「ただいまー」


 陽気に挨拶をしながら、綱吉は執務室のドアを開いた。獄寺がそのあとに続き、骸は最後に部屋に入ってドアをしめた。


「どうだった、ツナ。隼人の反応は?」


「ふふふ、上々だったよ」


「げ、姉貴」


 執務室のソファには二人の女性が座っていた。グラマラスな肢体をカジュアルな装いで飾ったビアンキは、長い髪を頭のうしろでまとめあげ、大きめなアンティークデザインの髪留めでまとめあげていた。その隣でちょこんと座っていたのは長い黒髪を華奢な背中にさらりとながし、シンプルなモノクロのワンピースを着ているクロームだった。彼女は骸と目が合うとわずかにだがとろけるように微笑んだ。骸は彼女の微笑みに応えるように、そっくり同じように微笑みをうかべる。


「獄寺くんにはばれなかったんだけど、骸にはすぐばれちゃったよ」


「……さすが、骸様……」


 まるで自分のことのように得意げに囁いたクロームにむかって骸は片目を閉じてウィンクをした。それだけでクロームは頬を紅潮させて伏せ目がちになる。ドレス姿の綱吉が彼女のようにいじらしい態度をしたところを想像し、骸は一瞬だけ自分自身の愚かさに内心で息を吐く。妄想と現実の崖の間にある谷は深い。そもそも綱吉は見た目がいくら愛らしいといえどマフィアのドンであり、ボンゴレの守護者の誰よりも強い力を秘めているのだ。女性のようにいじらしい彼の姿など、妄想以外で出会えることはない。



「あー、なんか骸のせいで自信なくなっちゃったよ」



 スカートの裾を両手でおさえながら、綱吉はビアンキとクロームの間に座った。



「大丈夫よ。ツナ。六道骸は例外よ。あれはおかしいから」



「おやおや、聞き捨てならないですね」



「あら。――あなた、自分が普通の人間だと思っているの?」



 挑戦的なビアンキの視線を骸は真っ向から受ける。クロームはおろおろとビアンキと骸へ視線を送ってくるが、綱吉はいっこうに止める気配はない。昔の彼ならば「ふっ、二人とも喧嘩はっ」などといって焦っただろうが、いまの彼には会話にひそむ本気と戯れの区別くらいはつくらしい。


 骸が肩をすくめると、ビアンキは興味をなくしたかのようにそれ以上はつっこんではこなかった。壁際に経ったままの獄寺を見て「座らないの?」とビアンキが問いかけたが、彼はかたくなに唇を引き結んで首を左右に振った。


 苦い表情を浮かべている獄寺はドアの付近に立ち、ソファには近づこうとはしない。昔の彼から比べれば姉のビアンキに対する態度はずいぶんとマシになってきてはいたものの、苦手なものは苦手なままようだった。特に獄寺に遠慮するつもりがなかった骸は、二人の女性と綱吉が座っているソファの向かい側に座った。テーブルのうえにはたくさんのメイク道具やアクセサリーなどが広げられ、きらびやかな彩りに満ちていた。



「ツナ。手を出して。つけ爪をしてあげる」



「わ。ありがと。ビアンキ」



「私、お茶をいただいてくるわ」



「あ、ごめんね、ありがとう、クローム」



 ソファから立ち上がったクロームは、室内の人間たちに一礼をしてから、獄寺が開いたドアから廊下へ出ていった。ドアを閉めた獄寺は相変わらず番人のようにドアの横に立ったままで、応接セットに座る面々を眺めている。


「さて。じゃあ、どうしようかな? 骸からの報告は、なに?」


 ビアンキに片手を預けたまま、綱吉は骸を見た。正面から眺めてみても、一見して彼が男性であることを見抜くのは難しいくらいに、彼の女装は徹底していた。もとから男性的でなく中世的で、なおかつ日本人特有の幼い顔立ちが相まって、年齢すら若く見えるような効果もあるようだった。


 もしも沢田綱吉が女性だったのなら、骸はおそらくは興味を持った時点で無理矢理に犯して徹底的に隷属させたに違いない。マフィアのなかでも由緒正しき血筋の娘を犯して子を産ませ、その子の手によってマフィアすべて殲滅させることができたら、骸はさぞかし歓喜したことだろう。


 しかしそれは絵空事にすぎない。


 目の前で微笑む沢田綱吉は紛れもなく男性で、そして六道骸が差し違えようと思っても殺せるかどうか分からないくらいの、――強大な力を秘めた人間なのだ。



「……なんだよ、そんなに見つめて。惚れそう?」



 クスッと皮肉っぽく笑って、綱吉は片目をつむる。



「ええ。惚れそうですね」



「ははは。でも駄目だよ。オレはおまえには捕まってやれないもの。――さ、報告して」



 あっさりと骸の告白を流して綱吉は唇を笑みの形にする。
 骸は小さく笑ったあとで、ソファにもたれて両腕を組んだ。



「僕の報告は書類提出で充分に済みますから、彼を優先してください」



「てめえ、だったらなんでわざわざ執務室にきてんだ」



 骸に視線で示された獄寺は、眉をひそめて苛立ったように声をあげた。



「綱吉くんに会いたかったからです」



「――果てろッ」



「執務室では喧嘩禁止」



 綱吉の静かでいて凄みのある声音にダイナマイトを求めて動いた獄寺の腕が止まる。不穏な表情などいっさい見せず、うすく笑ったままで綱吉は獄寺と骸を見た。刹那的にかいま見える綱吉の統率者としての表情は、彼のかつての家庭教師たる殺し屋の少年とよく似通っている。



「それじゃあ、骸の報告はいいとして。――獄寺くんは、あれだよね、守護者たちの週間スケジュールに関する打ち合わせでよかったっけ?」



「はい」



「じゃあ、始めようか」



 獄寺は綱吉の隣に位置するビアンキを気にしているように視線をそわそわと動かしていたが、綱吉が仕事にとりかかる体勢をとったので、仕方なく壁際からソファまで彼は移動してきた。


 綱吉側に近い、二人がけのソファに座り――骸から見れば右に位置するソファだ――、獄寺は鞄のなかからノートパソコンを取り出した。パソコンを起動させた彼は、しばらく無言のままでキーボードを叩いていたが、ふいに手を止めて骸を見た。


 おそらくは「おまえはもう用事が済んだから出ていけ」という彼なりの意思表示だったのだろうが、骸は出ていくつもりなど微塵もなかったので、にっこりと笑みを返しておいた。頬を引きつらせた獄寺は何か暴言のようなものを吐こうと息を吸ったが、綱吉が「獄寺くん?」と、くぎを差すように彼の名を呼んだので、聞き苦しい暴言は獄寺の口の中で消えていった。


 獄寺は短い咳払いをしてから、気を取り直すように息を吸って、綱吉を見た。



「では、来週からの守護者たちへの仕事の割り振りですが――」



 獄寺はパソコンの画面を見たり、キーを操作したりして、次々に各自の予定や仕事の進捗状態を綱吉に報告していく。守護者のスケジュールなど興味のない骸は獄寺と綱吉の会話を聞き流しながら、ソファで足を組む。そして目の前の綱吉を眺めた。


 黒い髪は艶やかなストレートで、クロームとよく似た髪型をしている。艶やかな赤い薔薇の髪飾りを添えた左耳だけをあらわにし、右耳は長い黒髪によっておおわれている。露出した左耳には大粒の真珠のイヤリングが揺れていた。

 元から男性的な顔立ちをしていない綱吉だからこそ――ヒゲだってうすくしか生えないのだと彼は自分自身のことを笑って話すことがあった――、顔立ちを惑わす化粧だけでも化けることができたのだろう。背丈も背の高い女性だと言われればそう見えるし、彼はあちこちが細く、骨格自体も華奢なせいと、一見して男性的な身体的特徴がうすいことも変装するにはうってつけなのかもしれなかった

 もしも骸や獄寺がドレスを着ていくら化粧をしようとも、男性の骨格がありありと分かる身体のラインのせいで、気色が悪いことになることは目に見えている。

 骸は目の前に座る綱吉の横顔を眺めている。

 どんなに美しく化けようとも、その中身が『沢田綱吉』だということを骸は絶対に見抜けるだろうと思った。骸が惹かれているのは、沢田綱吉という存在であり、彼の外面的な魅力とは関係がない。しかし、まったく興味がない訳でもない。麗しい見目を得た綱吉を組み敷いて、嫌がる様を眺めてみたいとも思う。倒錯的な思考を巡らせていた骸と綱吉の視線が一瞬だけかち合う。彼は骸の考えなどお見通しだと言わんばかりに、挑戦的に唇だけで笑む。勝ち気で余裕のある彼の表情は、ここ数年でよく目撃するようになった。幼いころの、涙目の彼や、おどおどと落ち着かない様子で骸を見つめてくる悲惨なほどに愛らしい彼の姿がふわりと幻想のように思い出される。彼は見事なまでに成長をした。そもそも、あの伝説の殺し屋が家庭教師をしたのだから、優秀で非の打ち所のない人間になっていなければおかしいはずだ。出会ってから現在までのあいだで、何度彼の身体を奪うチャンスがあっただろうかと骸がぼんやりと考えだし、――右手の指をひとつずつ畳んでいくうちに、獄寺と綱吉の会話の応酬は終盤を迎えていた。


 滞りなくスケジュールの調整が終わると、獄寺はパソコンを閉じて鞄のなかにしまった。ビアンキは綱吉の左手の小指に付け爪をつけるために少しうつむいて作業をしている。女性としては少々背丈のあるビアンキと女装をした綱吉が並んでいると、姉妹といえないまでも、同世代の女性の二人組のように見える。随分と華やかな構図だと骸が満足げに眺めていると、右側からわざとらしい咳払いが聞こえてくる。目をやらないでも獄寺が顔をしかめて骸を睨んでいることは容易に想像が出来た。

 骸の視線に今更気がついたように――見つめていることなど最初から分かっていたというのに――、綱吉は双眸を細めて「どうかしたの?」と穏やかに囁いた。



「まだ理由を聞いていませんでした。綱吉くんは、どうしてそんな格好を?」



「うーん。スパイごっこ?」



「「ごっこ?」」



 不本意にも骸は獄寺と同じタイミングで同じ言葉を吐いてしまった。互いに一瞬だけ視線を合わせ、骸は皮肉そうに笑み、獄寺は苦々しい顔で舌打ちした。


 綱吉は付け爪を終えた両手を目の前にかざしながら、ビアンキに「ありがとう!」と笑顔でお礼を言った。ビアンキは微笑んでテーブルのうえに散らばっていたメイク道具などをてきぱきとメイクボックスに戻し始める。


 そこでようやく、骸と獄寺が綱吉の言葉の先を待っているのに気がついて、綱吉はかざしたままだった両手をドレスのスカートのうえに行儀よくおいて姿勢を正した。それは頭の良い彼がどうすれば淑女に見えるのかと考えた末の行動のようだった。


 そっと右隣のソファに座る獄寺を横目で伺ってみれば、彼はいまにも跪いて祈りだしそうな敬虔な眼差しで綱吉を見ている。


 美しいというにはいささか愛らしすぎる容貌、頼りなげにみえる顔立ち、弱さと強さを秘めた内面、触れればおそらく消し炭にされてしまうのは相手の方、狂い咲いた業火の華――。


 男でもなく女でもない。
 いまの彼の有様は魔性そのものだった。


 綱吉は姿勢よく座って落ち着いた様子で話し出した。



「キルベティってファミイリィが秘密裏に行ってるアンダーパーティがあってね。そこで若い少年少女を金でやりとりしてるみたいだから、証拠をおさえて警察にプレゼントしてやろうかなあって思ってね」



「キルベティですか……。ああ、――あの人身売買に一枚かんでいる組織ですか」



 骸の言葉に綱吉の片目がわざとらしく細められ、長いまつげが魅力的にふわりと動く。



「やっぱりおまえ、知ってたんだ。どうしてオレに教えてくれなかったの?」



「僕、聞かれないことには答えるつもりないので」



「おまえって、ほんとヤな奴だなあ」



「ありがとうございます」



 骸と綱吉が笑顔のままで視線を交わしている中、獄寺が遠慮がちに――遠慮しているのは骸にではなく綱吉だけに対してだろうが――「あのう」と声を上げる。ビアンキはボンゴレの仕事を関知していても、口を挟む地位にはいない。黙ってソファに座っている。



「その案件は、リボーンさんと山本が受け持っているはずでは?」



「んー。そうなんだけどね、最近、デスクワークばっかりだから、オレも参戦しようかなあって思ってね」



「ですが……。お言葉ながら十代目、わざわざ自ら危険な場所へ行くのは――」



 不安そうな顔のままで獄寺が呼吸を止める。刹那、ソファから立ち上がった彼はテーブルに両手をついて綱吉に迫った。



「十代目がそんな格好ってことは、エッ、エスコート役は誰なんですか!?」



「んー、金髪の美少年と薄幸そうな黒髪の少年かな?」



「は?」



 ぽかんとする獄寺をよそに、骸はだいたいの予想がついた。綱吉の急な予定の変更のために、彼が他の守護者の予定を無理矢理に変えることはない。ということは外部の――それもかなり信頼できる人間の時間を金で買ったのだろうと思い当たる。

 金髪の美少年と薄幸そうな黒髪の少年――、まだ少年と呼べる年齢でありながら、ドン・ボンゴレの信頼が厚い人間など限られている。



「とりあえず、ボディーガードとしては最高だから、心配しないで。――それにさ、オレもたまに前線に出ないと、現状把握できないし……。獄寺くんが心配するようなことにはならないよう、充分に気をつけるから――」



 優しく言って、綱吉はふんわりと微笑んだ。遠い昔、彼の母親と会ったときのことを骸はまざまざと思い出した。沢田奈々を思いだしてみると、現在目の前にいる綱吉とうり二つだった。骸がしげしげと獄寺を見つめている綱吉の横顔を眺めていると、視界の右側に何かに打ち震えるように獄寺が肩を振るわせているのが見えた。今にも両手を組んで跪きそうな獄寺の様子に骸はあきれ果てるしかない。


「綱吉くん、綱吉くん」


 骸は遠慮などせずに獄寺を指さして言った。


「いまにも跪いて祈りそうな人がいるんで、あんまり微笑まないほうがいいですよ」


 骸の皮肉すら聞こえないのか、獄寺は綱吉を見つめて動かない。綱吉は右手で口元を隠すようにしてクスクスと笑う。無邪気な少女のような仕草すら、おそらくは綱吉の計算どおりに見えるための装いにすぎない。



「――うーん、なんだかちょっと、自信ついてきたなあ……」



 呆れた骸が息をつくのと、獄寺が両手を胸の前で組むのと、綱吉がドアへ視線を向けたのはほぼ同時だった。


 大人しそうなノックのあとで、執務室のドアが開いた。ティーセットがのった大きな銀のトレイを両手にもったクロームが入室し、ドアを開けた人物とその隣の人物とを紹介するようにドアの横に立った。



「ボス。お客様がいらしたわ」



「ありがと、クローム」



 ソファのうえでクロームに向かって微笑んだ綱吉を見て、ドアノブを握っていた黒髪の少年は口を開いたまま大きく目を見開き、その背後に立っていた金髪の少年は「あぁん?」とガラの悪そうなうめき声をあげた。


 綱吉はソファに姿勢よく座って、驚いている二人の少年達の反応を見定めている。美しいというよりは愛らしい容貌に微笑をたたえ、わずかにあごを引く。さらりと細い肩から黒髪が幾筋かこぼれおちる。


 クロームは静かにソファに近づいてくると、それぞれの人間の前にカップをおいていった。骸が座っている三人がけのソファの前にひとつと、誰も座っていない二人がけのソファの前にもうひとつ、カップが置かれる。おそらくは来客である二人のための紅茶なんだろう。


 クロームが紅茶を配り終える数十秒のあいだ、奇妙な沈黙を味わったあとで金髪の少年――コロネロは、ドアノブを握ったままでほうけていたスカルの頭を平手で叩いた。頭を押さえて不服そうにスカルが声を上げる前に、コロネロがきつい目線でスカルに入室をうながす。スカルはしかたなく部屋に足を踏み入れ、コロネロも部屋に入ってドアをしめた。


 コロネロは軍用ジャンパーに迷彩柄のズボンに身をつつみ、スカルはいつものライダージャケットではなく、カジュアルな装いだった。ラフな服装から見て、おそらくは二人ともボンゴレからの迎えの車に乗って屋敷に訪れたのかも知れない。



「……綱吉、か?」
「ボンゴレ、か?」


 二人が重なるように言って、互いに言っていることが信じられないかのように目配せをする。綱吉は片手で肩からこぼれおちた長い黒髪を背中にはらって、片目を細める。


「どう? 惚れそう?」


 コロネロは大股で綱吉が座っているソファまで近づいていってまじまじと綱吉を眺め回した。途端、大げさなほどに息をついて、空いていた二人がけのソファに腰をおろした。スカルは信じられないようなものを見る目で綱吉を見ながら、静かに骸が座っていたソファの端へ腰を下ろした。


 クロームは綱吉の隣に座り、紅茶のカップを両手で持って事の成り行きを静かに見守っていた。綱吉をはさんで反対側に座っているビアンキは、紅茶を飲みながら、クロームが運んできたガラスの器に並べられているチョコレートを味わっている。


 ソファにどっかりと座ったコロネロは、はっきりと顔をしかめて首を左右に振った。



「オレはいま、激しい落胆を感じたぞ、コラ」



「なんだよ、ノリ悪いなあ」



「一緒にパーティに参加しろっていうのは、そういう意味だったんだ」


 スカルが独り言のように言って苦笑いを浮かべる。



「ちゃんと正装、用意してくれた?」



「金で時間を買われてんだ、依頼は完遂するぜ、コラ」



「オレも仕事はきちんとする」



「よしよし。これで準備はオッケーって感じ」


 一人で納得するように言って綱吉はソファを立ち上がった。短く詫びの言葉を言って、ビアンキの前を通り過ぎた綱吉は、ソファに座るコロネロの背後に立って、彼の顔の近くに顔を寄せるように身をかがめる。コロネロは急に綱吉の顔が近づいたせいでビクッと身体を震わせたが、慌てて驚いたことを隠すようにおかしな咳払いをした。



「どうどう? お似合いじゃない?」


 コロネロは、リボーンやスカルと比べれば数歳年上かと思われるほどに容姿的には成長している。四歳ほどの差があるランボと並んでも大差ないくらいだ。おそらくはアルコバレーノであったころから身体を鍛えていたせいなのかもしれない。身長も綱吉と並んでも大差ないくらい高い。


 綱吉に腕を引かれて、コロネロはソファから立ち上がらされた。綱吉がコロネロの腕に腕をからめて、にっこりと笑う。コロネロは居心地が悪そうにちらちらと綱吉を横目に見ていたが、腕をむげに振り払うような真似はしなかった。


 スカルは状況に驚きすぎてしまっているのか、それとも逆にいったいこれから自分は何をやらされるのか、といった不安にみまわれているのか、瞬き少なく綱吉を眺めているばかりで、何の反応もない。

 とりあえず、何か良いコメントを言って綱吉のご機嫌をとろうと思った骸は、好意的に微笑んで頷いてみた。


「可愛らしいカップルですねえ」



「そう? そう? うわあ、お似合いだって、オレ達!」


「――ッ、勝手にやってろッ!」


 無意味に綱吉に顔を近づけられて、コロネロは朱に染まった顔をしかめて綱吉の手から腕を抜いてよろめくように距離を置いた。コロネロの照れっぷりに満足したかのように綱吉は指先をそろえた右手を口元に添えて微笑む。


「ツナ」


「うん?」


 ビアンキが大きなコスメボックスを片手に提げ、ソファを立ち上がった。彼女のために用意された紅茶はきれいに飲み干され、折り畳まれたチョコレートの包み紙が二枚ほどソーサーにそえられていた。


「私はこれで失礼するわ。時間が経ったら、教えたとおりに化粧直しするのよ? そのポーチに必要なものは入ってるから」


「あ、うん。分かった。急に呼び出したのに来てくれて本当に助かったよ。ありがとうね。ビアンキ! 今度、一緒にブティックに行こうね、何かプレゼントするよ」


「あらそう? じゃあ、楽しみにしているわ」


 女性手特有の艶やかさを秘めた微笑を浮かべたビアンキは綱吉に近づいていくと、そのすべらかな頬にかるいキスをおとした。くすぐったそうに首をすくめた綱吉は、おかえしにビアンキの額にキスをおとす。ビアンキは双眸を細めて笑むと部屋を出ていった。


「じゃあ、ボス……。私も失礼するわ」


 音もなくソファから立ち上がったクロームも、綱吉の側に近寄っていく。綱吉はクロームと向き合うように立った。


「クロームも休憩中だったのに長々とつきあわせちゃってごめんね。このあとの予定は――」


「○○地区の孤児院の視察に行って来るわ。犬が一緒」


「そう。気をつけてね」


 クロームは微笑をして、彼の頬へ唇で触れる。綱吉は動揺することもなく、クロームのキスを受け入れ、答えるようにクロームの頬へキスを返す。そして彼はクロームの頭を右手で優しく撫でた。クロームは少しばかりうっとりとした視線を綱吉へ向けたあと、彼へ一礼し、ドアの辺りで室内を振り返って、再び深く一礼をしてから去っていった。


 綱吉の女性に対する応じ方を眺めていた人間たちが思うことは一つだ。


 女性と会話をすることすらまともにできなかった『あの彼』が、まるで映画のなかの俳優のように女性と接することが出来るようになったとは――という感慨にも似た感情だ。


 美しい二人の女性を見送った綱吉は、背筋を伸ばしてコロネロが座るソファの横に立つと、ソファに座っている面々へと視線を巡らせる。



「十代目、本当に今夜……」


 獄寺が小さな声で呻くように呟く。
 綱吉は淡く笑って息を吐く。


「そんな顔しないで。獄寺くん。オレが強いの、獄寺くんだって知ってるでしょう? それにコロネロとスカルがいるし、山本とリボーンだっているんだもの。ちゃんと怪我なんてせずに帰ってくるからさ。――だから獄寺くんは獄寺くんの仕事を、骸は骸の仕事をちゃんとしてね?」



 綱吉が淡く赤く色づいたまつげを振るわせて骸を見た。骸はおおげさなくらいに溜息をついて、両の手のひらを上へ向けて広げ、肩をすくめる。



「おやおや、僕までもが、あなたの心配をしているなんて、自信過剰ですね。綱吉くん」



「骸はオレのことが嫌い?」



 唐突な質問に骸は両腕を広げたままで固まってしまう。綱吉は唇だけを笑みのかたちにして、面白がるように骸の顔をじっくりと見つめてくる。



「聞かれたことには、答えるんだろ? 答えてみてよ。ねえ、骸はオレのことが、嫌い?」



 イタズラっぽく笑って、綱吉は右手をわずかに膨らんだ胸元に添える。



「……そうですね、聞かれたことには答えましょうか……」



 骸は思わず苦笑して、綱吉と同じく右手を胸元に添えた。



「嫌いではありませんよ。我が主」



「……なんの茶番だ、こりゃあ……」


 骸と綱吉のやりとりと眺めていたコロネロが心底呆れた表情で骸と綱吉を交互に見た。



「――本当に、あんたはイイ具合に育ったな、ボンゴレ」



 スカルが呆れたように言うと、綱吉は短く声をたてて笑った。



「家庭教師がよかったからじゃないの?」



「その、家庭教師様は、当然このこと知ってんだろうな、コラ!」



「ん、いや」



「……は?」

「え」

「……あん?」

「……えぇ?」



 右手の人差し指を唇に添え、綱吉は愛らしさを体現するかのように、ふんわりと笑んだ。



「内緒なんだ。だから、コロネロとスカルは、オレと一緒に今から別邸に行くんだよ。あいつにはパーティ会場に潜入するまでばれちゃまずいんだから」



 内緒なんだ。

 あの殺し屋に内密に行動をしたら、いくら綱吉といえど、無事にすむはずはない。


 獄寺は言葉をなくして顔を青くさせている。彼には綱吉の行動を止めるだけの意思などもっていない。スカルは絶句して動かない。コロネロは未来にさした影の濃さに目眩を感じたかのように下を向いて長々と息を吐き出していた。


 骸は仕方なく、引きつった笑い顔を綱吉に向けて、精一杯の忠告を口にする。


「……綱吉くん」


「うん?」


「殺されますよ」


「うーん?」


「おまえ、いったい、何考えてんだ……、コラ」



 この先に待つ不安要素の多さに疲弊したかのようにコロネロが低く呟いた。



 綱吉は黙ったままニコニコと笑うばかりで、なにも答えなかった。