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体育館の入り口から真っ正面にある、舞台の段差のうえに綱吉は座っていた。そのすぐ近くで了平が舞台の段差を背にして立っている。ぶらり、ぶらりと足先を揺らしながら、綱吉は昨日ことをぼんやりと思い出していた。嫌われてしまったのだろうか。せっかく雲雀と仲良くなれたのにもう終わりなのだろうか。どんどん思考はマイナスの方向へ向かっていく。綱吉はリボーンと出会う前までは、完全にネガティブ思考――もしくは『諦め続ける』ことに慣れすぎていた。
雲雀は体育館に現れるだろうか。
逃げない綱吉に呆れ果て、姿を現さないことも考えられる。
綱吉が息を吐き出した気配を察したのか、了平が綱吉の方へ身体を傾けてきた。
「沢田は雲雀と喧嘩をしたのか?」
「喧嘩っていうか……。オレが雲雀さんのことを怒らせちゃったんだと思います……」
「俺でよければ極限に相談相手になるぞ?」
優しく笑いながら、了平は綱吉の頭に手をのせた。おそらくは、妹である京子にも同じようなことをしているに違いないであろう、自然な仕草だった。近い場所に親戚もおらず、一人っ子の綱吉にとって、身近な年上の男性はいない。思わずゆるみかけた情けない涙腺をこらえながら、綱吉は昨日あったことを素直に了平へと話した。順序立ててうまく話せない綱吉に苛立つこともなく、彼は何度か合間に相づちを打つ以外は静かに綱吉の話を聞いていた。
すべてを聞き終えた了平は、胸の前で腕を組んであごを引いた。
「沢田は雲雀が怖いのか?」
「前よりは怖くなくなりましたけど……、まだちょっと怖かったりします」
「俺のことは怖いか?」
「了平さんのこと、ですか? いいえ」
一瞬だった。
了平がファイティングポーズをとって、右の拳を綱吉めがけて突き出す。
「――ッ」
綱吉の鼻先で拳はぴたりと止まった。風圧で額の髪がふわりと揺れたのが視界の端に移った。了平はファイティングポーズをといて、驚いたままでいる綱吉に静かに問うた。
「もう一度聞く。俺が怖いか? 沢田」
綱吉は鼻先に指先で触れる。
殴られていないのだから痛みはない。
怪我もしていない。
驚きはしたが恐ろしいとは思わなかった。
綱吉は顔をあげて了平の澄んだ瞳と瞳をあわせる。
「了平さんは、意味もなく、オレのこと殴ったりしません」
「『俺は』意味もなく人を殴ったりせんが、『雲雀は』意味もなく人を殴るから、恐ろしいということか? 沢田は、まだ雲雀がおまえのことを理不尽な理由で殴ると思っているのか?」
「うーん……。雲雀さんはときどき乱暴なときがありますけど、前みたいにはオレのこと殴らないとは思ってます。でも――、やっぱり、手をあげられると、ちょっと、まだ、殴られるのかなって思うこともあります」
「……おまえは正直だな。沢田」
少しだけ呆れるように言って、了平は苦笑する。
綱吉はつられるようにかすかに笑って、吐息をつく。
「怖いんです。でも、それ以外の感情だって、オレにはちゃんとあるんです。気持ちってひとつじゃないといけないんですかね? オレがびくびくする弱虫だから、雲雀さん、呆れて嫌になっちゃったんでしょうか?」
「それは――」
了平は右手を持ち上げて、体育館の入り口の方向を指さした。
「本人に聞けばいいだろう」
体育館の扉を開けて、黒い学生服を肩にかけた雲雀恭弥が歩いてくる。両手にトンファーを握り、ほとんどないに等しい表情は厳しく、冷たいものだった。綱吉の脳裏で昨日の出来事が一瞬でフラッシュバックする。胸がぎりぎりと締め付けられたような苦しさに耐えきれず、吐息と共に「雲雀さん」と呟く。声はまだ届かない。
緊張が全身に行き渡っていた綱吉の頭を、くしゃりと了平の手のひらが撫でた。二度、三度、綱吉の気持ちを落ち着かせるように了平の手のひらが髪を撫でる。
了平の手をかりて、舞台の段差から飛び降りる。乱れた髪を片手で整えながら了平を見上げると、彼は不安などすべて吹き飛ばすような笑顔を浮かべて、右手を己の胸に添えた。
「すべて、正直に話せばいいだけだ。おまえの気持ちは、きっと雲雀に届くはずだ」
「はい、……そうですよね。言わないと、分かってもらえないことってありますよね……。いろいろありがとうございました」
綱吉が頭を下げると、了平は「何かあったら頼ってくれていいからな」と朗らかに言うと、くるりと向きを変えて向かって来る雲雀の方へと歩き出した。
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