玄関ホール、二階へ続く階段、廊下――。

 いたるところに転がる死体、もしくは抵抗する気力もない怪我人が倒れているなか、僕は特に焦ることもなく鼻歌交じりに廊下を進んでいく。綱吉くんが連れてゆかれた部屋の場所は「人形」のおかげで分かっているので迷うこともない。

 愚かな男が暴走をしたおかげで計画が台無しになっているかどうかは、これから出会う綱吉くんの反応次第であるし、先にあの馬鹿な男がたどり着いているはずなのだから、綱吉くんの無事だけは確定しているので急ぐ必要はない。


 目的の部屋のドアは開け放されたままになっている。僕は右手に三つ又の槍を持ったままで部屋に踏み行った。

 ソファに座っている綱吉くんの前に雲雀恭弥がひざまづいていた。伏せていた顔を上げた雲雀恭弥の目に強い憎悪が燃え上がる。ぞわりと僕の中の攻撃的な部分が騒ぎ出したが、僕は知らぬふりをして綱吉くんだけを見つめて、彼らに近づいていった。



「むくろ……」


 うつろに僕の名を呼ぶ綱吉くんを安心させるように優しく微笑む。彼は少しだけ表情をやわらげて頷いた。

 ちらりと床に横たわっている死体――殴打のおかげで何とも醜く変容している――を見た後でまた綱吉くんへ視線を戻す。


「どうやら作戦はぎりぎりで成功したようですね」


「うん。……きちんと決断したよ」


 弱々しく口元だけで笑って綱吉くんは脂汗のういた顔で頷く。太股に深々と突き刺さっているナイフが痛々しい。僕は反射的に眉をひそめ、彼が負傷したことによってこみ上げてきた暗い気分を吐き出すように息をつく。



「無事、とは言い難いですね――、ドクターに連絡しましたか?」



「ああ――、まだ、してないや……」



 ぼんやりとした様子で綱吉くんは自分自身の傷口を見下ろす。僕は右手に持っていた槍を消失させ、スーツから携帯電話を取り出して、離れた場所で待機させていた部下の一人に連絡をする。部下にドクターへの連絡と、早急に迎えにくるように伝えて僕は電話を切った。

 携帯電話尾をしまった手を伸ばして綱吉くんの横髪に触れる。彼は導かれるように顔をあげて僕を見た。彼の瞳に案ずるような僕の顔が映る。「平気だから心配しないで」と言って綱吉くんは頷く。それが強がりなのは彼の顔色と脂汗ですぐに分かった。



「触らないで」



 唸るように雲雀恭弥が言った。綱吉くんは複雑そうな顔をして雲雀恭弥を見て下唇を噛んだ。いつだって綱吉くんは雲雀恭弥の言動で周囲の人間が感じる不快を思って、心を痛めている。それがこの愚かな男には理解できないのだろう。腹立たしい事実のおかげで僕の機嫌はどんどん悪い方向へ向かっていく。そもそもこの馬鹿な男が暴走をしたせいで――綱吉にナイフをつきつけられた際、骸の様子がおかしくなったのを感じて、奴は勝手に屋敷の玄関に突入していったのだ――、起こった事実を憶測すらしていないだろう。


 殺してやりたい。
 今すぐに気が狂うような幻覚を見せて狂い死にさせてやりたい。

 そんなどす黒い衝動を固い箱のなかに押し込めて封じ込める。そんなことをすれば僕は一生、彼から憎まれ続けるしかない。それだけは死んでも御免だ。

 しかし、いつになっても何も分かろうとしない奴を、このままにしておくことだけは出来なかった。

 僕は非難を込めた視線で絨毯に膝をついている、奴を冷淡に見下ろす。



「止血くらいしてあげたらどうなんですか?」



 綱吉くんの髪から手を引いて、僕は両腕を胸の前で組む。胸の奥がじりじりと焦げるような熱を持ち、そして暗く歪んだ思想がぐるぐると頭の中を這い回っている。苛々する。憎らしい。そんな感情で皮膚の内側すべてがいっぱいになっていくような感覚が、僕の表情をきつく歪めていく。



「今夜の仕事にあなたを連れてくるべきではありませんでしたよ、雲雀恭弥。綱吉くんの傷は、あなたのせいなんですよ。理解してますか?」



「何を言いだすかと思えば。この作戦に賛同したは君だろ? どうして僕のせいな訳?」


 僕は綱吉くんを見た。

 彼は何かを乞うような視線で僕を見上げる。

 言わないで。

 そう訴えているように見えたことを、僕は気がつかないふりをした。



「ねえ、綱吉くん。この男があなたを刺したのは、この馬鹿な男が正面突破し始めた騒動がきっかけなんじゃありませんか? だいたいこの男はボスとはいえ、度量のないちっぽけな人間です。権力や金にわかりやすく酩酊するような程度の低い人間だが、一方で気が小さく追いつめられたら何をするか分からない類の人間なんです。綱吉くんが上手にあしらって抵抗の機会をうかがい、目的の証言を得たあとで、すきをついて男をぶちのめして、無事に事を終わらせることができたでしょうに――。雲雀恭弥。あなたの行動のせいで彼は刺されるはめになったんですよ? ねえ、これ、理解してもらえますか?」



 僕の発言をせせら笑ったあとで、雲雀恭弥はまったくと言っていいほどに無理解な態度で目元をつり上げた。



「なにを根拠に妄想してるの?」



「妄想? 妄想と思うのなら、あなたの目の前にいる人に聞いてみたらどうですか?」



 僕が右手で綱吉くんを指し示すと、奴の顔色が少しだけ変わった。虚勢を張るように笑ったままの雲雀恭弥が綱吉くんへ視線を戻し――ついに笑みを消した。綱吉くんはとても内心が顔に出やすい。ボンゴレのボスとして行動しているときには「ボンゴレのボス」という役名を必死に演じているせいか、ポーカーフェイスがうまく出来ていることもあるが、僕や奴のように旧知の間柄の前ではほとんど内心が隠せていないことが多い。


 綱吉くんは雲雀恭弥の視線に耐えかねて首を振った。「違います」と小さな声で言ったが、それはあまりにも弱々しい否定だ。奴は愕然としたように綱吉くんを見つめ、またたきすら忘れてしまったかのようだった。



「本当、なの?」



「――いいえ……、違いますから、これは……、」



 綱吉くんの言葉を振り切るように、雲雀恭弥は突然立ち上がって、よろめくように数歩後退した。綱吉くんとも僕とも距離をとり、片手で顔を覆って何かを言おうとしたが、奴は何も言わなかった。


「ひばりさん……っ」


 綱吉くんは雲雀恭弥に向かって右手を伸ばしたが、奴はそれすら見えないかのように動かない。悔しそうに顔をゆがめたあと、綱吉くんは僕を見た。責める訳でもなく、怒っている訳でもなく、綱吉くんは悲しそうに僕を見る。鈍く痛む胸に知らぬふりをして彼から視線をそらし、僕は雲雀恭弥へと一歩近づく。



「おわかりになりました? あなたの短慮のせいで彼が傷ついたんです。あなたのせいで!」



 奴の肩が震えた。
 言葉だけで奴を殺せたらどんなに良いだろうか。
 残酷な思想が身体の内側でざわめく。



「骸。もういいから――」



「僕、前に言いましたよね? あなたはあなたの行動のせいでいつか『後悔』する時が来ると! だから助言してさしあげたというのに――。愚かですね、みっともないですね、無様ですねぇえ、雲雀恭弥!」



「――もうやめろ、むくろっ!」



 叫んだ綱吉くんが右手でソファを殴った。驚いたように雲雀恭弥が顔をあげ、綱吉くんを見る。そのあとで僕を見た。怒りでも憎しみでもなく、呆然とした雲雀恭弥の顔を僕は初めて見た。

 思い知ればいい。

 綱吉くんと出会う前の僕のように、何もかもを敵としているままでは、愛している人間ですら守り通すことができないのだと――、独りよがりの感情がどれだけ綱吉くんを苦しめているかを思い知ればいい。



「ねえ、雲雀恭弥。――『後悔』しましたか?」



 僕の言葉を聞いた雲雀恭弥は、一切を振り切るようにきつく目を閉じて、僕等に背を向けてしまった。


 ふいに右腕を掴まれて、僕は隣を見下ろす。ソファに座ったままの綱吉くんが僕を見上げていて、今にも泣きそうな顔をしていた。彼は僕と視線があうと首を左右に振る。これ以上雲雀恭弥を虐めると綱吉くんの不興をかいそうだったので、僕は適当に頷いておいた。


 右腕に綱吉くんの手をぶらさげたまま、僕は雲雀恭弥の背中を眺める。


 奴がどんな顔をしているのか見てみたい気もしたが、右腕を掴む彼の手の温もりのほうが僕にとっては大事だった。



 後悔すればいい。
 後悔して、後悔して、後悔して――それで成長をしないようならば僕はもう容赦しない。

 彼がどんなに悲しがろうと殺してしまおう。



 ひっそりと胸のうちで決意をかため、僕は口元だけで微笑を浮かべた。