綱吉の頭を撫でていた了平は、彼から離れるとまっすぐに雲雀のほうへ歩み寄ってくる。雲雀は了平の視線が苦手だ。彼は澄んでいる。澄みすぎているからまるで鏡のように、己のすべてを見せつけられる。
 雲雀は瞬き少なく、了平の瞳を貫くように見た。それでも彼はひるむことなくまっすぐに雲雀と視線を合わせる。


「おまえの拳はなんのためにあるのだ?」

「意味が分からないんだけど」

 むう。とうなり声ともうめき声ともつかない声をあげ、了平は困ったように眉を寄せた。しかし、眉間のしわはすぐに取り払われ、真面目な表情で右手を差し出した。


「それは、俺が預かっておこう」


 雲雀はトンファーを握りしめ、わずかに上体をゆらす。了平は相変わらずまっすぐに雲雀を見る。その瞳が嫌だった。まるで悪いことをしているような気分にさせる瞳で了平は雲雀を見つめている。トンファーを強く握りしめると爪がてのひらにくいこんで痛みがはしった。


「それは沢田との話し合いには必要ないはずだ。違うか?」


 雲雀は視線をわずかに動かして舞台を背にして立っている綱吉を見た。
 彼は心配そうな顔で雲雀たちの方を眺めている。
 雲雀が了平に殴りかからないか――、心配なのだろう。

 じくり。
 胸が痛んで感情が軋んだ。

 了平の手が雲雀の手に触れる。
 雲雀は了平の手がうながすままに、両手からトンファーを手放した。バランスを失ってしまったかのような、身体の一部を奪われたような、喪失感が胸の隙間を冷やしていく。了平の手からトンファーを奪い返すことは簡単だった。だというのに、雲雀の体は動かなかった。視線の先にいる沢田綱吉から目が離せない。


「俺はまだボクシング部でトレーニングして帰るから、話し合いが終わってから取りに来い」

 片手でトンファーを二本持った了平が歩き出す、が、すぐに彼は立ち止まった。

「――ああ、雲雀」

「……何?」

「沢田はおまえに対して正直になろうとしている。おまえも沢田に対して正直な気持ちを話さなければ伝わるものも伝わらんぞ」


 穏やかに優しく言って、了平は去っていった。
 まるで年下の人間へ向けたかのような了平の言葉を、雲雀は心の中で反芻する。

 正直な気持ちを話さなければ伝わるものも伝わらんぞ。

 雲雀の気持ちよりも、優先させるべきは沢田綱吉の気持ちだ。

 彼は恐れている。
 雲雀のことを恐れている。
 彼は恐ろしさから、雲雀に従っているだけで、それ以外におそらく理由はない。
 雲雀が望んでいた関係はそんなものではない。
 ロンシャンの言葉が思い出される。
 一度殴られた記憶は消えない。
 過去をやり直すことはできない。
 綱吉はこれから先、ずっと雲雀に暴力をふるわれたことを忘れないだろう。恐れて傷ついたことを忘れないだろう。

 雲雀は短く息を吸い込んで、舞台前で立ちつくしている綱吉に近づいていく。しかし、雲雀の足は彼と数メートルほど離れた位置で止まってしまった。すこし声を大きくしないと届かないような微妙な距離を保って、雲雀は綱吉へと視線を投げる。

 彼は両手を腹部のあたりで組んでいた。笑っているような、困っているような顔をして、綱吉は短く息を吸い込んだ。ふわりとやわらかそうな髪の毛先が揺れる。


「雲雀さん」


「逃げないの?」


「オレは、雲雀さんと話がしたいんです」


 そう言って綱吉は組んでいた手をはずし、両腕をゆるく広げた。


「――だから、捕まえてください」


 きれいな瞳だ。
 笹川了平とよく似た、純粋さを残した瞳がぎこちなく雲雀を見つめてくる。綱吉は何かを決意している。それが雲雀にとって、どんなものかは分からない。今すぐにすべてを遮断して、手が届く範囲にあるものを壊してしまいたい衝動が雲雀の中心に生まれる。雲雀の指がトンファーを捜すようにぴくりと引きつったように震える。トンファーは了平に渡してしまった。彷徨いそうになる手をきつく握りこんで、その場から一歩も動くことなく、雲雀は無表情のままで綱吉を眺めた。
 

「どういうつもり?」


「えっと……、だから……、話がしたいんです。雲雀さんと」


「何を話すつもりなの?」


 雲雀の抑揚のない声音に怯えたように綱吉が肩を揺らす。

 そんなに怖いのならば雲雀に背をむけて逃げればいいだろうに。

 次第に締め付けられていくかのように心臓が痛み出すことさえ、表情に出さずに雲雀は真っ直ぐに綱吉を見据えた。彼は緊張をほぐすように細長く息を吐き出しながら、片手で制服の胸元あたりを掴んで、目を伏せる。


「えっと……。あの、じゃあ、オレが勝手に話すんで、聞いててもらえればいいです」


 何かを決意したかのような綱吉の目が、雲雀をまっすぐに見る。
 
 綱吉の目のなかに『鍵』があることを悟って、雲雀は己の世界がぐしゃりと潰れたような気がした。それでも表情は変えずにいるのは、せめてもの意地だった。


「昨日、ロンシャンが言ってたことですけど。……確かに、オレは雲雀さんのこと、いまでもちょっと怖いなって思ってるんです。でもそれは、ほんとうに時々のことだし、前よりは全然怖くなくなってきましたし……。ただ、オレも人間ですから、殴られそうになったら反応しちゃうんです。昨日みたいに腕とか振りかぶられると、とっさに身体が防御の姿勢をとっちゃうんです。オレ、よくリボーンにも殴られたり蹴られたりするんで、ほとんど条件反射なんです。別に雲雀さんがオレのこと、意味もなく殴るなんて、思ってませんよ……? えっと……、うーん……、オレが言いたいことっていうのは、つまり――」


 言いよどむように綱吉がうつむく。

 雲雀のなかで不安と期待がせめぎ合う。
 怖いのか。怖くないのか。
 好きなのか。嫌いなのか。
 綱吉が紡ぐ言葉は曖昧で微妙なものばかりだ。

 雲雀は口を開くべきでないと思いつつも、我慢が出来ずに、口を開いてしまった。


「君は僕が怖いんだね?」


 問いかけられた綱吉は、ハッとして顔をあげ、頷いた。


「ええ。まだ。――すこし」


「君は僕が……、嫌い?」


「あの、えっと……。オレはですね、雲雀さんのことが怖いから、だから好きだって無理矢理に言ってる訳じゃありませんからね? オレは男で、雲雀さんも男じゃないですか。恐怖だけで、き、キスとか受け入れるほど、オレ、自分のこと捨ててないですよ」


「本当に?」


 硬質な声で雲雀が問うと、綱吉は驚いたように目を瞬かせてすぐに答えた。


「この状況で、うそ言ってどうすんですか?」


「僕のことが怖いから、その場の空気だけで答えてるんじゃないの?」


「だから! 言ってるじゃないですか。オレ達、男同士なんですからどんだけ異常なのかわかってますか? 殴られるのが嫌だからって、好きだって嘘つくほど、オレは馬鹿じゃありません!」


「信じられない」


 信じられなかった。

 雲雀は恐怖で他人を支配してきた。
 それが悪いことか良いことかなどと考えたことはない。
 ただ、そうすれば簡単に支配できたというだけにすぎない。

 物心がついてから、ずっとずっとそうしてきた。
 雲雀のまわりには、多くの人間が付き従った。
 彼等は例外なく、雲雀の権力と暴力によって支配されていた。それを雲雀も理解していた。彼等は雲雀の恐怖によって隷属と忠誠を誓っていた。様々なものを利用して玉座に君臨している雲雀を好いて付き従っているはずはない。

 だから、綱吉も同じであろうと。
 恐怖にかられ、雲雀を好きだと口にしているだけだと。
 雲雀はそれ以外に理由はないと思っていた。


 綱吉は、何かを言おうとして口をひらいたあと、眉間に深いしわをよせて、口を閉じた。そして下唇を噛んで、両手のこぶしを身体の横でぎゅっと強く握る。綱吉の目元がぴくりと動き、みるみるうちに目の縁へ涙がたまっていく。


「……オレは雲雀さんにそんなにも疑われてることが信じられません……ッ」


 両手のこぶしを握りしめたまま、綱吉はけふりと咳をひとつして――おそらくはこらえきれなくなった嗚咽を誤魔化すための咳払いだった――、唇を開いた。


「そりゃあ、オレは臆病で弱虫で、だめだめですけど……。オレが雲雀さんのこと、好きだって気持ちを、雲雀さんに否定して欲しくないです。怖いって思ってちゃ駄目なんですか? オレは雲雀さんのこと、怖いって思ってても、それでも好きだなって、そっちの気持ちのが大きいって、つよいって思ってんですよ? ……オレは、ほんとに、ちゃんとあなたのこと好きなんですって、……どう言ったら分かってくれるんですか? 信じてくれるんですか!? 雲雀さんが、雲雀さんが特別にしろって言ったのに、雲雀さんもオレのことすこしは好きでいてくれてるんだって思ってたのに、今までのこと全部遊びだったんですか? やっぱり、オレのこと、暇つぶしのおもちゃくらいにしか、思ってなかったんですか……ッ!? だったらもう終わりにしましょうっ、こんなの、オレも雲雀さんも駄目になってくばっかで、ぜんぜん幸せになんてなれない! 辛いばっかで、なんにも良いことないもの!!」


 悲鳴のように叫んだ綱吉は頭を抱えるようにしてその場にしゃがみ込んでしまった。すぐに彼は身体を震わせながら泣き出し始めた。広い体育館の空間には雲雀と綱吉の二人だけだ。引きつるような綱吉の嗚咽だけが、やけに大きく体育館内に響く。

 雲雀はためらうように足を踏み出したまま、動けなくなった。彼は本当の気持ちを余すことなく、雲雀にぶつけてくれた。だがしかし、雲雀は何も彼へ伝えていない。今まで、他人に己の感情や気持ちなど晒してきていない雲雀にとって、自分の気持ちを言葉に表すことは難しい。頭に浮かんできたどの言葉も不似合いで不確かなように思えた。幾度か開いた唇は言葉を紡ぐことはなく、結局は閉じてしまった。


 綱吉はしゃがみ込んだまま、小さく声をたてて泣いている。びくりびくりと肩を震わせて泣く彼に近寄って、触れて、慰めたいと思っても――、雲雀は動けなかった。
 優しくしたかった。雲雀が優しく接すると綱吉は決まって照れくさそうな顔をして笑った。雲雀が綱吉を特別に扱うと、彼は頬を紅潮させて嬉しそうな顔をした。そんな彼を見ていると雲雀も自然と嬉しくなった。


 綱吉は泣いている。
 立ち去ってしまえば泣き声を聞かなくてすむ。片足が後退しかけるのを、すんでの所でこらえる。ここで逃げ出してしまえば、雲雀と綱吉は永遠に離れていくだけだ。

 言葉ひとつでどうにかなることなどない。
 それでも、雲雀は何かを言わねばいけない衝動に突き動かされた。




「ごめん」




 口をついて出た言葉はありきたりな謝罪の言葉だった。
 言葉を飾ろうと思っても、混乱した頭ではうまく組み立てることができない。



「ごめん。綱吉。違うんだ。僕は、……僕は――」



 続く言葉があった。
 しかし、言葉は声にならない。
 短い呼吸が繰り返されるだけ。
 顔を伏せて片手で顔を覆う。
 涙は流れてはこない。
 物心突く頃から、泣いたことはない。
 泣いても何も変わらない。
 涙を流すだけ無駄なこと。
 いつ涙を流したかも、雲雀は忘れていた。

 雲雀の耳に、綱吉の途切れ途切れの嗚咽が聞こえてくる。

 彼を泣かせたい訳ではない。
 はじめて。
 生まれてはじめて、笑っていて欲しい人間が出来た。
 だから笑っていて欲しかった。
 そのために雲雀が我慢を強いられるとしても、――構わなかった。





 僕は――、君を傷つけた。恐れられることをした。その過去は消えることはない。君を力と恐怖で支配することはとても簡単なことだろう。けれど、僕はそれはしたくない。僕は君を――。




 従わせたい、わけじゃ、ない。





 雲雀の頬に熱いものが触れる。
 驚いて顔をあげた先に綱吉がいた。
 彼は涙で濡れた顔のまま、雲雀の頬へ指先で触れている。


「……つなよし」


 彼は雲雀の頬に触れていた指先を降ろして、シャツをぎゅっと掴んだ。そして短く息を吐いて、ぎこちなく苦笑した。


「……捕まえた、雲雀さんのこと」


 雲雀は顔から手を外して、綱吉のことを見下ろした。彼はまだ、ときおりしゃくり上げながらも、雲雀のシャツを握っている。涙で濡れているだけで、彼はもう泣いていなかった。もう一方の手を持ち上げ、綱吉は雲雀のシャツを両手で掴んだ。


「雲雀さんは、オレのことが、嫌いですか? オレ、いない方がいいですか?」


 ぎゅっと綱吉が雲雀のシャツをつよく掴む。

 雲雀は片手を持ち上げて綱吉の髪に触れ、頬へと指先を滑らせる。彼は少しだけ双眸をほそめた。ゆっくりと指先で頬を撫でる。


「抱きしめさせてくれる?」


 綱吉はうなずくのを確認してから、雲雀は両腕で彼の身体を腕のなかにおさめた。雲雀は女を抱きしめたことはない。まして、他人を抱きしめたこともない。だから比べようがなかった。それでも、確信できることがひとつだけあった。



 ああ。


 幸せだ。



 雲雀は目を閉じる。
 ふわりとやわらかい彼の髪にあごを寄せて、すっぽりと華奢な綱吉の身体を抱きしめる。おずおずと、綱吉の手が雲雀の背中にまわり、その手が雲雀の服を掴んだ。かすかにかかる綱吉の手の重みと存在感に雲雀はさらに胸が甘く軋んだ気がした。

「オレ……」


 綱吉は雲雀のあご下あたりに顔を寄せたままで囁く。


「オレ、なんでも雲雀さんには正直に言いますから。だから、雲雀さんもオレへの言葉は溜めたりしないで、ちゃんとオレに言ってください。――なるべく、答えますから」

「なるべくなの?」

「……だって、やっぱり、オレにだって秘密くらいありますよ」

「どんな?」

「ひ、ひみつです」


 思わず雲雀がくすりと笑うと、綱吉がそっと顔を持ち上げてきた。彼は雲雀と目が合うと、少しだけ照れくさそうにくしゃりと笑った。昨日ぶりの――失うものだと思いこんでいた――彼の笑顔だ。


「この場合だと、やっぱり雲雀さんの勝ちになるんですか? あ、そういえば、鍵って何なんですか?」

「鍵は――」


 雲雀は綱吉の額に額を寄せる。彼は一瞬、キスをされるのかと思ってとっさに目を閉じたようだったが、雲雀がキスをしなかったので、そろそろと瞼を持ち上げ、間近にある雲雀の目を真っ直ぐに見た。

 閉ざすための鍵を受け取りに来たはずだったというのに、綱吉が雲雀へと差し出したのは――

『捕まえた、雲雀さんのこと』


 ――雲雀の世界を開く鍵だった。


「鍵は、もう、君がくれた」

「へ? オレ、何もあげてませんけど?」

「もう、いいんだ」

「そうなんですか?」


 不思議そうな顔をして、綱吉は首をかしげていたが、雲雀が黙ったままでいるので、それ以上は追求してこなかった。ふいに、彼は小さく声をあげ、雲雀の背中の服を掴んだまま、じぃっと雲雀の目をのぞき込んできた。


「あ、あの! 昨日みたいなのは、やめてくださいね?」

「うん?」

「一方的に拒絶されると、オレ、どうしたらいいか分かりません」

「あれは……、遮断だったんだ」

「しゃだん?」

「思考の遮断。何も考えないように切り替えたから、ああなったんだ」

「きりかえた……」

 感心するように呟いて、綱吉はかるく目を見開いた。もとから大きな彼の目がさらに大きくなり、愛嬌のある顔がますます愛らしくなる。

「雲雀さん、なんか、すごいですね」

「誰でもやるでしょう?」

「いや、意識的に切り替えとか、そんなのやらないと思うんですけど」

「そう? 山本武とかがよくやってるでしょ?」

「え、山本ですか? う、うーん……、どうなんだろう……」

 うつむいて考え出した綱吉のあご下へ指先をすべらせ、雲雀は彼のあごを持ち上げる。きょとんとする綱吉を見下ろして雲雀は片目を細めた。

「僕といるのに他の男のこと考えないで」

「あ、はい。すいません。――あっ」

「今度はなに?」

「雲雀さん、ロンシャンに何かしたんですか? 今日、学校にこなかったんですけど……」

「内藤? 知らないよ」

「え、雲雀さんがぼこぼこにしたとか、そういうんじゃないんですか? こう闇討ち的な感じで」

「そんな面倒なことしないよ」

「あんなに怒ってたから、きっと雲雀さんがぼこぼこにしたと思ってたんですけど……」

 遠慮がちな綱吉の視線を受け、雲雀は片側の口角を持ち上げて、目を細める。

「……君、やっぱり僕のこと、そうとう怖いって思ってるんじゃないの?」

「だって、雲雀さん、そういうキャラじゃないですか」

「ぼこぼこにする?」

「だって、……されましたもの、オレ」


 へにゃり、と力無く笑う彼の髪を片手でかるく叩くように撫で、雲雀は表情少ないままに頷いた。


「あれはね、仕方なかったんだよ」

「はあ……、そうですか」

 相づちをうってクスクスと笑った綱吉は、雲雀の顔を見上げてくる。

「仲直りで、いいんですよね? オレ、雲雀さんのこと好きでいて、いいんですよね?」

 そう言って首をかしげた綱吉は、かるく下唇を噛んだ。
 綱吉が下唇を噛むときは、彼がキスを意識しているときだと気がついたのは少し前だった。彼がその癖を見せるとき、雲雀は何も言わずにキスをしてきた。そのことをきっと綱吉は知らない。


「僕とキスがしたい?」

「ぅえ?」

「いま、唇を嘗めたでしょう?」

「ひ――」

 雲雀の名前を言おうとした綱吉の唇へ唇を重ねる。開かれた彼の口のなかへ舌を押し込む。彼は反射的に目を閉じたが唇は閉じなかった。必死に雲雀の舌の動きを追うように舌を動かす。何度か舌を噛まれたことがあるので、キスに慣れていない綱吉に長い時間のキスは望めない。

 唇を離し、かるいキスを一度してから顔をはなす。
 綱吉は、ほうーっと長い息を吐き出して、雲雀のほうへ身体を寄せた。ふわふわとした髪に指を差し入れて撫でていると、綱吉が顔をあげた。雲雀と目が合うと彼は首をすくめて照れくさそうに微笑む。思わず雲雀は微笑んで、彼の頭を撫でてしまった。


「可愛い」

「うっ、……オレよか、雲雀さんのが可愛いですよ」

「僕は可愛くないよ」

「いいえ、可愛いですよ」

「可愛くないよ」

「可愛いですよ」

「……………………」

「……………………」

 妙な沈黙のあとで、綱吉は額を片手で押さえて、眉間にしわを寄せた。

「は! こんなことでまた喧嘩とかしたくないんですけどっ」


 素っ頓狂な声をあげた綱吉が愛しくて、雲雀は何も言わずにつよくつよく彼のことを抱きしめた。「ぐえ」とか「うわ」とか綱吉が声を上げたことにも気がつかないふりをして綱吉を抱きしめる。

 愛しい。
 愛しい。

 『これ』を失いたくはない。


「綱吉」

「え、はいっ」

「殴って、悪かったね」

「いいんです。……もう、ずっと前のことじゃないですか」

「僕はもう君を殴らない。僕の両手は君を殴るためにあるわけじゃないからね」


 綱吉は雲雀の言葉が染みいるのを待つかのように一瞬だけ目を伏せて、微笑む。


「……あの、雲雀さん」

「なに?」

「オレたち、つきあってる、ってことでいいんですよね?」

「なにそれ」

「……え、えっ……?」

 戸惑うように綱吉が目を瞬かせる。
 そんな彼の鼻先にキスをひとつ落として、雲雀は意地悪く笑う。


「いまさら聞くこと?」


 ふにゃりと脱力するように雲雀に身体をぶつけたあとで、綱吉は小さくうめくように呟いた。


「……いじわるしないでくださいよ」