リボーンが屋敷に戻ったのは零時を過ぎてからだった。
 
 日暮れまでは愛用しているブランドの下請けとして働いている、スーツの仕立屋のところへ出向いて、生地や今年の流行りについて話をした。
 気のいい仕立屋の老人がしてくれる話は過去の歴史などにも飛躍し、リボーンは飽きることなく彼と会話をした。頭のいい人間と会話をしていると段々とリボーン自身の考えも研ぎ澄まされていき、洗練されていくようだった。

 夜がひっそりと世界を満たしつくしたころ、リボーンは電話をかけて数人の女性をディナーへ招待した。

 愛人と呼ぶにはまだ深い関係になっていない女達と小さなジャズバーを貸し切ってゆったりとくつろいだ。美味い酒美味い料理と上品なジャズを聴いて過ごしたおかげで、昼間に経験した烈火のような怒りを忘れることができた。だいたい「根に持つ」のはランボの得意技であって、リボーンはあまり過去を思い出して愚痴を言ったり、鬱屈とするのは性に合わない。

 セキュリティと警備の人間達をいつものようにやりすごし、リボーンはまっすぐに執務室に向かった。零時を過ぎてはいても、よく綱吉は執務室にいることが多い。次の日、早朝からなにか予定がある場合は就寝することはあれど、だいたい彼が就寝するのは午前二時のあたりで起床は七時ごろだった。



 執務室のドアノブを握ってノックなしのまま扉を開く。煌々と明かりがついたままの執務室の机に突っ伏すように彼は――沢田綱吉は寝息を立てていた。またか。と内心で呆れてリボーンは静かにドアをしめた。足音も気配も消したままで、綱吉に近づいていく。彼は起きる様子も気がつく様子もみせず、すうすうと寝息を立てている。


 リボーンは右手を持ち上げて、綱吉の頬にかかっている髪をそっとはらう。そして髪の質感を確かめるように何度か指先で髪をすいた。自分がどれだけ優しい仕草をしているかに気がついて、誰もいない室内だというのに、リボーンは顔をしかめて手をすぐに引っ込めた。


 すぐ側に立って綱吉の顔を見下ろす。


 もう二十代も後半で、三十路まであとすこしの男を可愛いと思ってしまう自分自身の性癖というか、趣味にリボーンは呆れる。世間から見れば、おそらくリボーンのほうがよっぽど愛らしく可愛らしい存在なのだろうが、リボーン自身はそんな評価を望んではいない。


 手のひらを顔の前に持ち上げる。
 彼と比べて二周りも小さな手のひらを握りこんで、リボーンは小さく舌打ちする。


「はやく、成長してくれねーもんかな……」




「――ゆっくりで、いいよ」




 突然にかけられた声だったが、部屋にいるのはリボーンと彼しかいないのだから、驚きはしなかった。握っていた拳を下げて、机に突っ伏していた綱吉を見る。彼は机のうえに組んだうえに頭をのせたまま、笑ったような瞳でリボーンを見上げている。


「なんだそれは。皮肉か?」


 違うよ、と言って綱吉は伏せていた身を起こした。両腕を頭上へ持ち上げて背筋を伸ばした彼は、椅子に座り直してからリボーンを真っ直ぐに見て、両の手のひらを顎の下あたりであわせて顔を伏せる。


「昼間はごめんなさい。オレが軽率でした」


 リボーンは双眼を細めるだけにとどめ、何も口にしなかった。


 綱吉はそろそろと合わせた両手をおろして、リボーンをうかがうように見た。茶色の瞳は困ったように揺れて、落ち着く場所を探すようにそわそわとあちこちへ向けられる。


「……さっきのはどういうことだ?」


「うん?」


「どうして、ゆっくりでいいなんて言ったんだ?」


 ああそれはね、と嬉しそうに微笑んで綱吉は椅子から身を乗り出すようにして、リボーンのほうへ身体を傾ける。


「だって、せっかくリボーンが魅力的に変化していくの、ゆっくり見ていたいじゃない? ね、ね? こっちきて――、ここに座って!」


 そう言って、綱吉は自身の膝のうえを指し示す。思わずリボーンはくらりとした頭を支えるために右手を額にそえ、次に沸いてきた怒りを静めるために非常にゆっくりと息を吐き出した。


「おまえは、いったい、オレが、なにに、怒ってんのか、分かって、んのか?」


「だって、抱き上げられるのなんていまのうちだけでしょう? おまえ、成長早いしさ、あと二年くらいしたら絶対身長おいつかれちゃうもの。そうなってから膝にのってなんて言えないじゃない、年下の美少年に膝のうえにのれだなんてどんなエロ親父だっての」



「……なんだ、ボス。いかがわしいことして欲しいのか?」


「違うっ。いちゃいちゃしたいんだってば。――ほら、ここ、おいでって」


 嬉々として笑む綱吉をしばらく眺めて黙っていたリボーンだったが――諦めるのを待ったとも言える――、彼はいっこうに引くつもりはないらしく、にこにことして膝を指し示す。


「……おまえ、ほんとに反省して謝ったのか、さっき」


「え、うん。不用意に言ったことは謝るよ。でもさ、それとこれは違うじゃん」


「同じだ、同じ! オレがガキ扱いされんの嫌なの知っててやってんのか?」


「だーかーら! これはガキ扱いしてんじゃなくて、オレがおまえのこと抱きしめたいんだってば! ぎゅーってしたいの!」


「じゃあ、オレがぎゅーってしてやる」


「ちがうの! オレがしたいの!」


 なんだ、この会話!?

 混乱というよりは、綱吉とおかしな会話をしている自分自身がおかしく思えて、リボーンは妙な台詞を言う口を右手で覆った。これ以上、知性が疑われるような台詞を言いたくはない。


「たまにはいいでしょう? オレのこと甘やかしてよ?」


 三十路に近い男が首を傾げるような仕草をしても、ちぐはぐな印象がするばかりで、少女のような愛らしさはない。それでもリボーンは綱吉の事を愛しいと思ってしまう。それは惚れた弱みでもあり、強みでもあったわけだが――。

 とりあえず口をおおっていた右手をはずし、リボーンは気分を切り替えるように息を吐き出して、膝の上をたたく綱吉を見た。



「そうしたら、オレになにかいいことでもあんのか?」



「え、リボーン、オレに抱きしめられて嬉しくないの?」



 きょとんとする彼の間抜けな顔に、リボーンの反抗心はあっけなく消失していった。どんなに年上で、どんなに体躯の差があろうと、彼はリボーンの教え子であって、想い人なのだ。



「ったく……、仕方のねーやつだ」



 ボルサリーノを片手ではずし、執務机のうえにおき、リボーンは椅子に座っている綱吉の膝のうえへ乗った。腰に回された両腕が、先程の宣言どおりにぎゅっとリボーンの身体を抱きしめる。リボーンは今年で十四才だ。小柄でもないので体重もあるといえばあるのだが、やはり大人の男にとってはそれほど重みでもないらしい。ふん、と鼻で息をもらして、リボーンは肩のあたりにある綱吉の顔を見るために少し身体をひねった。



「満足か? ボス」



「うん、満足! あー、久しぶりの感触だなあ。おまえ、また大きくなったんじゃないの?」


「ツナ……、おまえ……」


「ああ、ごめん、うっかり……。でもさ、悪い意味じゃないんだよ? オレはね、おまえが成長してくのがね、嬉しくってたまんないの。分かる?」


「そりゃあ、そんだけ、でれでれな締まりのない顔してりゃーな」


 機嫌がよさそうに笑いながら、綱吉が悪戯のようにリボーンのこめかみや耳もと、首筋にちゅ、ちゅ、とキスを落としていく。くすぐったいだけで性的な意味合いなどいっさいないキスに呆れながら、リボーンは脱力して綱吉の胸へ背中を預ける。


「……たいがい、オレも甘くなったもんだな……」


「うーん?」


「前のオレだったら、その日のうちにこんなこと許したりしなかったぞ」


「ああ、まあ……そうだね。しばらくは無視されてた、っていうか、存在すらないものと扱われてたかも……」


「だんだんと、オレもおまえみたいになってきてんじゃねーだろうな……。そんなのごめんだぞ」


「ちょっとッ、それどういう意味だよ!」


「耳元でわめくな。降りるぞ」


「ああっ、駄目、ごめん、騒ぎません!」


 音量を下げた声音でうめいた綱吉の腕がリボーンの腰に容赦なくからみつく。あまりに強く締められ、思わずリボーンはくぐもった声をあげてしまった。その声で綱吉も正気に戻ったのか慌てたように腕をゆるめる。細長く息をついたリボーンは腰に回されたままの綱吉の腕に手を重ねて、もう一方の手で背後の綱吉のあごへ触れる。



「なあ、ツナ。オレがあんなに怒った理由は分かってんのか?」


「……えーと……、ランボの前であんな格好してた、から?」


「違う」


「え、違うの?」



 驚いたように綱吉が目を瞬かせる。リボーンは綱吉の膝のうえで身体を半回転させ、彼の顔を間近で見上げる。
 昔とあまり変わらぬ童顔が、あどけない顔でリボーンを見下ろしている。右手を伸ばして彼の左肩に触れる。まだ完治せぬ傷口にそっと触れたままでリボーンはわずかに目を伏せる。
 胸のうちに抱えている感情が浅ましい嫉妬だということは理解している。そのことを口にすることは実に情けないことでもあったのだが、口にせずにはいられなかった。鈍感な彼は気が付きそうもないし、これからも「今度のようなこと」があってはリボーンは何度憤怒せねばならないか分からないくらいだった。


 不思議そうな色を浮かべた綱吉の瞳がリボーンを見つめている。

 琥珀色の瞳に映る自分自身の顔がやけに頼りなげに見えたことに気が付いても見えないふりをして、リボーンは静かに言葉を紡ぐ。


「シャマルを除いたオレ以外の人間にその傷を触らせたからだ」



 綱吉の目が見開かれ、まつげ震えるのが見ていて分かった。彼は短く息を吸って、そしてくしゃりと顔を泣き笑いのようにゆがめて、唇を噛んだ。


「ねえ、リボーン、キスしよう。っていうか、したいから、させて? キス、していい?」

「焦んな。馬鹿」

 リボーンは、覆い被さってこようとする綱吉のあごに触れて彼の顔をかるく押し返す。綱吉が椅子の背もたれに背中を預けたのを待ってから、リボーンは身体をかたむけて綱吉の顔に顔を寄せた。

 唇をあわせて何度も角度を変えながら深く求め合う。綱吉の両手がリボーンのスーツを掴み、リボーンの両手は綱吉の頭と肩に触れている。わざとらしく音を立ててキスを終わらせ、リボーンは綱吉の額に額をよせたまま、彼の顔を間近に見つめる。

 綱吉はリボーンと目が合うと、ふにゃふにゃとしまりのない顔で泣くのをこらえるように笑った。
 


「ごめんね。もう二度と、誰にも触らせないよ。おまえにだけ。これからは傷の消毒もおまえ以外にはやらせない。……これはオレとおまえの傷なんだものね……」



 だらしなく笑む綱吉の鼻先にキスをおとして、リボーンは唾液で濡れた綱吉の唇を右手の親指の腹でぬぐう。



「分かりゃいいんだ」



「オレの身体も心も血も髪の毛一本すらも、ぜんぶ、リボーンのものだよ。オレをおまえにあげるから、おまえをオレに全部ちょうだいね?」



 まるで子供のように笑って、綱吉は人形を抱きしめる少女のようにリボーンの身体を抱きしめる。成長しているようでいつまで経っても成長していないような、そんな綱吉の顔を彼の腕の中から見上げて、リボーンは呆れるように息を吐く。



「色気のねー台詞……。いまどき、ガキでもそんな使い古された台詞いわねーぞ」



「むっ。失礼な! じゃあ、リボーンだったらなんて言うわけ?」



 不満そうにとがった綱吉の唇にキスをひとつ落として。


「オレ、か? そんなに聞きてーのか?」


 声も表情も口説き用へと一瞬で移行して綱吉を見つめる。

 リボーンの変化にぎくりとした綱吉は、顔を赤くして唇を震わせた。年齢を重ねているわりにちっとも色事に慣れていない彼の反応に、いつもリボーンは煽られて仕方がない。

 ふ。と、甘い気持ちに酔うようにリボーンは双眸を細め、綱吉の顔へ顔をぎりぎりまで近づけて魅力的に微笑む。




「――どろどろに溶けあってひとつになっちまいてーくらい愛してるぞ、ツナ」




 声にならない悲鳴をあげようとする綱吉の唇を己の唇でふさいで、リボーンは片手で彼のスーツのネクタイをゆるめ始める。ぎょっとして抵抗しようとする彼の意識を奪うくらいの激しさで舌を舌で攻めあげる。反抗しようとした綱吉の手は、結局リボーンを突き飛ばすことが出来ず、襟元を掴むことだけで精一杯のようだった。どちらのものと分からない唾液をあごからたらし、リボーンはぼうっとしているツナのあごに舌をはわせ、唾液をなめとった。
 舐められたことで、背筋を震わせた綱吉は、顔を真っ赤にしてリボーンを睨む。



「ひっ、わい、だ!」



「お。そんなこと言ってるわりに身体は正直に反応して――」



「わああああああああ!!!!」


 綱吉に両手で突き飛ばされたリボーンだったが、それは予測していたので、華麗に着地を決めることができた。


「素直じゃねーな。人がせっかく愛してやろうとしてんのにな」


 あごを伝う唾液を指の背でぬぐって、唇に笑みをのせると、綱吉はますます羞恥にゆがんだ顔でリボーンを睨んだ。



「大人をからかうな!」



「大人? そりゃあ、おまえは大人だろうな。オレよか身体的には成長してるわけだし? でもな、ツナ。オレは教え子に手ほどきしてやってるだけだぞ?」



「へりくつだ……」




「なあ、ツナ」




「なに?」




「ベッドにいかねーか?」



 視線で執務室横の仮眠室を指し示すと、赤い顔のまま唇を引き結んだ綱吉が視線を室内に彷徨わせる。



「……ストレートすぎます、先生」




「時に人間は欲望に忠実なんだ。覚えとけ。テストに出んぞ」



「ん、え、――テストってなに?」



 あわてふためく綱吉を、吐息で笑いながらリボーンは右手を伸ばして綱吉の襟元を掴んで引き寄せる。抵抗するつもりはないのか彼は妙にニヤニヤとした顔で――この先に待っている情欲の予感が正しいことを知っているのだ――、リボーンを見つめている。吐息がかかりそうなくらいに近い距離で互いの顔を見つめ尽くす。


 愚かで駄目で仕方がないときもあれば、有能すぎて恐ろしいときもある。
 沢田綱吉をマフィアに仕上げてしまった己を呪ったことはあれど、もう後悔するには遅すぎる。ならば全力で守り通すしかリボーンには道が残されていない。



「ねえ、なにか、言ってよ?」



 ふふふ、と笑いながら綱吉がリボーンの唇を舌で舐める。


 綱吉の唾液で濡れた唇を笑みの形にゆがめ、リボーンは囁く。



「オレが欲しいのか、欲しくねーのか。はっきりしやがれ」



 言葉が全身に染みこむのを待つような沈黙のあと、綱吉は両腕をリボーンの背中に回した。リボーンの肩のうえに頭を寄せて綱吉は甘く囁く。




「欲しいよ。ぜんぶ、ちょうだい」




 リボーンは襟元を掴んでいた手を離して、綱吉の背中へと回す。





「よくできました――。じゃあ、隣の部屋に行くぞ」



 明るい笑い声をもらした綱吉は、リボーンの首に腕を絡めていやらしく笑う。




「はいはい、行きますよ、どこへだって! ……どろどろに溶けあってひとつになりましょうか、先生?」





 綱吉の挑戦的な囁きに煽られるようにリボーンのなかで温度の高い熱が生まれる。立ち上がった彼の手を引いて仮眠室に向かいながら、リボーンは小さな声でつぶやいた。




「明日、立てりゃあいいけどな……」



 その囁きは綱吉の耳には届かなかった。




















毎日毎日繰り返し 僕等は朝を迎えて夜と出会う

毎日毎日繰り返し 僕等は争いあっては傷を作る

毎日毎日繰り返し 僕等は愛を囁いては抱擁する

毎日毎日繰り返し 夜更けに祈るは君のこと――

君の無事を 君の幸福を 君に捧げる僕の愛が消えないように

毎日毎日繰り返し 夜更けに祈っては君を想うんだ