廊下を大股に進んでいくリボーンのあとを早足で追いかけていき、階段を降りようとした彼の背中に獄寺は声をかけた。



「――例の件はどうしますか?」



 立ち止まった彼はてすりに手をおいたまま、思わせぶりなほどにゆっくりと獄寺の方へ顔を向ける。階段を一段下がった場所で体の向きを変え、リボーンは階段上に立つ獄寺をしたから睨み上げた。



「ついてきやがったのか」



「十代目に報告する前に、妙な具合になってしまいましたから」


 つい、口に出てしまった皮肉を獄寺は失敗したと思ったが、覚悟していたように銃声が鳴り響くことはなかった。リボーンは片方の口角をあげて息をついただけで、何も言わなかった。



「聞いても良いですか?」



「駄目だ」



 拒絶の言葉に獄寺は少しだけ肩をすくめた。


 彼の不機嫌の理由はおそらく二つ。


 ひとつは、執務室に向かうまでに獄寺としていた襲撃計画についてのことで、たとえ綱吉に襲撃の許可を請うたとしても、おそらくは却下されてしまうことへの苛立ち。

 ふたつめは、――これは獄寺の予測でしかないが――綱吉の肌にランボが触れていたことへの嫉妬だと思われる。


 獄寺の目の前にいる、まだ身長が獄寺の胸元あたりまでしかない彼が、ドン・ボンゴレの愛人だということは、守護者と一部の人間しかしらない事実だった。それまで何事においても完璧だと思っていたリボーンだったのだが、骸に言わせれば「綱吉くんに関することになると、それこそ、年相応のただの少年になりさがってしまうんですよ」ということらしい。獄寺は半信半疑だったのだが、まさか目の前でその現象が起こるとは思ってはおらず、思いがけず微笑ましいような気持ちになっていた。

 リボーンも人間なのだと。

 妙な感慨のようなものが胸にこみ上げてきて――結局は獄寺も赤ん坊から少年へと成長してきたリボーンを見ているので弟のような気持ちになることがあったりもするのだ――、獄寺は微笑みそうになる顔を厳しいものへと保ちながら、口を開く。



「では、勝手に喋ることにします」


 リボーンはてすりに背中をよりかからせ、獄寺に喋るように視線で促す。


「リボーンさんの意見を十代目が了承するとは思えません。確かに十代目に負傷を負わせた拳銃の販売ルートが、あのファミリィが使用しているものだとしても、その咎を受けてファミリィを壊滅させる――というのは横暴がすぎます。今回は、これまでの報復で充分だと思われますし……」



「おまえは、ツナが負傷するきっかけを作った奴を野放しにしておくつもりか?」



「なにも野放しにしましょうと言ってる訳ではありません。使用されたルートを潰すことは賛成ですけれど、販売に関わっただけのファミリィすら殲滅することに反対しているんです。彼らが銃を手にした人間と関わりがないことはもう立証ずみです。たまたま流してしまった先が悪かっただけで、ほかはきちんと正規の――とはいえ犯罪ですけれどね――手順を踏んで取引していたんですし」



「おまえ、落ち着いてんな」


「はい?」


「さっきのアホ牛とツナみても、なんにも言わねーなんて。昔のおまえだったら真っ先に先頭にたって躍起になってただろうに」



「あー……、あれは怪我の治療なんですから。俺がどうこう言うものではないでしょうし」


「ハン! 丸くなったもんだな」



 冷酷そうに呟いて、リボーンはボルサリーノのふちを指先でたどる。執務室を飛び出したときの物騒さは幾分か収まって来つつあるようで、ほとんどいつもの彼の外面のように獄寺には見えた。しかし、腕を組んだ指先が落ち着きなく肘の辺りでリズムを刻むように動いているのを見ると、やはりまだ内心が荒れ狂っているように見える。


「そもそも、そういう事を仰るんなら、俺はあなたとこうして普通に会話することだって、拒否してると思うんですが――」


 リボーンは獄寺を睨む。
 獄寺は苦笑しながら言う。


「十代目に悪気はなかったと思いますよ」



「悪気がねー方が残酷だぞ。あいつはいつまでたっても、オレが可愛い子供でいるって思っていやがる。なぁ、オレを、――このオレを可愛い子供だなんて思ってんのは、よっぽど頭がわりぃやつか、あいつしかいねーって気がしねーか?」



「少なくとも、俺にはリボーンさんが子供に見えたことなんて、一度だってありませんでしたけどね――」



 獄寺の言葉にヒットマンはシニカルに笑う。


 赤ん坊のころから彼の存在は逸脱していた。赤ん坊であることの現実感のないほどの、知識量、能力、洞察力――すべてにおいて、彼は逸脱していた。恐ろしいと言えば恐ろしく、素晴らしいと言えば素晴らしい。憧れることはあれど、「ああいうふうになりたい」などとは思えなかった。
 持って生まれた才能があるとして、リボーンと獄寺ではその種類は違うだろう。獄寺は獄寺らしく成長するべきであって、リボーンのようになったとしても、それは出来の悪い複製にすぎない。それではわざわざ綱吉の側にいる必要はない。複製は絶対に本物に敵う事はないのだから、複製よりも劣るにしても、獄寺は獄寺として綱吉の側にいたかった。



「また時間をおいてから報告に行きましょう。一緒に行かれますか?」


「オレはいい。とりあえず、獄寺が報告してみてくれ。オレの意見もちゃんと伝えておけよ」


 そういってリボーンは階段を降り始める。


「どこへ?」



 階段を降りていく小さな背中は振り向かず、右手だけを顔のあたりまで持ち上げて左右に振った。ここのところは大きな抗争もなく平和なもので、どちらかといえばボンゴレの組織のなかでも特別な存在のリボーンは、いつが仕事でいつが休日なのか、曖昧になっていた。脳内で彼の仕事のタイムスケジュールを獄寺は思い出してみたが、今日は特に彼が関わるべき事柄はないようだった。



「頭、冷やしてくる――。じゃねーと呑気に廊下歩いてるアホ牛見ただけで殺したくなるからな」



「あー……、それは十代目が悲しむと思うんで、勘弁してください」



 獄寺の苦笑まじりの言葉に、リボーンは右手の親指をたてたかと思うと、その手をぐるりと逆さまにして親指で床を指し示した。


 思わず吹き出してしまった獄寺は、カーブしている階段の影に消えていく背中にかるく頭を下げて一礼する。



「いってらっしゃい」