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綱吉が腰掛けた机の前に、煙草を斜めにくわえた獄寺が立った。山本は片手にいつものバットを握りしめ、綱吉の向かい側の席に腰を下ろした。片手に持ったモップを背後の窓辺へ立て掛けて、綱吉は期待に満ちた二人の視線を苦笑いを浮かべつつ受け止めた。
「とりあえずさ。獄寺くんも山本も怪我してまで、オレのこと守んなくたっていいんだからね? 約束だかんね?」
「はいっ。十代目がそう仰るのなら!」
「わーったよ」
重苦しく頷く獄寺と、かるい態度で返事をした山本――、各々の応対の仕方があまりにも彼等らしくて、綱吉はどうにも脱力してしまいそうになる。
「えっと。まず、どうしたいいかな。まっすぐに昇降口にいったら、雲雀さんいそうじゃない?」
「まー、そうだよなー。俺等、まだ上履きだし。でもさ、今日はいいんじゃね? 靴取りに行くリスクは高いぜ?」
「そうなると土足で帰宅かぁ。――あ、でもそれ、あとで雲雀さんに知られたら、烈火のごとく叱られそうだよね……」
「だろうなー」
「あのう」
獄寺が右手をあげながら綱吉を伺うように見た。
「十代目。俺を昇降口に偵察に行かせていただけませんか?」
「……え」
「うまくいけば、十代目の下履きを手に入れることができますから」
綱吉に微笑んだあとで、すぐに獄寺は不機嫌そうな顔になって山本を睨んだ。
「だからその間、おまえは十代目を連れて保健室にでも行ってろ」
獄寺は下履きのポケットから何かを取り出して山本に向かって放った。とっさのことに動揺することもなく、山本は獄寺が放り投げたものを片手で受け取った。山本が手を開くと、そこには鈴がついた銀色の鍵が一本あった。
「鍵あいてなかったら、それ使え」
「え、なんで獄寺くんが保健室の鍵持ってんの?」
「シャマルのキーリングからスペアを盗ってきたんすよ」
「……犯罪だよ……」
「いいんすよ。あいつ、ほとんど保健室閉めてふらふらしてんですから」
「まあ、うん。シャマルが保健の先生らしいことしてるとこ、あんまり見たことないよね……。っていうか、獄寺くんが一人で行くなんて危ないじゃないか! もしも雲雀さんがいたらどうすんのさ!?」
「お気遣いなく! ただの偵察ですから」
「ほんとうに? 見てくるだけだかんね? 雲雀さんにくってかかっちゃ駄目だからね?」
「承知しました。任せてください」
右手を胸にそえて誇らしそうに笑う獄寺の腕に、綱吉は片手で触れた。
「……危ないことはしないでね?」
「はいっ」
「おー。頑張ってこいよなー」
綱吉に見せていた満面の笑みをひっこめて、獄寺は山本を指さしてあごを引いた。
「てめえ、ちゃんと十代目をお守りしとけよ!」
「おー、分かって――」
山本の声を遮ったのは、勢いよく開いた教室前方のドアが開いた音だった。綱吉も獄寺も山本もぎょっとして音の発生場所へ視線を向ける。開かれたドアの向こうには雲雀恭弥が立っていた。彼は無表情のままで室内にいる三名を眺めると、口角を持ち上げて仄暗く笑んだ。
「僕はね、待ち伏せなんてしない」
「そーです、か」
ゆっくりと机から降りて床に足をついた綱吉の両脇に、山本と獄寺が立つ。
教室に踏み行った雲雀は両手にトンファー握りしめたままで、教壇脇に立った。漆黒の鋭く美しい瞳が綱吉のことを射抜くように真っ直ぐに見た。
「綱吉」
「はいっ」
「――逃げて」
逃げて。
逃げて?
「ひば――」
「てめえは十代目に近寄るんじゃねえよ!!」
「なに? そんなに咬み殺されたいの?」
「はっ、ふざけんな!」
獄寺がダイナマイトを取り出して両手を振りかざす。雲雀は攻撃的に笑むと応戦するようにトンファーを構える。
逃げて。
雲雀はそう言った。
その意味が綱吉には分からなかった。
「ひばりさ――」
「ツナ、こっち!」
山本に腕を掴まれてしまい、綱吉は雲雀から目を逸らさなくてはならなかった。開かれた窓の窓枠に足をかけてベランダへ移動した山本の手を借りて、綱吉もベランダへ移動する。綱吉がベランダの床に両足をついたあと、山本はベランダ側から手を入れて、教室に残されていたモップを手にとって、綱吉にわざわざ差し出してくれた。
「ほい」
「ありがとう……?」
綱吉は複雑な気持ちで山本からモップを受け取った。背後の教室では、机と椅子がなぎ倒されていく騒音が立て続けに響き出す。振り返ろうとした綱吉の肩に山本の腕が回り、引き寄せられる。
「なあ、ツナ」
「うん?」
「二階ってぎりぎり跳べそうじゃね?」
山本が目線で階下を示す。綱吉はベランダの手すりを両手で掴んで校庭を見下ろすが、すぐに首を左右に振って山本を見上げる。
「ひぃい、まじで!? ムリムリムリムリ!」
「――おー、知ってる声がするかと思ったらおまえか、沢田! まだ校内にいたのか?」
教室のベランダのすぐ下から聞き慣れた声がした。綱吉はモップを手放して、てすりにしがみつき、背伸びをしてグラウンドを見下ろした。視線の先にはジャージ姿の笹川了平が、爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。
「お兄さん!」
綱吉の声に重なるように教室から爆音が響き渡った。思わず綱吉は両手で耳をふさいで首を縮める。と、背後からの爆風から綱吉をかばうように山本の腕が綱吉の肩を抱いた。山本の身体に背後から包まれたまま、綱吉はベランダから乗り出すようにして了平に手を振った。
「お兄さん!」
「ジョギングが終わって休憩してたところだったんだが、おおっ、なんだか背後が騒がしそうだな!」
「今なー、ツナ、雲雀と追いかけっこ中なんだよ。なー?」
「追いかけっこか! それは極限に熱い遊びだな! 逃げるのにそこから飛び降りるんだな! 分かった! さあ、沢田! 俺の胸に飛び込んでこい!」
「ええぇえええ!」
「大丈夫だ! 極限に受け止めてみせるぞ! 任せておけ!」
自信に満ちあふれた笑みを浮かべて了平が両腕を広げるが、綱吉は思い切り首を横に振った。
「いや、いやいやいや! 駄目だって! いくらお兄さんでもさ、俺が高いとこから落ちた衝撃とか、受け止めきれないって!」
「じゃあ、俺がツナのこと姫抱きして飛び降りるとか?」
綱吉の身体を背後から片腕抱きしたまま、にっこりと山本が笑う。綱吉はあごをそらして山本を見上げ、彼の笑顔にかわいた笑顔をかえす。
「……それも遠慮したい」
「遠慮しなくてもいいのになー」
「山本に姫抱っこなんてされたら、オレ、涙でるかも」
「うれしくて?」
「かなしくて!」
うーん。と短く呻いたあとで、山本はさらりと言った。
「じゃあ、ツナが自分で飛び降りねーとな」
ベランダのてすりを掴んだまま、綱吉は下をのぞく。かなり高さがある。飛び降りようとは絶対に考えないくらいの高さがある。
「……こわい……」
「優柔不断なのなー」
「うっ。なんとなく、責められてる気がする……」
眼下では了平がスタンバイをしたまま、綱吉が落ちてくるのを待っている。
背後では山本がにこにこ笑って綱吉の言葉を待っている。
そして背後の教室からは絶え間なく、戦闘音が続いている。
綱吉は数秒間のためらいのあとで決意した。
「え、えーと。じゃあ、跳び、降り、ます!」
「ようし! てすりに座って背後へ倒れるように落ちれば、必ず俺が受け止める!」
綱吉はあごをそらして山本を見た。
山本はあごを引いて綱吉を見下ろす。
「……失敗したらオレ死んじゃうよね?」
「じゃあ、姫抱きする?」
「それはオレのなけなしの男のプライドが消し飛ぶので遠慮したい。ううぅ、なんだろう、なんで鬼ごっこなの? 雲雀さん、昨日から訳わかんないよ……」
「昨日?」
「えっと、山本、手ぇ貸してくれる?」
「ん? おー、りょーかい」
綱吉は山本の手を借りててすりに腰をかけた。溜息とも深呼吸ともとれる息を吐きだしても、いっこうに恐怖心はおさまりそうにない。山本の背後の教室に視線を投げると、もうもうとダイナマイトが爆発した煙がたちこめていた。そのなかを二人の人間が素早く動いているのが、煙の流れで知ることができる。
このまま、逃げて良いのだろうか。
「ツナ?」
綱吉は教室から山本の顔へと視線を移した。
山本は綱吉と視線があうと首を傾げる。
「どうかしたん? 逃げんだろ?」
「ご、ごめん。――じゃ、じゃあ、いきますよー?」
「よぉおおおし!! 来い!!!」
「――うーぅ、もうどうにでもなれー」
綱吉は目を閉じて引力に任せて背面から地面へ落下した。ほんの一瞬の浮遊感――、予測していた痛みはなかった。目を開いてみると了平の顔が間近にある。夏の日差しのような笑顔を浮かべて、了平は頷いた。
「よし! 無事だな、沢田!」
「――はい。ありがとうございます」
地面に下ろしてもらいながら、綱吉は了平の隣に立った。彼は綱吉よりも身長が高いので、綱吉は必然的に了平の顔を見上げるかたちになる。
「トレーニング中だったんですか?」
「ああ。近隣をぐるりと走って戻ってきたところだったんだが、もの凄い勢いで生徒達が帰宅していってなー。なにかあったんだろうかとは思っていたんだ」
「あー……。たぶん、風紀委員会の連中が追い出したんだろうなあ」
いつの間にか、二階から飛び降りた山本が綱吉たちの背後に立っていた。綱吉と目が合うと、彼は自身の無事を示すかのように片手で胸と腰の辺りをぱたぱたと叩いて、にぃっと笑った。
「鬼ごっこのために?」
「やりそーじゃね?」
綱吉が返答をしようと息を吸い込んだ瞬間、頭上の教室でひときわ大きな爆音が鳴り響く。
「おっ、とにかく逃げねーとな」
「なにか策があるのか? 山本」
「じゃじゃーん」
了平の問いかけに、山本は片手を顔の横に掲げる。その手には獄寺から譲り受けた保健室の鍵が握られていた。
「なあ、ツナ」
「うん?」
「――こっちから罠とか仕掛けてみねー?」
「え、わなって――」
「ただ、追いかけられてんのもつまらねーじゃん。まあ、俺に任せとけって」
そう言って保健室の鍵を片手に握りこんで、山本は片目をとじて笑った。
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