ファミリィの傘下にある外車販売の会社を視察したあと、彼の大好きなカフェのベーグルサンドをランチとして二人分テイクアウトし、僕はボンゴレの屋敷へ戻った。

 もちろん綱吉くんには電話連絡済みで、一緒にランチをする約束をとりつけてある。それだけで僕は誰が見ていようと構わずにスキップしたくなってくる。実際、そんなことをしたら、山本武や獄寺隼人が腹がよじれるほど笑うと思われるので、そっと心の中でスキップをすることにしてとどめておいた。



 共に視察を行った部下達と玄関で別れる。各々に次の仕事の割り振りをして、笑顔を浮かべて彼らを見送ったあとで、僕は綱吉くんが休んでいる私室へと向かった。


 綱吉くんが負傷してからもうすでに二週間が経過しようとしていた。足の怪我は全治二ヶ月ほどで、しばらくは安静が必要とのことだった。偽装拉致によって得たのは子供達が麻薬に染まらずにすむ未来と、予定外とはいえいつも忙しい彼の休養期間だった。彼の元・家庭教師は「怪我が治ったら覚悟しろよ」とうすら笑い、綱吉くんをそうとう恐れさせたりしていたが、本当は彼の怪我のことを人一倍心配していることを周りに知られるのが照れくさかっただけのように思える。

 他の守護者達も代わる代わるに彼を見舞い、そして彼の仕事が各々に割り振られることを少しも苦とせずに忙しく働いた。かく言う僕も、視察や交渉など普段の倍以上のスケジュールでこなしている。忙しいなか、綱吉くんとランチをすることは、僕にとってのご褒美だった。



 私室のドアをノックすると「はーい」と元気よく声が聞こえてくる。僕はベーグルサンドとカフェオレが入った紙袋を片手に提げたまま、もう一方の手でドアを開いて室内に入った。



 デザイン性のある車椅子に座っている綱吉くんは、窓際の方を向いて膝のうえに分厚いファイルをひらいて見ているところだったらしい。彼は僕を見ると資料を閉じ、両手を使って車椅子を華麗に操って、ソファがおいてある部屋の一角へ向かう。僕もドアを閉めて歩き、テーブルのうえにカフェの紙袋をおいて、ソファに座った。

 僕と向き直るように車椅子を操って居場所を決めた綱吉くんは、僕と視線をあわせて微笑んだ。



「ランチ、買ってきてくれてありがとう。最近、外出できなくて、味が恋しかったんだ」


「いえいえ。これくらいのことならば、おやすいご用です。僕に一言電話していただければ、なんだってご用意しますよ?」



 おどけるように片目を細めると、彼はクスクスと笑う。

 紙袋からベーグルサンドとカフェオレを取り出して、ソファ前のローテーブルのうえにのせる。

 僕はカフェオレを持って立ち上がり、彼の傍らに立つ。ランボが買ってきた上等そうなケープが綱吉の両足を隠すようにかけられている。彼の温かな内面によく似合う向日葵色のケープを選んできたランボを褒めてやりたい気もした。が、やはり彼に似合うものは僕自身が用意したいとも思う。あとでブティックを回ってケープを捜してこようと考えながら、僕はカフェオレのカップのプラスティック蓋をとって、差し出された彼の手に渡す。



「熱いですよ」



「もう、オレ子供じゃないんだからさ、そんなこといちいち言わないでいいよ」



 苦笑した彼はカップのカフェオレを唇に運んで、何気なく飲もうとしたようだったが、やはり熱かったようで、小さく舌を出して「あちー」とうめいた。だから言ったのに、と僕が呟くと少しだけ不服そうに唇をとがらせる。いちいち子供っぽい仕草に愛しさがこみあげてきて、僕は自然とにこにことしてしまう。

 カフェの店名がプリントされた紙製の箱に入ったベーグルサンドを彼の膝のうえにのせる。綱吉くんは手慣れた様子で車椅子に付属された、収納式の小さなテーブルを肘置きのあたりに設置して、そこへホットのカフェオレが入ったカップをおいた。うきうきとした様子でベーグルサンドの箱をあける綱吉くんを横目にしながら、僕はソファに座って目の前のカフェオレのカップに手を伸ばす。蓋をとって熱めのカフェオレを喉へ流し込んで一息つく。


 綱吉くんがベーグルサンドを二口ほど食べ、飲み込んだあとで僕は口を開いた。


「足の具合はどうですか?」


「だいぶよくなったよ。車椅子にもね、ようやく慣れたし――。それにみんな良くしてくれるからさ」


「傷跡は残るようなんですか?」


「あー……。うん、少しは残っちゃうみたい。まあ、別にオレ、男だしさ、傷があったって勲章みたいなもんでしょう?」


 そう言って彼はベーグルサンドをもぐもぐと食べる。僕も紙箱からベーグルサンドを取り出して食べ始める。彼はナッツとクリームチーズがまざっている甘めのもので、僕のほうは本日のおすすめとなっていた生野菜とチキンがはさまれているものだ。少し咀嚼するのが面倒だが――もともと僕はあまり食べることに関心も興味もない――、美味しいと思うくらいには美味しかった。綱吉くんが幸せそうに食べるのを見守りながら、僕は半分ほどベーグルサンドを食べたあとで、また口を開く。


「今回はたまたま命に別状がなかったからよかったようなものですが、もうそろそろご自分の身を案じて、現場に出るのはやめたほうがよろしいんじゃありませんか?」


 ベーグルの最後のひとかけらを口の中に放り込んで味わうように噛んで飲み込んだあとで、綱吉くんは首を振った。


「嫌だよ。オレは確かにボスだけれど、ただのお飾りでいるのだけは御免だもの。みんなが普段やってる仕事をこなせないようじゃ、情けないじゃない」


「ボスが自らを危険に晒すことは避けるべきです」


「ま、ふつーのボスはね。オレ、普通じゃないから。――それにほら、あの有名な刑事ドラマでも言ってたじゃない? 『事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!』とかなんとかさ」


「……僕、ドラマとか見ないんで」


「あそう」


 愉快そうに言って、彼は首を傾げる。


「オレって存在自体が例外なわけだしさ、あとすこしくらい逸脱したって同じだろ?」


 そう言って彼は不敵な笑いを浮かべる。出会ったころには想像もしないような彼の笑みは、長年の間につちかわれてきた経験と知識の後ろ盾があってこそだろう。自分の立ち位置を知り、するべきことを知った人間ほど強い者はいない。


 見惚れるように綱吉くんを眺めつくしていると、彼が不思議そうに首を傾げる。



「なんだよ?」



「ほんと、あなたって格好良くなりましたよねえ」



「え、なに、突然」



「むかしは泣いてばかりで、本当に楽しか――、いいえ、可愛らしかったのに」


「あのさ、言い直す前も、言い直した後も、オレに対してちょっと失礼なんじゃないの?」


 忍び笑いをもらしてベーグルサンドをほおばる僕をしばらく黙っていた彼は、そっと口を開いた。



「オレ、少し分かったよ。――骸が雲雀さんのこと嫌う理由」



「へえ。それはそれは……。いったいどんな理由だっていうんですか?」



「オレから見るとさ、骸と雲雀さんってけっこう似てるとこあるからさ、だから同族嫌悪でお互いのこと嫌いんじゃないのかなって? じゃなきゃ、なんであんなに憎みあってるのか、オレ、わかんないんだもの……」



 僕と雲雀恭弥が似ている。ぞわりとした嫌悪感が先にきて、そのあとで、はたと気がつく。奴と僕が似ているということは、僕が奴の立ち位置を奪うことも可能なのかもしれない。彼に愛され、彼に最も大事にされる場所に立つことができれば僕は幸福すぎて死んでしまうかもしれない。馬鹿げたことだと思っても、愚かしい希望のようなものがわいてきて、僕はにやにやと笑ってしまう。

 綱吉くんはおそらく無自覚だ。雲雀恭弥と僕が似ているなんて、きっと本当に思いつきで言ったに違いない。それでも僕はなんだか嬉しくなってしまった。彼が自分の信念すら曲げてまで愛している男と、僕が似ていると彼自身が言ったのだ。少なくとも僕は僕が思っている以上に彼に愛されているのかもしれない。

 ますますにやけてしまう僕の顔を見て、綱吉くんはあっけにとられたように目をまたたかせている。


「な、なんだよ……ッ」


「く、くはは! 僕と彼が似ていると? ああ、あなたにそんな風に言われては、僕は喜んでしまいそうですよ、あの男と似ていると言われたというのに嬉しがってしまうなんて、ものすごいパラドクスです」



「え、なに、いまのオレの発言って何かおかしかった?」



 まったくといっていいほど分かっていない彼は、きょとんとして笑い続ける僕を見ている。

 刹那、扉がノックもなしに開かれた。
 扉を開けたのは雲雀恭弥で、片手にアタッシュケースを持っていた。僕の存在を目にいれた雲雀恭弥は、彼らしからぬ大いに動揺して目を見開き、進もうとして踏み出した足をぴたりと止めてしまった。

 綱吉くんがゆっくりと息を呑むような気配がした。また喧嘩でも始まるのかと思っているのかもしれなかった。しかし、いまの僕はすこぶる機嫌がいい。わざわざ荒立てることもないと思い、僕は茶化すように片目をとじて唇を笑みの形に歪める。



「――なんですか? その、この世の終わりみたいな顔は」


「出直してくる」


 きびすを返してドアノブを握ろうとした、奴の背中に僕はにやにやとしながら言葉を投げつける。


「おやおや、彼に用事があるからここに来たんじゃあないんですか? それとも、何ですか? 雲雀恭弥ともあろう人がこの部屋にいられない理由でもあるんですか? 僕はただ綱吉くんとランチしてるだけなんで――。何かお話があるならばどうぞ」



 動きを止めた雲雀恭弥は、小さく唸ったあとで室内へと振り返った。僕のことを視界にいっさい入れていないかのようにして綱吉くんへと近づいて、その傍らに立ってアタッシュケースを手にもったまま開いて、中から薄いバインダーを取り出して彼に手渡す。彼らが買収する不動産会社についての話をしている間、僕は黙って残りのベーグルサンドとカフェオレを堪能する。頭の片隅では先ほどの綱吉くんの言葉を繰り返し思い出す。それだけでこれからしばらくは幸せに困らない程度に幸せだった。



 話が終わると、雲雀恭弥が非常に不快そうに顔をしかめて僕を横目で睨んだ。



「すごく気持ち悪いんだけど。なんなの、にやにやして」


 僕はカフェオレのカップに唇をつけて中身を飲む。にやにやはどうにも収まりがつかず、奴の嫌悪感を高めるばかりだと分かっていてもやめられなかった。奇妙なものでも見たかのように片目を細めた雲雀恭弥が、傍らにいる綱吉くんの顔に顔を近づける。


「綱吉。こんな奴と同じ部屋で同じものなんて食べないほうがいいよ」


「雲雀さん、それは言い過ぎですって」


 苦笑する綱吉くんを見て、雲雀恭弥はひどく疲れたように息をつく。


「ほんと、君ってなんにも……、なんにも分かってないよね」


「――え?」


 不思議そうに首を傾げる綱吉くんの態度にますます雲雀恭弥は呆れ顔をして、目線を部屋の隅へ向ける。その横顔に向かって僕は口を開く。



「実はさきほど綱吉くんが面白いことを言っていたんですよ、雲雀恭弥」



 僕と口をきくのすら嫌なのか、奴は目線だけで「なに?」と問うてきた。普段の僕ならかちんとくるのだが、いまは機嫌がよいので奴の横柄な態度も許すことが出来る。



「綱吉くんから見ると、僕とあなたって似ているらしいですよ? だから彼の中で、僕等は同族嫌悪で衝突しあってるってことになるんですって! ねえ、これってあなたと僕の立ち位置が入れ替わるってことも考えられるってこだと思いませんか? くふふ!」



「取り消して」



「え」


 鋭い言葉を聞き取れなかったのか、綱吉くんが驚いて雲雀恭弥を見上げる。奴は怒っているのか青くなっているのかよく分からない――とにかく拒否感をあらわにした表情で綱吉くんを睨んだ。綱吉くんは雲雀恭弥の豹変ぶりに思考がついていかないのか、ぱちぱちと目を瞬かせるばかりだった。


「こんな男と僕が似ているだなんて言ったこと今すぐに取り消して。じゃないと許さないよ」


 呆然とする彼の目をのぞき込むようにして雲雀恭弥は低く叫ぶように言った。


「え、なんでそんなに怒ってるんですか? だって、雲雀さんと骸ってすっごい似て――」



 奴の絶対零度の視線に怯えたように綱吉くんは言葉をきって、「ううあ」と訳のわからないつぶやきをもらし、そして首を振りながらじわじわと車椅子の背もたれに背中をつけるようにして身を引いた。



「ご、……ごめんなさい……」



「そんなに睨むものじゃありませんよ。かわいそうに。怯えてるじゃないですか」



 ぎろり、という擬音が聞こえてきそうなくらいに雲雀恭弥が僕を睨む。



「ほんと、殺してやりたい」



「それは前にも言ったでしょう。僕だって――」



 瞳には殺意、唇には微笑をのせて僕は甘ったるく囁く。



「僕だって何度殺しても足りないくらいにあなたのことが大嫌いですよ」



 暗く歪んだ睨み合いをする僕と奴の間で、綱吉くんが呆れるように息をついた。



「ねえ……二人とも仲良くしてくれません?」
「無理です」
「無理だね」



 即答する僕等に対して、綱吉くんは重々しく溜息をついた。そのあとで呆れたように笑って肩をすくめる。



「……やっぱり、似てますよ、二人とも」



 僕は愉快そうに笑い声をあげ。

 奴は不服そうに舌打ちして髪をかきあげ。

 彼はそんな僕等を交互に見て微苦笑を浮かべる。



 綱吉くんの笑う顔を眺めながら僕は思った。
 僕が奴の立っている場所に立つ日が永遠に来ないとしても、僕はきっと彼の側にいるだろうと――。

 決意は確信に変わって僕の心を満たしていく。

 彼の隣に奴がいることが腹立たしいと思わないような天使のような心を僕は持っていないけれども、彼が奴を望むというのならば、僕はそっと僕自身の浅ましい感情など捨ててしまってもよかった。

 ふと、彼と僕の視線が交わる。

 彼は屈託なく笑って、わずかにあごを引いた。
 ふわりと癖毛の髪がゆれる。


 胸に溢れる愛しさに任せて僕は微笑む。


 幸福とは何なのかを噛みしめながら、――僕は微笑んだ。


















 この身のすべてを賭してあなたを守りましょう。
 この心のすべてを賭してあなたを愛しましょう。

 あなたこそ僕の主君、僕の運命、僕の魂、僕の価値、僕の存在理由そのもの。

 誰よりも優しくて誰よりも尊くて誰よりも強くあるあなたに

愛して愛して愛してやまないあなたに   穢れることなき王冠を















【END】