02 エプロンの後姿












 その日の夕刻。了平が数日間の出張から戻り、ボンゴレの本邸へ姿を見せると、了平と同い年の、晴の部隊のメンバーの一人が、ようやく相手の女性の両親から許しを得ることができ、近いうちに結婚をすることになったのだと、了平に報告しに来た。

 同年代の結婚報告に、了平は大喜びをした。ただでさえ、殺伐とした事柄が多いせいか、結婚の報告というだけのことであっても、了平にとっては万歳を大声で張り上げるくらいに嬉しい報告だった。

 日が沈みきるころには、、彼の結婚の話は部隊の人間達の間でも話題になっていた。

 部隊のメンバーは大いに盛り上がり――晴の部隊の人間達は了平に似てか、体育会系の熱いノリの人間が多かった――、都合のつく人間達で集まって、結婚を決めた彼のために急遽、ボンゴレの傘下にあるホールのあるクラブを借り切って祝いのパーティがもうけられた。

 彼は相手である恋人――もとい婚約者となった彼女を、了平に紹介してくれた。小柄で家庭的そうな、大人しそうな女性だった。了平は彼女と握手をして「こいつは良い奴だから、信じてついていってやってくれ!」と頭を下げた。頭を下げられることに慣れていない彼と彼の恋人は、了平の行動に驚いていたようだったが、顔をあわせてから二人は幸せそうに笑い合った。

 アルコールが行き渡ってから数十分後、ダンスホールに勢いのある音楽が流れ出す。次々にスーツの上着を脱いだりしながら、男も女も関係なく、部隊のメンバー達がダンスホールで各々勝手に踊り出すのを、了平はグラスを持って眺めていた。が、そんな時間は数分も続かなかった。口々に、「隊長! 踊りましょう!」「隊長、なに休んでんすか!」「隊長、あたしと踊りましょう!」などと声をかけられ、しまいには、女性の構成員二人に両手をとられ、ホールへ移動させられてしまった。

 こうまでされては、了平も大人しくしている訳にはいかない。上着を脱ぎ捨て、ネクタイをほどき、ワイシャツの袖をめくりあげ、身体の芯に響くようなトランス系の音楽にのせ、思うままに身体を動かす。声をあげ、ハイタッチをして、手を繋いで、身体をゆすって、各々、思うままに喜びと嬉しさを身体全体で表現する。

 頭上にはきらめくミラーボール、身体を揺らすトランスの音楽、大切な仲間達の笑顔――、了平は身体の奥底から湧きあがってくる生命のエネルギーを感じながら、仲間達と深夜まで踊り明かした。

 とはいえ、了平には部下達にはない仕事がある。午前二時を過ぎてから、帰宅するメンバーと朝まで過ごすメンバーとに別れつつあったころに、了平も部下達と別れ、ボンゴレの本邸に戻った。もちろん、飲食代のすべては了平が店を出るときに、そっと支払っておいた。

 酒を飲んでしまったので、帰宅はタクシーだった。少々、ボンゴレの本邸から離れた場所だったので、金額がかさんだが――、飲酒運転などしたくはなかったので仕方がなかった。


 本邸に到着した時には午前三時を過ぎていた。等間隔で設置された外灯に照らし出された庭園の煉瓦道を歩いて、本邸の玄関へ辿り着いてから、了平はいつものように玄関横のセキュリティブースに近づいていった。網膜と指紋のチェックによって、セキュリティ画面にパッと屋敷内で警備をしている人間の顔が映った。男性的な短い黒髪、エキゾチックな容貌をした美女は、唇にひっかけていた火のついていない煙草を上下させてから、笑った。


『あら。笹川さん。ずいぶん遅いお帰りね。いま、開けてあげる』


 画面の映像が消えたかと思うと、カチリという音がした。扉が開き、屋敷内の明かりがまだ薄暗い屋外へ漏れる。急な明るさに了平が目を細めていると、先ほど画面に現れてた短髪の美女が顔を出し、片側の口角を持ち上げた。


「なにしてんの。はやく入んなさいよ」


 了平は「ああ」と答えながら、屋敷のなかへ入った。扉の両脇に一脚ずつある椅子の片方には、薄茶色のふわふわとした巻き毛の男が眠そうな顔で座っていた。了平を見た男は、なけなしの意識をふるいたたせるように瞬きをしたかと思うと、にこっと人懐っこそうに笑った。垂れ目がちなせいと、ふわふわとした巻き毛のせいか、男の雰囲気はずいぶんと頼りなさそうな雰囲気が強い。


「何、笑ってんの、セルリアン。ばかみたいだからよしなさい」


「ひどい言いぐさですね。スカーレット」


「あんたみたいな、しまりのない顔した男はね、へらへら笑うもんじゃないの。脳みそが足りない奴に見えるぞ」


「すみません。もとからこういう顔で、これからもこういう顔でいるつもりなんで、目をつぶってやってください」


 セルリアンと呼ばれた青年は、垂れ気味の目尻を眠そうにこすった。短髪の美女――スカーレットはセルリアンのマイペースな様子を見て、了平を目が合うと皮肉ぽく笑って肩をすくめた。
 二人はどちらも、雷の部隊の――ランボの部下だった。スカーレットが実質、雷の部隊のナンバー1で、セルリアンは彼女の補佐としてよく見かける青年で、彼が雷の部隊のナンバー2だった。スカーレットもセルリアンも了平よりも年は数歳上であり、ランボがボンゴレの守護者として活動するようになってからずっと、彼の下で働いている数少ない、ランボの理解者であり、ランボが信頼する人間達だった。


「あ。笹川さん。お酒飲んでるわね?」


 スカーレットがずいっと了平に身体を近づけてくる。彼女は長身の了平に負けず劣らずの長身で、スレンダーな体型をしている。普段、了平は同じくらいの視線の位置に女性の顔があることがないので、思わず妙な違和感にどきりとした。


「車の運転してきたんじゃないでしょうね?」


「ちゃんとタクシーで戻ってきたさ」


「笹川さんは真面目だから飲酒運転なんてしませんよね」


 セルリアンがのんびりとした口調で言う。
 スカーレットは、意地悪そうに笑ったかと思うと、持ち上げた指先で了平の鼻先をつついた。


「それならよかった。私、あなたのことぶん殴らないですんで。――アルコール飲んで車に乗るような奴は最低のクズだもの。殴られったって当然よね」

「……恐ろしいことを微笑んで言わないでくださいよ、姉御」


 スカーレットは猫のようなしなやかさで了平の側から離れて、セルリアンへ近づいていき、彼の頭をかるくこづいた。


「痛ッ、なにするんですか……!」


「そんなに眠いなら、そこで逆立ちでもしてしゃきっとしな。じゃないと、本気で殴るぞ?」


「……はいはい。逆立ちでもブリッジでも、してさしあげますよ。スカーレットの姉御のためになら」


 あくびをしながらセルリアンが立ち上がる。スカーレットは立ちつくしている了平と視線を合わせると、苦笑して――さっさと行きなさいとでも言いたげに――手を振った。


「すまない。先に休ませてもらうぞ」


「お疲れさま。笹川さん」


 かるく頭をさげてスカーレットが言う。扉の脇の壁を支えに逆立ちをしたセルリアンも、逆さまな状態で笑って、「おやすみなさい」とふわふわと揺れる巻き毛に隠れそうな片目を閉じて了平を見送ってくれた。


 了平は二人に手を振って、玄関のホールを抜けて廊下を歩き――、厨房へ向かった。

 アルコールを飲んで身体を動かしたせいか、普段よりも酩酊している自覚が強かった。ふらついている自覚はないが、身体の動きがいつもよりも緩慢な気がしてもどかしかった。
 冷たい水でも飲んで、体内のアルコールの濃度を薄めないことには、興奮しているせいで眠れないかもしれない。火照ったままの顔へ片手で触れると、わずかに熱っぽかった。

 夜間のため、照明の明度が落とされた廊下を進んでいくと、ふいに鼻先に甘い香りが漂ってきた。錯覚かと思った了平は意識して香りを探ってみた。甘い香りの正体はバターを焦がしたような匂いだった。幻ではない。

 厨房で誰かが調理しているにせよ、いまは午前三時近くだ。許可もなしに火を扱って、火事にでもなったら大変なことになる。

 少し歩調を早めつつも足音や気配は消して、了平は厨房へ向かった。半分ほど外側へ開いたままになっている扉が視認できた位置から、了平は呼吸すら潜め、ゆっくりと音をたてないようにして、明かりが漏れている扉の隙間へ近づいていった。

 背中を壁につけ、了平はそうっと顔を出して厨房の中をのぞいた。

 広い厨房、コンロがずらりと並んだ一角だけ、明かりが灯っていた。
 その照明の下にいたのは、ドン・ボンゴレ――沢田綱吉だった。彼は肘まで袖をまくりあげたワイシャツの上からエプロンをして、鼻歌を歌いながら、フライパンで何かを焼いている。

 了平は、なんだか脱力したような気分で扉によりかかり、そのまま、楽しそうに鼻歌を歌いながら料理をしている綱吉の姿を眺めていた。距離にして五メートルほど先だが、ちょうど壁際に並んでいるコンロの方を向いている綱吉側から、了平の姿を見るためには、彼が振り向かないとならない。

 片手でフライパンの持ち手を握り、もう一方の手にはフライ返しを持っている。彼はフライパンをコンロのうえから持ち上げたかと思うと、「よーいせっ!」というかけ声と共にフライパンを返し、焼いていたものをひっくり返した。そこでようやく、了平は彼がホットケーキを焼いているのだと分かった。

 誰もが寝静まっている深夜、
 数千もの人間を従え、恐れの対象にすらなっているボンゴレ十代目ともあろう人間が、
 鼻歌まじりにホットケーキを焼いてご機嫌になっているとは――。

 了平は笑いをこらえれず、一人で吹き出してしまった。
 もちろん、気配を消すのはやめている。

 びくっと身体を震わせた綱吉が、フライパンとフライ返しを持ったまま、戸口に立っていた了平を見て目を見開いた。しかし、驚いたのは一瞬で、すぐに彼特有のやわらかい満面の笑みを浮かべて白い歯を見せた。


「了平さん。おかえりなさい」


 コンロの火を止めて、フライパンから焼けたホットケーキを用意ずみの皿の上へ――すでに二枚ほど焼き上がりがのっているうえへ――移動させながら綱吉が言う。
 了平は厨房内へ足を踏み入れ、コンロの近くに立っている綱吉へ近づいていった。換気扇を動かしていないせいだろう。厨房の中に入るとさらに甘いにおいが強まる。


「今日、お祝いだったんじゃないんですか? 朝まで帰ってこないかと思ってました」


 フライパンとフライ返しを、火が消えたコンロの上へ戻した綱吉が、了平の前に立つ。


「ああ。極限に楽しんできたぞ」


「うん。了平さん、顔あかいですもんね。けっこう、飲んだんでしょう?」


「皆がすすめるからな、かなり飲んでしまった。踊ったせいか、酔いが回るのが早くて困ったものだったぞ」


「へえ! クラブで踊ってきたんですか? あはは、それはいいなあ、オレも行きたかったなあ……」


「一緒に祝えたら良かったんだがな。……仕事があったのだから仕方なかろう」


「うう……。ほんと、行きたかったです」


 苦笑する綱吉の頭へ手を伸ばし、了平はやわらかい彼の髪を撫でた。
 彼は猫のように首をすくめ、了平の指先が髪をすくのをじっと嬉しそうに眺めた。

 綱吉には、今夜の祝賀パーティのことは伝えてあった。了平にとって嬉しいこと、喜ばしいことは、あまさず綱吉に伝えることにしている。綱吉もまた、ささいなことであっても、了平にいろいろと話してくれる。そのなかには嫌なこともあるが、むしろ了平としては嫌なことほど了平に話して欲しかった。彼が一人で悩むくらいなら、答えなど得られないことであっても、綱吉と二人で悩みたかった。


 綱吉の大きな琥珀色の瞳が了平の瞳をとらえた。
 またたき、二回分の間、二人は見つめ合った。
 先に笑ったのは綱吉だった。


「おかえりなさい」

「ただいま」


「あはは。なんだかいまのやりとり、新婚さんみたいですね」


「うん?」


「了平さんの帰りを、オレが料理作って待っていて、おかえりなさいってキスしちゃったりしちゃったら、なんかこう、新婚さんいらっしゃあーいって感じしません?」


 自分で言っておきながら、顔を赤くして綱吉が笑う。了平は照れてはにかむ綱吉の身体を両腕のなかに閉じこめると、鼻先で前髪をかきわけ、あらわになった額に唇で触れた。目尻、鼻、頬へ滑らせた唇で、綱吉の唇を覆う。ゆるゆると綱吉が唇をひらき、了平の舌を受け入れてくる。キスをしながら、綱吉の後ろ髪へ指先を差し入れると、びくりと彼の身体が脈打つようにはねた。あやうく舌をかまれそうになって了平は唇を離す。間近にある綱吉の大きな瞳が了平を見て、すぐに溶けるように微笑んだ。


「あ。了平さん、小腹とかすいてませんか?」


 綱吉がにこっと笑って首をかしげる。


「沢田家直伝の、ホットケーキ、食べませんか? 実は間違って、生地を作り過ぎちゃったんですよ」


「沢田が自分のために焼いたものじゃないのか? なのに、生地を作りすぎるとは……どういうことだ?」


「昔のオレんちって、居候が多かったじゃないですか?」


「あ、ああ。そうだな。あのころのおまえの家は大家族だったなあ」


「そのせいか、どうにも分量を少なくして作るってことが出来ないんですよね……。一人で仕事してて、夜食作っちゃおうーとか思って作り出しても、いっつも余っちゃうんです。――余ったやつは、朝イチで出勤してくる料理長がもりもり食べてくれるから無駄にならないっちゃーならないんですが。……どうです? ホットケーキとか、甘いの苦手ですか?」


「いいや。おまえが作ってくれるものならば、喜んでいただこう」


「それじゃあ、焼きますね」


 満面の笑みを浮かべて頷いたかと思うと、綱吉はフライパンを一度洗ってから、てきぱきと調理を始める。了平は少し離れた調理台に腰を預け、綱吉がコンロに向かって調理作業をしている後ろ姿を黙って眺めていた。

 彼が作業するために動くと、そのたびに腰の後ろで結ばれたエプロンの紐先が揺れる。迷いのない彼の作業はとてもスムーズに進む。一枚、二枚、三枚と焼きたてのホットケーキが皿のうえに重ねられていく。段々と上機嫌になってきたのか、綱吉が小さく鼻歌を歌い始める。最近、流行るようになった日本の若い歌姫の歌だ。彼は時々、思いだしたように日本から音楽CDを取り寄せて聞いていたりする。しかも、みんなにこっそりと内緒でだ。ホームシックだと思われたくないのと、心配をかけないために、綱吉は了平にだけそのことを教えてくれた。「了平さんにんだけですよ。他のみんなには内緒なんですからね」などと言われてしまうだけで、了平は誰にもそのことをもらすまいと心に誓った。

 楽しそうな綱吉の姿を見ているだけで、了平も幸せな気分になってきた。
 すこし、酔っぱらっているせいもあるのか。
 了平はあまり考えもせずに、料理をしている綱吉の背後へ近寄っていって、男性としては細めのウェストへ両腕をからめた。驚いた綱吉が「火ィ使ってんですから、危ないですよ」と言いながら振り返る。肩越しに了平を見つめた綱吉の目が優しげに揺れる。彼の身体を抱きしめながら、了平は綱吉の肩口へ顔を寄せ、


「つなよし」


 普段ならばぜったいに呼ばない彼の下の名前を呼んだ。

 一瞬、息を止めた綱吉の顔が、見る間に恥ずかしさと照れで真っ赤になっていく。唇が開き、何かを言おうとしたようだったが、結局は綱吉は息を吐き出しただけだった。綱吉は手探りでコンロの火をとめると、背中で了平の胸へともたれてくる。俯いてしまった彼の表情は分からないが、耳の裏まで真っ赤になっているので、見なくても予想がついた。


「了平さん、酔っぱらってるでしょう」


「そうかもしれん。とてもいい気分だ」


 了平が笑うと、綱吉は困ったように「うう」と短く呻いた。


「おまえが俺のために料理を作っている後ろ姿を見ていたら極限に幸せな気分になったんだ。だからその想いを伝えたくて抱きしめたんだ……。だめだったか?」


「ああもう、ずるいなあ……。駄目とか、そんなこと、あるわけないじゃないですかー……。くそー、オレばっかり、どきどきしちゃって、なんかもう……」


 すねるように言ったかと思うと、綱吉が了平の腕の中で身体を反転させた。両手で了平の胸元のシャツを掴み、綱吉は負けん気がこめられた瞳で了平を真っ直ぐに睨み付けるように見上げてくる。


「――りょうへい……」


 ほんの、消え入りそうな声で言って――言ったことに対して猛烈な羞恥でも感じたのか、綱吉は了平のシャツを掴んだ己の手へ顔を伏せてしまう。くすぐったいような感情のままに、了平は片手を持ち上げ、綱吉の髪を何度も指先ですく。そうしながら、耳元の髪をかきあげ、あらわれた耳へ唇を寄せる。わずかに息がかかっただけで、綱吉の身体が緊張するように強ばる。愛らしい恋人の仕草に了平が思わず忍び笑いをもらすと、綱吉はますます身を固くしていく。了平は髪の合間からのぞく綱吉の耳へ触れるほどに唇を近づけた。


「つな、……つなよし……、好きだ、大好きだぞ……。あいしてる。つなよし」


 びくっと身体を揺らした綱吉が了平の胸元に額を押しつけるようにして動かなくなってしまった。愛らしい、愛しい恋人の身体の感触を確かめるように了平が彼の身体を抱き直そうと腕の位置を変えようと身動きした瞬間――、



「なにしてるの?」



 抑揚のない低い声がした。
 驚いた了平が調理場の入り口へ視線を向けてみると、そこには雲雀恭弥が立っていた。さすがの了平も何の言葉も出てこない。リボーンから、重々、他の者に気がつかれるなと忠告を受けていたにもかかわらず、雲雀に対して綱吉との関係が露見してしまった瞬間に頭が真っ白になってしまった。


「ひぃ、ばり、さん!」


 悲鳴のような声で彼の名を呼んで、綱吉は了平の腕の中から抜け出て、直立した。了平も思わず、綱吉の隣に姿勢よく立って、近づいてくる雲雀を待ってしまった。

 雲雀は音もなく二人に近寄ってくると、綱吉、了平、コンロの上と調理台の上へと視線を動かして――、一人で頷いた。


「綱吉。僕、お腹がすいてるんだ」


「はいっ! 喜んでお夜食、作らせてもらいます」


「僕のには、焼きたてにバニラのアイスクリームと蜂蜜をたっぷりね」


「了解です!!」


 まるで規律のいい軍隊の新卒兵のような返事をして、綱吉が慌てた様子で雲雀のためのホットケーキを焼き始める。焦っているせいか、道具を手から落としてしまったり、フライパンを温めすぎてしまったせいで、綱吉はあたふたと忙しく動き回り出す。


 綱吉の側にいるとそれだけで彼がひどく緊張してしまうのではないかと思い立ち、了平は仕方なく、少し離れて立っている雲雀のほうへ移動した。

 雲雀は広い調理台のひとつに腰を預けている。その隣へ立ち、同じように了平も調理台に体重を預ける。短く息を吐いて、顔にのぼった熱を冷まそうとしたが、跳ね上がった動悸はすぐに静まりそうもない。


「ねえ、君たち、つきあってるの?」


 がちゃん!と音をたてた綱吉が身を震わせる。動揺してフライパンを皿に接触させてしまったようだった。了平は咳払いをひとつしてから、「――そうだ」と答えた。雲雀の性格上、彼は余計なことは他言しないことを見越した了平の判断だった。勝手に了平が肯定したことで、綱吉が狼狽するかと思って了平はちらりと彼の方を見た。綱吉は了平と目が合うと、長く息を吐き出して苦笑して、調理の作業へ戻った。

 雲雀は特に驚いた様子もなければ、にやにやとからかう素振りも見せなかった。「ふぅん」とあっさりと相づちを打ったきり黙り込む。


「――驚かないんだな」


 どうにもむずがゆい気持ちがして、了平は自分から口を開いてしまった。
 雲雀は了平のほうへ顔を向け、胸の前で腕を組んだ。


「僕には関係のないことだから」


「それは、そうかもしれんが……」


「驚いて欲しかったの? お互いに好き同士なら他人なんて気にせずに勝手にすればいいじゃないか」


「……まあ、そうしたいところなんだがなあ……」


 ふいに、意地悪そうに雲雀が双眸を細める。


「元・学友のよしみで、君たちが真夜中に新婚さんごっこしてたことは内緒にしておいてあげるよ」


「新婚さんごっこという訳では……。ん? おまえ、いつからいたんだ?」


「君たちが、でれでれした顔でお互いの名前を呼び合ってるあたりから。言っておくけど、僕は気配なんて消してなかったんだからね? 気が付かない君達が悪い」


「……極限にタイミングが悪いな」


「僕のじゃなくて、君たちのタイミングがね」


 クスクスと笑いながら、雲雀は焼き上がったホットケーキにアイスをのせるため業務用の大きな冷凍庫を開いて「あれーどこだー」などと呑気に言っている綱吉の後ろ姿を眺める。


「本気なの?」


 微笑んだままだったが、雲雀の声音は真剣味があった。

 綱吉のいる位置までは、雲雀と了平の押さえられた声音は届かない。

 了平は真面目な顔をして、微笑したままの雲雀の、探るような瞳を受け取る。


「極限に本気だ」


「あの子は格式世界の血族の末裔だよ? いつか、血筋のことで苦しむのが目に見えてる。それでも、君はあの子とおままごとをするつもり?」


「ままごとじゃないぞ。俺達は真剣だ」


「真剣なら、なおのこと――」


 言葉を一度きって、雲雀は笑みを顔から消した。


「僕は君のこともあの子のことも、わりと気に入ってるんだ。だから忠告させて。――これ以上、深くお互いを求める前に別れた方がいい。時が経てばたつほど、君たちが受ける傷は深く大きいものになる」


「……雲雀……」


「本質的には僕には関係のない、君とあの子の問題だろうけどね。――ああ、嫌だな。どうして年を重ねるたびに、お節介になっていくんだろう……、気持ち悪い感情……、自分に絶望するよ」


 顔を盛大にしかめて、雲雀は首を振りながら俯いた。
 了平は学生時代から見てきた旧友の俯いた横顔を眺める。


「……ありがとう。雲雀」


 雲雀は目線だけで了平を見た。


「おまえがそんなに心配してくれるとは思わなかったぞ」


「……もうそれ以上なにも言わないで。これ以上僕を落ち込ませたいの?」


 低く言った雲雀の顔が不機嫌そうに歪む。彼はいつもそうだ。普通の人間ならば取り繕うべきときに一切をとりつくろわない。嘘や偽りが苦手な了平は、雲雀のようなはっきりとした人格と相対しているとリラックスして会話が出来て楽だった。


「雲雀さん、できましたよ」


 明るく笑って、綱吉が調理台の上を片手で指し示す。
 いつのまにか調理台のうえに皿が三つ並んでいた。、三枚ずつ重ねられたホットケーキの上にバニラアイスがのせられ、たっぷりと蜂蜜がかかっている。真夜中に食べるには少々、高カロリーな料理だったが、作りたてということもあり何よりも美味そうに見えた。


 腰を預けていた調理台から離れ、雲雀は颯爽と綱吉の側まで歩いていくと、ホットケーキの皿を眺めて満足そうに笑った。


「うん。上出来だね。――綱吉の分は僕が運んであげる、了平は自分で運ぶといい。それで、綱吉はナイフとフォーク、用意して持っておいで」


「わかった」
「分かりました。持っていきます」


 笑いながら了平が答えると、雲雀はホットケーキののった皿を両手に持ち、調理場を出ていき食堂へ向かった。雲雀とすれ違いながら、了平はエプロンを脱いで調理台のうえへまるめておいて、食器棚の引き出しを開けてナイフとフォークを用意している綱吉のもとへ近づく。視界の隅で、食堂の照明が灯り、ぱあっと明るくなったのが分かった。

 綱吉は了平を目線を合わせると、照れくさそうに笑って肩をすくめた。


「……驚いちゃいましたねえ」


「だな」


「雲雀さんとなに話してたんです?」


「ちょっとな」


 綱吉の琥珀色の瞳が探るように了平の目を見上げてくる。
 了平は片手を持ち上げ、綱吉の髪へ差入れ、彼の頭を撫でた。


「おまえが心配するようなことは何もないぞ。せっかく、沢田が作ってくれた夜食が冷めてしまう。はやくみんなで食べよう」


 言って、了平は調理台に残されていた自分のために用意された皿を片手に歩き出そうとした。

 ――くん、とスーツの裾を引かれ、了平は立ち止まる。
 綱吉の指が了平のスーツの裾を握っていた。
 了平が首を傾げると、彼は照れくさそうに笑って、


「あ、あの……、もう、名前、呼んでくれないんですか?」


 小さな声で囁くように言った。つよく胸をつかれた了平は、皿を持っていないほうの手で綱吉の頭を己のほうへ引き寄せ、耳元へ唇を寄せる。


「――綱吉」


 くすぐったそうに首をすくめた綱吉が、嬉しそうに笑う。

 了平も嬉しくて笑ってしまった。



「ちょっと、何してるの? 僕、もう食べちゃうからね」



 雲雀の少し苛立ったような声音がした。
 二人は額を寄せ合うように顔を近づけあって、笑い合った。


「雲雀さん! ナイフとフォークもないのにどうやって食べるんですか?」

「おう! いま行くぞ!」


 口々に言って、綱吉と了平は、雲雀が待つ食堂へ肩を並べて向かった。











【END】