夜更けに祈るは君のこと













 
 十日ぶりに予定の空いた午後、雲一つ無い快晴の空の下、愛用のバイクにまたがって遠出をして過ごしたランボは、辺りが暗くなるころになってようやく屋敷に戻った。長時間被りっぱなしだったヘルメットを脱ぐと、新鮮な空気が肺の中に満ちる。大きく深呼吸をして、ヘルメットでぺったりとしてしまった髪を片手で無造作にととのえながら、車庫を出て屋敷の玄関へと向かう。屋敷から車庫への扉は屋敷側からしか開かないように出来ているので、多少は面倒でも玄関へ向かわないと屋敷には入る事が出来ないのだ。


 いつだったか、ランボの髪にきれいな指をさしいれてすきながら、あなたの髪はやわらかくて素敵ね、などと美しい女性が言っていたことをふいに思います。スレンダーでピンクの口紅がよく似合う可愛らしい人だった。

 ランボは可愛らしい人が好きだった。優しくてちょとと真面目で、なんとなく甘やかしてくれそうな雰囲気のある、ランボのことを可愛がってくれそうな年上の人ばかりを好きになってしまう。その理由がランボにはすでに分かっていたりするのだが、あえて気がつかないふりを続けていた。叶わないことが分かっているというのに、うっかりと口にして相手を困らせたくはなかったし、相手の相手に撃ち殺されることが確実なのだ。
 まさに口は災いの元――と、ランボは墓まで胸の内に「あなたのことが好きです」という台詞を封じ込めて、決して口にしないと心に誓っていた。


 とはいえ、やはり好きな人間のことは好きなので、ランボは好きな彼のために出かけた先でお土産を買っていた。前々から気になっていた銀細工を取り扱っている小さな個人店に入って、シルバーのブレスレットと揃いのネクタイピンを購入した。シンプルなものなのでスーツにもカジュアルにも似合いそうなものを選んでおけば、彼もあまり気後れしないで使用してくれるだろうというのがランボの考えである。


 屋敷の入り口の脇にある指紋と網膜をチェックする機械に指先と目を調べてもらい、ランボは鍵の開いた玄関のドアノブを回して屋敷に入る。扉の内側に立っていた見張りの男達六人がランボを見て頭を下げる。胸元のバッジで彼等が嵐の部隊の人間であることをランボは知った。日ごとに警備の仕事はそれぞれの守護者が率いている部隊の人間が行うことになっている。今日が獄寺ならば、明日はランボの部隊の人間のはずだった。誰をどこへ選抜したのかをぼんやりと思い出しながら、ランボは階段へ向かって、二階にあるドン・ボンゴレの部屋を目指した。
 

 通い慣れた廊下を歩き、ランボはドン・ボンゴレの部屋の前に立った。かるく深呼吸をしたあとで、ゆっくりと扉をノックする。「はぁーい」と間延びしたような声が室内からかかると、ランボは自然とやわらかな笑みを浮かべてしまう。


「こんばんわ! ぼんご、れ……」


 ドアノブを掴んだまま、ランボは部屋へ一歩足を踏み入れた状態のままで停止する。


「あー、ランボ、ちょうどいいときに来たね。ちょっと手伝ってくんないかな?」


 執務室にどっかりと置かれている机の脇に立っていた沢田綱吉は快活そうに笑って、裸の背中越しにランボを見た。さすがに下はスラックスを履いていたものの、目にする機会などめったにない、上半身裸の綱吉に対して、ランボは息をつまらせたあと、バッと室内に飛び込んで、騒がしい音を立ててドアを閉める。

「う、あ――すみません!」

「は?」

「き、着替え中だとは、知らなくて! すみませんっ!」


 閉めたドアに額をぶつける勢いで頭を下げると、背後から綱吉の笑い声がランボの耳に聞こえてくる。



「あはは、別にいいよ。オレもおまえも男じゃない。気にするなって」



「それは、そうなんで、す、けど――」



「ほんと、ちょっと、こっち来てよ。ランボ」



「――はい」



 ひとつだけ溜息をついたあと、ランボは意を決したように部屋へと振り返り、執務机の横に立っている綱吉へと近づいていった。ジャンパーの中のプレゼントを渡すタイミングはすでに逸してしまっている。とりあえず、綱吉の側にまで近寄っていくと、彼は困ったように片目を細めて、反対側の口角を持ち上げて首をかしげるようにした。



「背中の方のガーゼがさ、傷口に張り付いちゃってるからさ、消毒薬でしめらせてはがしてくんないかなあ?」



 手に持っていた消毒薬をランボに手渡して、綱吉はくるりと背中を向けた。左肩に張りついているガーゼは赤茶色く変色していて、膿なのか血液なのかよく分からないものが乾いて傷口と癒着しているようだった。ランボは受け取った消毒薬のふたを片手で開け、執務机のうえに開けっ放しになっていた救急箱からガーゼをとりだして、そこへ消毒薬をかけて湿らせ、

「いきますよ」

「うん。お願い」

 ――綱吉の傷口に押し当てた。染みたのか、「うぅっ」と綱吉が短く呻いて背中を丸めた。治った傷の跡がいくつか目につくものの、綱吉の背中はきれいなもので、ランボはいたたまれない思いがうずまくのを感じながら、長く息を吐き出して天井を仰ぐ。



「うう、誰も入ってきませんように」


「え、それ、どういう意味?」



 肩越しに綱吉が振り返る。ランボは上向かせていた顔を彼へ向け、ぐるりと目線を回転させて、皮肉っぽく片目だけを細める。



「こんなとこ、見られたらおれ、絶対にあいつに殺されますよ」



「え?」



「いえ。なんでもありません。――傷、だいぶよくなってきたみたいですね……」



「うん。もう、シャマルんとこに通わなくてもいいってさ。適当に自分で消毒しておけばいいって――、適当ってふつう、言わないよね? なんか医者としての能力は最高なのに、シャマルってどこか信用ができなさそうだよね。それって医者としては致命的な印象だと思うんだけど……。女の人に対してはもうきめ細やかな気配りとか出来るくせにさ、男にはてんで興味なし!なんだものね。患者に男も女もないと思うんだけど」


「ドクターは女性のせいで身を破滅させる人ですよね」


「まったくもって、その通りって感じだよ。シャマルの運命の女ってのは、きっとこの世の者とは思えない、凄絶なほどの美人か、シャマルの生き方そのものを変えてしまうような存在感がある人じゃなきゃ、つとまらなさそうだよね…………」



「運命の人ですか……。ボンゴレの運命の人というのは、やっぱりリボーンなんでしょうね」


 びくりと綱吉の肩が大げさに震えたかと思うと、照れたような苦い顔で綱吉はちらりと肩越しにランボを睨んだ。



「うっ……、さらっと言ったな」



「そうなんでしょう? この傷だって、リボーンをかばって負った傷だって言ってましたよ、獄寺さんが」



「――もうっ。そんなこと言わなくていいのに、獄寺くん!」



「まあ、お酒に酔った席でしたし、おれの他には山本さんがいたくらいですから。知っていても守護者とごく一部の人間だけだと思いますよ。――どうしてかばったりなんてしたんです? おれも、他の守護者も、あなたを守るためにここにいるんです。きっとあいつは……、おれがあいつの気持ちを代弁するのなんて、ほんと勘弁してもらいたいけれど、リボーンだって、その気持ちは同じものだと思いますよ」


「それはあいつにも言われたよ。どうしてかばった、それはおまえの役目じゃないって」


「だったら――」


「でも、仕方なかったんだ。考えるよりも早く、身体が本能で動いちゃったから……。大事な人を守りたいって思いはオレにだってあるんだよ」


 そう言って、綱吉は唇に笑みをのせる。いざというときに彼が見せる男らしい気概がある笑みがランボは好きだった。年上の人でありながらすぐに泣いたり笑ったりして、優しくて、でも頼りになって、格好良くて――。

 憧れて憧れてやまない、おそらくはこれから先の未来、ずっと想い続けるであろう人。

 沢田綱吉の傷口に触れながら、ランボは心を、真摯な心をありったけ込めて、彼の瞳を見つめながら言葉を捧げる。


「あなたが死ぬようなことになったら、どれだけの人間が悲しみ、苦しむかってことを、どうか忘れないでくださいね。――ツナ」


 彼はランボの言葉にしっかりと頷いて、にっこりと笑う。


「うん。分かってる。ありがとう。ランボ」


 ランボは綱吉の裸の背中を見下ろす。
 なめらかな東洋人特有のすこし黄みがかった肌には、すでに完治しているものの、傷の跡がいくつもあった。銃痕もあれば切り傷や火傷のあともある。
 狙撃などからは周囲の人間がその存在をかけて綱吉を守ろうとするが、綱吉自身が戦場へ飛び込んでいくことも少なくはない。そうなった場合、いくら戦闘能力の高い彼であっても、多勢に無勢では致命傷にならないにせよ、銃弾を受けたり、刃を受けたりもすることがある。

 もうすでに記憶もおぼろげだが、十年ほど前、ランボはよく綱吉と共に風呂に入っていた時期があった。そのころの彼の身体には傷はなかった。なんだか目の奥が痛くなったかのように、ランボは泣き出したいような衝動にかられ、唇を噛む。



「――傷が増えましたね……」



「おまえだって、これぐらいの傷はあるだろ?」




「昔は、こんな傷なんて、なかったのに――」



「昔は――って。そりゃあ、ふつうの子供だったんだから、傷だらけだったら大変だろ? おまえとは五歳のころに一緒に風呂に入ってた仲だもんなぁ、オレの裸なんて見慣れてるんじゃないの? ランボ」



「い、やっ、……あの――」



 話が妙な具合になってきたせいで、ランボは焦って言葉が出なくなってしまった。顔を赤くして首を振るランボを肩越しに振り返った綱吉はにやにやと笑うと、背後に立っているランボの胸元に背中をぺったりとくっつけるように寄りかかってくる。ランボの顔の近くに綱吉の顔が近づいたせいで、ふわりと彼が使っているムスクが強く鼻先に香る。


「だーから、なんでそこで照れんの? ランボってば、おかしい」


「近いですってッ」


 ランボは綱吉から離れようと二歩ほど後退したが、よろめくようにして綱吉も後ろへ進んでくるので、二人の身体は密着したままだった。健全な十代の少年であるランボの理性は悲鳴を上げそうなくらいに混乱していた。細い綱吉の首筋がランボの口元のすぐ横にある。それだけでランボはその場に崩れ落ちたいくらいだった。
 しかし、そんなランボの気持ちなどお構いなしに、綱吉は琥珀色の瞳でじぃぃっと思考がぐちゃぐちゃになりつつあるランボの顔をしげしげと見つめて、感心するような溜息をついた。


「おまえって、ほんと、美形だよなあ。鼻水たらしてたクソガキがこんなふうになるなんて、ほんと世の中てちょっと理不尽なとこあるよなあ」


「人の顔見て、しげしげと失礼なこと言わないでくださいよっ、ボンゴレ!」


 ランボが悲鳴のように叫ぶのと同時に、執務室の扉が何の前触れもなく開いた。ぎょっとして思わずでかかった悲鳴をランボは喉のあたりでこらえたが、それはまだ恐怖の序の口だった。



「――から、言っただろう?」
「それはそうかもしれませんが、もう一度確かめてからのほうが――」



 視線を扉へ向いて、入ってきた人物がリボーンと獄寺だと認識した刹那、ランボは『自分は死んだな』と思った。室内で銃声が鳴り響いたと思った時には、ランボは綱吉の腕のなかに引き込まれ――勢いがあったのでランボは綱吉の胸に顔面をぶつけてしまった――、背後でガラスが割れるけたたましい音がした。

 恐ろしくてリボーンの方を向くことができないランボは、衝突して痛む鼻を片手で押さえながら、そっと綱吉の顔を見た。

 綱吉はランボが立っていた場所と割れた窓ガラスの位置を素早く確認したあと、蒼白な顔に怒りを混ぜて叫んだ。



「あ、――あっぶなあ!! おまえ! ランボに命中したらどうすんだよ!?」


 ランボはおそるおそる、リボーン達の方へと顔を向けた。

 リボーンは右手に拳銃を構えたままでランボを激しく睨んでいた。いつも嫌悪混じりの視線とは比べものにもならない殺気に充ち満ちた視線に、悲鳴すら上げられないほどの恐怖を感じて、ランボは思わず意識を手放したい衝動にかられたが、そんなことをするわけにもいかず、とりあえず綱吉の身体から離れて距離をとる。綱吉は怒りで回りが見えていないのか、ランボが背後へ後ずさるようにして離れた事すら気がつかないように、リボーンを睨んでいる。


 リボーンはランボから視線を綱吉へと向けると、片目だけを細めて皮肉ぽく唇をゆがめる。


「死んでくれたらよかったのにな」



「……目が本気すぎる」

「オレはいつだって本気だ」



 小声で言ったランボの言葉にリボーンは鋭く答える。反射的に首を振りながらランボが呻くと、綱吉がリボーンの視線を遮るようにランボの前に立ちはだかった。未だにシャツすら羽織っていない彼の裸の背中が、こんなときでもランボを落ち着かない気分にさせる。



「ランボ、平気か?」

「え、ああ、はい」


 リボーンが双眼を細める。
 綱吉は両腕を広げてランボの前に立った。



「撃つなッ!」



「どけ。一緒に風穴あけられてーか?」



「前々から思ってたけど、リボーンはランボに向かって発砲しすぎだ。もっと自重してよ! ランボが可哀想だろ?」



「アホ牛がオレの前で腹の立つことしかしねーのがいけねー」



「ちょ! どこまでオレ様なんだよっ」



「い、いいんですって、ボンゴレ。おれのことなんて気にしないでください」


 部屋のなかの空気が澱み始めているのを感じて、ランボは綱吉に向かって声をかけた。それは事態をよくしようと思っての発言であって、それ以外の気持ちはなかった。

 綱吉は肩越しにランボを振り返って、子供に言い聞かせる時のようにしかめつらのままで口を開く。


「駄目だよ。ランボ。こういうことはね、ちゃんとしておかないと。――だいたいね、リボーンは気に入らないことがあるとすぐに銃を取り出す癖、直さないと駄目なんだからね! いつまでも子供じゃないんだから――」


 綱吉の言葉を聞いて、ランボはいま撃たれて死んでもおかしくないと思った。「子供」というキーワードは「彼」の前では禁句に近く、いくら嫌っているランボですら口にする事が出来ない――口にすれば即死だろう――言葉だ。頭に血が上っているのか、綱吉はランボが呼吸を止めていることすら気がつかないようだった。わずかずつ息を吐き出しながら、ランボは綱吉ごしに戸口近くに立っているリボーンを見た――、



 リボーンは、表情こそぴくりとも動かなかったが、一瞬で周囲の空気が冷えるような気配がランボが立っている場所まで伝わってきた。彼の側に立っていた獄寺は、一変した空気を悟ったのか、それとも本能的に恐ろしいと思ったのか、そっと右足を引いて、わずかばかりリボーンと距離をとった。


 口にした当人である綱吉は、彼の地雷を踏んだ事には気がついていない。


 見る者が思わず怯んでしまいそうな美しい冷笑を浮かべ、リボーンは綱吉を挑戦的に睨みつけた。



「邪魔して悪かったな、ボス」



 言うが早く、リボーンはきびすを返して部屋を出ていってしまう。リボーンがいなくなったことで、ハッと正気を取り戻した獄寺は、慌てたように綱吉に向かって頭を下げる。


「ちょっと、失礼します。――また、あとで改めて」


 慌ただしい感じで獄寺が部屋を出ていくのを見送ったあと、綱吉は長く重く息をついた。次の間、「あああぁああ!」と大声を出したかと思うと、片手で俯きそうになった頭を押さえる。



「なんだよっ、あの態度!」


 なんとなくランボは綱吉よりも、なぜだか憎い殺し屋の味方をしてやりたいような気持ちになったが、まずは彼の怒りが落ち着くまでは何を言っても無駄だろうと考え、短く息を吐いて、肩をすくめる。


「まあ、ええ。――とりあえず、傷の手当ての続きをしましょう。――ガーゼ、はがせそうですよ?」



「あそう……。じゃあ、お願い」



 離れてしまった机の脇に二人とも戻って、最初と同じく手当てを再開する。湿ったおかげで傷口にはりついているガーゼはじっとりと色が変わっていた。


「剥がしますよ?」


「うん」


 ランボは両手で綱吉の左肩に張り付いていたガーゼの端をつまんで、そっと上から下へとはがしはじめる。ぴりぴりと剥がれていくいやな感触が指先がしたが、途中でやめるわけもいかず、ランボは眉間にしわを寄せて手のひらほどの大きさのガーゼを剥がした。縫い合わせてある傷口はいまだに痛々しい。


「消毒をしたら、新しいガーゼに取り替えて、――保護シートをうえに貼っておけばいいですか?」


 言いながら、ランボはてきぱきと彼の傷口の手当を始める。綱吉は前を向いたままで、感心したような息をついた。



「そうそう。消毒して清潔なガーゼをあてて、保護シートってシャマルに言われたんだ。――ランボ、手当の仕方、分かってるんだなぁ」



「そりゃあ、おれも何度か撃たれて怪我してますしね。軽いものばかりだったので、ドクターから薬と治療法を教えてもらって、自分で対処してましたし――」



 ふぅん、と綱吉は相づちを打った。丁寧に傷口を消毒したあとで――綱吉は悲鳴をかみ殺して「うぅ」だの「ああ」だのと呻いていた――、清潔なガーゼを傷口にあて、透明な保護シートを空気が入らないようにぴったりと貼り付ける。ランボが手当の完了を告げると、彼は礼を言って執務机と対の椅子にかけてあったシャツを手にとって、着替えを始める。ランボは少し離れてその様子を見ていた。人が洋服を着ていく姿にはエロティシズムがあるなあなどと思っていても決して口には出さないし、顔にも出さない。


 シャツ、スーツの上着――と着込んだ綱吉は、机のうえでのたうっていたネクタイを手に取ったが、それを締めることはせずに机のうえに戻した。「よいしょっと」などと声をかけながら椅子に座った彼は、長く息をついて椅子の背にもたれて脱力する。


「ありがとね。ランボ」



「あ、いえ。お礼を言われるほどのことでは――。というより、ボンゴレ」


「うーん?」


「さっきの、リボーンに対する最後の台詞。まずかったんじゃあありませか?」


「――最後の、台詞?」


 いぶかしげに眉を寄せた綱吉は、傍らに立っているランボを見上げる。


「……ランボはリボーンに会うたびに発砲されててもいいわけ?」


「そりゃあ、撃たれるのは怖いですけど、あいつ、威嚇だけでおれに当てたことはないですよ?」


 ランボは「何故、自分がリボーンのフォローをしなければいけないのだろう」と激しく疑問に思いながらも、彼を弁護する言葉を必死に探していた。
 リボーンが受けた屈辱といっても間違いはないであろう言葉に、少なからずランボも傷ついてしまっていたので、どうしても黙ってはいられなかった。

 子供。

 それは綱吉と共に育ってきたランボにも向けられることが多々ある単語だ。二十歳を迎えようとしている今でさえ、「あんなに悪ガキだったのに」やら「泣き虫なガキだったのに」などと言われるたびに「もうおれは子供じゃあないんですよ?」と言い出したいのを我慢している。何故、我慢しているかといえば、そんな台詞を言うときの綱吉は、決まってランボのことを見ながら、懐かしそうに優しそうに笑ってランボの頭を撫でてくれたりしているときなので、その一時の幸せのためにランボはささやかな反抗心を口にはしなかった。

 ランボはそれで我慢できる。

 しかし、リボーンは違うだろう。

 彼はアルコバレーノの呪いを受けたせいで、見た目の年齢よりも中身の年齢がずれている。成長を始めた身体と共に精神的な年齢も比例して時間を重ねていくことで、リボーンの中の「ずれ」は非常にもどかしいものとなっているようだった。

 その彼に、綱吉は「いつまでも子供じゃないんだから」という言葉を吐いてしまった。


「――ランボ?」


 黙っていたランボを怪訝そうに見て、綱吉が首を傾げる。
 ランボは微苦笑を浮かべて、執務机に腰をあずけるようにしてよりかかり、綱吉の方へ顔を向ける。


「おれは、リボーンのこと気に入らないけれども、殺し屋としての腕前だけは尊敬してるんです。確かにおれのこと未だに毛嫌いしてるし、会えば拳銃ぶっぱなしてくるけれど、それはなんていうか――、物騒なおれたち流のあいさつみたいなものなので、ボンゴレが気にすることはありませんよ。それにおれだって強くなったわけですし、そう簡単に撃ち殺されやしませんよ」


「ランボって、マゾ?」


「え、なんでそんな流れになるんです?」


「撃たれんの怖いくせに、それを受け入れてるからさ、てっきりそうかと――」


「嫌な疑惑をかけないでくださいよ。おれはノーマルですから!」


「じゃあ、リボーンのこと好きなんだ?」



 怒りでも嫌悪でもない、訳の分からない憤りのようなもので、ランボは目の前が真っ暗になったり、ぐるぐる回ったような気がした。とっさに両手で顔面を覆って座り込みたくなる衝動を抑える。胸の中をうずまいた感情の色は赤と黒と青で、まったくといっていいほど好意的な要素はひとかけらもなかった。

 そもそも、綱吉の口からそんな台詞は聞いたりしたくなかった。

 ランボは両手を顔から外して綱吉を見た。ランボの絶望しきったような顔を見て、綱吉は驚いたようにかるく目を見開き、


「違うの?」


 と、本気の顔をして問いかけてくる。背筋を駆け上ってきた嫌悪感と怒りと混乱がないまぜになったままに、ランボは早口で絶叫した。


「嫌いです。大嫌いです。絶対に大嫌いです!」



 必死の顔で訴えたランボを見て、綱吉はますます訳が分からないといったように溜息をついた。


「なんか……、おまえらの絆がオレ、よく分からないよ」



「リボーンとおれの絆なんて、宿敵ってやつでいいんです。あんなやつのことを好きなのなんて、きっとあなただけですよ、ボンゴレ」


「またそういうこと、さらっと言って――」


 照れたことを誤魔化すように仏頂面で言って、綱吉は机に肩肘をつき、手の甲にあごをのせた。ふう、と吐息をついた彼は、何かを思案するようにぼうっと室内を見渡す。


 ランボと会話をしているうちに、綱吉の怒りも収まってきたようだった。前方を見つめていた綱吉の瞳がランボを見上げる。


「……なんか、もしかして……、オレ、やばいこと、しちゃった?」


 ランボは苦笑を浮かべて、片目をつむる。


「あいつ、怒ってますよ。すっごく」


「あー、……やっぱり……。今考えてみると、最後のは確かに失言だったよ。あいつに『子供じゃないんだから』なんて言ったら怒るに決まってるし……、それに――」



「それに?」



「絶対、傷つけちゃったよ。結構、オレ、意識してリボーンのこと子供扱いしないように、そんな台詞言わないように気をつけてたんだけど、カッとして思わず口にしちゃったんだよなあ。あー……、どうしよう……。おれのこと、嫌いになったりしないかなあ……」



 最後まで口にしたあとで、はたっと気がついたように綱吉は狼狽したが、結局は細長く溜息をついて、机に突っ伏した。



「うぅ。ごめん。こんなこと、おまえの前で言うことじゃなかったね」



「いいえ。気が紛れるのならば、いくらだって愚痴におつきあいしますよ。ボンゴレにはいつもよくしていただいてますしね」



「情けないボスでごめんな、でも……ありがと。ランボ」



 年上の男性ということを忘れさせるような、穏やかな微笑みを浮かべて、綱吉は机のうえで組んだ両腕の上に頭をのせる。ふわふわとした彼の癖毛が揺れ、うつくしい流線をえがきながら頬にこぼれおちる。


 好きです。
 あなたのことが、好きです。


 伝えられない想いを心の中だけで囁いて奥歯で噛み砕く。
 口にすれば彼を困らせ、そして悩ませるだけならば、ランボは口にはしない。きっと生涯にかけてランボの「いちばん」は彼しかいないだろうが、ランボにはたくさん愛すべき人達がいる。彼等や彼女たちがいるから、愛してくれるから、ランボは寂しくもないし、悲しくもない。

 愛されて、愛して、時に憎んだり嫌ったりしながら、そうして生きていくことが――。


 人間として生まれた者の運命だ。


「あいつは、きっと――」


 ランボの声に綱吉はとじかけていた瞼を持ち上げ、年相応よりも大きな目でランボを見上げた。

 ランボは綱吉に向けて、自分がいちばん素敵に見えるであろう微笑を浮かべて片目を瞑る。


「あなたのことを嫌いになんてなれないと思いますよ」



 そうだといいけれど、ね。

 そう言って、綱吉は長く息を吐き出したあとで、自嘲気味に微笑んだ