クローバーディズ | |
左胸にあなたへの忠誠を誓い 愛するあなたのために踊ろう 敵の悲鳴と血と肉にまみれて 大切なあなたのために踊ろう 殺戮と偽装と破滅のダンスを 愛するあなたをこの手で守る 素晴らしき人生 クローバーディズ |
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ボンゴレの邸宅から車で十五分以内の場所にあるアパルトマンやホテルを転々と移動しながらの暮らしが始まってもうすでに五年程経っていた。 他の守護者たちのように常に側近として仕えず、どこにでも現れ、どこへとも消え、決して本当の正体を露見させずに働くこと――あらゆる場所あらゆる組織に入り込んで内情をさぐる。 『他人の身体に憑依できる』骸だからこそ出来る仕事はやまのようにある。 五日前にボンゴレから命じられた仕事をほとんど不眠不休のままに終えた骸は、地平線がうっすらと明るくなる頃、新しく契約をした骨董品のように古びたアパルトマンの一室に重い体をひきずるように帰宅した。 着ていたコートや身につけていたネクタイ、ベルトを脱ぎ捨てながら進んでいき、部下達によってすでに整えられていた部屋へと足を踏み入れる。 本来ならば二部屋に区切ってもおかしくないだだっ広い部屋――左手にはキッチンやバスなどの水回りが配置され、左側にはソファとローテーブル、落ち着いた調度品が並んでいる。骸が歩いてきた玄関側から正面に位置する壁には出窓が二つ並んでおり、いまは濃紺のカーテンがしめられていた。その隙間からはうっすらと朝日が差し込み始めていた。骸はキッチンに入って冷蔵庫をひらいた。中にはミネラルウォーターと日本製のビールが冷やされていた。ミネラルウォーターのペットボトルを手にとって飲みながら、ソファの方へ移動する。部屋の奥に位置する白く塗られた木製のドアの向こうには寝室があるはずだが、いまはドアは閉められたままだった。 骸はペットボトルをソファに放り投げ、泥のようにまとわりつく疲労感をそのままにソファになだれこむように座った。やわらかい上質な革の肌触りをてのひらに感じながら、身体をソファにあずける。帰宅する場所が様々に変わっていく骸であったが、調度品の多くはすべて愛用してるものばかりだ。ソファも三年以上は使用しており、使い古されて表面のつやがなくなりつつはあったが、心地の良い弾力と質感のせいで捨てることが出来ずにいた。 「ようやく、一段落ですね……」 お気に入りのソファの感触によって骸はようやく最後の最後まで気張っていたものを解くことができた。細長く息をついてソファの背もたれに身体をあずける。能力の酷使のせいで精神的にも肉体的にも限界が近かったせいもあるのか、骸はソファに座って数分も経たないうちに眠りに落ち始めた。ソファに頭をあずけて、両腕は胸元のあたりにゆるく組む。意識が次第にうすれていき、うとうととしている骸の耳に玄関の扉の開閉音が聞こえてきた。 確かに骸は玄関の扉の鍵をかけるのを忘れてしまっていた――、己の不注意に内心で舌打ちしたものの、あまりにも疲れているせいか、骸は目も開けずに、聞こえた音を空耳と考えて、無理矢理に眠ろうとした。 軽い足取りと人が近づいてくる気配で、骸の意識は一気に覚醒した――が、わずかに香ったムスクの匂いで急激な警戒状態はすぐに解き、眠ったように装って相手の出方をまった。 ゆっくりと近づいてきた人物は、ソファに座っている骸の太股のあたりをまたぐように乗りあげる。ますます香るよく知った匂いに骸は心の中で苦笑する。 額。 鼻先。 右の頬。 左の頬。 くちびる。 ゆっくりと触れてくる唇の柔らかさ。 骸はわずかに眉間にしわをきざんだ。能力の酷使によって疲弊していて指先を動かすことも億劫だった。骸は座り心地のいい大きなソファに深く落ち着けたまま、骸の膝をまたいで両肩に手をおいた主のやりたいようにさせた。上品なムスクの種類のおかげで悪戯の犯人はすでに分かっている。 首筋。 鎖骨。 胸の辺りまで持ち上げられた右の手の甲。 右手と同じく、胸元まで持ち上げられた左手の薬指。 指と指を組み合わせるようにして両手を握りしめられたところで、骸はソファの背もたれに頭をあずけたまま、目を開いた。 一目で高級感が漂う暗色のスーツと清潔そうな白い開襟シャツを身につけている青年は、骸が乱暴に突き飛ばせばソファから転げ落ちてしまいそうなくらい細い。背丈は低い方ではないが、あまりにも身体のあちこちが細いため、華奢な印象がぬぐえない。見るからに気の優しそうな顔立ちのせいで、彼――沢田綱吉がボンゴレファミリィのボスであることを信じない輩も多いくらいだった。 綱吉は骸と目が合うと、無理矢理に指を組み合わせるようにしてつないだ両手を胸のあたりまで持ち上げて、微笑をうかべる。 「おかえりなさい」 「ただいま帰りました」 「なんだか、疲れてるみたいだけど、大丈夫?」 「僕に何か用件があるのでしょう?」 「質問に質問で返すなよ」 「疲れてくたくたですし非常に眠いので用件をさっさとお願いしますよ綱吉くん」 息継ぎなく喋った骸の様子に小さく声をたてて綱吉は笑う。彼は繋いでいた両手をといて、身軽そうに骸の膝のうえから移動し、わずかな隙間をあけて骸の隣に腰を下ろした。 骸は十年という歳月で成長した彼の横顔を横目に見た。 初めて出会ったときは十三歳のころ。 十年が経過し、彼はいま二十三歳。 子供でしかなかった横顔が、今では何百、何千という人間の頂点に立つ責任を知る顔になっていた。 「首尾はどうだった?」 いまだに少年期のような高めの声音に一抹の不安をこめて綱吉は話す。骸は睡眠は諦め、綱吉の方へ顔を向けた。彼はまっすぐに骸を見ている。 「クァルツオーネに流れそうだった各方面からの資金、くい止めることができた? あの人のおかげで、ここのところベッツィやデウガの人達までざわつき始めて……ようやく身辺が落ち着いてきたと思ったらこれだもの……困ったもんだよね……」 かるく息を吐いて肩をおとし、綱吉は骸と同様にソファの背もたれに頭をのせ、骸の方へと顔を向ける。 「報告、して?」 「――なにごとも滞りなく。あなたの望みどおりに」 「そう。よかった」 綱吉はかるく頷きながら言う。 「これでようやく警戒態勢が解けるかな。今回はリッチーんとこに頑張ってもらったから、お酒でも贈ったほうがいいよね?」 「まぁ、いいんじゃないですか。あそこはみんな大酒飲みですからね」 「だよね。また日本酒でいいかなぁ、けっこう評判よかったんだよね、山本がすすめてた日本酒。なんて名前だったけなあ? リッチーも最初はおそるおそるだったけど、どんどん飲み始めちゃって、獄寺くんとか了平さんとかも酔っぱらっちゃって大騒ぎになって、あのときはほんと楽しかったなぁ」 ふふふ、と思い出すように笑い、綱吉は片手で口元あたりを隠す。 「おれ、お酒ってあんまり好きじゃないけど、みんなが陽気になって騒いでるなかにいるのは好きだなぁ」 「それはおかしいですねえ。ドン・ボンゴレともあろうかたが、アルコールが苦手では何かとつきあいに支障があるでしょうに」 「だからちょっとずつ飲めるようには特訓してるよ」 「特訓? それは初耳ですね」 「まぁ、特訓っていっても、毎晩寝る前に飲む量を増やしたり、あとはなるべくファミリーでのお酒のつきあいには参加するようにしてる、ってことぐらいかな」 「じゃあ、僕ともグラスをかわしていただけるんですかね?」 「あはは。うん、良いよ。今度飲もう」 小気味よく笑って、綱吉は骸の方へ体をたおしてきた。骸の額に額が触れるぎりぎりのところで動きを止めた綱吉は、ふいに笑うのをやめて真摯な瞳を骸に向けてきた。数々の人間の欲望を見つめ続けている瞳は、いまだに濁ることはない。彼自身の強さもあったが、彼の周囲で彼を守り支えるファミリィがあってこその澄んだ瞳だった。 「――ねぇ、骸。あの約束は守ってくれてる?」 「ええ」 即答した骸の様子に綱吉は満足そうに笑み、骸の首に両腕をまわして抱擁した。綱吉のぬくもりを骸は味わうように目を閉じる。骸の左頬に綱吉の唇が触れた。 「ありがとう」 綱吉は骸の体にもたれ、体の力を抜いた。 綱吉と交わした約束とは、骸が人を殺すとき、必ず綱吉に報告をしたあとで殺害を行うということだ。彼はすべての守護者とこの約束を交わしている。 誰がいつ、どこで、ボンゴレのために手を汚すのか、彼は知る権利があると守護者たちに言った。守護者たちは彼の要求を受け入れた――それは形だけに思われたが、綱吉はあらゆる手段を用いて、ボンゴレに関わっている人間の生死を調べ上げている。そのため、守護者たちが敵と判断して相手を殺したとしても、綱吉に報告せずに手を下せば、それは綱吉の耳に入ってしまうのだった。約束を違えた場合、綱吉からはきつく訓告され、仕事からも外されてしまう。守護者達は仕方なく綱吉との約束を守り、現在に至っていた。 骸も一度だけ、彼に内密に処理した相手がいたが、どこから発覚したかは謎のまま、綱吉に知られてしまい、一ヶ月間任務から外されたことがある。何もしないで過ごせたのは一日のみ。あとは普段ならば絶対に行わない、ボンゴレファミリィの雑用ばかりを自ら進んで行った。その日以来、骸は自分の役目はボンゴレの裏の右腕であるとひどく自覚し、――それ以外の存在理由がないことを確信してしまったのだ――彼への忠誠を誓い直した。 骸が綱吉のやわらかい髪に指をさしいれ、優しくなでていると、唐突に携帯電話の電子音が響き渡った。ぱっと身を離した綱吉は、スーツの内側から携帯電話を取り出して画面を確認し、「リボーンからだ」とおどけるように片目を細めた。 「こっそり抜け出してきたから怒られるのかな――やんなっちゃうな……」 ソファから立ち上がった綱吉は、小さく笑いながら携帯電話の通話ボタンを押して、耳にあてる。 「はい。何の用? もうすぐ戻るから心配しない、で――」 綱吉の横顔から笑みが消える。引き結ばれた唇には力が入り、目を閉じた彼はいやいやをするように首を左右に振った。 骸は綱吉の手をとった。彼は驚いて身をすくませたが、手を振り払うことはなかった。一回りほど小さい彼の手は、骸の手を強く握り返してきた。力が入りすぎていて痛いくらいだったが、骸は何も言わずに蒼白になっている綱吉の横顔を座ったまま見上げていた。 短い「うん」という返事ばかりが続いた後、「判断はおれがする」と言って綱吉は電話を切った。携帯電話をスーツの内ポケットにしまうと、綱吉はうつむいたまましばらく黙っていた。骸も自分からは声をかけなかった。 引き結んでいた唇をひらき、大きく長い深呼吸をしたあとで、綱吉は閉じていた目を開いた。顔色は依然として悪いままだ。 「リッチーんところが襲撃されたって……」 「死人は?」 「三人死んだ。怪我人は病院に搬送されたらしいけど、命が危ないのが二名いるって」 クソッと、短く毒づいて、彼はつま先でソファの足を蹴る。 「クァルツオーネに気をとられているうちに、今度はビレッティか。――考えが甘かった、最低最悪だ。――戻る」 綱吉は握っていた骸の手を離そうとした――が、骸は綱吉の手を離さずにソファから立ち上がった。手を離さない骸を見上げ、綱吉は怪訝そうにした。 「なに?」 「いいえ……」 「疲れてるなら休んでいて」 「――泣かないんですか?」 骸の言葉をきいた綱吉は、動きを止めたあと、短く深呼吸をした。 「オレは泣いちゃいけないんだよ」 綱吉は無理矢理に笑って骸の手を強引にふりほどいた。 「他の誰が泣いても、オレは泣いたりしちゃいけないんだ」 骸に背を向けて歩き出そうとした綱吉に両腕をのばし、骸は彼を背後から抱きしめた。 「ちょっ――骸っ」 綱吉の両手が、抱擁している骸の腕を解こうと動くが、骸は決して腕の力を緩めなかった。 「離してっ」 綱吉は骸の腕の中でもがく。 それでも骸は腕を離さない。 綱吉の頭に頭をすりよせ、優しく彼のこめかみと首筋にキスを落とす。暴れる綱吉をあやすように抱きしめ続けていると、彼は次第に抵抗するのをやめていった。 部屋のなかは静まりかえり。 やがて、すすり泣く綱吉の嗚咽がこぼれだした。 骸の手に温かい液体が落ちる。 「――骸、お願い……、離して……」 「いやですよ。僕はね、綱吉くん。そんな君だから、君のことが好きなんですよ」 弱々しく綱吉が首を振った。やわらかそうな茶色の髪が揺れる。 「僕は泣いたことなどありませんけど……。もしも泣くときが来るのならば、必ずあなたのために泣きたいですね」 「骸――」 綱吉の体を腕の中で反転させ、骸は綱吉と向き合った。涙でぐしゃぐしゃの綱吉の額と鼻先にキスを落とし、舌先で右目から溢れた涙をすくいとる。口の中に塩辛い味がひろがる。涙にぬれた唇のままで綱吉に口づける。目を閉じた彼のまつげは濡れていた。 綱吉の髪に指をさしいれながら、骸は優しく言った。 「僕の涙のひとつぶまで、すべてあなたのものですよ。綱吉くん」 すすり泣いていた綱吉は、何度か大きく深呼吸を繰り返して、嗚咽をおさめていった。片手で濡れた目元をぬぐい、照れくさそうに骸を見上げてくる。 骸は両腕をゆるめ、綱吉を解放した。 彼は乱れたスーツを両手で正すと、両手でつよく頬を打った。一瞬で表情を整え、綱吉は『ボス』の顔に戻る。微笑んで立っている骸を見て、綱吉は言う。 「おれ、行くね」 「僕も行きますよ」 「いいよ、骸は休んでいて。疲れているでしょう?」 「今のあなたの側に立たないなんて、僕の生きる意味がないのと同じですよ」 綱吉の右手が骸の頬にのびる。彼の温かな手のひらに頬を寄せ、骸は微笑んだ。 「無理はしないこと。約束できますか?」 「ええ、もちろん」 「わかった。一緒に行こう」 骸の頬に触れていた綱吉の手が、そっと腕に触れる。 「手を繋いでくれないかな?」 「もちろん喜んで。ボス」 骸は綱吉の手を握った。彼は繋ぎあった手を眺め、少しだけ安心したように短く息をつく。まだ心の中では事態への怒りや戸惑いがうずまいていて、うまくコントロールできていないのだろう。 「ねえ、綱吉くん。僕からお願いがあります」 「なに?」 「ボスが泣いてはいけないということは十分に理解していますけれど、どうか僕の前でだけは泣いてくださいね」 「……どういう意味?」 「あなたが泣くことをこらえ、忘れてしまうことは、何か他の大切なものを失っていくことと同じなんですから。あなたが涙を流すのは僕の前だけで――約束してくれますか?」 骸は首をかしげる。 綱吉は何かをこらえるように唇を引き結んだあと、泣き笑いのような顔をした。わずかに背伸びをした綱吉の顔が近づき、彼の唇が骸の唇に触れる。触れあうだけのキスを交わすと、綱吉はなんらかのスイッチを押したかのように、完全に『ボス』の顔になった。 「行こう」 「ええ、どこにでも」 歩き出す綱吉に手を引かれながら、骸は微笑んで囁く。 「あなたの行くところにならば地獄にでもお供しますよ、マイ・ボス」 【end】 |
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