「おっはよぉん! はよはよーん!」 教室の前方のドアから大声をあげて現れた内藤ロンシャンを見た獄寺が、はっきりと分かるくらいに嫌悪に顔を歪ませた。 「うざいのが来やがった」 机の前に立っていた彼のあからさまな態度に、綱吉は思わず吹き出しそうになったのを唇を閉じてこらえた。 「うぃっす! うぃーす! みんな、寂しかったでしょでしょ? オレがいないと毎日が始まんないっしょ? みんなが愛するロンシャンくんが登校しましたよー! おっはよん!」 教室に入って、周囲のクラスメイト達に声を掛けながら、ロンシャンはまっすぐに綱吉の席までやってきた。 「相変わらず人の話きかないのなー、ロンシャン」 山本がさらりと言う言葉はロンシャンの耳には届かなかったのか、彼は陽気な態度のまま、綱吉の席の前でウィンクをした。 「さっわだちゃーん。はよはよーん。元気ぃ? おれっち、ちょー元気ィ!」 「ロンシャン。昨日はどうしたの?」 「え、昨日? 昨日はねー、ちょっと彼女ととらぶっちゃってさー、なんていうの、ドキドキサバイバル?生きるか死ぬか?っていうか、死んじゃうの、オレ!?的な修羅場ってのをね、くぐりぬけてたの、必死に、必死にね!」 「……あ、そう」 「ちょーすごかったんだからー! 沢田ちゃんにも見せたかったなァ、おれっちの勇姿! きっと惚れちゃうよー?」 大きな身振り手振りで修羅場を再現しているロンシャンに苦笑いを返していた綱吉は、急にクラスメイト達がどよめいたので、ロンシャンから視線を外してざわめきの中心へと目を向ける。同じようにして騒ぎの中心に目を向けた獄寺は舌打ちし、山本はおおげさに目を見開いた。人影の合間から雲雀の姿が見えた気がして、綱吉は椅子から立ち上がった。 「あ。雲雀さん」 無表情のままに近寄ってきた雲雀は、綱吉のすぐ前までくると立ち止まった。綱吉はかるく頭を下げた。 「おはようございます」 「はよー、雲雀」 「あんだよ、何か用なんかよ? ああん?」 「イインチョー、朝からどしたのよ?」 綱吉から視線を一切外すことなく、雲雀は口を開く。 「おはよう。綱吉」 「なになに、イインチョー? オレと修羅場でもするつもりなの? え、オレ、二日続けて修羅場らなきゃいけないのー? わおっ、それって過酷ぅ」 身体をくねらせるロンシャンの態度に綱吉はひやりとした焦りを感じて、とっさにロンシャンの腕を掴もうと手を持ち上げた。が、ロンシャンの腕に触れる前に綱吉の手は雲雀の手に握られてしまった。 「雲雀さん?」 不思議に思って綱吉が見上げると、雲雀はきゅうににっこりと笑った。 雲雀の笑顔など見たことがない獄寺・山本・ロンシャンはそれぞれに驚いたように身を固めて動かなくなる。綱吉も例外ではない。胸がどきりと跳ねている間に、雲雀は綱吉の上向いた顔に顔を近づけてくる。とっさに身を引こうとした綱吉だったが、手をとられているので逃げることはできない。 「えっ、――ぅう? んむ、う!?」 雲雀の唇と綱吉の唇が触れる。 綱吉は目を見開くだけで精一杯で周囲のことなど意識から吹っ飛んだ。 間近にある雲雀が、悪魔のように美しく魅力的に微笑んだ様子が綱吉の瞳にうつる。 ちゅう。 わざとらしく音をたてて唇をはなし、雲雀は絶句している周囲の人間をぐるりと威嚇するように眺めた。 「ひっ、…………り、さ!」 完全に裏返った声で叫ぶと、雲雀は視線をちらりとよこしただけで、再び周囲へと支配者の視線を巡らせる。雲雀に一番近い場所にいた男子生徒は短く悲鳴をあげて一歩ほど足を引き、離れた場所にいる生徒達も同じような怯えたような顔をして息をひそめていた。 「沢田綱吉は僕のだから、勝手に好きなようにしたら許さないからね」 絶句しているクラスメイト達から視線を外し、雲雀が綱吉を見る。綺麗な漆黒の瞳がまっすぐに貫くように見つめてくる。 「放課後、応接室に来なよ」 綱吉は雲雀の瞳に吸い込まれていくような気がして目が離せなかった。 「返事」 「うえっ、あ、はいっ!」 気をつけをして返事をした綱吉に対して一度頷いて、雲雀はくるりと一同に背中を向けて教室を颯爽と出ていった。 しぃん。 とした教室の静寂をぶち破ったのは、獄寺が近くにあった机を蹴り飛ばした音だった。机は周囲の机を巻き込んで倒れ、大きな音を立てる。すぐさまクラスメイト達の間にも動揺の波紋が広がっていく。 「あんの、ボケ野郎おぉおぉおおお! 果たす!!」 ダイナマイトを両手にたずさえて、今にも走り出しそうだった獄寺の腕に綱吉は飛びついた。獄寺のほうが体格がいいので、綱吉は数歩分ほど引きずられたが、必死に体重をかけて獄寺の行動を阻止した。 「うわああ、ちょっと、待って! それは駄目だって!」 「うん。ちょっと、獄寺に同意してー気分だな」 「え、なになに? オレが休んでる間に何があったのよー?」 綱吉は獄寺の腕にしがみついたまま、獄寺と山本とロンシャンがなにやらがやがやと騒ぎ出すのを上の空で聞いていた。衆目の前でキスをされたことにより、綱吉の頭のなかは大混乱である。顔が熱いし、今にも意識をとばしてしまいたいくらいの羞恥心で目の前がちかちかしているような感覚がする。獄寺の腕から手を放し、綱吉は片手で胸を押さえた。 「ううっ、なんかもう、心臓、いたい……」 声にならないような声だったというのに、獄寺が素早く反応して綱吉へと身を寄せた。 「大丈夫ですか!? 十代目! シャマルんとこいきますか!?」 「あ、いや……、そういうたぐいの痛みじゃないから、平気……。ごめん、心配させちゃって」 綱吉の顔をまじまじと見つめ直した獄寺は、ひどく苦い顔をしたあと、前髪を片手でかきあげた。 「十代目っ、くそっ、雲雀の野郎! やっぱ、果たしてきます!」 「あ、獄寺くんッ――」 獄寺は綱吉の呼びかけに答えることなく嵐のごとく教室を飛び出していった。 「あ、おれも行っちゃおうかなかなー! イインチョーにはちょっとジェラシィだしぃ。じゃあねん、沢田っちゃん、ちょっとまふぃあってくるねーぇ」 後ろ向きのままにウィンクと投げキッスをしたロンシャンは、向きを変えて軽快な足取りで教室を出ていった。 「ロンシャンもなのかよ! って、もう、行っちゃったよ……。あーあ、どうしよ……。授業とか、自習になりそうな気がしてきた……」 「ま。いいんじゃね? 本気で殺し合う訳じゃねーだろうし」 「殺し合うって、……山本、そんなさわやかな顔でいわないで……」 教室のざわめきは収まりそうになかった。ちらりと室内に視線を向けてみれば、教室を飛び出していくクラスメイト達がいた。おそらくは今日中に学内に雲雀の宣言が広がりきるだろう。 綱吉の口から溜息のような諦めのこもった悲鳴のような「あぁああぁぁあー」という声が自然ともれた。力無く椅子に座った綱吉の前に山本が立った。彼の大きな体のおかげでクラスメイト達からの視線が遮られたので、少しだけ綱吉は気分が楽になった。 「ツナ」 「うん?」 山本の顔を見上げると、彼は優しく微笑んでいた。 「ツナ、しあわせか?」 「え、あー。……うん」 「そっか。――なら、俺はそれでいいや」 「うん?」 「俺はさー、ツナが幸せなあ、それでいいや!ってこと」 「……山本は応援してくれるの? オレと雲雀さんのこと」 「ツナが雲雀のこと好きならな。――なにかあったらいちばんに相談してくれよ? 力になっからさ」 「やまもと……」 にぃっと笑う彼の顔につられ、綱吉も微笑んでしまう。 山本は手を持ち上げて、綱吉の頭のうえに乗せた。 「俺は、いつだってツナの駆け込み寺になってやっからなー。よしよし」 「や――」 綱吉が「山本」と発音する前に、山本の腕が綱吉に覆い被さるようにして、すいっと右側へと身体をずらした。 途端、すぐ近くで硝子窓が割れる音がした。驚いた綱吉が腕の中で身をよじって音の発生源を確認すると、背後の左側の窓枠からぱらぱらと細かくなった硝子が床に落ちていくところだった。 「っと――、あっぶねーな、雲雀!」 雲雀の名前に驚いた綱吉は立ち上がって、山本の腕ごしに教室内を見た。教室に侵入してくる雲雀を恐れて、クラスメイト達があっという間に教室の壁際へと引いていく。獄寺が机を蹴り倒して出来たぽっかりとした空間に立った雲雀は、片手だけでトンファーを構え――そこでようやく、綱吉は雲雀がもう一方のトンファーを窓へと投げつけたのだと思い当たった――、憎々しげに山本を睨んだ。 「戻ってきてみれば、やっぱり君か、山本武」 「んー? 獄寺とロンシャンはどーしたんだよ?」 言いながら、山本は綱吉のことを背中にかばうように立ちはだかった。綱吉の視界から雲雀の姿が消え、変わりに広い山本の背中が広がる。 「君が追いかけてこないなんて何かあると思ってね。適当に校舎内でまいてきた。そしたら案の定だったしね。僕の勘は正しかったわけだ」 「勘? いったい、なんの事だよ?」 「そうやってとぼけるからね、君は。やっぱり君がいちばん、たちが悪い。――僕の綱吉に近づかないでよ」 「いやだね」 面白可笑しそうに言った山本は、綱吉の手首を掴んで前へと引いた。 「わっ、わわっ」 前のめりになった綱吉の身体を背後から包むように腕を回して、山本は「ははっ」と笑う。綱吉には山本がどうして雲雀に突っかかるようなことを言っているのか分からない。戸惑うように山本を見上げてみれば、いつものように陽気な笑顔を浮かべているので、ますます綱吉は混乱してしまう。 忌々しいものでも見るかのように雲雀は山本を睨み付け、――苛立たしげに息を吐いた。そしてトンファーを構えていない方の手を身体の前へ差し出して、鋭い視線を綱吉へと向けた。 「つなよし!」 「うぇっ、はいっ!」 「おいで!」 綱吉は反射的に山本を見上げてしまった。彼は吐息で笑うような仕草をして、綱吉の身体に回していた腕をすぐにゆるめた。「やまもと」と言う前に、雲雀がもう一度綱吉の名前を呼んだ。綱吉は歩みを進めて雲雀の手をとった。クラスメイトの痛いほどの視線を全身に受けながら、綱吉は雲雀の手を握って歩き出す。 「おーい、雲雀ってば、授業はー?」 雲雀は廊下に出たところで教室を振り返った。同じように綱吉も教室内を振り返る。山本は割れた硝子窓の脇に立ち、相変わらずの笑顔を浮かべている。 「綱吉は今日は特別授業になったって言っておいて」 「おー、やらしい特別授業ってか?」 「えぇえ!?」 奇妙な声をあげた綱吉と似た声をクラスメイト達が小さくあげ、ひそひそとおさえられた囁き声がつづく。見る間に顔に熱が集中していくのを感じながら、綱吉はおそるおそると雲雀を見上げた。彼は綱吉と目が合うと、わずかに動揺したようにまつげを震わせたが、無表情をつらぬいて、山本へと冷たい視線を向けた。 「卑猥だね、君の頭のなかって」 「あっはっは。かっわいいのなー、ツナ。顔まっかっか。――あぁ、昼飯は一緒に食おうなー、待ってっからさ」 「う、うん!」 「返事なんてしなくていい」 雲雀に強く手を引かれるままに、綱吉は廊下を歩き出す。背後で教室内が一気にざわめきだした。明日からの学校生活を思うことを綱吉は放棄した。先ほどでの教室での一件は笑えてしまうくらいに雲雀らしい行いだった。そう考えてしまえば、仕方がないことだと割り切るしかない。綱吉に雲雀の手を振り払う気持ちはないのだから。 「ほんと、油断のならない奴らばっかりで、うんざりする……」 「ご、ごめんなさい」 歩きながら雲雀が綱吉を見る。おさまらない怒りを込めた息を吐いて、雲雀は唇の片側を持ち上げる。 「君に怒ってる訳じゃない」 「えっと、――オレ、雲雀さんのことが好きです。大好きですからね? だから、オレのこと捨てないでくださいね……?」 綱吉はそう言いながらぎゅうっと雲雀の手を握りしめる。 雲雀はすぐに顔を前へと向け、 「応接室に行くよ」 と静かに言った。 半歩ほど送れて歩いている綱吉からは雲雀の頬のあたりしか見る事ができなかったが、それでも彼が顔を赤くしているのが見ることができた。 胸の奥のほうから泉のように溢れてくる感情をおさえることなく、綱吉は微笑みを浮かべて雲雀の手をよりいっそう頑なに握りしめた。 「はいっ」 |
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【END】 |