばからないし――無論、言葉通りにパシリにされ続けていたりするのだが――、理不尽で横暴な態度をスカルに押しつけては、微笑してスカルの文句などすべてなぎ払う冷徹な殺し屋だった。

 冷徹な殺し屋。

 そのフレーズが似合う彼ならば、スカルは苦手と思いつつも実力と存在感を認めていた。彼ならばどんな仕事もスマートにこなし、かつ、優雅とさえとれる終わりを相手へ与えるだろう。そういった確信がスカルにはあった。
 しかし、そんな彼がスカルの前を行く、たった一人の男のために「ただの人間」のようになっていて――いや、彼は人間で間違いはないと思われるが――、複雑な思いに胸をつかれたスカルは重々しく溜息をついた。気分は澱んで沈み込むばかりだ。
 次第に足取りはゆっくりなものになり、三歩ほど歩を進めたが、そこで足は止まってしまった。

 スカルが立ち止まった気配を敏感に感じたのか、綱吉はすぐに足を止めて振り返った。

「ん。どうしたの、スカル? 早く行かないと、コロネロが怒ったりしない?」

 綱吉は立ち止まったスカルの目の前まで近づいてきて、首を傾げる。

 スカルの立ち位置からは、綱吉の姿ごしにパーティ会場の出入り口が見えた。あと十歩ほどでパーティ会場が見渡せる位置に立てるだろう。出入り口付近のロビーにはソファセットがいくつか配置されていて、どのテーブルもパーティに参加している客でいっぱいだった。大勢の間で交わされる会話のざわめきが、会場内から聞こえてくるオーケストラの生演奏と混じりながら、天井の高いロビーのなかをゆっくりとたゆたっている。優雅と言うには陳腐な空間だった。


 スカルは綱吉の肩のあたりを見つめながら思った事を口にした。

「――アリスはなに考えてるんだ?」

「なんか、みんなそれを聞くなあ。気になる?」

「オレ、リボーン先輩に八つ当たりされんのは嫌だ」

「だいじょぶ、だいじょぶ。オレが守ってあげるって」

 歌うように言って、綱吉は右目でウィンクをする。
 数時間が経って、ようやく見慣れた化粧をした綱吉の顔を、スカルは胡散臭そうに眺めた。彼はスカルやコロネロにも隠していることがあるだろう。
 女装をした綱吉に会い、様子のおかしいリボーンを見たスカルは、彼らの言動や行動から得た様々な情報と彼らを取り巻いている噂に基づいて、沢田綱吉の思惑をぼんやりと思案する。

 どうして、彼はあんなことを言ったのだろう。
 どうして、彼はあんなことをしたのだろうか。
 彼や彼を突き動かしている感情はどこから来て――、
 どこへ向かおうとしているのだろうか。

 疑問符を見つけると解決したくてたまらなくなる。とはいっても、何でもかんでもというわけではなく、スカル自身が興味をもったものに限られていた。ようは自分勝手に日人の感情の揺らぎ方などを考える事が好きなのだ。
 あまりにも暇な時間があって、どうして獄寺隼人が沢田綱吉に対してあんなにも執着しているのかを考えてみたスカルだったが、――良い意味でも悪い意味でも、あまりにもな結論に達しそうになってしまい、それ以来、獄寺については考えるのをよした。

 結局、興味本位で物事を追い求め暴きたてようとしても、スカルは最後までそれを貫き通せないのだ。知れば知るほど「人間とは恐ろしいなあ」という思いが壁となり、立ち止まってしまう。
 怒り憎しみ嫉み――人間の中身は綺麗なものだけで出来ているものではない。
 人間の醜さから目を背けてしまうのは、己の心の弱さから来るものだとスカル自身も理解しているのだが、生来の性分なのか治るような気配はいっこうに訪れない。

 綱吉とリボーンとの間に流れている『もの』が、どろどろと濁ったものでなければいい。
 スカルはぼんやりと綱吉の肩の辺りを眺めながらそう思った。


 ふと、綱吉が吐息で笑うような仕草をして、かるくあごを引いた。


「スカルはリボーンが心配?」

 スカルは一瞬だけ言葉に詰まってしまった。

「き。――気持ち悪いこと言うなオレはリボーン先輩に八つ当たりされて痛い思いをすんのが嫌なだけで別にリボーン先輩が心配な訳じゃない」

 ほとんど一息で言い切ったスカルが意地になって綱吉を睨みつけると、彼は持ち上げて片手でスカルの頭を撫でた。ぎょっとしてスカルは身体を硬直させる。

「スカルは良い子だね、よしよし」

「子供扱いすんな! 殺すぞ!」

 髪を撫でる綱吉の腕を振り払って、スカルはくしゃくしゃになった髪を片手でなでつけながら小さく絶叫した。本当ならば声をあげたいくらいだったが、周囲の人間の視線がある手前、怒鳴ることは出来なかった。

 ごめんごめん、と笑いながら綱吉は謝る。目の前で笑う綱吉の顔と言葉、いったいどこに謝罪の意図がこめられているのか呆れつつ、スカルは短く息をつく。


「――あんたはリボーン先輩のことが好きなんだろう? でも何らかの理由でリボーン先輩のことを遠ざけようとしてる。当たってるだろ?」


 綱吉は微笑の仮面をかぶったまま、愛らしさを体言するかのように首をかしげた。そんな演技的な動作は、魅惑されないと覚悟を決めてしまえば心など揺るがない。スカルは綱吉のあごの辺りをありったけの威勢を込めて睨んだ。


「策士なめんな。どうせ大方、リボーン先輩がオレやコロネロ先輩が見ても分かるほどにあんたへの愛情で『おかしく』なっちまってんのが我慢ならないんだろ? あんたは自分自身が勝手に作り上げた先輩の『理想像』を先輩におしつけてるだけだ。そんなのはただの自己満足じゃないのか? リボーン先輩だって――、あんだけ才能のある殺し屋だって、所詮は人間なんだ。好きな奴ができれば情けないとこだって出てくるだろ? なんでそんなとこが露見したからって遠ざけようとするんだ? 馬鹿なことをしでかしてるあんたを見限って先輩があんたの側を離れていったって、先輩は歪んでく一方だと思うぞ。あの人はあの人自身が思ってるより執着心があんだ。いまだにオレのこと自分のパシリだって言い張るしな。一度、自分のものだと思ったものを手放せない不器用な人なんだ。このまま、あんたがリボーン先輩の『情けないとこ』が見ていられないからって、こんな喜劇続けるようなら二人とも駄目になるぞ。賭けてもいい。あんたたちは二人とも、お互いを失うと破綻するように『出来上がっちまってる』んだ。――今のあんたは自分が思いついた作戦に上機嫌だろうけど、本当にこれが成功してリボーン先輩があんたに愛想を尽かしてか、もしくは自分自身の情けなさに耐えきれなくなってあんたの側を離れていったら――、あんたはきっと後悔するぞ」

「後悔するってどうして言えるの?」

「相思相愛の状態を自分で打破しておいて後悔しないって思ってるのか?」

 ふぅん、と息をつくように言って、綱吉は感心するように何度か頷いた。

「……スカル。オレのことなのによく分かるんだなぁ」

「策士、なめんな」


 微笑むのをやめ、何かを思案するように視線を横へ向けている綱吉のあごの先辺りを眺めながら、スカルは呻くように言った。


「いらいらするんだ。あんたの回りくどいやり方は。あちこちに見えないように罠をはって獲物が落ちる穴へと追い込んでいく――悪趣味なやり方だ」

 綱吉の視線がスカルを見る。反射的にスカルは綱吉の肩の辺りへと視線を逃がす。くすり、と自嘲気味に綱吉が笑うのがスカルの視界のすみにひっかかる。

「そりゃあ、悪かったね。でも、オレにこういう心理戦を教えてくれたのも、あのカテキョーなんだけど」

「……………………」

「悪いようにはしないよ」

「悪いようにはしない? あのなぁ……、現状はどう考えたって、最悪だと思うんだが?」

 目線を上向かせた一瞬で、今までの己の所行を振り返ったのか、綱吉は「あー……」と声を上げたあと、「それもそうかあ」と言ってくしゃりと顔に苦笑をのせる。


「っていうか、なんだかんだ言うけどさ、スカルってリボーンのこと好きなんだね。ごめんね、おまえの兄貴分をやりこめてて」

「あんなの、兄貴分なんかじゃねえ! いつかオレのパシリにしてやるんだ!」

「はいはい。スカルは良い子だなあ。可愛い可愛い。あとでお菓子買ってあげるからなあ」

「子供扱いすんな! 犯すぞ!」

「あはは、出来ない出来ない。スカルには無理だって。――むしろ、オレがスカルのこと襲ってあげようか?」

 言うが早く、綱吉の両手がスカルの頬をはさむ。人間のてのひらの柔らかさと他人の人肌の温度にスカルは全身に鳥肌がたつ思いだった。

「ひっ、ぃい?」

 微笑んだ綱吉はスカルの顔へ顔を近づけてくる。うっすらと開いた口紅に彩られた唇の合間から、舌がちらりと出て唇を舐める。あまりに艶めかしい仕草にスカルの思考は真っ白になる。

「ぼ、ぼ、ぼん、ご、れぇ!?」

 ほとんど裏返ってしまったスカルの声はなんの抑止力にもならない。鼻先が触れるほどに近づいた綱吉の顔に耐えきれなくなってスカルは目をぎゅっと閉じた。ふにゃり。とした感触が唇の脇にしたかと思うと、すぐに気配が遠ざかっていく。おそるおそる目を開くと、身を離した綱吉がにやにやと笑いながら双眸を細めていた。

「スカルは頭いいんだからもっと語彙使って喋りなよ。犯すぞ、なんて言っちゃいけません!」

 怒りと呆れと焦りと脱力によってスカルはその場で卒倒したいような気持ちになったが――むしろ今の光景をリボーンが見ていたらどうしようという恐怖で意識を手放したかった――、人間は簡単に卒倒できるものではない。おそるおそる指先で綱吉が唇で触れた部分に触れると、微量の口紅が指先に付着する。スカルは羞恥で顔を真っ赤にさせて、手の甲で思い切り口元を拭った。

 スカルが火照ってしまった顔をしかめながら綱吉を見ると、彼は愉快そうに微笑んでいた。何か罵声を浴びせてやろうと考えてはみるものの、動揺しきっている頭では陳腐な台詞しか出てこない。というより、不用意にまたおかしな発言をしてしまえば、彼は問答無用でスカルの口をふさぎにかかるだろう。それだけは避けたい。だが、このまま馬鹿にされからかわれたままでいることは出来ない。スカルにも意地がある。今の綱吉が抱えている弱点といえば当然のことながら「彼」のことに違いはない。

 スカルはにやついたままの顔でいる綱吉を涙目で睨み付ける。

「オレにこんなことするくらいなら、先輩の気持ちをもっと真剣に考えたらどうなんだ?」

「え、いや、……それは、ね……」

「あんただって先輩のこと好きなんだろ? 何をぐずぐずしてるんだよ?」

 うーん、という唸り声をあげ、綱吉はにやにや笑いを引っ込め、困ったように眉を寄せた。

「……結局はさ、オレが我が儘なんだと思うよ。リボーンにはずっと格好いいままでいて欲しいっていう感情が、オレをこんな行動に突き動かしているんだから」

「情けない先輩は嫌なのか?」

「……さあ?」

 肩をすくめる綱吉の態度に、スカルはぽかんとしてしまった。情けないリボーンが嫌だから綱吉はおかしな行動に出たのだと思っていたのだが、その当ては外れたようだ。「じゃあ、どうしてだ」と問うようにスカルが綱吉を眺めていると、彼は保護者と離れた迷子のように困った顔でスカルを見返してきた。

「なんか、分かんなくなってきちゃったんだよね……」

 分からなくなった。
 自分がどうしてこんな事をしているのか分からなくなった。
 
 感情のままに思いついた衝動に任せて行動してしまったのだろう。ドン・ボンゴレとして普段ならば冷静な判断がいくらでも出来るようになっていた綱吉だったのだが、色恋に関してはそうはいかなかったようだ。
 色恋に慣れていない綱吉の突飛な行動に、色恋に長けているリボーンはついていけず、さぞかし混乱しているだろう。そしてまた綱吉の前で醜態をさらしているに違いない。

 悪循環過ぎる。
 スカルは貧血のときのように、くらりと目の前が眩んだ気がした。


「……ボンゴレは頭悪いんだなあ」

「ちょっ、なに、その深刻そうな顔!」

「……どうせ今回のことだって、思いつきだったんだろ? 先輩がボンゴレへの想いを断ち切ってくれれば、もとの格好いい先輩――って言ってもあんたが勝手に言ってるだけで先輩が変わったわけじゃないんだけどな……、まあ、いつもの先輩に戻るって思ってたんだろ? 良いこと思いついた!って思って、それで実行に移してみたら、思った以上に自分自身がダメージを受けてるのに今更……、っていうか、たったいま気が付いたとか――、どんだけ頭悪いんだ、あんた……」

「やっぱり、そうなるのかなあ。あ、えっと、哀れむのはやめてね」

 片手を出してスカルの哀れみの視線を遮った綱吉は、低く唸るようにくぐもった声をもらし――、開き直るように微苦笑をうかべた。

「だって仕方ないじゃない。最高に格好いいリボーンの姿をいちばん近くで見てたオレとしてはさ、いまのあいつじゃ物足りないんだって。横暴で暴言吐きまくりで自分勝手でオレ様で、オレの都合なんておかまいなしの我が儘放題のあいつがいいんだもの。――だからオレはあいつに徹底的に愛想を尽かされたいんだ」

「おいおい。マゾヒストすぎるぞ、あんた」

「うーん。そうは言うけどさぁ。もっとも多感な十代前半から、あいつのサディストっぷりにさらされてたら、そうなると思うんだけど? なんかこう、日常的にののしられてたのに、急にぱたっとそれがやんで優しい言葉とかかけられると、むずむずしない? え、なに? これ、何の前触れ? 世界崩壊の予兆? っていうか、こそばゆいというか恥ずかしいんですけど!?ってな具合にさあ。……っていうか、この気持ち、スカルなら分かってくれると思ったんだけどなあ。ねえ、――パシリのスカルくん」

 聞き慣れた台詞に思わず耐えきれず、スカルは平手で綱吉の腕を叩いた。反射的だったものの、叩いた強さは強くはないのでアザにもならないだろう。

「殴るぞ!」

「殴ってんじゃん」

 綱吉は笑いながら、スカルの頭に手を伸ばして来て、また頭を撫でた。サッと立ち位置ずらし、スカルは綱吉の手から逃れる。その態度に綱吉はますます笑顔を浮かべた。

「あー、スカルはかわいいなー、うち、こない?」

「あんたのしたで働くなんてごめんだ!! そんな役リボーン先輩一人で充分だろっ」

「えー。でもこのままじゃ、リボーンはオレに辟易してボンゴレやめるかもしれないじゃない? そうしたら今、リボーンが立っている位置が空白になるわけだし、スカルならオレ、喜んで契約するんだけどなあ」

「ばっかじゃないのか!? あのなあ、ボンゴレ。よく考えてからものを言え。リボーン先輩の後がまにオレなんて据えたら、絶対に先輩はオレのこと許さないに決まってるだろ。そんなの契約した当日に撃ち殺されるだろうが。オレはまだ自分の寿命を縮めたくはない! だからボンゴレは、いますぐに態度を改めて、リボーン先輩と和解してくれ。そのほうが周りのためだ!」

 人差し指を突きつけてスカルが悲鳴のように声をあげると、綱吉は身体を折り曲げて笑い出したいのをこらえるかのように、右手でお腹をおさえ、左手で口元を隠しながら笑い続ける。リボーンがボンゴレをやめることなど本気で考えているような態度ではない。本当に、真実、今回の騒ぎは『沢田綱吉』一人に誰も彼もが振り回されているに過ぎないのだろう。どっと身体にのしかかってきた疲労感にスカルが顔をしかめて両肩を落とすと、綱吉は双眸を細めて長い黒髪を片手で背中側へはらった。

「あー、ほんと、スカル良い子だなあ。なにか困ったことがあったらオレに言ってね。悪いようにしないから」

「困ったことならあるぞ!」

「うん、なに?」

 にやにやとした笑みを顔にはりつけたままの綱吉の鼻先に指先をつきつけて、スカルは声音をおさえつつも、ありったけの気持ちを込めて叫んだ。


「いますぐそのニヤニヤ笑いをやめろっ