03:it whisrers quietly














 飛行機での長距離移動は、まだ発育途中のリボーンの身体にはかなりの負担になる。仕事自体は特に何の支障もなく終えることができたのだが、、イタリアの地へ帰ってくるころには、まるで身体のあちこちに鉛でも仕込まれかのように重たくなっていた。

 頭痛や身体のだるさに辟易しつつも、リボーンは大きなトランクを転がしながら、空港に迎えに来ていた千種が運転する車に乗り込んだ。

 気分の悪いリボーンの気配を悟ってか、もとから無口なせいなのか、千種はまるで運転をするだけのロボットのように、一時間以上かかる道中で何も喋らなかった。おかげで目を閉じて少しだけ気分の悪さを忘れることが出来た。


 千種の運転した車は、一時間と半ほどでボンゴレの本邸へと到着した。途中、うとうととしていたリボーンは、車が地下駐車場の定められた場所に停車した気配で目を覚ました。千種はリボーンの荷物をトランクから取り出すと「部屋に持っていこうか?」と珍しく気の利いた台詞を言った。

 リボーンはだるい身体であちこち動き回ることが億劫だったので、彼にトランクを移動してもらうことにした。千種は無表情のままで淡々と「お疲れさま」と言った。そして、トランクのキャスターを転がしながら、颯爽と駐車場から姿を消す。

 なんとなく、ため息をひとつもらして、リボーンは地下駐車場から邸宅へ繋がる扉を目指して歩いていく。体中がひどく重たく、そして熱があるように気だるかった。一歩一歩の足取りすら、いつものようなしなやかさがないことを自覚しつつも、リボーンはゆっくりと扉へ近づいていき、網膜のチェックのあとで、暗証番号を押して、扉を開いて邸宅の中へ入った。

 飾り気のない通路の床面は黒い大理石のプレートが敷き詰められている。革靴の底があたるたび、気持ちのよい、カツカツという音が静かな通路に響いた。

 細い通路を抜けていくと途中で左右に分かれる道がある。それらの道は要所要所に繋がる道になっているのだが、リボーンはまっすぐに歩いていった。

 しばらくすると、エレベーターの扉が現れる。リボーンが上階へ行くためのボタンを押すと、すぐに扉が開いた。十数名は楽に乗り込めるであろう広いエレベーターに一人で乗り込んで、リボーンは一つだけしかない、一階へのボタンを人差し指で押した。

 かるい加圧を全身にかかるのを感じたのは、ほとんど一瞬だった。甲高い電子音と共に、加圧がなくなり、扉が左右に開く。

 その先には、リボーンが見慣れた天井の高い、ボンゴレ本邸の玄関ホールだった。豪華なシャンデリアが客人や、館に住まう主達を迎えるようにきらびやかに輝きを放っている。

 リボーンが乗ってきたエレベーターは、ちょうど二階へ続く大きな螺旋階段の下にある。エレベーターの開閉音に気がついたのか、玄関の内側で見張りをしている男が持ち場を離れて、階段のほうへ近寄ってくるのがリボーン側から見えた。リボーンは近寄ってこようとしている男へ向かって片手をあげながら、彼のほうへ歩み寄って行った。

 男はリボーンの姿を視認すると、立ち止まってにこっと笑って頭を下げる。頬の古傷が目立つ大柄な彼は、背筋を伸ばして、近寄って行ったリボーンのことを見下ろした。

 男のスーツの胸元を飾っているのは晴の守護者のマークのピンバッジだった。左の頬に古傷、厳つい顔立ちの真ん中に並ぶ小さい目、短い赤茶色の髪、大柄な体躯――、名前は「グレイ」だったはずだ。いかにも腕力が強そうな彼――グレイは、動物でいえば大きな雄熊に見えるだろう。しかも、とても人懐っこそうな熊だ。


「お疲れさまです。今日がご帰還の日だったんですね」


 思わず、対する者すら笑顔にしてしまうような、穏やかな笑顔を浮かべてグレイは頭を下げる。具合があまりよくなかったリボーンだったが、彼の人懐っこい笑顔をつられて、微笑みを返す。


「ああ。三週間はさすがに長かったぞ」


「ボスが寂しがってたみたいですよ。リボーンさんに怒られないと、張り合いがないとかって言ってたようです」


「はあ? 誰にそんなこと言ってやがる、あの馬鹿」


「ははは。うちんとこの、隊長ですよ。リボーンさんがいないときのボスは、ときどき子供みたいなワガママを言うんだって了平が言ってました。ボスのそういうワガママを聞くと、隊長は安心するともね」


「安心するだと? 了平のやつも変わってるな」


「隊長は心配なんじゃないですかね? ボスは若いのに、いろいろ苦労が耐えませんから。ときどきでもいいから、子供みたいなことを言って、振り回されてぇのかもしれませんよ?」


 グレイがおどけるように大きな肩をすくめる。


「おこがましいかもしれませんが、私もボスのことを心配しているんですよ……。そもそも、ボスとうちの隊長はどことなく似てますから。何かあっても、自分で解決しようとして内側に貯め込むとことかね」


「……まあな。あいつらにとっちゃ、出来ると思って対処しようとしてても、自分にどれだけの負荷がかかってんのか、よく分かっちゃいねぇから、始末に負えねぇんだよな」


「そうなんですよね。リボーンさん、さすがに分かっていらっしゃる」


 眉間に眉を寄せたままで、グレイは苦笑しながら何度も頷いた。そこまで話したところで、どこかへ向かおうとしているリボーンを引き留めていることに気が付いたようで、ハッとしたように目を瞬かせ、すぐに頭を下げた。


「引き留めちまってすいません。どうぞ」


「ああ。見張り、頑張れよ」


 グレイと、持ち場である玄関の付近にある椅子に座っている白金色の長い髪をした女性――グレイと同じく晴の部隊のメンバーで名前はマゼンタと言ったはずだ――に片手をあげて挨拶をする。グレイは頭をさげ、マゼンタは椅子から立ち上がって、深々と一礼した。

 リボーンは彼等に背中を向けて、二階へ向かう階段へ向かう。


「お疲れさまでした」


 背後でグレイが言うのを聞きながら、リボーンは階段を上っていった。普段ならば階段を上がりきっても、疲労など感じないはずのリボーンだったが、今日だけは違っていた。身体は全身で、いますぐ自室に戻って、シャワーを浴びて、ベッドで眠りたいと訴えていたが、精神的な面から、リボーンはすぐに自室へ戻りたくなかった。

 三週間、彼に触れていないのだ。
 もう、限界だった。
 どんなに疲れていようとも、彼に触れなくてはリボーンの今日という一日は終わりそうにない。

 時刻はまだ零時を過ぎて間もないころだ。もしかしたら執務室で仕事をしているかもしれないと思って、リボーンが執務室へ向かうために廊下をとぼとぼと歩いていると、談話室の近くの壁に背中を寄りかからせて立っている人間を見つけた。近づいていってみると、それは獄寺隼人だった。

 リボーンに気が付いた獄寺は、壁に寄りかかるのをやめ、火のついていない煙草をくわえたまま、にぃっと笑って頭をかるく下げる。


「おかえりなさい。リボーンさん」


 リボーンは獄寺の前で立ち止まって、彼のことを見上げる。


「おまえがこんな時間に起きてるなんて、何かあったのか?」


「いいえ。今夜はもう仕事は終わりで、これからカナリヤ達と飲みに行く予定なんですよ」


「ああ、そうなのか。外で油断して、ボンゴレの名前に傷つくるんじゃねぇぞ?」


「はい。そのへんは重々に心得ていますから、ご安心を」


 リボーンの言葉に深く頷いて、獄寺は姿勢を正す。


「出張の件、お疲れさまでした。先方から、もうすでにお礼のメールが届いていましたよ」


「はっ。タヌキ親父め」


「まっとうな取引のほうが利益が出ると分かれば、彼らのやり方も変わってくるでしょうね」


「面倒くせぇが、それが甘ちゃんな『あいつ』のやり方だからな」


「少しずつでも、変化が訪れるたらいいんですけれどね……」


 半分は理想を信じ、もう半分では詭弁を理解している獄寺は、浅い溜息をついて遠くを見るような仕草をした。綱吉が掲げている理想は、闇の社会では強い光にしかならない。強い光は無差別に害虫を呼び寄せもすれば、その光の強さゆえに弱り果て、朽ち果てしまう存在を作りかねない。


「ツナはどうしてる?」


 リボーンの問いかけに、獄寺はそらしていた視線を再びリボーンへ戻して微笑む。


「今日はもう、自室で休まれてると思いますよ? めずらしく、何事もなく、平和な一日でしたので」


 リボーンが「そうか」と相づちを打っていると、獄寺の背後の方から二人の男が歩いてくるのが見えた。金髪に垂れ目の青年――カナリヤは、獄寺とリボーンの姿を見つけると、端から見ていてもはっきりと分かるくらいに喜色満面の顔をした。隣を歩いていた黒縁眼鏡をかけた男――シアンは、神経質そうにカナリヤの様子を見て目を細める。


「たいちょー、リボーンさん、こんばんわァ」


 カナリヤは、彼独特の間延びした喋り方で挨拶をすると、片手を敬礼するように額にそえ、ふにゃりと笑う。もうすぐ二十代半ばになろうとしている青年が浮かべるには子供っぽい仕草と表情には、相対する人間に脱力を促すだけの威力があった。

 かるい嘆息と共に肩をすくめたシアンは、一度だけカナリヤを睨んでから、獄寺とリボーンに頭を下げた。


「隊長、お待たせしてすいません。こんばんは。リボーンさん。いま、帰りですか?」


「さっき、帰ってきたばっかだ。――おまえらはこれから飲みに行くんだろ? 気をつけて行ってこいよ」


「はぁい! いってきます。リボーンさんは、ゆっくり休んでくださいねェ」


「ああ、そうするさ」


「それじゃあ、失礼します」


 獄寺が一礼する、続いてシアンが一礼したのだが、彼は両手を身体の前で振っていたカナリヤの頭を掴んだかと思うと、ぐいっと強引に頭を下げさせた。カナリヤが不平を言いかけるのを獄寺がなだめつつ、「いってきます」と言ってリボーンに背中を向けた。獄寺達が去っていくのを横目に、リボーンは執務室ではなく、綱吉の私室に向かって歩き出した。







×××××






 リボーンは、綱吉の私室のドアをノックもせずに開いた。普段どおりに気配も足音も消して室内に進入する。驚かそうとしてる訳ではなく、純粋に、彼が寝ているのを邪魔するのは悪いと思っての行動だった。

 照明の消えた薄暗いリビングをぬけて、寝室へ向かう。

 寝室のドアを開けると、部屋の隅のルームランプだけが淡い光を灯しているだけだった。キングサイズの大きなベッドに人が寝ているのが目に入った瞬間、リボーンは思わず失笑してしまった。

 片足で布団をけりあげたのか、綱吉は布団をほとんどかぶっていなかった。しかも、何故か枕を片腕で抱きしめ、パジャマのすそがめくれあがって、腹部があらわになっている。彼の寝相はお世辞にもよくはないのだが、今日は特に酷かった。


「……だらしがねえ……」


 一言つぶやいてから、リボーンはベッドに近づいていった。それでも綱吉は片腕に枕を抱いて横向きに眠ったままだ。浅く息をついてから、リボーンはベッドに腰をかける。手を伸ばして、めくれあがった綱吉のパジャマの裾をとりあえずもとに戻しておいた。

 なんとなく、気分が動いて、リボーンは、彼のシャンパン色の手触りのよいパジャマの裾の下へ手を滑らせた。三週間ぶりに触れた綱吉の肌の温もりがリボーンに至上の幸福を与えてくれる。片手で彼の胴に触れながら、リボーンはゆっくりと寝ている綱吉の背後から彼に覆い被さり、艶やかな髪の合間からのぞく彼のうなじに唇を寄せた。

 ふいに、綱吉の肩が揺れ始めたかと思うと、彼が寝返りを打つ。琥珀色の大きな瞳が悪戯っぽいひかりを帯びて細められるのが、震えるほどに魅力的だった。


「――ちかんしないでください、せんせい」


 クスクスと笑った綱吉がベッドに寝ころんだままで両腕を伸ばす。その腕のなかへリボーンは身体を倒す。ぎゅうっと親しみと愛をこめた綱吉の抱擁にリボーンは目を閉じる。彼が触れた箇所から、新しい生命が吹き込まれるような、そんな感覚がリボーンの全身を巡って、胸の奥深くへ染みこんでくる。


「おかえり。リボーン」


「ただいま。ツナ」


 抱擁していた両腕をといた綱吉は、へにゃっと笑ったかと思うと、もぞりもぞりと両腕を動かしてめくれていた布団をかぶりなおし始める。


「そして、お休みなさい。オレはいま、もうれつに眠いんです」


「おいおい、ふざけるなよ。三週間ぶりだってのに、薄情なやつだな」


 リボーンはベッドに両膝でのりあげてシーツに両手をついて、布団に肩まですっぽりとくるまってしまった綱吉のことを見下ろす。しかめ面をしているリボーンを見上げた綱吉は、すねるように唇をつきだしたあとで、苦笑して片目を細めた。


「疲れた顔してるのに、オレに悪戯しかけてくるなんて、先生、たまってるんですか?」


「たまってる、すげーたまってる、発散させろ」


「だーかーら、オレ、疲れてんだってば――」


「今日は平和だったって、獄寺のやつが言ってたぞ。何にそんなに疲れたってんだ」


「う。……くそう。獄寺くんめ。余計なことを……」


 ぶつぶつと小声で何かを呟く綱吉の顎に右手の指先で触れ、吐息が触れるほどに顔を近づけてリボーンは出来るだけの甘さをこめて囁く。


「つれないじゃないか、ダーリン。恋人が遠い土地からくたくたで帰ってきたってのに」


「はいはい。そんなにスィート全開でなくていいから。――おかえり。無事に帰ってきてくれてありがとう。っていうか、リボーン。なんか、顔色悪くない?」


 綱吉は布団から右手を出すと、リボーンの頬に触れる。綱吉の手のひらの温かさに、リボーンは思わず双眸を細めてしまう。三週間ぶりの綱吉の声、体温、肌――。普段ならば絶対にしないと断言できるのだが、リボーンはわざとらしくため息をついて、シーツのうえに身体を横たえた。手を伸ばせば届く距離で、綱吉の瞳がリボーンのことを見つめているというだけで、リボーンは安心感から全身から力が抜けてしまいそうだった。


「少し、疲れてんだ……」


「なんだか、オレよか、よっぽどリボーンのが疲れた顔してるじゃんか。ベッド広いし、一緒に寝る?」


「誘い文句にしちゃあ、ムードがねえな」


「こらこら。そういう意味じゃなくて、ふつーに、寝ようってこと」


「子供扱いするんじゃねえ」


「子供扱いなんてしてないって。たまには何もしないで一緒に寝るのも、いいんじゃないのって言ってんの」


「抱き枕にする気か?」


「ゆたんぽゲットー」


 にへっと笑って綱吉が片手で布団をたたく。パフォーマンスとして、リボーンがしかめ面をすると、彼は笑うのをこらえるように唇を結んだ。


「殴られたいのか?」


「そんなんじゃないって。ほら! 靴と靴下ぬいで、ベルトとって、上着とかは、そのへんに置いておけばいいだろ? ――おいで。一緒に寝よう?」


 自分のかたわらのシーツを片手で叩いて、綱吉が首を傾げる。やわらかそうな彼の髪の毛先が揺れて、すべらかそうな頬にかかる。


「久しぶりなんだから、べたべたしようよ」


 悪戯の相談をするような、どこか楽しそうな顔で笑って、綱吉が手を伸ばす。
 リボーンは数秒間だけ躊躇うふりをして、シーツから起きあがった。
 上着を脱いで、ベッド横のナイトボードのうえへ置き、ネクタイを外して上着の上に放った。シャツの襟と手首のボタンを外し、ベルトもズボンからはずしてネクタイと一緒の場所へ置く。履いていた革靴と靴下を脱いで、襟ぐりと袖口をゆるめた状態で、リボーンは綱吉がめくりあげていた布団のなかへもぐって、横になった。すでに綱吉の体温で温められていた布団はとても温かく、気持ちがよかった。

 嬉しそうに微笑んだ綱吉が、リボーンの身体を両腕で抱き寄せてくる。彼は本当に成熟した大人なのかと疑うほどに、抱擁の仕草に性的な意味合いなどまったくといっていいほど感じ取れなかった。彼に何かを期待した自分の浅はかさを思い知りながらも、リボーンは頭の下にもぐりこんでいる綱吉の腕に頭をのせ、すぐ近くにある綱吉の琥珀色の目をのぞき込んだ。


「おまえはほんとうに、べたべたするのが好きだよな」


「照れてんの? 誰も見てないじゃん」


「誰も見てないなら、もっと大胆なことも出来るよな? ――なんなら、このまま、するか?」


 リボーンが綱吉の鎖骨のあたりへ伸ばした手を片手で受け止めて、彼は苦笑した。


「しません。大胆は今日はお休みです」


「……どこかの似非手品師みたいな台詞を言うんじゃねえ」


「あ。懐かしいね。このネタ、分かってくれる?」


 むっつりとした様子でリボーンが黙り込むと、綱吉はクスクスと一人で笑う。リボーンの額に、こつりと綱吉の額が触れる。鼻筋が触れ合うほどの距離で、綱吉が小さく「あ」と声をもらし、眉間にしわをよせる。「どうかしたのか?」とリボーンが問いかける前に、綱吉の手がリボーンの額をおおった。


「なんかさぁ、リボーン、体温いつもより高くない?」


「てめぇ、この期に及んで子供体温だとか言うつもりか?」


 額から手を引いた綱吉は、微苦笑をうかべて困ったように眉尻をさげた。


「いや、確かにそういうのもあるとは思うけど。――微熱、あるみたいじゃない? 風邪とかひいた?」


「……さあな」


「だから、ぼんやりしてるんじゃないの? 頭いたかったりしない? 身体だるいとか」


 リボーンが黙っていることを肯定と受け取ったのか、心配そうに顔をしかめた綱吉は布団から出ようと身体を起こしかける。


「ちょっと待ってて、体温計もってくるからさ」


「いい」


 起きあがろうとする綱吉の腕を掴んで、リボーンは首を振る。
 不思議そうな顔をして、綱吉はとりあえず起きるのをやめて、布団のなかへ戻った。


「なんで?」


「どうせ、疲れてるだけだ」


「疲れてるだけって……、そんなの、わかんないじゃないか」


「オレの行動力に、身体的能力が追いついてねーだけだ。休めば治る」


「でも……」


「おまえが側にいてくれたほうが具合が良くなる。だから側にいろ」


「ええ?」


「今日は嫌がるおまえを口説き落としてヤる元気もねぇから、大人しくしといてやる」


「またそうやって、皮肉言って……。気持ちが悪かったりして、食事してなかったりしないよな?」


 綱吉に問われ、ここ数日の食生活を思い浮かべたリボーンは、「ちゃんと食べてたぞ」といえない己の食生活に驚いた。普段はグルメとして美味いと評判のレストランなどで食事をすることが多いリボーンだったが、出張が終わる数日前からはどうしてかあまり食欲がわかないため、ずっとエネルギー補助食品くらいしか摂取していなかったのだ。

 黙り込んだリボーンの様子に、綱吉はため息をついて苦い顔をした。


「ダメだろ、食べなきゃ。成長期なのに。ぐんぐん伸びて、オレのこと追い抜くんだろ?」


 頭を撫でようと伸ばされた綱吉の手を片手で振り払い、リボーンは彼の動作を非難するように睨んだ。


「子供扱いするんじゃねぇぞ、ツナ」


「……あのなあ……、オレはね、別に子供扱いしてるわけじゃなくて……」


 呆れたように嘆息まじりにつぶやいた綱吉は、リボーンの頭の下にもぐらせている腕の指先でリボーンの髪をすきながら、言葉を続けた。


「好きな奴の体調とか、具合とか、心配するに決まってんじゃんか。オレ、前から気になってたんだけど、リボーンってすぐに自分のこと子供扱いしてるって言うけど、気にしすぎだよ。確かに身体的にいえばリボーンはまだ大人じゃないかもしんないけど、おまえにとっちゃあ、そういうのほど、意味のないことってないんじゃないの? アルコバレーノだったんだしさ」


「仕方がねぇだろ。気にくわねぇんだからな」


「何が?」


「他の誰かに言われるより、おまえに子供扱いされるのが気にくわない」


「そんなことでいちいちイライラするなよ。まったくもう……」


 苦笑しつつも、リボーンの言葉のなかに潜んだ特別扱いをしている響きに酔うように、綱吉は双眸を細める。もうすぐ三十路になろうとしている男性とは思えない、若々しく愛らしい顔で、綱吉は何度もリボーンの髪を指先で撫でる。


「考えてもみなよ。おまえがアルコバレーノになってなかったら、オレ、おまえと出会うことってなかったんじゃないの? おまえがアルコバレーノになったからこそ、オレはおまえと出会ったんだからさ。しょうがないんだよ。そういう運命なんだよ、きっと。――オレは、リボーンが赤ん坊から今まで成長するのを、ずぅっと見守っていられて、すっごく幸せだったよ。大人のおまえとどんなに素敵な出会いをするよりも、ずっとずっと、素晴らしい時間を今のおまえがくれたって、そう思うよ?」


 とろけるように綱吉が微笑むのを見ていると、リボーンは身体の内側から愛しさが波紋となって広がってくるような気がした。

 リボーンは、どうしようもなく、綱吉のことが好きだ。
 そして、どうしようもなく、彼に囚われていたいと望んでしまう。

 彼の優しさに、
 彼の穏やかさに、
 彼がくれる愛情に、
 リボーンはいつだって、囚われて、侵されて、からめとられて――。

 リボーンの言葉を待つように、綱吉の大きな瞳がゆっくりと瞬く。その顔には愛されているという無自覚の余裕と油断がうかんでいる。だらしのない、ゆるみきった顔をしている綱吉の鼻先をリボーンはかるくつまんだ。


「おまえは、昔から面食いだったし、年下にはすげぇ弱いもんな。オレみたいな綺麗な子供なんて、どんぴしゃに好みだろ?」


「うっ。オレの性癖については、追求しないで。自分がよく、分かってるから……」


 しどろもどろに何かを呟いた綱吉は、誤魔化すように笑顔を浮かべて、リボーンの顔に顔を近づける。琥珀色の大きな瞳に、リボーンの顔が映るくらいに、彼はまっすぐにリボーンのことを見つめ、うっとりとしたように双眸を細めた。


「これから、おまえはどんどん格好良くなってくんだろうなあ。今からすごい楽しみ」


「だらしねえ顔……」


「だらしなくってもいいもんねー。あと少ししか、おまえのこと、子供扱いできないんだから子供扱いしたっていいと思うんだけどなー、オレ」


「あぁん? どうせ、おまえのことだ。オレが成長したって、絶対に子供扱いするに決まってる」


「うーん、そうかなぁ……」


「年齢差は、どうしても縮まったりしねぇからな」


「ま。いいじゃない、いいじゃない。オレがおまえにすることは、おまえのこと大好きだからすることなんだからさ。愛情表現だろ?」


「愛情表現、ね……。おまえってやつは、ほんとうに呆れるほど、ロマンチストだよな」


「ん? どういう意味だよ、それ」


 眉を寄せた綱吉の眉間をリボーンは人差し指でつつく。彼は疑問そうに「うん?」と声をもらして目を瞬かせた。


「可愛いとか、大好きとか、男がへらへらしながら言う言葉じゃねぇぞ? まったく、おまえは日本の漫画読みすぎなんじゃねぇのか? それともあれか? わざわざ日本から取り寄せてるシミュレーションゲームのやりすぎなのか?」


「ぐはっ。なんだよっ、おたくで悪かったな!」


 顔をしかめながらも苦笑いを浮かべた綱吉は、リボーンの額にごちりと額をぶつけてくる。痛みなどほとんどないが、彼なりの照れ隠しの仕草らしく、ぐりぐりと額を押し当ててくる。


「ああ……。おたくなのは、昔からだったからな。今さらだったか?」


「意地悪」


 子供のように唇をつきだして、綱吉はようやく、頭突きのような仕草をやめた。文句を言うほどに痛みはないが、額が少しだけ熱をもったような気がした。そもそも、リボーンは体調があまりよくない。綱吉が指摘したとおり、微熱があるようで、次第に身体のだるさも強まってきているようだった。
 それでも、目の前でくるくると表情を変える綱吉のことを見ていると、リボーンは身体のだるさも、思考をのみこんでゆく熱さえも、些細なことのように感じられた。


「オレはこんなに素直に感情表現してるのに。リボーンって、淡泊だよねえ」


「素直と単純は違う意味だって知ってるか? ツナ」


 リボーンの言葉にかちんとしたのか、綱吉はあからさまな仏頂面をして、リボーンのことを半眼で睨み付けてくる。

 本気で怒っているような態度ではないにせよ、彼のこういった子供じみた態度が見られるのは、いまではリボーンくらいしかいない。比較的ファミリィのなかでも仲の良い守護者達にさえ、綱吉は子供のような顔を見せることはほとんどない。ドン・ボンゴレとして大勢の人間のうえに立つようになった彼はどんどん装うことが上手くなっていった。そうして隠された本当の顔、抑圧されている感情を、綱吉はリボーンだけに惜しげもなくさらしてくる。そんな彼の態度に、どれだけリボーンが喜悦を感じているのか、きっと綱吉は知らないだろう。

 リボーンが笑いだすのを見て、ますます綱吉はすねたように目を細め、唇をつきだしてくる。あまり見たことのない彼の酷い顔に、リボーンは笑いをおさえきれなくなって、声をたてて笑ってしまった。


「ぶさいくな顔になってるぞ」


「ぶさいくな顔してるんです」


 低い声で唸るように言った綱吉の唇へ、リボーンは唇を寄せた。それまで力んでいた綱吉の唇から力がぬけ、ゆるく開くのが、触れあっている唇から伝わってくる。リボーンはそのまま顔を寄せ、彼の唇に深く唇をあわせた。頭の内側で唾液が混じり合う微かな音が響くのを感じながら、リボーンは綱吉の唇を味わった。角度を変えて何度もキスをしているうちに、綱吉の機嫌は直ったらしく、――キスをやめて見つめ合うと、彼はへにゃっとやわらかく笑って、リボーンの頭に触れている指先で優しく頭を撫でた。


「……寝よっか」


「そうだな」


 綱吉の腕がリボーンの身体を引き寄せるのに任せて、リボーンは彼の肩口に頭を寄せた。あごの下から綱吉の顔を見上げると、彼はだらしなく、にやにやと笑っていた。なんとなく、脱力する思いで、リボーンはその顔を眺める。だらしがねぇ顔だとリボーンが呟いても、彼はいっこうに気にすることはないだろう。溺愛という言葉どおりに、リボーンのことを愛している彼にとって――相手であるリボーンにも溺愛ぶりが駄々漏れということを彼はもうすでに自覚している――、リボーンへの好意は当然のことであれ、恥ずかしいなどとは考えもしないのかもしれない。

 顎の下から見上げているリボーンの視線に気がついた綱吉が「ん?」と声をもらしながら首をかしげる。


「なに?」


 機嫌のよさそうな綱吉の顔を眺めながら、リボーンはニヤッと笑って片目をつむる。


「明日の朝起きたら、よだれ垂らしてるおまえの顔にキスしてやるからな。ダーリン」


 小さく吹き出した綱吉は、片腕で抱き寄せているリボーンの頭を何度も撫でながら笑い出す。


「オヤスミ」


 ちゅう、と綱吉のキスが額に落ちるのを感じながら、リボーンは目を閉じる。


「おやすみ。ツナ」


 とてつもない疲労感と、隣に眠る確かな体温に導かれるように、リボーンの意識はゆるゆると眠りのなかに沈んでいった。












【END】