EveRy HomE












 泣いている彼の背中を見ている。
 声もかけずに。
 近寄りもせずに。


 床に膝をついて、ソファにつっぷして震える背中。
 こらえきれない嗚咽はときおり、隙間風のように頼りなげな音をたてる。
 薄暗い部屋には彼と二人きり。
 泣いている彼は両腕に顔を押しつけている。


 ソファがある場所とは反対側の壁に背中を預けて、彼を眺めていた。

 彼の嗚咽だけがやけに鮮明に、部屋の中で響いている。


 リボーンはかける言葉を思いついても言葉には出来なかった。


 口にすれば、何かが壊れる言葉ばかりしか、思い浮かばなかった。


 近づけば、己の自制心が揺らいで、何をするか分からなかった。


 だから声をかけられない。
 だから近寄ることもできない。


 幼い頃から共に過ごしてきた『彼』が死んだ。

 普段から心を殺し慣れているリボーンですら、動揺して激昂したくらいだ。

 彼の悲しみと怒り、絶望はきっとリボーンが考えているよりも大きく、そして深い。


 リボーンは泣いている彼を見ている。
 触れたいと思った。
 抱きしめたいと。
 キスをして抱きしめて、何もかも忘れさせたいと。
 目を閉じて、耳をふさいで、何も言わせずに――。
 この暗い部屋のなかに閉じこめて、世界のすべてから彼を隠してしまいたかった。


 ふいに、何度か咳き込んだ彼は、ソファから顔を上げた。涙と鼻水、いろいろな液体でぐちゃぐちゃになった顔で、彼はリボーンを見た。


 彼はリボーンに片手を伸ばした。
 めちゃくちゃに涙をこぼしながら右手を伸ばす。



 その手に触れれば、決して言ってはならない言葉が唇から溢れる予感がした。



 彼は右手を伸ばしている。
 リボーンを招くように。
 リボーンを導くように。
 リボーンを誘うように。


 動かないリボーンを見ていた彼は、ひときわ大きく肩を震わせ、涙を両目から溢れさせる。泣きすぎているせいか、目の縁が赤く腫れ、まるで化粧でもしているかのようだった。


「リッ、……リボーン、リボーン、リボーン、……リボーン……ッ」


 まるで迷子の幼子のようにもつれた舌で名を呼ぶ。

 リボーンの強固な自制心も吹き飛んだ。

 早足で彼に近づく。彼の指先は嗚咽に同調してぶるぶると震えていた。

「……リ、ボー、ン……ッ」

 右手を掴んで、そのまま彼――沢田綱吉の身体にぶつかるようにして彼を抱きしめる。

「ツナ」

「ぅうっ、……ひ、うっ……」


 綱吉はリボーンの首筋に顔をうずめてまた泣きだす。首筋が濡れる感触がしたが、リボーンは両腕で綱吉の身体を抱きしめる。ずっと泣いていたせいか、彼の身体は熱をもって温かかった。


 彼の背中を抱え込めるほどに長さのない、自分の腕が心底憎らしかった。縮むことのない年齢差を呪うようになったのは、身体が成長を始めてからだった。年を重ねる事に縮まる差がわずかなことにもどかしさを感じ、苛立っては自分自身を呪った。


 綱吉の身体を受け止め、懐に抱え込んで包むこともできない小さな身体――。


 リボーンは両腕を伸ばして綱吉の身体を強く抱く。
 耳元近くで彼の嗚咽が響く。
 

 こめかみ、みみもと、ほおへ――キスを落とす。


 顔をあげた綱吉の唇に唇を寄せる。


 何度も、何度も、何度も――触れるだけのキスを繰り返す。


 嗚咽で震える彼の唇は涙の味がした。



 『彼』は敵対ファミリィの罠におちてなぶり殺しにされた。
 一人に多勢。
 いくら戦闘において有能であった『彼』でも、百人を越える人間を相手にすることは無理だった。


 死体は見た目では誰のものか分からなかった。


 遺伝子情報から彼だと確定してすぐに、綱吉はボンゴレの全勢力を注ぎ込んで、『彼』の殺害に少しでも荷担した者たちをすべて皆殺しにした。



 未だかつて無いボンゴレの冷酷かつ無慈悲な所行はすぐに裏社会で広がった。
 ボンゴレの怒りを買うことを恐れたファミリィたちは沈黙し、身動き一つしなくなった。イタリア中が静まりかえった。



 葬儀が行われている間も彼は泣かなかった。
 誰の前でも毅然とした態度を貫き、弱音をひとつもこぼさなかった。
 それは普段の彼、もしくは昔の彼を知っている者からすれば異常な状態だった。


 『彼』がおさめられた棺に彼は口づけた。


「『ごめんなさい。ありがとう。さようなら。ありがとう。オレが逝くまで先に行って待っていてね。どうか安らかに――』」


 口早に日本語で囁いて彼は棺から離れた。
 彼はそれでも泣かなかった。


 強くなったものだ。
 リボーンはそんな風に考えていた。


 しかし、それは間違いだった。


 葬儀が終わった夜。
 守護者たちと今後の仕事の割り振りや部署の統合などの話を終え、リボーンと共に私室に戻った彼は、なんの前触れもなくソファに崩れ落ちた。驚いたリボーンが近づく前に、彼は何日も何日も我慢していただろう大きな叫び声を上げた。



 悲鳴のような声はすぐに嗚咽にかわり、彼は泣きじゃくりだした。
 子供のように声を上げて、ソファを拳で殴りつけて、駄々をこねるように泣き叫ぶ。



 リボーンはよろめいて、壁に背中をぶつけた。
 そしてすぐに、浅はかだった自分を呪った。



 彼は必死にこらえていたのだ。



 悲しみと絶望に幾度も呑み込まれそうになりながらも、誰にもすがらずに、――リボーンにすら荒れ狂う内面を悟らせぬように異常なくらいに精神を張りつめて、耐えていたのだ。




 涙でぐちゃぐちゃの綱吉の顔を、リボーンは手のひらで何度も拭う。あとからあとから溢れてくる涙――、彼の目元に唇で触れる。あやすように後ろ髪と背中を何度もさすった。




 彼の嗚咽が小さくなるまで、リボーンは根気よくそれらを繰り返した。



 やがて、綱吉の肩の震えが小さいものにかわり、瞳から溢れる涙も止まった。



 赤く縁取られた目元にわずかな戸惑いをのせ、綱吉はリボーンの顔を見下ろしてくる。
 泣きはらした目と目が合う。
 一瞬、脳裏に先程の泣き叫ぶ綱吉の映像がフラッシュバックする。



 リボーンは短く息を吸った。



 ああ、言ってしまう。



 もう一人の自分が思わず目を閉じるのを感じた。




「……逃げたいか?」




 綱吉は目を見開く。
 止まったはずの涙が、左目の縁から一筋おちていった。




「オレがさらってやろうか? 追っ手なんて、オレとおまえがいればどうにでもなる。身を隠す術も身分証の偽造も、なにもかもオレが手配してやれる」



「なに、言って、る、の?」



「今度のことのような事が続いたらおまえが壊れちまう」



「――リボーン」



 綱吉は両手を持ち上げて、リボーンの頬を包んだ。
 熱い手のひらだった。
 彼は泣き濡れた顔で微笑してリボーンを唇に唇を重ねた。
 キスに答えながら、リボーンは彼の手に右手を重ねる。



「オレは、逃げないよ」


「ツナ……」


「ここがオレの戦場だもの。オレが選んだ場所だもの。逃げないよ。――おまえがいるんだ。逃げる必要はない」



「オレはおまえのためだったら――」



「だめだよ」


 リボーンの顔を大事そうに両手ではさんだまま、そっと彼は囁く。



「だめだよ。リボーン。おまえがそれを言ったらだめだ。……さっきのも聞かなかったことにするよ」


 額におちるキス。


「ありがとう。嬉しかった。――夢みたいな台詞だった……」


「……ツナ……」


 微笑する綱吉の顔へリボーンは両手を伸ばす。
 触れた彼の頬は熱い。



「愛してる。おまえを愛してる。愛してるんだ、……すまな――」



 リボーンの謝罪を押しとどめるように、微苦笑をうかべた綱吉はリボーンの唇をふさいだ。
 

 彼を一流のマフィアに仕上げたのはリボーンだ。
 後悔はないはずだった。
 誇らしいことだったはずだ。

 
 無邪気だった彼の笑顔が消えて、どこか心を押し隠して彼が笑うようになったころ。
 誇りと後悔の割合が逆転した。



 唇を離した綱吉は、リボーンの頬を指先で撫でながら囁く。


「おまえはオレの弱さを許しちゃいけないんだ。そして、オレが自分で選んだ道をオレから奪ったりしないで。自分を責めたりしないでよ、リボーン。オレはそんなこと、これっぽっちも望んじゃいないんだから」


「だけどな、ツナ――」


「オレを愛していて。おまえがいてくれれば、おまえが愛してくれてさえいれば、オレは立ち上がれるから。オレを抱きしめて、キスをして、ときには叱咤して、そうやってオレを生かしてよ、それがおまえの役目だろ? リボーン」


 そう言って、綱吉はリボーンの身体を両腕で抱きしめた。体格差があるため、綱吉の腕に抱きしめられるかたちになり、リボーンは彼の胸に顔を寄せるしかなかった。


 胸に押し当てた耳に綱吉の鼓動が聞こえてくる。
 生命の音だ。



「……たとえ、おまえの鼓動が止まってもオレはおまえを愛すだろうよ」


「死んでも愛してくれるんだね、それは素敵だなぁ」


「馬鹿言うな。おまえが死ぬときはオレが死んだあとだ。オレは死んだっておまえのことを愛してるぜ、ツナ」


「愛は死なない、ってやつ? ――おまえの愛なら、なんだか本当に不滅の愛って気がするよ、……不思議だね……」

 ゆるんだ彼の腕の中から背筋を伸ばして彼の頬へ頬をすり寄せる。わずかに涙で湿った頬は熱っぽかった。


「愛してる、愛してる。何度だって言ってやる。それでおまえが立つことが出来るのなら、オレの言葉が立ち向かうための剣になるというのなら、何度だって、飽きることなく繰り返してやる。――おまえのために、オレの声も言葉も身体も、すべてを費やしてやる。オレもおまえと同じ戦場に立って、おまえの隣に立ってやる。絶対に離れない」


「――リボーン」


 囁く綱吉の声に導かれるように、リボーンは彼の唇に唇を寄せる。


 涙の味が残る唇にキスを繰り返しながら、リボーンは愛しい彼の頬や髪に触れる。


 明日になれば、血と策略と裏切りが蔓延した舞台にあがる。


 彼は再び舞台にあがり、手にした剣を振るって世界と戦うだろう。
 リボーンは彼の隣に立ち、全力をかけて彼を守り、彼を支えることを厭わない。


 彼をマフィアにした事実からは逃れられないリボーンは、それだけで一生、綱吉から離れることはないだろうと確信してる。

 唇をわずかに触れ合わせた距離のまま、綱吉が微笑する。


 愛しさだけが純粋に胸の内に広がる。


 彼にありったけの想いをこめて微笑を返し、リボーンは彼の頭を両腕で抱きしめる。
 やわらかい彼の髪に頬を寄せると、綱吉の腕がリボーンの腰に回った。



 時計の音だけが響く室内でかたく抱きあいながら目を閉じると。



 世界中で呼吸をしているのは互いだけのようだった。



 一人で静かに笑って、リボーンは綱吉の頭にほおずりをする。






 どうか。
 どうか。
 どうか。


 彼の悲しみが一ミリでも減るように。
 彼の幸せがこれから先、溢れるように。


 差し出せるものはすべて差し出すから。


 どうか、彼を守ってくれよ、――マイ・ゴッド








『End』



































『あとがきのようなもの』

オニツカさんの新曲シングルの歌を聞いてインスピレーションで書きましたー。もう勢い任せなので雰囲気小説ですが、……楽しんでいただければ嬉しいですー。
ほんと、曲がすごい素敵すぎます。
歌詞というか、全体的なメロディとムード重視、な感じです。
リボツナは本当に楽しい……! 

ちなみに『彼』は誰だとは断定しませんが、守護者のうちの一人です……。すいません。


ものすごい自己満足です……アァ楽しかったあ……!