黄昏色の懐かしい過去から舞い戻ってから一週間が経過しても、綱吉の周囲のざわつきは一向に収まる気配がなかった。造反者の捜索から捕縛、そして平行して行う通常通りの各種経営に関する方針やプロジェクトの確認、今回の暴動によって傷を負ったりした人々へのケアに関する報告書――など、ドン・ボンゴレたる綱吉のもとには一日ごとに片腕では抱えきれないほどの書類が運ばれてくる。クリップで留められたものやファイリングされたものもあれば、封筒に入ったものもある。普段は広い執務机の上にものりきらず、応接用のソファやローテーブルのうえにも積み上がった書類があった。

 必死に万年筆を動かし、捺印しても、紙の束の山が減ったような気にはならなかった。書類に追われるようになって五日が経過したころから、綱吉は少し諦めつつあった。一日に処理できる仕事の物量をすでに越えている。必死にやってはいるものの、押し寄せてくる情報量が圧倒的すぎた。

 それでも綱吉はなるべく迅速に書類に目を通し、考え、ときおり赤いボールペンで書類に書き込みなどをして、真剣に仕事に取り組んだ。そうすることで、過去の綱吉が踏ん張った数日間に報いているつもりだった。


 黙々と書類を読んでいた目線を持ち上げ、綱吉は広いとはいえ、様々な調度品がある執務室内の、しかも執務机の側に、無理矢理強引に医療用のベッドを押し込み、――あまつさえそのベッドの上にあぐらをかいて、難しい顔をして書類に目を通しているリボーンを見た。距離にして二メートルもない位置に医療用のベッドがあるという構図に慣れるまで、綱吉は数日かかったが、一週間も経てば嫌でも慣れてしまうのか、違和感など感じなくなってしまっていた。

 ノーネクタイ、白いシャツに黒いズボンというシンプルな出で立ちの彼は、いつものように帽子をかぶらず、前髪もヘアワックスで持ち上げていなかったので、十代の学生らしい爽やかな雰囲気が彼の周囲には漂っていた。しかし、彼のウェストには二丁の拳銃を携帯するためのホルスターがあるので、普通の学生には見えなかった。

 綱吉の視線に気がついたのか、リボーンが書類から視線を上げた。彼はまだ左目に眼帯をしたままだ。いっとき、二人の視線が交わる。綱吉が微笑んでみせると、リボーンは何の反応もせずに再び書類へ目を向け始める。かちんときた綱吉が無声音のままに「ばーか」と言うと、「馬鹿はおまえだ」と冷たくリボーンにあしらわれてしまう。

 それから数十分が経過したころ。時刻としては午後の二時を過ぎたころに、綱吉の緊張の糸がぷつりと切れてしまった。


「うあー……」


 間の抜けた声をあげ、綱吉は万年筆を握りしめたまま、サインを書き終えた書類にほおずりするように机に倒れ伏した。ひんやりと硬い机の感触を感じながら全身で脱力する。


「――おわらない。おわらない。なにがって、報告書があとからあとから押し寄せていて、もう目がちかちかするよ。白い紙が黄色く見えてきた……」


「うだうだ言ってねぇで、目と手ぇ動かして、ちゃんと頭で考えろよな」


 赤いインクの万年筆を片手にシーツのうえにおいた書類に目を通しているリボーンは、相変わらず綱吉のほうをちらりとも見ないで口を開く。
 こっちを向いて話せよ。という台詞は、すでに何回も繰り返したが、彼は聞き入れてくれなかった。若干、唇をつきだし気味にして、綱吉はつれない恋人の横顔をみつつ、仕方なく倒れていた身を起こして、ちゃんと椅子に座り直した。


「はーい。すいません。――あ、ねえ、キッチンにコーヒー頼むけど、おまえもいる?」


「ああ」


 机の上の書類の山の合間に隠れている電話の子機を手にとって、キッチンに電話をかける。三回目のコールが鳴る前に電話が繋がった。相手はどうやら女性のメイドのようだった。年齢もかなり若いのか、声に張りがあって聞いていると気持ちのよい声の人だった。


「あ。綱吉なんですけど、執務室までコーヒーふたつ、お願いします」


 メイドの元気のよい返事を聞いてから、綱吉は子機を元に戻した。

 コーヒーの注文というひと仕事を終え、息を吐きながら椅子に座り直す。両手を頭上へ持ち上げ、背筋を伸ばして目を閉じる。ずっと同じ姿勢で仕事をしているせいか、ぱきりぱきりと背骨が音を立てた。ついでだと思い、綱吉は椅子から立ち上がって、かるい柔軟を始めた。途中、ちらりとリボーンが綱吉を見て「てめえ、なにしてやがる」といった非難めいた表情を浮かべたが、彼は何も言わずに己の仕事に集中し始める。

 一通りの柔軟を終えるころ、ふと、綱吉のなかにずっと思考の波の中にたゆたっていた疑問がはっきりと形をなした。


「あのさ、ふと、思ったんだけどさ」


 言いながら、綱吉はリボーンが運び入れた医療用のベッドまで近づいていき、ベッドの端に腰を下ろした。邪魔そうにリボーンが片目を細めたのを綱吉は見なかったことにして、彼に問いかけた。


「今回の入れ替わり事件の記憶、いつまで経っても、オレの記憶にならないんだけど――これってどういうこと?」


 万年筆を手にしたまま、綱吉と視線を合わせてリボーンは答えた。


「ランボの奴が言ってただろ? バズーカで行き来できる未来は、可能性の分だけ無数に存在するってな。おまえと入れ替わった過去の綱吉は、オレ達が生きている現実と、少しずれた位置にある世界――ようするに、パラレルワールドで生きてた綱吉なんだろうよ。だから、いまのおまえには過去の記憶がないってことになるだろ?」

 綱吉は腕を組んで、斜め上を見ながら短く唸った。

「ん? ようするに、現在とは別にさ、現在とすごーくよく似た世界が他にもあって、そこにも、マフィアのドンになりかけのオレと、伝説の殺し屋なおまえがいるってこと?」


「ようは、こっちとあっちが、イコールで繋がらねぇってこった。AとA’は同じじゃねぇだろ?」


「あー……――ま、むずかしいことはいいや」


「難しくねぇだろ。なんで理解できねぇんだ?」


「そっかー。あっちの世界のオレとおまえも、元気でやってるといいなあ」


「こら。聞いてんのか、人の話」


 声を低めたリボーンに冷たく睨まれ、綱吉は両手を顔の横に持ち上げてかるく頭を下げる。


「う。ごめんなさい。聞いてます」


 扉を叩く上品なノックが二回ほど繰り返される。
 メイドがコーヒーを持ってきたと思って、綱吉は両手を下ろし、扉を見ながら返事をした。


「はあい」

「お邪魔します」


 開いた扉から顔をのぞかせたのは、六道骸だった。間髪入れずにリボーンが舌打ちする。

「失礼します!」

 続いて、まだ二十歳前後の若々しい短い金髪をしたメイドが銀のトレイに三つのホットコーヒーをのせて、入室してきた。明るい笑顔を振りまいて部屋に入ってきたメイドは、コーヒーをソファーセットの間に置かれたローテーブルに――山積みになっている書類の山の合間に器用に――セッティングすると、骸が片手で支えている扉の前まで戻り、行儀よく深く一礼すると部屋を出ていった。

 骸はメイドが廊下へ出ていったのを確認してから、扉を閉じた。よく見れば、骸は片腕にどっさりと紙束を抱えている。綱吉はかるく血の気がひいた。あれがすべて報告書だとすると、また日付が変わる日まで綱吉は椅子から離れられないだろう。


 綱吉は入室してきた骸を迎えるために、ベッドから立ち上がり、ソファーセットのほうへ移動をした。


「邪魔だ。帰れ」
「こんにちは。綱吉くん。僕、実は今日、休養日なんですよー」


 ベッドのうえで悪態をついたリボーンのことを無視して、骸は近づいてきた綱吉に向かってにっこりと笑う。


「あ、そうなの」


「誰もそんなこと聞いちゃいねえだろ。こっちは忙しいんだ。帰れ」


 すぐ近くでリボーンの声がしたので綱吉は驚いて振り返った。素足にスリッパをはいたリボーンが多少ふらつきながら歩いてきて、綱吉の横を通り過ぎると、ソファに座った。動くとやはり気分が悪くなるのか、長々と息を吐いた彼は、目を閉じてソファに背中でもたれて身体の力を抜いた。


「リボーン、平気なの?」


「こいつを見たら、元気が出てきたぜ」


 綱吉の問いかけを聞いて目を開いたリボーンは、骸のことを睨み付けて、口元に不敵な笑みを浮かべた。

 骸はリボーンのことを一瞥したが何も言わず、微笑を顔に張り付かせたままで言った。


「綱吉くん、僕、最近各地を巡ったりして、あちこちでいろいろ調べてきたんですけど――、これ、見てくださいよ!」


 抱えていた紙束を机の上に勢いよく広げる。その勢いに負けて倒壊した書類の束がローテーブルの上から絨毯のうえにはばさりばさりと音を立てながらこぼれていく。日付別に仕分けしてあった書類がばらばらになっていくのを眺めながら、綱吉はこめかみがひくつくのを感じて、眉間にしわをよせる。


「…………むくろ」


「はい?」


 おそらくはわざとだとは思うのだが、それをいっさい感じさせないようなすがすがしい笑みを浮かべて骸は首を傾げた。その微笑に勝てるような気がしなくて、綱吉はリボーンの隣のソファへ座った。


「もういいや。ちょっと休憩」


「ツナ」


「いいじゃんか。朝からずうっと頑張ってたんだしさ。きゅうけい、休憩!」


「おまえはこいつに甘すぎる」


 リボーンは、綱吉の正面側のソファに座った骸のことを片目で睨みつけて指し示す。
 骸は優雅にソファに足を組んで座ると、彼は悠然とした動作で腕を組んだ。


「嫉妬ですか?」


「残念だが、ツナはオレにめろめろだ。嫉妬する必要はねえ。目障りなだけだ」


 リボーンと骸が笑顔を浮かべながら、微妙な視線を交わし合っているのを横目に、綱吉は机のうえにばらまかれた紙束へ視線を落とす。それらはすべて小冊子であったり、なかにはファイリングされているものもある。そのひとつを手にとって眺めてページをめくってみると、真っ白なドレスを身にまとった女性モデルがブーケを持って微笑んでいる。どのページもドレス姿の女性モデルが微笑んでいる。


「……あのさ、骸」


「はい?」


「これ、なに?」


「え? ブライダル関係のパンフレットですけど?」


「これ、全部!?」


 ローテーブルの上に広げられたパンフレットの種類は様々だ。ぱっと見ただけでのドレスやブライダルプランに関する数十種類のパンフレットがある。そのなかの一つを手にとって、骸は折り目をつけておいたのか、すぐにページを開いて、綱吉のほうへ向けてきた。


「ええ、はい。――僕はこれなんか、綱吉くんに似合うと思うんですよ。それで、クロームはこちらのブランドのドレスなんかが似合うと思います、どうです?」

 骸は言いながら、白いタキシード姿の男性が薄青いドレスを着た女性と腕を組んで微笑んでいるパンフレットとは別に、黒いシックなふんわりとしたドレスを着た女性の写真がのっているパンフレットをすかさず差し出してくる。


「どうですと、言われましても……」


「なんですか! その、気のぬけた台詞! あなた自身のことでしょう!」


「そうだよ。オレ自身のことだよ。なんでおまえがそんなに楽しそうなんだよ?」


「なにを言うんですか! 僕の綱吉くんと僕のクロームが結婚式をするんですよ!! 世界でいちばん素敵な式にしたいと思う僕の気持ちが分かりませんか?」


「オレのことまでさりげなく自分のもののように言うなよ。っていうか、クロームもおまえの『もの』じゃないだろ。……リボーン、黙ったまま銃を引き抜かないで。しまって」


 無言でウェストの拳銃を引き抜いたリボーンの腕に手で触れて、綱吉は彼と視線を交わす。リボーンは鼻から息をついて、渋々と拳銃をホルスターへ戻した。彼が大人しくソファへ座り直すのを確認してから、綱吉は新しいパンフレットを手にとって開いた。


「あ。――これ、可愛いね」


「ツナ、おまえ」


「いいじゃない。休憩中なんだから。――ほら、これ、可愛いよね?」


 開いたパンフレットをリボーンのほうへ向けると、彼は綱吉が指し示したドレスとは違うドレスを指さして言う。


「こっちのが、いいだろ」


「あー、それもいいなあ。……別にドレスって一着じゃなくていいんだっけ? お色直しっていうのは日本だけのものなのなかな?」


「好きなようにすりゃいいだろ、ドン・ボンゴレ」


「なんか、どれも可愛いなあ。――せっかくだから、好きなだけ着たらいいよ。これ、クロームにも見せてあげれば?」


「クロームのところには、犬と千種がこれと同じものを持っていています」


「あいつらも、くだらない上司を持つと大変だな」


「言っときますけど、千種も犬も手放しで喜ぶようなことはしませんけど、嬉しいんですよ。クロームは僕達の大切な家族ですからね」


「クロームのこと、悲しませるようなことにならないように、オレ、全力で頑張るからさ」


 骸は綱吉のことを見つめながら頷いた。


「ええ。ぜひとも、幸せになってくださいね。――で、思うんですけど……、リボーンはどうします?」


「え?」


 話が飛躍したので、綱吉は追いついていけず、思わず口を開けて骸を眺めてしまった。


「リボーンがどうしたわけ?」


「ドレス、着るんですか?」


「ばっ! ふざけんな! ない言だすんだよ!」


「だって、言ってたじゃあありませんか。『ドレスを着てもいい』って」


「そういや、言ったかもしれねぇな」

 妙に静かな声音でリボーンが言う。隣を見てみれば、彼はソファに身体を沈ませたままで、不機嫌そうな顔をして骸と視線を交わしている。見るからに不穏な空気だ。売られた喧嘩は買ってやろうという気迫が見えない波状となって肌に伝わってきた。


「ちょっと、リボーン、まさか――」


「ツナ、どれがいい?」


「どれがいいじゃないよ! 着るなよ、ドレスなんて!」


 ソファにもたれていた身を起こし、リボーンは重なり合っているパンフレットを一部手に取り、ぱらぱらとめくったかと思うと、とあるモデルが着ていた赤いドレスを指さした。


「これなんか着たらきっと可愛いぞ、オレ」


「どっからくるんだ、その自信!」


「どうせなら、綱吉くんもドレス着ますか?」


「どこがどうせならだ! 新婦と新郎がどっちもドレスってどんな結婚式だ!! ふつーの恰好してよ、女装なんてしないでさ、一生の想い出として記憶に残るんだからさあ」


「はっ。冗談に決まってるだろ、バカツナ」


 手に取っていたパンフレットをテーブルに雑に戻したリボーンは、狼狽している綱吉を横目で見て鼻で笑う。綱吉はリボーンの腕に触れながら、彼の身体側へ身体を傾けて息を吐き出す。


「――おまえの冗談は本気のときがあるからこわいんだよ」


「それで。婚約式、いつにするんですか?」


 マイペースに会話を進める骸は、机の上のパンフレットを整理しながら続ける。


「結婚式の前に婚約式ですよね? かなり、大きなパーティになるんでしょう?」


「そうだね、招待客はかなり多くなると思う。――でも、もう少し、身辺が落ち着いてからかな……。まずは九代目に報告して、それから古株の同盟ファミリィのドン達と会食をして……、正式発表するのはそれからだと思う」


「そうですか。でも、それとなく、噂を流すくらいはいいですよね?」


「噂か……。そうだなあ。隠すようなことじゃないし、逆に情報が広がってくれた方がこっちにとってはいいかもしれない。頼める?」


「ええ。うまく、こちらで処理をしましょう」


「ありがとう。骸」


 片手を胸元にそえ、骸がおどけるように一礼をした。
 綱吉は、リボーンの方を向いた。
 リボーンは眼帯に隠されていない右目で、綱吉のことを見ていた。手を伸ばして、綱吉はリボーンの腕に触れる。


「ボンゴレの血筋と秩序は守り通す。――そして、オレとおまえのことも諦めない。オレはずるいからなにも捨てたりしないで、どこまでもあがいて幸せになってやるんだ」


「男前ですねえ。素敵です、綱吉くん」


 片目を閉じて笑う骸に向かって綱吉はかるく頭を下げる。


「ありがと。これ、あとでちゃんと目を通しておくよ」


「用事は終わったろ? 消えろ」


 犬を追い払うような仕草をして、リボーンが目を細める。
 相変わらず、リボーンの悪態をきれいに無視をして骸は綱吉に笑いかけてくる。


「僕もなにか手伝いましょうか?」


 リボーンと骸の間で、見えない何かが火花を散らし出す気配がしたので、綱吉はすぐに口を開いた。


「平気だよ。おまえ、休養日だろ。ちゃんと身体やすめておけよ。……どうせ、無理してるんだろ? ここまで来たんだったらクロームのところに立ち寄って、シャマルに診察してもらえよ?」


「可愛いクロームのところには立ち寄りたいですが、あんなむさい男のところに行くのは御免です」


 しなやかな動作でソファから立ち上がった骸は、道化師のように大げさな動作で一礼をした。


「無理だけはするなよ」


 骸はドアを開き、廊下へ一歩出た状態で室内へ振り返った。
 片手を顔の横に持ち上げ、指先だけを動かして、彼は再び一礼した。


「では、ご機嫌よう」


 静かに扉が閉められたかと思うと、廊下を遠ざかっていく足音の気配が聞こえてくる。彼の負傷具合はシャマルにすら分からないという報告が綱吉のもとへ上がってきてきていた。骸は綱吉が問いかけても、怪我に関しては何も答えないだろう。だからこそ、綱吉は何度でも何度でも、骸に「無理はするな」と言い続けたかった。
 綱吉には数年前から抱えている不安があった。
 骸が痛みを忘れて、いつか限界を超えて「死んで」しまう可能性があることに気がついてしまってから――、綱吉はずっと不安だった。

 だから綱吉は繰り返す。

 無理はするなと言葉にして繰り返し、

 おまえのことを心配する、オレがいることを忘れるな。

 という想いを骸へ伝えたかった。



「仕方のねー奴だな」


 呆れたような声で言って、リボーンは顔をしかめる。つられて顔をしかめつつ、綱吉は首を傾げた。


「身体の具合、ほんとうに大丈夫なのかなあ……」


「さあな」


 気のない素振りで返事をして、リボーンはテーブルの上のコーヒーを手にとって口元へ運んだ。綱吉も深呼吸をしてから意識を切り替えて、カップに手を伸ばす。適度に冷めたコーヒーを飲みながら、綱吉はホッと息をついた。


「結婚式かー」


 綱吉のつぶやきを聞いて、リボーンはカップをソーサーに戻し、言葉の続きを促すように小さくあごを振った。綱吉もカップをソーサーへ戻し、リボーンの方へ座る位置を移動して囁く。


「あとでさ、時間つくってさ、二人だけで結婚式しない?」


 クスっと意地悪そうに笑って、リボーンがあごをひく。


「言うと思った。おまえって結構、ロマンティック好きで少女趣味だよな。少女漫画とか好きだし」


「うるせー。少女趣味で悪いかっ、いいだろ、別に。嫌ならいいけど!」


「嫌じゃないぞ。つきあってやるよ。――指輪、給料の三ヶ月分で用意しろよ」


「おいおい。オレの給料三ヶ月分て! どんだけ高い指輪だよ」


「まあ、それは冗談だが――。指輪なんてなくても、オレはおまえに愛を誓ってやるさ」


「ありがと。でも、指輪はやっぱり欲しいから、あとで一緒に買いに行こうね」


「いいぞ。――あれ、全部終わったらな」


 ソファの背後にある執務机のうえの書類を指さして、リボーンがニヤッと笑う。綱吉はソファの背もたれにもたれかかるように座り、日中には終わりそうにない量の仕事を半眼で眺めた。


「……遠いなァ……」


「オレが手伝ってやってんだから、頑張れよ。――ほら、とっとと仕事の続きをしやがれ」


「えー」


「休憩は終わりだ」

 不服さをこめて声を漏らした綱吉の頭を片手で叩き、リボーンはおぼつかない感じで立ち上がった。綱吉はリボーンが歩くのに手をかしながら、自分自身も立ち上がった。

 リボーンの身体を抱き上げて、ベッドの上へ下ろすと、彼は綱吉の二の腕をかるく二回ほど叩いた。彼なりの感謝の意味を込めた仕草だった。


「リボーンー」


「なんだ、あまったれた声だして」


「充電したい」


「……部下にはみせられねー顔」


 仕方なさそうに笑って、リボーンは両腕を広げた。小柄な身体に身体を寄せ、綱吉は両腕でリボーンの身体を抱きしめた。リボーンのすこし硬い黒髪に鼻先をすり寄せ、目を閉じる。


「ありがとう」


 リボーンが小さな声で「なにがだ?」と囁く。
 理由なんて、よく分からなかった。
 ただ感謝したかった。
 リボーンが綱吉の腕の中に身を任せてくれている幸せに感謝したかった。


「ほんとうに、ありがとう」


 リボーンはそれ以上何も言わず、何回も綱吉の背中をたたいてあやしてくれた。数分ほどそうしていると、リボーンがわずかに身じろいだ。リボーンの片手が綱吉の胸を軽く押した。


「仕事、しろ」


「ちえ……。ハニィがつれないぜ」


 仕方なく、綱吉は抱擁をといて、リボーンから離れた。彼はシーツの上にやりかけで放置していた書類を手元に引き寄せ、赤いインクの万年筆を手に取った。


「さっさと仕事を終わらせて、オレに愛の証を買ってくれるんだろ? ダーリン」


 執務机の椅子に座った綱吉に向かって、リボーンが口元に笑みを浮かべる。


「あー、ずるい、おまえ、ずるい……」


 机のうえの万年筆を手に取り、新しい書類を手元に引き寄せつつ、綱吉はベッドのうえに座っているリボーンを半眼で見た。


「ちくしょう。惚れた弱みにつけこみやがってー」


「愛してんぞ、仕事がばりばり出来る素敵なマイ・ダーリン」


 笑いながら言ったリボーンは、万年筆を持ったままの手を唇へ引き寄せ、キスを投げた。


「ずるい。ほんと、ずるいよ、おまえ」


 おかしさをこらえきれず笑い出しながら、綱吉は万年筆を持っていないほうの手を持ち上げ、空中を漂ってきたリボーンのキスを手のひらで受け取り、口元を手のひらで覆った。

 微笑みを浮かべながら、リボーンが万年筆を書類のうえにはしらせる。ペン先が紙をこする微かな音が聞こえ始める。


「よーし、やるかあ……!」


 背筋を伸ばして椅子に座り直し、綱吉は万年筆を片手に持って、警察に提出するために書かれた資料の添削を再開した。

 銃声、生と死、陰謀、策略、憎悪、復讐――。

 世界は目を背けたいようなもので満ちあふれている。

 それでも綱吉は立ち向かう。

 愛すべき銃声のある、美しい世界を信じて――、綱吉は生きていく。

 資料から顔をあげ、綱吉はうつむいているリボーンを見つめた。
 綺麗な彼の横顔を眺めているだけで、綱吉は幸せな気分になって、自然とにやにやと笑ってしまう。


「リボーン」


 綱吉の声に反応するように、リボーンが資料から顔をあげる。


「ちょう、愛してる」


 呆れるように笑って、リボーンは唇をつきだした。



「愛してる、愛してる、――オレもおまえのことちょう愛してるから仕事してくれ」



 しまりのない笑顔を浮かべてしまう顔を自覚しながら、綱吉は小さく声をあげて笑った。

 リボーンと笑いあえるこれからの日々を思うと、幸せすぎて眩暈がしそうだった。



 愛してるよ。
 愛してる。
 大好き。



 心の中で何度も繰り返すたび、綱吉は心の奥底から優しい気持ちが際限なく溢れ出す。

 リボーンが紙へ万年筆のペン先を滑らせる音に耳を傾けながら、綱吉は手にした資料を読むことに没頭し始めた





 こうして。
 銃声と生と死に彩られた、
 飽きることなく人々が争いあう、醜くも美しき世界に、沢田綱吉は戻っていった。





















【愛すべき銃声と美しき世界】×【HAPPYEND】