骸は肌に突き刺さるような殺気で目を覚ました。カーテンごしに落ちる夕陽が差し込んでいて、室内は妙に明るい。その日が射さぬ部屋の一角に、黒いシルエットが静かに立っていた。

 左目だけを動かして部屋に立つ人物――雲雀恭弥を見て、骸は片側の口角だけを持ち上げて笑む。



「……寝首でもかきに来たんですか?」



 雲雀は胸の前で腕を組み、背中を壁に預けたまま動こうとしなかった。ベッドから身動き一つできない骸は、頭を動かして彼のほうを向いた。雲雀は笑いもせず、かといって苛立った様子もなく、ただ静かに骸を眺めていた。


「死ななかったんだってね」


「あいにくと。残念でしたか?」



「そうだね」


 雲雀の口元がきれいな流線型にゆがみ、形のよい白い歯がのぞく。


「君がそうやってベッドに寝ている姿を見に来たんだ。なんだかとても晴れやかな気分になれたよ、ありがとう」


 骸の前では決して見せない愉悦に染まった微笑を浮かべて、喉を鳴らすように雲雀が笑う。骸は不快極まった顔で雲雀を睨み、なんとかして復讐をしてやろうと思ったのだが、右目はまだお遊び程度しか能力を発動できないので使用できない。呪いの言葉を吐こうにも、ただの負け惜しみでしかなくなるので、何かを言い返す訳にもいかない。

 雲雀は、何も出来ない骸を見透かしているのか、やけに機嫌がよさそうに双眸を細めている。シーツの上で骸の指先が槍を探すように動いた。雲雀も骸の殺気を感じ取ったのかにやつくのをやめて、かるく目を見開いて壁から背中を離してすらりとその場に立った。

 刹那、革靴でリノウムの床を踏みしめる足音が忙しい早さで近づいてきて、病室のドアが勢いよくスライドして開いた。
 姿を現したのは獄寺隼人で、彼は室内に満ちた不穏な殺気を一瞬で感じとって、ひるんだように身を引いて呻いた。右手に持っていたノートパソコンを危うく落としそうになって、彼はさらにびくっと体を震わせる。



「――うっ、なんだ、この空気! 雲雀ッ、てめえ怪我人になにかしたんじゃないだろうな!?」


「しないよ。こんなの僕が手を下したらすぐに死ぬもの。そんなのつまらない」


「やって、みますか?」


「馬鹿野郎! こんなとこでおっぱじめたら、十代目がお怒りになる! やめろやめろ!」


「騒がしいね」
「ここが病院だって分かってるんですか?」


 骸と雲雀が同時に獄寺の声の大きさを指摘すると、獄寺は急な目眩でも感じたかのようにふらりとスライドドアにもたれて、低い声でなにやらぼそぼそとぼやきだした。


「……だいじょうぶ、だいじょうぶ、俺は大人になったんだ、こんな阿呆な奴らの挑発になんて――、正直、のってしまいたい……」


 スライドドアを片手で握って呻いている獄寺に骸は声をかける。


「右腕さん」


「なんだよ」


 スライドドアにセミのようにはりついたまま、獄寺がうろんそうに声を上げる。



「自分で言うのもなんですが、僕って、面会謝絶なんじゃないんですか?」



「あー、たぶんそうだったかもしれねぇが、ま、いいじゃねえか。おまえ、なんか元気そうだし」


「全身痛いしだるいし、正直、誰の相手もしたくないんですが――」


「それだけ喋れればもう平気だろ」


「……………………」


 スライドドアから離れた獄寺は、片手で抱えていた小さなノートパソコンを持ち直して、骸のベッドサイドにおかれたパイプ椅子にどっかりと横柄な仕草で腰を下ろした。


「俺はてめぇに聞きたいことがあってきたんだ。てめぇがそんな状態だから、他の奴に仕事を割り振るにしても、引き継ぎが一切ねえんじゃあ、動きづれーんだよ。この前までの敵情視察なんかの現状とかや各会社の経営状態とか、まー、担当してた案件について、洗いざらい吐きやがれ。そうすりゃ、てめぇがしばらく使い物にならねえでもいいようにしてやるから。――雲雀ッ、おまえはとっとと仕事に戻れよな! そもそも、なんでこんなとこにいんだよ、おまえ、あれだろ、もうナポリに向かうはずじゃねえのかよ?」


「これから行くよ」


「これからって――、いま何時だよ?」


 パソコンを起動させながら、獄寺が腕時計を見て「げえ」と呻いて、背後の壁際に立つ雲雀を振り返って叫ぶ。


「予定じゃ、もう出発してる時間じゃねえか!」


「いちいち細かいこと気にしないでいいよ」


「うるせえ! こっちはタイムスケジュール必死に組んでんだから、それのとおり動け!」


 雲雀はまるっきり獄寺の叫びを無視して、ベッドに近づいてくると、横になったまま動けない骸を無表情に見下ろす。そこに嘲りの表情が浮かんでいれば、骸も同じように笑むことが出来たが、彼はなんの感情も浮かべないままに、じぃっと骸を黒い瞳で見下ろしていた。


「――君が死んでくれたら僕はきっと幸せになれるだろうにね」


「じゃあ、あなたは幸せにはなれませんね。残念ですけど」


「そう。それは残念だね。せいぜい苦しみぬいて生きればいいんじゃない?」


 うすく酷薄に笑って、雲雀は身をひるがえして病室を出ていった。


 その姿を目で追った獄寺は、何故か腑に落ちないような顔で首をひねり、骸を見た。


「――なにか?」


「おまえら、仲悪かったよな?」


「悪いですよ。いまのどこをみて、仲がいいだなんて思ったんですか? 頭おかしいんじゃないですか?」


「てめえ、ほんと、死にかけた人間じゃねえな……」


 呆れと苛立ちがまじった声音で呟いて、獄寺が眉間に深いしわを刻む。


「なにか僕に聞きたいことがあるんでしょう? さっさとしてください。僕、寝たいんですよ」



「あー、分かった分かった。てめえが素直に覚えてること言ってくれりゃあ、すぐに終わるさ。……まずはだな――、」


 膝のうえにノートパソコンをおいた獄寺が次々と様々な質問や確認事項を言っていくのを聞きながら、骸は的確な指示と客観的な視点での報告を口にした。獄寺の問いかけの内容と日付などから推察して、あと二時間はこの作業から逃れられないと感じ取った骸は、暇つぶしにはちょうどよいと思うことにして、機械的に質問を繰り返す獄寺との言葉の応酬に意識を集中させていった。