【シーソーゲームは終わらない】










あついあつすぎるあつすぎてとけるしぬしんじゃう……」


 うだるような暑さのなかぶつぶつとつぶやきつつ、沢田綱吉は並盛中学の制服を着て学校へ向かっていた。世間はお盆休みの真っ最中だというのに、数学の補習のためにわざわざ学校へ行かなくてはいけないのだ。

 今朝、補習を忘れて寝坊しかけていた綱吉を蹴り起こした家庭教師は「おまえ、補習で落第点数とってみろ、この家に帰れないと思えよ」と言ってにっこりと笑った。とりあえず引きつった笑みを彼へ返し、綱吉はいつも通りにショルダーバッグに勉強道具をつめて家を出た。

 普段の登校時間よりも一時間ほど遅いにしても、午前九時すぎはちょうど太陽の日差しが強くなりだすころで、ドアを開けた玄関先のアスファルトのうえで陽炎がゆれているのが綱吉の視界に入る。綱吉はいますぐにクーラーのきいた自室へ戻りたいと思ったが、振り返れば家庭教師がにっこりと笑って見送っていたので、「いってきます」と言ってドアをしめるしかなかった。


「……あつすぎる……、も、ほんと……こんなんじゃ、頭まわんないよ」


 普段から回らないのにな。
 ぼんやりと自分自身の馬鹿さを肯定しつつ、綱吉はのろのろと歩を進めた。

 刹那、


「おーっす! ツナ」


 かけ声と共にがばりと後ろから肩を抱かれて、綱吉は驚いて腰がぬけそうになった。


「や、や、や」


「んー? どした?」


 速く脈打つ心臓のあたりを押さえながら、綱吉は山本の顔を見上げた。彼は不思議そうな顔で綱吉を見下ろしている。山本が、綱吉を驚かせようとしたわけではないことは、彼の目を見れば明らかだったが、ただでさえ気弱な綱吉の心臓は一瞬だが止まっていてもおかしくない。


「おはよ、山本。――暑いからちょっと離れて欲しかったりするんだけど」


「お、わりぃー。ツナのこと見つけたら嬉しくってなー」


 山本は笑って、あっさりと綱吉の肩を掴んでいた手を外す。
 綱吉と山本は並んで学校への道を歩き出した。


「課題、どんだけ出んのかなー」


「少ないといいよね。この暑い中、数学のこと考えなきゃならないって、もうほんと苦痛」


「暑いのはわりと平気だからなあ、俺」


「そうなの?」


「部活中のが、暑いかな」


「ああ、そりゃーね。運動してた方が暑いだろうけど――。オレ、暑いの苦手」


 わざとらしく綱吉が顔をしかめると、山本は誘われるように笑って双眸を細める。


「そっかー。じゃあツナ、補習終わったらファミレスで涼んでこーぜ?」


「ファミレス? うーん、オレ、あんまり小遣いないからなあ」


「ほんじゃー、俺がおごってやるよ。うちでバイトした金、昨日もらったばっかだし」


「え、悪いよ」


「いいっていいって。俺はさ、ツナにいろいろ世話になってるしなー」


「世話だなんて……。オレよりも、山本のがよっぽど、オレのことお世話してくれてると思うけど……?」



 綱吉が疑問そのままに隣の山本を見上げると、彼は右手を伸ばして綱吉の頭のうえにのせる。身長の低い綱吉から見れば、すこし嫌みなくらいに背が高い山本と綱吉が並ぶと身長差というものを思い知らされる。山本のことを格好いいとは思うが、同じ男性として、綱吉は山本の身長に嫉妬を覚えることが多々ある。まして現在のように子供扱いされているような仕草をされると、むくれてしまいたくなるのだが、そこで本当にすねてしまうとさらにガキのような気がして、綱吉は苦笑して山本の右手を受け入れるしかなかった。


「んー、そっか。ツナにとって、俺ってわりと頼りになってるってことか?」


「そりゃー、山本だもの。頼りになるよ」


 機嫌がよさそうに笑んだ山本は、綱吉の頭のうえに乗せていた手をどけた。頭上の重みがなくなって、少々ほっとした綱吉は、急に山本が顔を近づけてきたので驚いて息を呑んだ。

 瞬間――、


「じゅーだいめぇえぇええぇえぇ!」


 間延びした絶叫がしたかと思うと、綱吉の鼻に火薬の匂いが香った。


「わりぃ、ツナ」
「え」


 疑問の声を上げた瞬間、綱吉は山本の腕に抱え上げられていた。俊敏な動作で山本が立ち位置を変えると後方で、あっけないほど軽い爆発音がして火薬の匂いがまじった土煙があがる。山本の腕に抱かれたままで、綱吉はたちのぼる土煙にげほげほとかるくむせこんだ。山本は軽々と綱吉の身体を両腕に抱え上げたまま片足を引いて、少しだけ体勢を低く保っていた。第二撃がきたとしても、山本の身軽さならば綱吉を抱えたままでも避けられそうだった。

 もうもうとした土煙の中から走り出してきたのは獄寺隼人で、彼は両手に小型のダイナマイトをたずさえ、眉間に深いシワを寄せて山本を睨みつけ、叫んだ。


「こんの、野球馬鹿!! 十代目になにしようとしてやがったああああああああ」


「あぶねーなー、獄寺! あいさつにしちゃ、派手すぎっぞ?」


 怒号をあげた獄寺とは対照的に山本はへらりと笑って首を傾げる。ぶちり、という効果音でも聞こえてきそうなくらいに獄寺は顔をしかめ、口にくわえていた煙草の火へ両手のダイナマイトを近づけようとする。


「てめーはここで果てろ!」


 学校に近い場所でもめ事を起こすとまた教師陣から冷たい目でみられてしまう。綱吉は山本の腕に抱かれたまま、思わず右手を突き出して獄寺を制した。


「ちょ……、もう! 獄寺くん!」


「はいっ」


 眉間の深いシワなどなかったかのように消し去り、獄寺はにっこりと笑う。煙草の火による着火をまぬがれたダイナマイトを指さし、綱吉はすこしきつめに声を張り上げた。


「ダイナマイトしまって!」


「……はい……」


 素直にとは言い難い調子で返事をした獄寺は、渋々と持っていたダイナマイトを服の内側にしまった。いまだに綱吉は彼がどこから大量のダイナマイトを取り出しているのか知らない。彼が上着を脱いだところも見たことがあるのだが、細身の彼の身体のどこにもダイナマイトを装備しているような箇所はなかった。何度か聞こうとしたのだが、うっかり聞いてしまって「四次元ポケットです」と真面目な顔で答えられたら、どうつっこみ返していいか分からないので、綱吉はいまだに聞けないでいる。


「町中ではむやみにダイナマイト使っちゃいけないって、あれだけ言ったのに!」


「しかしですね、十代目、山本のヤローが――」


「山本が助けてくれなかったら、オレ、爆発に巻き込まれてたでしょう?」


「うっ……、はい」


 しゅん、とうなだれてしまった獄寺の落ち込んだ姿を見て、綱吉はなんだか可哀想になってしまった。


「わ、分かってくれればいいんだ。今度からは気をつけてね?」


「はいっ」


 背筋を伸ばして頷いた獄寺に向かって頷いた綱吉は、にこにこと無害そうに笑っている山本へ視線を向ける。彼は綱吉と目があってもいっこうに綱吉を地面へ下ろそうとしない。「えーと」と短く呟いたあと、綱吉は右手の人差し指で地面を指した。


「……山本、おろして?」


「んー、ツナって軽いのなー」


 抱き上げられたまま、抱き寄せられてしまい、綱吉はあやうく山本の頭に鼻をぶつけてしまいそうになってびくっと身を固まらせる。刹那、ふわっと山本の唇が綱吉の頬に触れた。キスと言うにはいささか短くかるいものだったが、綱吉は目を見開いて山本を見た。彼はにっこりと笑って、そっと綱吉を地面に下ろしてくれた。


「や、や、やまっ、も――!」


「てめえええ!」


「獄寺くん! すとっぷ!」


 ときめきにひたる間もなく、綱吉は山本に突撃しそうになった獄寺を止めるために体を張って体当たりするようにして彼を止めた。とはいえ、綱吉は獄寺よりも小柄なので押し切られそうになり、慌てて両腕を獄寺の胴に回して踏ん張った。途端、獄寺は山本に飛びかかるのをやめ、ぴたりと動かなくなった。

 獄寺の怒りがすぐに収まることはないと思った綱吉がおそるおそる彼を見上げると、獄寺は真っ赤な顔で目を潤ませていた。


「え、なに?」


「十代目、積極的すぎますよ!」


 脱力するままに座り込みたくなった綱吉は、ゆるゆると息を吐いて照れくさそうにしている獄寺から身を引いた。


「……なんかもー、オレ、疲れた…、うちに帰りたくなってきた……」


 呟いてみたものの、きっと家に帰れば悪魔のごとき家庭教師がにっこりと笑って採点済みの補習プリントを催促するように右手を出すのだ。補習をさぼったとばれたら大袈裟な意味でなく、本当に殺されてしまう。


「十代目?」
「ツナ?」


 綱吉は溜息をひとつついたあと、気合いを入れるように両手で頬を打ち、苦笑して顔をあげる。


「――学校、いこっか……」

「そーだなー」

「ですね!」


「……ん?」


 補習組の山本は当然だとして、獄寺までもがきっぱりと頷いたことを綱吉は不思議に思った。彼は授業態度は最悪だが、テストはほぼ満点で補習になることなど一度もないような秀才だ。夏休み中に呼び出されることはないだずだ。


「えっと、獄寺くんは補習じゃないよね?」


「はい!」


 力強く頷いた彼は、右手で拳を握ってにっこりと笑う。


「十代目が補習の日だって分かってたんで、俺も右腕としてご一緒させていただこうかと!」


「ええ!? っていうか、いいから! こんな暑い中、オレにつきあわなくっても! っていうか、なんでオレの補習日しってんのー!?」


「十代目のご予定のことならば、右腕たる者、どんなことでも把握してますよ! それに、十代目ひとりにお辛い思いなどさせられません!」


「は、あく? え、ちょ、なにしてるの、獄寺くん……! えっと、あ、あのねー、獄寺くん。補習ってのはね――」


「いいんじゃねー? 獄寺いたほうがすぐに課題おわりそうだし」


 呑気に言った山本を獄寺は厳しい目で睨んだ。


「あん? 俺は十代目のお手伝いをするために行くんだ! てめーは一人で悩んでうなってろ!」


「んなこと言うなって。さっさと補習終わらせて、ファミレスで涼もうぜー。なぁ、ツナ?」


 言いながら、山本が親しげに綱吉の肩に腕を回す。彼はなにげなく他人の身体に触れることが上手い。綱吉はいつでも気がつけば山本に肩を組まれていたり、ぴったりと側に寄り添われていることが多いが、不思議な事に嫌悪感は絶対にわいてこない。ただ、現在は夏なので暑苦しいという感情だけはどうしても消せない。

 とても分かりやすい、こいつだけは気に入らない!という感情をこめた表情で獄寺は山本を睨んだ。


「この野郎、十代目になれなれしくするんじゃねえ!」


 獄寺の右腕がダイナマイトを求めるように動いたのを、綱吉はとっさに彼の手を掴んで止めた。びっくりしている獄寺を見上げ、綱吉は苦笑する。


「ダイナマイトは駄目!」


「――はい」


 綱吉に手を掴まれた獄寺は素直に頷いて、ダイナマイトを取り出すのをやめた。


「なんだよ、獄寺もツナと仲良くしたきゃーすりゃーいいのに」


「なっ、なっ……! 仲良くだなんて!」


「やきもちやいてんだろー、俺とツナが仲良しだから」


「ヤキモチ!? へっ、変なこと言うんじゃねえ! 馬鹿!」


 真っ赤になった顔を伏せて獄寺が叫ぶ。
 山本は分かっていてやっているのか、それとも持ち前の天然さをもって言っているのか、よく分からない感じに笑って、綱吉を見た。獄寺の腕を掴んだまま、綱吉は乾いた笑い声をあげたあと、短く息を吐く。

「うーん、獄寺くん、そこで赤くなるのは、エヌジーだとオレは思うんだけどな」


「あ、そーだ、ツナ、手ェつないで学校まで行くかー」


「は?」
「あん?」


 言うが早く、山本は綱吉の肩に回していた手で、綱吉の右手をぎゅっと握った。ぶらぶらと持ち上げられた繋がれた手を眺め、綱吉は呆然とする。


「獄寺とも手ェつないでけば、いいんじゃね? ほら、これで俺と獄寺で、ツナとりあいにならねーし」


「えっとね、山本、こんな暑い中ね、男子中学生が手ぇつないで歩くのなんてね――」


 かるい目眩を感じた綱吉が山本を説き伏せようと口を開くと、ふいに、左手をぎゅっと掴まれた。嫌な予感のままに振り向けば、獄寺がにっこりと笑っている。


「十代目と手をつないで歩けるなんて、俺、幸せです!!」


 あんまりにも嬉しそうな獄寺の笑顔の威力に、綱吉は無気力そうに「あそう」と呟くのがやっとだった。


「そんじゃーまー、学校行きますかー」


 呑気な声をあげた山本に手を引かれるように綱吉が歩を進め、続いて獄寺も歩き出す。


 うだるような炎天下。
 三人の男子中学生が仲良く手を繋いで登校しているという光景。
 おかしいと思いつつも、彼らの手を振り払えない綱吉は、一回りほど大きい彼らの手を握り、彼らに挟まれたまま、とぼとぼと歩く。


 綱吉は右側の山本を見上げた。
 山本は綱吉を目があうと、悪気なんて一切ないような目をして、首を傾げる。
 左側の獄寺を見上げてみれば、彼は不機嫌さなど欠片も見つけられないような満面の笑みで綱吉を見下ろしている。

 前方から歩いて来た女子高生ぽい少女の二人づれが、どこかひそひそと言葉を交わしながら、綱吉たちの横を通り過ぎていく。背後で「きゃーあ」なんて奇声があがったことで、綱吉はむずむずとしたものが首のうしろあたりに這い回る気配がした。


「あ、あのさー、手……」


「補習、むずかしくねーといいな?」

「あ、うん」

「十代目、おれが丁寧にお教えしますから、すぐに終わりますよ!」

「あ、うん」


 ぶらぶらと両手を繋がれたまま、綱吉は投げやりな気持ちで短く笑った。


「……ははは」


 相変わらず暑くてだるくて補習なんて最悪だという気持ちでいっぱいな綱吉だったが。

 つながれた両手の先にいる二人の機嫌がよさそうなので、持ち前の気楽さでもって「まあ、いいか」と綱吉は自分を納得させてしまった。



 その日の補習は獄寺の活躍のおかげですんなりと終え、綱吉たち三人はファミレスでさんざんにドリンクバーを飲んでクーラーの涼しさを堪能してから解散をした。


 数日後――。


 たまたま町で会ったハルから「両手に花のうえ人前でいちゃいちゃするなんてツナさんはハレンチです!」という台詞とともに右ストレートをくらった理由が、山本と獄寺の二人と仲良く手をつないで登校した事実だったことを知り、ただの目撃情報が妙な噂へとレベルアップし、同年代の学生達の間に盗撮された携帯の写メと目撃メールがあちこち駆けめぐったことを知った綱吉は、「あのときのオレの馬鹿ぁああ」と痛む頬をおさえながら絶叫するしかなかった。




「……夏休み、終わらないでくれないかな……」




 学校へ登校したときの周囲の反応がおそろしくて、綱吉は涙が出そうな顔を片手で覆って、深く溜息をつくしかなかった。













【End】