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大きすぎるシャンデリアが頭上を飾るダンスホールも、テーブルの上に並べられた豪華なご馳走も、男も女も老いも若きも、存在する全てのもが装飾された場所――、生命すら虚飾にすぎないと思いこんでしまいそうなきらびやかな世界が目の前に広がっている。
愛用しているボルサリーノではなく、身体の大きさに似合った小さめのシルクハットを被ったリボーンは、きっちりとタキシードを着込んでいる。首元の蝶ネクタイの具合を片手でなおしながら、隣の山本武を見上げる。
フォーマルスーツを着た山本は、ヘアワックスで髪の毛を後ろへなでつけ、前髪を上げていた。髪をあげた彼は一見すると普段よりも年若い印象がするのは、やはり日本人だからだろうか。リボーンは年相応よりも子供っぽい表情を浮かべている山本を見て少しだけ息を吐く。
彼は、中央に設けられたスペースで優雅に踊るカップルたちを眺めたり、壁際に配置されたテーブルにのっている様々な料理を眺めたりして、落ち着きがない。元来、彼は陽気な質なので、華やいだ空間にいると騒ぎたくなってそわそわとするのだろう。
何かを期待するような子供の目で、山本はリボーンを見た。
「あー、久しぶりだなー、こういう場所ってのは」
「美味いメシが食えていいだろ?」
「まーなー。これが仕事じゃなきゃ、もっとよかったんだけどなァ」
近くを通り過ぎていったウェイターからカラフルなカクテルが入ったグラスをもらった山本は、アルコールを一口飲んで「美味い」と言って笑う。仕事中に飲酒をしてとリボーンは彼を咎める気はなかった。山本はグラス一杯くらいのアルコールで思考が揺らぐほど酒に弱くはない。三口ほどでグラスを飲み干してしまうと、彼はカラになったグラスをテーブルの端においた。
パーティが始まってすでに三十分が経過している。ほどよく場が温まり、あちこちで談笑するグループが出来、楽団の生演奏と混じり合いながら、人々のざわめきが会場に広がっている。
「そんで、今夜のターゲットは?」
「おまえ、資料の写真見たんじゃねーのか?」
「小僧のがしっかり覚えてっだろ?」
「……あいつだ。あの、赤髪の――」
リボーンは視線で十数メートル離れた壁際で、妙齢の夫婦と愉快そうに話している赤髪の男を指した。ブラックフォーマルを着込んだ胸元にわざとらしく赤い薔薇を添えた男――パオロ・キルベティは、リボーンと山本の視線に気がつくこともなく、美しい女性を二人両脇にはべらせ、品の良さそうな老夫婦と会話している。
「うーん。悪そう!」
「……頭が悪そうな発言は控えた方がいいぞ、山本」
にやっと笑った山本は、なにげなく会場を見回すように視線を巡らせた。途端、ふいに彼の目が驚いたように見開かれる。次に彼は怪訝そうに眉をひそめ、そしてすぐに険しい顔になって息をつめた。
「どうした?」
「――あのさ、小僧。俺、目ェおかしいんかな? あれ、って……」
山本の目線を辿り、リボーンは人混みのなかで見知ったコロネロとスカルの姿を視界にとらえた。彼ら二人に挟まれるようにして立っている黒髪の女性――その顔は遠目で見たとしてもリボーンが見間違えることはない――は、彼に違いなかった。一瞬で体内を巡った感情の熱に負けそうになったリボーンは、手近にあったテーブルに拳を叩きつけたかったが、目立つ行動などしてしまえば、今までの努力がすべて無駄になってしまうとなけなしの理性が働いた。反射的に動きそうになった右腕を震わせ、リボーンは拳を握り込む。
「いや……、おまえの目は正常だ。オレも、信じたくないものが、目に映った」
「おいっ、小僧――」
山本の制止も聞かず、リボーンはゆるやかに動き続けている人々の合間をすり抜けるように足早に進んだ。彼らとの距離はどんどん縮まっていく。黒髪の女はスカルが持っている皿からフォークで料理とつまんで楽しそうにしている。その隣でコロネロが近づいてくるリボーンに気がついて目を見開いた。彼は女の腕に触れ何かを口走る。女は持っていたフォークをスカルが持つ皿のうえに置いて、目の前にきたリボーンを綺麗な薔薇色の瞳で見つめた。
いくらウィッグをかぶろうと、いくら化粧をしようと、カラーコンタクトをしようと、ドレスを身にまとおうと――リボーンには分かる。
鈍いゴールド色のロングドレスをまとって微笑んでいる人間が沢田綱吉だと、リボーンには分かる。
背後で追いついて来た山本が「あー……うーん?」と、あまり現状を理解していないようなうめき声を上げる。リボーンはそんなことに構わずに、綱吉の手首を右手で掴んだ。力を込めると綱吉が眉を寄せて小さく「痛い」と言って顔をしかめた。
「何してやがる」
「――おい、女の手をいきなり掴むなんて、常識がねぇな。ボンゴレさん」
虚勢を張るようににやつきながらスカルが言った。
リボーンはきつく彼を睨む。
「スカル。てめえ、殺されてぇか?」
リボーンの紛れもない殺気に気圧されたようにスカルがびくりとすると、彼をかばうように綱吉は立ち位置を移動した。
「――ボ、……アリス」
背後にかばわれる形になったスカルは綱吉を「アリス」と呼んだ。綱吉はスカルの肩に片手を置いて彼に向かって微笑む。長い黒髪と化粧のせいで、彼は完璧に女性のようだった。
「これは私の一存で決めたことなんだ。彼等を咎めるいわれはないよ」
作られた裏声というよりは、きちんとした女性の声音で彼は言った。おそらくは何らかの機械を使って声色を変えているのだろう。そこまで用意をしているということは、彼はリボーンをからかうためだけに女装をしているわけではないだろう。手首を掴む手にさらに力を込めると、綱吉は唇をわずかに噛んで腕から力をぬいた。
「何が目的だ?」
「あなたと同じものを手に入れようと思って」
「ふざけたこと、言うじゃねえか」
リボーンは力強く息を吐くようにして笑い、綱吉の両脇に立つコロネロとスカルへ視線を向ける。コロネロは悪びれた様子もなく、リボーンの眼光を真っ向から受けて睨み返していた。半分ほど綱吉の身体に隠れたスカルは多少は怯えているものの、必死に取り繕うように涙目でリボーンを睨んでいた。
コロネロは金糸のような髪をワックスでうしろへ流し、きっちりとネクタイをしめていた。見た目だけならば二十歳前後の若者と言っても間違いではなさそうな印象がある。対してスカルは、黒縁の眼鏡をかけて前髪を下ろしているのと、ひょろ長い背丈のせいで、実に貧弱そうだった。コロネロとスカルが並んでいる姿は、髪と目の色から見てみてもまるで陰と陽の対立かのようだった。
「コロネロ、スカル。――おまえら、オレをそんなに怒らせてーのか?」
「オレも、こいつも、正規の依頼として、アリスの護衛っつーこの仕事を請け負ったんだ。別におまえを苛立たせようとしてるわけじゃない。これは仕事だ」
きっぱりと言い切ったコロネロは、乱暴な仕草で綱吉の手からリボーンの手を振り払った。綱吉はコロネロに小さく礼を言って、掴まれていた腕を身体に引き寄せ、もう一方の手で痛む箇所をやんわりとさすった。コロネロは綱吉とリボーンとの間に立つと、挑戦的にリボーンを睨んだ。この場で乱闘騒ぎなどはできない。一瞬で周囲に視線を巡らせると、遠慮がちな奇異の視線がリボーンたちに向けられているのが感じられた。これ以上、面倒を起こすのはまずい。
「へえぇ、やっぱツナなんかー、すげーなー」
リボーンがそんな風に思案していると、ふいに明るい笑い声が背後からもれる。山本武だ。彼はリボーンの横を通り過ぎ、牽制するように動いたコロネロを無視して、綱吉に向かって笑いかけた。
「可愛いなァ、ツナ。携帯電話で写メってもいい?」
綱吉はコロネロと視線を交わす。一瞬の視線のやりとりで二人は通じ合ったようだった。このままリボーンと対峙していると事態は悪化する一方だ。天然なのか、それとも考えた末の行動なのか、山本は綱吉とリボーンを離した方がいいと思ったのだろう。リボーンにも山本武の本当のところは未だに読めないでいる。
コロネロがわずかに頷くのを確認して、綱吉は山本に笑いかけた。
「いいよ。ここじゃあ目立つからあっちへ行こう」
山本が差し出した手に手を重ねて、綱吉はパーティの人混みのなかに紛れていった。スカルは綱吉が食べかけていた皿を近くのテーブルに置いた。そしてそっと一歩ほど後退する。怯えるスカルに変わるようにコロネロが右手をあげてリボーンの視線を引き受けた。
「あんまりカリカリするんじゃねぇよ。てめーらしくもねぇ」
「本当に依頼されてんだろーな?」
「あ、あなたが疑うだろうから、『彼女』からこれを見せろって」
スカルがフォーマルスーツの内側から、四つ折りに畳まれた上等そうな紙を取り出してリボーンの前に差し出した。
リボーンは受け取って紙を開いた。
そこには綱吉の文字で依頼についての概要などがかかれ、綱吉の署名と共にドン・ボンゴレの実印が押印されていた。
「実印つきか。――ハッ、ふざけてやがる!」
苛立ちに任せてリボーンは実印つきの書類をぐしゃりと握りつぶした。本当なら床にたたき付けたいところだったが思いとどまり、シワだらけになった書類をスカルに突きつけた。彼はリボーンの手から書類を受け取ると苦い顔でつぶれた紙をひらいてしわを伸ばしてたたみ直すと、元の通りにスーツの内側にしまった。
「――おまえら、なんかあったのか? コラ」
スカルのジャケットの内側にしまわれた書類を睨んでいたリボーンは、コロネロの言葉に視線だけを動かした。コロネロは何かを疑うような目でリボーンを見ていた。
「綱吉の態度もおかしいが、リボーン、おまえの方がよっぽどおかしいぞ、コラ。――前のおまえなら、たかだか出し抜かれたくらいでそんなに怒ることはなかっただろ?」
「これはオレと山本の仕事だ。あいつの出る幕じゃねえ」
「先輩は、アリスさんが心配なんだろ?」
こともなげにスカルがぽろりと漏らした呟きにリボーンの不機嫌さは急上昇した。図星と言われれば図星であったが、スカルに言い当てられたことで苛立ちは最高潮になる。襟元を掴み上げようとした腕をどうにか振るわせる程度におさえ、リボーンは視線で射殺せればいいのにと思いながらスカルを睨んだ。
「あーん? パシリがなに知ったかぶって話してんだ?」
「うっ、……いや、だって」
リボーンの押し殺した声音に怯えるようにスカルがよろりと後方へ下がる。その背中を片手で押し返し、コロネロはスカルが後退するのを阻止した。呆れるように息を吐いた彼は、スカルの横に立ち、皮肉ぽく唇の片側だけを持ち上げて笑った。
「ここで争い事を起こすのはよそうぜ、コラ。せっかくの機会だ、――アリスとオレたちでアンダーパーティに潜り込んで証拠を押さえてやるから、おまえらはオレらのサポートに回れ」
「ハァン? そんな上手くいくか?」
「さっき、キルベティに挨拶にいったんだが、アリスをやけに気に入ってたから、パーティの招待状は楽に受け取れそうだぜ? おまえのボスがやりてぇって言ってんだ。やらせてやりゃあいいんじゃねぇか?」
おまえのボス――、綱吉はボンゴレのボスであって『リボーンの』ボスではない。
リボーンは己よりも背の高い二人の元・アルコバレーノを睨みつけてうっすらと笑う。
「てめえら、あいつに傷ひとつでもつけやがったら、許さねーからな。覚悟しとけ」
低く吐き捨てたリボーンは、コロネロ達に背を向けて動き続けているホールの群衆の中に紛れるように彼らから離れた。
ダンスホールでは穏やかなワルツが流れて色とりどりのドレスを着た女性がパートナーと踊っている。楽団の上品な生演奏が肌に触れ、そして耳へ流れ込んでくる。
一瞬だけ、ドレス姿の綱吉の姿をまぶたの裏に思い返す。
美しいというよりは愛らしかった。
もっと間近で見ていたかった。
そんな未練を振り切るようにリボーンは天井を見上げる。
大きく豪奢なシャンデリアが天井から下がった絢爛なホール、踊る男女、さざめくように談笑を交わす人々――。
誰もリボーンに触れようともせず、話しかけもしない。
妙な孤独感に胸をつかれ、リボーンは思わず片手でかぶっていたシルクハットを深く頭なおした。
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