期末テスト中は生徒たちは午前中授業で終了となる。ホームルームを終えた生徒達は、明日も予定されているテストのために、いつもよりも早く帰宅を始める。テスト勉強をする者もいるだろうが、ほとんどの生徒達は友人達と連れだって遊ぶ者のほうが多い。テストの圧迫感から解放される放課後は、誰しも落ち着かず浮かれてしまいがちだ。

 綱吉はざわめく教室の中、椅子の背もたれにもたれて両腕を頭上へと伸ばす。四日間ある期末テストは残すところあと一日だ。しかも、苦手な理数系のテストはもう終わっていて、綱吉のなかではほとんど今回のテストは終えているようなものだった。とはいえ、文系のほうも気をぬけば赤点確実になり、リボーンに殴られてしまうので油断は出来そうにない。


「あーぁ、やっと放課後だよー」

「今日もお疲れさまでした! 十代目!」


 鞄を肩にかけた獄寺が綱吉の席の前に立ってにっこりと笑う。いつもは仏頂面の獄寺だが、綱吉の前だけでは笑顔を浮かべていることが多い。
 綱吉は出会った当初の頃の獄寺の一挙一動に対して怯えていた時がある。そのことが獄寺にも伝わってしまったのか、次第に彼は綱吉に対して好意を全面に押し出すようになっていた。獄寺と過ごすようになって、彼が思っていたよりも恐ろしい人間でないことが分かってからは、彼を怖がる気持ちは綱吉の中で小さくなっていった。今の綱吉は獄寺のことを恐れる気持ちはない。むしろ、恐れよりも心配な気持ちのほうが強かった。
 獄寺は綱吉のことばかりでそれ以外はすべて価値がないものと思いこんでいるように綱吉には見えた。そのことで獄寺がつかめるものをいくつも取り逃しているんではないかと、綱吉は心配で仕方がなかった。しかし、獄寺を前にするとどうしてもそういった話題を口にすることができずに、ずるずると年月だけが過ぎていくばかりだった。
 綱吉は獄寺に笑いかけて、頷く。


「テスト、獄寺くんのおかげで前よか出来たきがする。ありがとうね」

「も、もったいないお言葉です! ありがとうございます!」

「お、じゃあ、今回はツナのが赤点すくねーかもなー」


 自然な流れで山本が綱吉の机の近くにやってくる。獄寺の顔から笑みが消え、かわりに不機嫌そうな雰囲気が顔全体に現れた。彼は本当にくるくると表情がよく変わる。
 山本は机に片手をついて、座っている綱吉と目線を合わせるように背中を丸めた。山本のさわやかな笑顔につられて綱吉も笑ったが、じわりとテストの出来が脳裏で思い出され、笑みはすぐにくもってしまった。


「……いや、うん……、いつもよりよくても、赤点てこともね、ありえるかも、しれないよね……」

「てめえ! 十代目を落胆させやがって! ぶっとばす!」

「うあああ、だめだめだめだめ! 獄寺くん、すとっぷ!」


 綱吉は椅子を蹴って立ち上がって、懐に手を入れた獄寺の腕に飛びついた。獄寺は不満げに綱吉を見てすねるような仕草を見せたが、すぐにダイナマイトを取り出すのをやめた。綱吉が脱力しながら椅子に座ると、山本はにへらと笑ってあごを引いた。


「獄寺はほんと怒りっぽいのなー」

「山本、……山本は……」

「うん?」

「なんでもない」


 山本の笑顔におされて綱吉は言葉をのみこんだ。山本はもう数人しかいない教室へ視線を巡らせて口をひらく。

「そーいや、今日はロンシャンはどうしたんだ? いつもなら、ホームルームが終わったらツナにからんではしゃいでるだろうに――」

「あいつがいねーほうが静かでいいじゃねえか。ですよね、十代目!」

「風邪とかひいたんかな?」

「さあな。朝からいねぇのは確かだけどな」

 ロンシャンは登校してこなかった。
 昨日の雲雀との一件が綱吉の頭の中をよぎる。考えてもみれば、ロンシャンと雲雀は真逆の性格をしている。ロンシャンは雲雀のことを特に敵視しないだろうが、雲雀はロンシャンのような人間は徹底的に嫌いだろう。昨日のロンシャンの雲雀に対する態度は、いつものロンシャンらしくなかった。普段のロンシャンから少しずれた存在が目の前にいるかのような奇妙な感覚を綱吉は今でもまだ覚えている。


「十代目?」

「え、あ、……うん」

「ロンシャンのこと、そんなに心配なのか? 職員室行って聞いてみっか?」

「……うーん……」

「ロンシャンの野郎がどうかしたんですか?」


 獄寺が眉間に浅くしわを寄せて首をかしげる。ふわりと灰銀色の毛先が揺れて、獄寺の頬にかかった。綱吉が口を開こうとすると、制服の内側のポケットで携帯電話が震動した。小さく謝罪の言葉を口にして、綱吉はポケットから携帯電話を取り出す。開いて画面を確認すると未登録の番号だった。

「ん……、なんだ、この番号」

「知らない番号なんですか? 俺が出ましょうか?」

「いや、だいじょうぶだと思う。ちょっと待ってて」

 手を差し出した獄寺にわずかに笑いかけ、綱吉は通話ボタンを押して電話を耳に寄せた。

「はい――」
『僕に捕まらないで校外へ出られたら君の勝ち。君が校外へ出る前に僕が君を捕まえたら僕が勝ち。時間は無制限。群れてるいつもの連中の手を借りてもいいことにしてあげる。赤ん坊のいない君はひどく弱いしね。群れる草食動物らしく逃げればいいよ』
「え、あの、え? もしかして、あの、ひ、雲雀さん?」
『君が勝ったらなんでもひとつだけ言うことを聞いてあげる』
「……よく分かんないんですけど、オレが負けたらどうなるんですか?」
『…………………………』
「なんで沈黙なんですかっ?」
『さあ、鬼ごっこの開始だよ。綱吉』
「鬼ごっこって、え? なんなんですか、これ? 昨日のこととか関係あるんですか? 昨日のこと、怒ってるんじゃ……ないんですか?」
『――鍵を探してるんだ』
「鍵? ――雲雀さん? 雲雀さん!?」


 通話が途切れた電話を耳から離して呆然と見下ろす。電話の相手は雲雀だった。彼はいつものように抑揚のない声音でまくしたて、綱吉の疑問には何一つ答えてはくれなかった。


「雲雀からだったのか?」


 山本の問いかけに綱吉は顔をあげてうなずく。


「うん」

「雲雀の野郎、なんて言ってたんですか?」


 獄寺が不機嫌そうな顔でぶっきらぼうにもらす。


「鬼ごっこするんだって」


「はぁ?」
「うーん?」


 獄寺が素っ頓狂な声を上げて思い切り眉を寄せ、気の抜けた声を出して山本が首を傾げた。浅く息をついて肩を落とした綱吉は、握りしめたままの携帯電話を見下ろす。思い切って着信した番号にかけ直してみても、電源が切られてしまったのかつながらなかった。

 綱吉は雲雀の携帯電話の番号は知っている。雲雀は自分の携帯電話を使わずに、おそらく風紀委員の誰かの携帯電話で綱吉の携帯電話に電話をかけてきたのだろう。そんな面倒なことをしてまで、雲雀が何をしようとしているのか綱吉には分からなかった。


「鬼ごっこねぇー」


 山本がにっこりをさわやかに笑って片目を細める。


「なんか面白そーだなあ!」


 呑気に言う山本を横目に見て獄寺は顔をしかめたが、すぐさま右手を胸にそえて自信たっぷりの笑顔を浮かべて綱吉を見た。


「そういうことでしたら安心してください! 十代目! 俺がこの命に代えましても、校外へお連れしてさしあげます!」

「え、なにその、決死の覚悟みたいなノリ! ああ、でも雲雀さんだもんな、なんかそこはかとなくバイオレンスぽいからな……って、オレ、いまピンチなのか? むしろ大ピンチなのか!?」

「ツナの大ピンチなら、頑張らないとな!」


 無駄に気合いの入った声で言って、山本は綱吉の机の近くからふらりと離れて歩き出す。


「――って、山本、どこいくの?」


 思わず綱吉は椅子から立ち上がって教室のうしろへ歩いていく山本の行方を見守った。彼は教室の隅にある掃除用具入れに向かっているようだった。


「んー。ツナも武器とか必要じゃね?」

「武器? え、武器?」

「俺も獄寺もいつものやつがあるし――、ツナだけ丸腰ってなんだかなーだしな。だからまずは武器を手に入れておかねーとな!」

「うーん、なんだかもっともらしい感じなんだけど、こう、腑に落ちないのは何故だろう。あれかな? 山本のバットと獄寺くんのダイナマイトが必要な鬼ごっこなんて、果たしてオレは無事に外に出られんのかな?」

「十代目はどんと構えててください! 俺がきっとお連れしますからね!」


 輝くような笑顔を浮かべて胸をはる獄寺に綱吉が苦い笑みを返していると、山本が教室後方の掃除用具入れから一本のモップを手にして戻ってくる。そしてそれを当然のことのように立ちつくしていた綱吉の目の前に差し出す。


「はい。ツナ」

「……ありがと」

「十代目! 十代目のモップさばき、期待してますね!」


 獄寺の期待の眼差しをおざなりに受け流しつつ、綱吉は浅くため息をつく。


「モップさばきって……、オレはダスキ○のおばちゃんかての」

「ツナってば余裕あんのなー」


 無邪気な山本の声音にへらりと笑みを返しながら、綱吉は電話の内容を頭のなかで思い出す。鬼ごっこ。捕まえられたら負け。逃げ切れたら勝ち。いったい何に負けて何に勝つというのだろうか。昨日から続く分からないことだらけに、綱吉の胸はみしみしと軋み続けている。


『鍵を探してるんだ』


 綱吉が持っている鍵といえば、自宅の鍵と自転車の鍵くらいで、雲雀が求めているようなものではないと言い切れる。


 だったら、いったいどこの鍵を欲しているのだろうか。


「ツナ?」
「十代目」


 二人の問いかけに伏せがちだった瞼を持ち上げる。


「――雲雀さんが何をしたいのか、よく分からないけれど……。二人とも、オレに協力してくれる?」

「当たり前だろ。任しとけ」


 山本は頼もしげに笑い、


「十代目の期待に添うように頑張ります」


 獄寺は真面目な顔で頷いた。



「二人とも――、ありがとう。よろしくね」



 綱吉は片手にモップを握りしめ、頼もしい親友達に笑いかけた。