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パーティ会場の壁際のほうへ行くと音楽も人の喧噪も少しだけ遠のいたようだった。料理がのった円形のテーブルも、壁からは五メートルほど離れていて、人の流れもその辺りまでになっている。壁際にはいくつか椅子が置かれていて、グラスを片手に座って談笑している面々もいた。
いくつかある椅子のうち、周囲に誰もいない場所を選んで綱吉はアンティーク調の椅子に座った。彼は姿勢よく座ると、山本が携帯電話で写真を撮るまで「淑女」らしく上品に微笑んでいてくれた。黙って笑っていると、山本の記憶のなかにある彼の母親にそっくりだった。角度をかえたり、距離をかえたりして、数枚の写真を携帯電話におさめた山本は、とても満足した思いをとともに携帯電話をスーツの内側にしまった。
「へっへー、これ、獄寺に自慢してやろーっと」
「あはは、残念! 獄寺くんも同じことしていたよ」
「そっか。じゃあ、あいついまごろそれを待ち受けにしってだろーな」
「そうかもね」
椅子に腰掛けたままの綱吉のすぐ側に山本は立つ。椅子に腰掛けた美少女――というには綱吉の年齢はいきすぎてはいたが――の隣に悠然と立つ己のことを客観的に見ると、まるで騎士みたいだと思って山本はひっそりと得意げな気持ちになった。
「――あ」
小さく声をあげた綱吉は椅子から立ち上がって歩き出す。テーブルから少し離れた人のいない場所を歩いていたのは、カクテルを手にした黒いケープをまとった少年だった。山本は周囲に視線を滑らせ、綱吉に害をもたらすような人間がいないかどうかを一瞬で判断する。特に敵視するべき人間が見あたらなかったので、山本は動くことなく、綱吉を視線で追うだけにとどめた。
「こんばんわ。久しぶりだね」
恐ろしいほどの美少年――美少女といっても間違いではないのかもしれないような性別不明の美しさがあった――は、膝下までの黒いズボンに黒いショートブーツ、そして上半身を覆うような真っ黒なケープをまとい、頭にはななめにハンチングを被っている。そしてハンチングには高価そうな宝石でできたブローチがいくつか輝いていた。そしてケープの襟元にもまるでイミテーションのように大きなエメラルドのブローチが光っていて、モノクロな服装とは裏腹に、きらびやかな印象があった。
「……は……?」
美少年は急に声を掛けられたことに驚いて、ぽかんとしている。そんなことに全くと言っていいほどに構わずに綱吉は嬉しそうに声を上げる。
「どうしたの? マーモン。あ、ヴァリアーの方へも招待状、いってたの?」
美しい顔に疑問を浮かべて、マーモンは綱吉の顔をまじまじと見つめる。おそらくは頭の中で「いったい、どこで会ったかな?」と思い返しているのかもしれない。が、マーモンがいくら考えたところで、目の前の「女性」の名前や職業を思い出すことはない。
綱吉はにやにやと笑うばかりで種明かしはしないつもりのようだった。困ったように視線を彷徨わせたマーモンと、山本の視線が合う。山本が片手を顔の横の辺りでひらひらさせると、マーモンはグラスを持っていた手を少しだけ持ち上げて山本の挨拶に応え――そして、何かを思いついたようにハッとして綱吉の顔をじぃっと見つめた。
「……もしかして、つなよ――」
「今は、アリスなんだよ、わたし」
状況を素早く理解したマーモンは、ふぅん、と面白そうに呟いて、綺麗な色の瞳を細める。
「面白い格好してるね、アリス」
「ありがとう」
「僕たち、代役で参加してたんだけど、こうして君に逢えたから役得になったね」
「僕たち? あと、他に誰が来てるの?」
「呼んでもいい?」
「いいよ」
「そう。なら、捜してくるよ。君がそんな格好をしてるのを独り占めしたのがバレたら、絶対に文句を言うに決まってるからね」
「あ、じゃあ、山本のとこに戻ってるね」
「おーけい」
ケープをひるがえすように向きを変えて、マーモンが人の波に紛れていく。綱吉はそれを見送ったあと、壁に背中を預けて立っている山本のところへ戻ってきて、ドレスの裾をさばきながら椅子に座った。
「あいつも来てたのなー」
「そうだね。ヴァリアーにも招待状、いってたんでしょう」
「一緒に誰が来てるんだろうな」
「うーん。ザンザスではないよね。あいつ、こういう場所嫌いだろうし。それにマーモン、代役だって言っていたしね」
「まぁなあ。いたら、周りがどう扱っていいかわからねぇーだろうなー」
山本の言葉に綱吉はかるく吹き出した。そして慌てて口元を片手で覆い隠し、笑いながら肩を震わせて顔を伏せる。
「つ、っと、違ったな――。アリス、なんかおかしかったか?」
「い、いや……。山本、それ、皮肉で言ってるんじゃあないんだよね?」
「え?」
「ザンザスが、もしもこの場にいたら、周りがどう扱っていいかわからない、ってやつ」
「え。だって、そうじゃね? あの人、愛想笑いとかできねーだろうし、こんな人と上手く談笑して関係築いていくっての、むいてねーんじゃねーのかなぁ?」
ぷは、と息を吐くようにして綱吉は笑い出す。あまりに笑いのツボに入ったのか、綱吉は両手で顔を覆って下を向いてしまった。さらりと長い黒髪が肩からこぼれ、綱吉の横顔すらおおってしまう。
山本は細すぎる彼の肩を見下ろしながら、指先であごのあたりをかいた。綱吉とは長年を共にしてきた。だから、彼がこうやってドレスを身にまとい、化粧をして「女」に化けるという所行を、ただふざけてやっているようには思えなかった。おそらくは黒髪のウィッグや整った化粧、そして高価なドレスにもきっと意味がある。
くくく、と口の中で笑いをかみころしながら、綱吉は両手を顔からはずした。まだ半分くらい笑った顔のままで、綱吉は山本を見上げてくる。いくら化粧に彩られているとはいえ、やはり笑い顔は山本がよく知った沢田綱吉のものだった。
「アリス」
高めのアルトが綱吉の偽名を呼ぶ。
綱吉と山本は声をのした方へ同時に視線を向けた。
真っ黒なケープの裾を揺らしながら、マーモンが近寄ってくる。その半歩ほど後ろに立っていたのはベル――ベルフェゴール――だった。作り物めいた金糸の髪に華奢な作りのティアラをのせ、白いフリルのシャツの襟元を赤いリボンネクタイで飾っている。丈が眺めの三つボタンのブラックスーツが痩せた華奢なシルエットにフィットしていて、まるで一本の棒のようにも見える。
ベルはすでにマーモンからアリスが綱吉であると聞いていたのか、こらえきれない笑みを口元に浮かべながら綱吉のすぐ近くまで歩み寄っていった。
「ワーォ! なんて格好してるの、マイ・プリンセス!」
「あはっ、ベル! 久しぶり、元気そうだね」
「こちら、アリス」
妙にかしこまった態度で、マーモンが綱吉を片手で指し示す。ベルはクスクスと笑いながら右手を上向かせて差し出した。
「ベルフェゴールと申します。お見知りおきを。プリンセス」
綱吉がベルの手に片手をのせると、彼は魅惑的に微笑んだまま綱吉の手の甲にキスを落とす。綱吉が手をひくと、ベルは遠慮なく綱吉の姿を上から下までしげしげと見直して、感心するように溜息をついた。
「ちょー、退屈だと思ってたら、ラッキー。スクアーロに押しつけなくてよかった、そしたら俺、すっげ後悔してたかも」
「ねえ、アリス。写真とってもいい?」
いつの間にか、どこからか取り出した小型のデジカメを片手にマーモンが首をかしげる。その隣でベルが「そりゃー、いいや」とにやにやと笑った。
「あはは、なんか、みんな同じこと言うね」
「ってか、なんでデジカメもってんの?」
疑問に感じた山本がぽつりともらすと、マーモンは美しく整った顔にいやらしい笑みを浮かべる。
「いつなんどき、素敵なネタが落ちてるか分からないからに決まってるじゃない」
「ゆすりネタとかね」
こともなげに言ったベルを睨んでマーモンは声をあげる。
「ベル!」
「写真、とるんでしょう?」
片手でベルに掴みかかろうとしていたマーモンは、綱吉の静かな声音に意識をとられ、動きを止める。些細な争いごと――と呼ぶにはいささか子供じみているが――が始まる前に、釘をさす術を綱吉はよく心得ている。それは、とても切れやすい右腕の彼を始め、一筋縄ではいかない人物が彼の周りには多くいるからだろう。その中に、残念なことに山本も含まれてたりする。
マーモンは短く息をつくと、振り上げていた拳をおろして、「うん、とるよ」と少しだけバツが悪そうに言った。マーモンは手慣れた様子でデジカメを操り、角度を変えたりして綱吉の写真を撮った。途中でベルとカメラの操作を交代したりして、二人は綱吉とのツーショットの写真を各々何枚か撮った。二人が上機嫌でデジカメの画面に映し出される写真についてあれこれと仲良く会話しているのを眺めながら、綱吉は笑っている。
「いいのか? 写真なんて残して」
「いいんじゃない? 記念ってことで」
「……女装の?」
「女装の」
クスっと声を漏らすようにして笑って、綱吉は右手の人差し指を唇に添える。
「こんな馬鹿なことするなんて、一生に一度くらいにしておきたいしね」
「――ツ、」
「ねえ、二人とも、満足した?」
山本の言葉を遮るように、綱吉はマーモンとベルに向かって声をかける。出鼻をくじかれた山本は、自分が何を言おうとしたのかを忘れてしまって、情けなく息を吐き出すしかなかった。
綱吉の問いかけに、マーモンはカメラを片手に構えたままで頷き、ベルはマーモンの肩にしなだれかかるようになりながら、同じように頷いた。
「うん」
「したした」
「それは、よかった」
カメラを持った手をケープの内側に潜ませたマーモンから、ベルが身体を離し、綱吉の前まできて立った。まるでマネキンのような細い体躯のベルがきちんと背筋を伸ばして立つと、痩せすぎていて細長いという印象がぬぐえなくなる。彼の細い身体の内側には、尋常ではない狂気がうずまいているのだが、こうして山本の前にいる今のベルは、年若く野心的な青年にしか見えなかった。己の血を見ると発狂するような人間には決して見えない。
「お二人さんは、なにしてんの? アリスがそんな格好してるってんなら、白ウサギでも追っかけてるってこと?」
「うん。そうゆうこと」
「俺らも手伝おうか?」
ベルがマーモンを見る。マーモンはベルと視線を交わすと、かるく頷いた。
「僕らでいいなら、力をかすけど?」
少女と見まごうほどの美貌の少年と野心が見え隠れする危険な色香を漂わせる青年が、ほんのりと闇の匂いをさせるように微笑む。彼等がいかに着飾り、滑稽な装飾を自身にほどこしていようとも、本質はたったひとつだけ――、彼等は血の一滴すらも暗殺者なのだ。
命令を期待する兵士達を前にして、綱吉は首を振った。
「いや。ヴァリアー部隊のお手をわずらわすまでの仕事ではないよ。ねえ、山本?」
「そうだな。俺と小僧もいるし、あと――他にも人数はそろってるしな」
「んー、そりゃあ残念」
ベルはおおげさなほどに肩をすくめ、残念そうに唇を噛んだ。彼にとって血をみる機会は多ければ多いほうがいいのだろう。ベルほどは血の諍いに興味がないマーモンは、じぃっと大きな瞳で綱吉を見上げていた。綱吉はマーモンの視線に気が付くと、可愛らしく首を傾げるようにして笑った。
「ねえ、アリス」
「うん?」
「写真、ボスに売ってもいい?」
「あはは、いいよ、売れるんなら、売ってみたらいいんじゃないかな?」
「ありがと。このお礼はあとで返すよ」
「あら。マーモンにひとつ貸しってことかしら?」
片手を頬に添えて綱吉が首を傾けると、マーモンはこくりと頷いた。
「そうだね。あとで格安で仕事、請け負ってあげるよ」
綱吉が嬉しそうに「やったぁ」ともらすのを隣で聞きながら、山本はマーモンに声を掛けた。
「――なあ、俺にも写真あとでくれねーかな?」
マーモンは「いいよ」とあっさりと首を縦に振る。山本は思わずにへらと笑ってしまった。携帯で撮った写真よりは、高性能なデジカメの写真のほうが写りが良いはずだ。山本は綱吉に対して、リボーンや獄寺のように倒錯的な感情を持っていないにせよ、綱吉が可愛らしい姿でいる写真を持っていてもいいかな、と考えるくらいには、綱吉のことが好きだった。
山本の発言を聞いた綱吉は苦笑しただけで、文句ひとつも言わないでいた。
マーモンは頭の片隅で写真を売りつける人物を数えているのか、持ち上げた手の指を次々に折り畳んでいく。
「……あとでボンゴレにも売りに行こうかな。山本には特別価格にしてあげる」
「そりゃあ、ありがてーな。でも、ツナはそれでいいのか?」
「うーん。あんまり大っぴらにはよして欲しいな。こっそりとなら、わたしも見ないふりしておくから」
あっけらかんと言い放った綱吉の態度に、感心するようにマーモンが吐息をもらす。
「昔のアリスからは考えられないね、その対応の仕方は」
「だってたかだか写真でしょう? ひどい実害が出るわけでもないし、大人しく組み敷かれるつもりないしね。――わたしが強いの、みなさん、よく知ってるでしょう?」
椅子に姿勢よく座っている綱吉はあごをかるく引いて、山本とベルとマーモンを赤いアイシャドウに彩られた瞳で次々と射抜く。思わず山本は吹き出して、片手で頭をかいた。近くでベルとマーモンも苦笑して目線を交わしていた。
「うーん、強くなったもんだなー、ツナ」
綱吉は片目を閉じてかるく唇を突きだす。山本は彼の頭に手を伸ばして、そっとウィッグのうえから彼の頭を撫でた。ふと、昔の彼はいつでもおどおどとしていて、自分に自信がなくて、何もかもに恐れを抱いていたことが思い出された。彼の変わり様をずっと山本は見てきた。だからよく分かっていることがある。
綱吉が誰の導きと教えと、――絶え間ない愛情によってここまで成長したのかを、山本はよく理解しているつもりだった。
「アリス。手ぇ、貸して」
「うん?」
手のひらを指しだしたベルの手に、綱吉は右手をのせた。するとマーモンも同じように手を差し出す。
「僕にも」
「なに、なに? どうしたの、二人とも?」
両手をヴァリアーの二人にあずけ、綱吉は長いまつげに縁取られた目を瞬かせる。
ベルはニィッと歯を見せるようにして悪戯ぽく笑うと、すくうように握っていた綱吉の手の甲に唇で触れる。
「アリス。君のためになら、僕らはいつだって恐ろしい女王様に刃向かえるんだよ?」
もう片方の手のひらを握っていたマーモンも、ベルと同じように持ち上げた綱吉の手の甲に小さな唇で触れて、艶やかに笑む。
「だからアリス。帰るべきお家が嫌になったら、いつでも僕らを頼るといいよ」
二人は綱吉の手を放すと、まるっきり同じタイミングで身体の前に腕を持っていき、恭しく一礼をした。
「――素敵なトランプ兵さんだこと」
ベルとマーモンにキスをされた両手を膝の上にのせ、上品に綱吉は微笑む。綱吉の思い描く「淑女」らしく仕組まれた装いに、山本は一瞬、彼が彼であることを忘れてしまいそうになった。かるく息を吐いて、山本は目の前にいる黒髪の女性が「沢田綱吉」であるのだと刻みつけるように、彼の横顔をジッと眺めた。
「困ったことがあったら連絡してね、プリンセス」
「じゃーね」
二人は綱吉に手を振って別れを告げると、再びパーティの参加者たちの人並みの中に紛れていってしまった。ベルのティアラとマーモンの黒いケープが見えなくなると、綱吉は少しだけ身体の力を抜いて椅子の背もたれによりかかった。
「疲れたん?」
「すこし、ね……。こんなとこで会ったのも何かの縁だし、せっかくだから、二人にサービスしてみた」
苦笑しながら綱吉は肩からこぼれおちた黒髪を片手で背中へと流す。大輪の薔薇の髪飾りで彩られた彼の横顔を眺めながら、山本は口を開く。
「ツナ。ほんと、慌てることなくなったよなー」
「昔はもっとおどおどしてた?」
「まー、うん。そっかな。でも、ツナはずーっと前から男前だったよな?」
「そう言ってくれるのは、山本だけだよ」
微苦笑をした綱吉は前を向いて、人並みを眺め始めた。数百人近い招待客のなかから綱吉が探し出そうとしている人物について、山本はすぐに予測がついた。
「小僧、烈火のごとく怒ってっぞ」
綱吉はハッとして山本を見上げた。その目に浮かんだ驚きは一瞬で、すぐに後悔するような苦い色が浮かぶ。
「……うん。怒らせてるんだ」
オーケストラの生演奏にかき消されてしまいそうなくらい、綱吉の声音は弱々しく力無かった。
「もう最悪なくらいに怒って、徹底的に呆れて、オレのことなんて捨ててくれりゃいいのになぁ」
「やっぱり、小僧となんかあったのか?」
綱吉は下唇を噛んだあとで、目を伏せてゆっくりと息を吐き出す。そして何かを振り切るようにかすかに首を左右に振った。
「――リボーンに好きだって言われたこと、前に言ったでしょ?」
「ああ、覚えてるぜ。小僧がやけにツナに優しいから、俺が聞き出したんだものな、あの夜のこと。びしょ濡れでツナと小僧が帰ってきた、あのときのことだよな?」
「うん。そう。……オレ、あいつに口説かれて、大事に扱われて、すっごく幸せだったんだ。キスしていちゃいちゃしてるのも楽しかったし――、でもまあ、さすがにベッドインすることはなかったけど」
「あはは、はしたないぜ、お嬢さん」
失礼。
と小さくおどけるように謝罪して、綱吉は首をすくめる。
「山本。オレね、リボーンって将来、絶対にすっごいすっごい人物になると思うんだよね。それだけの才能とかあるしさ、あの容姿だしさ――。中身はどうであれ、あいつは十代だし、まだまだこれから成長してくわけじゃない? それに比べてオレはさ、この年までくるとこれ以上成長することもないし、もう年とるばっかでしょう?」
「んー、つまりツナは小僧が成長すんのに自分が邪魔だとか思ってるってことか?」
「そうそう。そんな感じ。なんだかんだ言っててもオレ、昔っからあいつのこと好きだったりするんだよ。でもまあ、あいつの言ってたような欲情しちゃくらい好きって訳でもなかったんだけどさ、でもこれ以上、本気でオレのこと口説いてるリボーンと向き合ってたら、オレ確実におとされちゃうと思うんだよね……。困ったことに、あいつすごい綺麗な顔してるし、頭良いし、性格は――まあ、うん、多少は問題あるけど、根っこんところは優しいって知ってるし、なんだって出来ちゃうし、格好いいし――」
「べた褒めなのなー」
「……でしょう? なんか、言っててちょっと落ち込んだ。オレ、思いの外、リボーンのこと好きなんだなあ」
短く唸って苦い顔をした綱吉は、意識を切り替えるように目を閉じて――、そして開いた。
「あいつのことがいくら好きでも、オレはあいつの手を放さなきゃ。じゃないと、あいつはオレにいろんな可能性を潰されて生きていくしかないんだもの」
「……なあ、ツナ。どーして、手ぇ放さねぇといけねーの? 小僧はずっとツナといてえって思ってんじゃねーのか?」
「オレはね、オレのことが好きでオレのためにリボーンが情けなくなるのが嫌なんだよ。オレを失うのが怖くていちいち言葉を選んだり、オレの一言でリボーンが動揺したり、オレの強引な腕を振り払えなかったり、オレの我が儘を甘受しちゃったりするリボーンがね、あいつらしくなくって、本当に嫌なんだ。だったらオレがリボーンを弱くしてるんなら離れるしかないじゃない? あいつに甘やかされるのは嬉しいけど、悪魔みたいに冷徹な殺し屋としてあいつのほうがあいつらしくて魅力的だと思うんだよね。――だからさ、徹底的にあいつのこと怒らせて、見限ってもらいたいんだよ、オレのこと」
「それで小僧に失望されたら、ツナ、悲しいんじゃねーのか?」
「そりゃ、悲しいけど……。でも、リボーンが情けないままなよりは、まし。オレが好きなのは、超絶かっこいー殺し屋のリボーンなの、オレに恋してふつーの人間になってるあいつじゃないの」
「ふうん。ツナ、小僧のことベッドインしてもいいくらい好きなのか?」
さらりと言った山本の言葉が理解できなかったのか、ツナはきょとんとした顔で山本を見上げた。そしてすぐに苦笑して、情けなくゆがみかけた目元に片手を添えた。
「直球だなあー」
「野球人ですから」
「あそう」
吐息のような声で相づちをうった彼は、少しだけ考えるように目線を斜め上あたりに向けた。
「そうだね。チャレンジしてみてもいいかな?とは思うくらい、好きだよ。リボーン、ほんと、男のオレからみても綺麗だし、たぶんあいつが欲情した姿なんて見たら興奮すると思うし。あー、男同士だとあれか、どっちかが女役やらないとまずいんだっけ? オレがあいつのこと抱くのは簡単だけど、身体こわしそうだし……、リボーンにオレが抱かれたほうが負担少なさそーだと思わない?」
「ツナ。昔は可愛かったのに」
「あのね、山本。オレだって山本と同じ年なんだからさ、いつまでも初々しい反応してられないでしょ。……まったく、山本といい、獄寺くんといい……、オレはいつまでも年とらないみたいなリアクションするんだから……」
肩を落とすように綱吉が溜息をつく。
山本は何も答えずに、微笑んで綱吉の視線を受け止めた。
綱吉の右手が山本のスーツの袖を掴んだ。迷子の子供が掴むような仕草をして、綱吉は複雑な心境を現すかのように、泣きたいのか笑いたいのかよく分からない中途半端な顔で山本を見上げてくる。
「山本は、リボーンがいなくなったら寂しい?」
「そりゃあ、寂しいなー。俺、小僧んこと弟みたいに思ってたしな」
「……そっか」
「でも、ツナの言い分も分かるからさ。ボスはツナなんだし、おまえがすんごい考えてだした答えなら、俺はなんにも言わねーよ」
「ありがとうね……、山本」
そう言った綱吉の手が、スーツの袖でなく、山本の手を握った。一回りほど小さいが、拳で闘う彼の手はすこしだけごつごつとしている。手だけを見ていると彼が女性でないことはなんとなく察することが出来るのではないか――などと山本がぼんやりと思っていると、肌が痺れるような殺気が突如として生まれる。
一瞬で殺し屋としてのスイッチが入った山本は綱吉の手を強く握って近づいてくる殺気の方へ視線を向ける。と、そこにはシルクハットを被ったリボーンが立っていた。さざめき、動き続けているパーティの人間たちからは隔絶されたように、彼が立っている場所だけ人の流れが避けて通るかのごとく、切り取られているような雰囲気があった。
とっさに山本は目線だけで綱吉を見た。彼はリボーンの殺気に気圧されることなく、真っ直ぐにリボーンを見ている。瞳に怯えはない。かといって卑屈な不敵さがあるわけでもない。静かでいて、それでも決して折れることなどはないという強い強い意志を宿した綱吉の瞳がリボーンを見ていた。綺麗な瞳だった。強い意志の力がある瞳だった。
思わず山本は、沢田綱吉がドン・ボンゴレであることを強く自覚してして、ぞくりとしてしまう。
リボーンは憎々しげに眉をつり上げ、今にも拳銃を抜きそうだったが、銃火気の持ち込みは不可のパーティのせいで、今の彼は拳銃を身につけていない。足音もなく早足で近づいてきたリボーンは、椅子に座ったままの綱吉のボレロの襟元を掴み上げた。綱吉はそれでも恐れることなくリボーンを薔薇色の瞳で見上げている。山本は周囲に視線を巡らせる。少数とはいえ、山本達に注目している人間達がいた。このままでは悪目立ちしてしまう。山本はリボーンの腕を掴んだ。
「――小僧、目立つぞ」
何かに耐えるように顔をしかめ、リボーンは綱吉のボレロから手を放した。山本もリボーンの腕を掴んでいた手を放す。リボーンは山本を見ていない。綱吉を突き刺すように睨みつけている。
「おまえ、いったい何を考えてんだ?」
リボーンの手によって乱されたボレロの襟元を両手で直していた綱吉は、伏せていた視線を持ち上げてリボーンを見た。そして彼は――、
「あなたが考えもしないことを考えているんですよ、帽子屋さん」
少しだけ寂しそうに微笑んだ。
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