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「失礼しましたー」
かるく頭を下げながら綱吉は職員室から退室した。廊下ですれ違う生徒達のなかに顔を知った人間はいない。溜息をつきながら綱吉は教室へ戻るために歩を進めた。
提出し忘れていたプリントを職員室に届けに行った際、担任に将来について切々と説かれ――おそらく綱吉の成績不振についての杞憂からか――、教室に戻ってみれば綱吉以外に残っている者などいなかった。生徒があまりいない教室の前の廊下をのろのろと歩いて昇降口へ向かう途中で、窓の向こうに雲雀恭弥の姿が見えた。
とっさに綱吉は窓に張り付いて彼の行き先を確認する。すると、綱吉の視線に敏感に反応した雲雀と綱吉の視線が硝子窓越しにかち合う。
思わず綱吉が息をつめると、雲雀はゆっくりと口を動かす。
「お・い・で」
唇だけで笑み、雲雀は一人で校舎の裏手のほうへ歩いていく。綱吉は早足で階段を降りて昇降口へ向かった。
今から十日ほど前、雲雀は綱吉にキスをした。そして自分を特別にしないと許さないと言った。気持ち悪いと思うよりも驚きのほうが強く、何よりも強い驚愕の印象ゆえに、嫌悪する暇など一瞬もなかった
そもそも元から綱吉は面食いなので、顔立ちの綺麗さから言えば、雲雀の顔に嫌悪など抱くはずはない。眼光が鋭いとはいえ、雲雀はかなり整った顔をしている。そんな人間に好かれているなんて信じられないことだったが、告白の次の日、綱吉は雲雀の携帯電話の番号とアドレスを知ることとなり、滅多に他人が入ることなどない応接室に招かれたりした。
一階へ到着して昇降口に行くと、下駄箱の前でロンシャンが靴を履き替えていた。彼は下駄箱に上履きを突っ込みながら綱吉へ視線を向け、にぃっと笑った。
「おっ、さっわだちゃーんも、いま帰り?」
「うん」
下駄箱から上履きを取ろうとしながら答えると、ロンシャンが突然に綱吉の肩に腕を回して体重をかけるように寄り添ってくる。綱吉はあやうく倒れそうになって下駄箱に手をついた。綱吉は短く嘆息して肩越しにロンシャンを振り返る。
「ロンシャン! 重たいっ」
「んー、沢田ちゃんってほんと華奢だよね!」
「うっさいなー、重たいって言ってんでしょ!」
「うー、沢田ちゃんがつめたいー、オレ、ロンリィー」
ロンシャンの顎を手で押しのけてようやく彼の密着から逃れた綱吉は、よれた襟元を片手で整えながらロンシャンを睨む。彼は悪びれた様子など一切なく、にっこにっこと笑っている。
「今日は沢田ちゃん一人なんだねえ」
「それがどうかしたの?」
「ね、ね? ちょっと俺と寄り道していかね?」
「行きません」
「えー、つれないー、沢田ちゃんがつれないー」
再びロンシャンに抱きつかれる前に、綱吉は跳ぶように一歩後退する。両腕を広げたロンシャンはめげずに踏み出してくる。つきあいきれいないと思った綱吉は、素早く下駄箱から下履きを取り出してコンクリートの床に放り、下履きを掴んで下駄箱に突っ込んだ。
「オレ、用事あんの! じゃあね、ロンシャン!」
靴につま先をつっこんで、飛び出すようにして昇降口を出た。降り注ぐ晴れた日差しが一瞬、綱吉の視界を眩ませる。
綱吉は日差しに目を細めたあと、雲雀が歩いていった方向へ向かって駆けだした。
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