05 夢見がちな戯言 夜気が部屋に充分になじんだ夜おそく、了平の私室のドアがノックされた。 私室の窓際近くに置かれたデスクで書類に目を通していた了平は「入ってくれ」と言いながら、椅子から立ち上がった。ちらりと視界を過ぎっていった机の上の時計は午後十時半を過ぎていた。誰かと約束した覚えはなかったものの、来訪者は守護者の誰かかまたは了平の部下の誰かだろうとあたりをつけ、リラックスした態度で了平は訪問者を待った。 開かれたドアの隙間から、顔を出したのは沢田綱吉だった。 彼は了平と視線があうと、にへらとしまりのない顔をして、ふらふらと室内に入ってくる。 「りょーへーさぁん?」 あまりに不安定な歩き方をする綱吉が気になって、了平は早足で彼へと近づく。と、綱吉の背後から入室してきた骸が、足をもつれさせかけた綱吉の腕を掴んで体勢がくずれそうになるのを阻止した。骸は了平と目があうと、わざとらしく嘆息しながらわずかに首を振った。 「沢田? どうした? 今日は夜会じゃなかったのか?」 「んー、ふふ。ふ」 「お疲れさまです」 「骸。……沢田は、どうかしたのか?」 「実は――」 喋ろうとした骸の言葉を遮るように、綱吉は骸の身体に体当たりをするように抱きついた。了平は、胸を過ぎていった苦い痛みを顔に出さないように、ゆっくりと息をする。そんな了平の心のさざ波などお構いなしに、綱吉はべったりと骸に抱きついたままで、にこにこと笑った。 「りょうへいさん、あのですね、オレね、ちょっと、悪いクスリ口にしちゃってね、でね、リボーンがね、帰れってね、言ったんですよ。それでね、むくろが送ってきてくれたんです。ねえーぇ? むくろ」 「はいはい。そうですよ」 普段の骸ならば笑顔を浮かべて受け入れる綱吉の行為であったが――骸が綱吉を溺愛しているのはボンゴレ内部では周知の事実だ――、彼は苦い顔で綱吉を眺めるばかりだった。それは当然だろう。酔っぱらった相手にべたべたとされてもそこに理由も意味もなく、酔いが醒めればそれはなかったことになる可能性が高い。ちっとも嬉しくないということはないにせよ、喜ばしいことではないだろう。 骸にくっついたままの綱吉を引きはがすために、了平が彼等に近づこうとした瞬間、背後でかすかな振動音が響く。振り返ってみれば、デスクの上に置きっぱなしにしていた携帯電話が震えている。 「ちょっと、すまんな」 ひっついてくる綱吉をどうにか引きはがして、近くのソファに座らせようとしている骸に断りをいれ、了平は振動し続けていた電話を手に取った。携帯電話をひらいた画面にはリボーンの名前と番号の羅列があった。了平は通話ボタンを押して電話に出る。 「笹川だ」 『チャオ。馬鹿が帰ったろ?』 思わず了平はソファにもたれてふわふわと笑っている綱吉に視線を投げる。 「……沢田なら、ここにいるぞ」 電話をしている了平と目があった綱吉は、ぱちぱちと瞬きをした。 「ん、ん? 電話、リボーンですか? オレの可愛いバンビちゃん! オレもお話したいですー」 「待ってください。綱吉くん。彼はいま電話で話をしてますから、こっちに座ってましょうよ」 「んー、ん、わかった。すわってる」 傍らに立っていた骸が立ち上がろうとした綱吉の肩を片手で押さえる。綱吉は抵抗せずにソファに座ると、一人でクスクスと笑ってソファの背もたれに顔を寄せた。酔っぱらっているにしては、少々たがが外れすぎた酔い方に見える。 『馬鹿のことを陥落させようとした女が、酒に妙なもん混ぜたらしくてな――。普段は飲んでもそんなに酔わねーのに、ぐでぐでになっちまって使いものにならねーから、そっちに送らせた。世話を頼む』 「俺がか?」 『おまえじゃねえと嫌だと、……本気だしてだだこねたからな。おかげでお気に入りの帽子が焦げちまったぞ』 「分かった。沢田のことは心配するな」 『オレは夜会がお開きになるまでは部下とこっちにいる。明日の朝、起きたらすぐにシャマルんとこに連れてって、診察してもらってくれ』 「了解だ。――そちらの健闘を祈る」 『じゃーな』 通話をきった電話をデスクへ置いて、了平は室内側へ振り返る。 綱吉はいつの間にか、ソファに座った骸の膝のうえに座っていた。骸の顔の近くに顔を寄せ、なにやら小声で言っては一人で笑っている。骸は苦笑していて、仕方なくつきあっていることを現すかのように、了平に向かって肩をすくめる仕草をした。 一瞬、了平は自分自身の表情が引きつるのを感じた。が、すぐに外面を平常に保つために様々な制御が頭と心で開始される。綱吉は酔っているだけで、そこには感情はない。つとめて心を静かに保ちながら、了平は二人がかけているソファセットへ近づいて行った。 「りょーへーさーん?」 了平の名前を呼んで綱吉が首をかしげる。そこにきっと意味はないのだろうが、了平は綱吉に対して笑いかけ、次に彼を膝のうえにのせている骸へ視線を移す。 「骸。沢田が飲んだのはどういった類のものなんだ?」 「リボーンが言うにはですね、酩酊状態を促進するものとあとはちょっとした催眠効果のある薬剤が使用されたようですよ。血液検査をすれば分かるそうなんですが、――命に別状があるようなものではないから、彼は検査しないでいいと言ってました。……気がつかないで飲んだ奴が悪いんだと言ってね。要は、とある女がドン・ボンゴレを酔いつぶしてベッドへ連れ込んで、あまつさえ彼の子供でも作ってしまおうって魂胆だったんでしょうね。子供ができてしまえばあとは死ぬまで豪遊三昧できるとか――」 「骸。骸って綺麗だね。綺麗な顔してるねえ」 了平の方を向いて話していた骸の顔を両手で掴んだ綱吉は、まるで猫の子供でも可愛がるかのように、めちゃくちゃに骸の頭をなで回す。骸はたまらずに綱吉の手首を掴んで低く呻いた。 「髪の毛ぐしゃぐしゃになるじゃないですか、やめてください」 「だって骸って綺麗なんだもの。きれいきれい、すごいきれい」 「……ずっとこうなのか?」 「はい――」 両手を掴まれた綱吉はむくれたように唇を噛んだあと、へらっと笑って――、何かを言おうとした骸の唇に唇を寄せた。 一瞬、了平は息をするのを忘れた。 骸は驚いたように瞼を震わせ、身体を硬直させる。 心身共に凍り付いた二人をよそに、綱吉はおかしさをこらえきれないかのようにクスクスと笑いながら、無邪気に首をかしげる。 「んふふ。あんまり綺麗だからちゅーしちゃったあ」 了平は呼吸を再開し、片手で胸元あたりを押さえた。心音は早く脈打っている。怒りでもなければ悲しみでもない。よく分からない熱いものが胸のあたりで暴れまわり、いまにも皮膚を破りそうだった。 綱吉の両手首を離した骸の両目が了平の双眸と交わる。 「いまのは不可抗力だと、理解していただけますか」 「……ああ」 「ありがとうございます」 骸は笑みひとつ浮かべずに機械的に言葉をつむいだ。そして膝のうえののったままの綱吉の手をとってソファから立ち上がるように促した。綱吉は従順な態度で立ち上がり、骸と向き合うように立った。 「綱吉くん」 「うん? なーに?」 「すみませんね」 にっこりと笑った骸は、右手を振り上げて拳を作ると、手加減する様子もなく綱吉の左頬へ拳を振りかぶった。なんの防御動作もしなかった綱吉は、殴られた勢いでソファへ倒れ込み、そのまま床へ転がった。あっけにとられた了平の目の前で、骸は右手を顔の横へ持っていき、開いたり閉じたりを繰り返す。 「僕が受けた屈辱は、これで許してあげますよ。綱吉くん」 床のうえに座り込んだ綱吉は、殴られた頬へ手をそえてぽかんと骸を見上げている。その右目の縁から涙が盛り上がって流れていく。ゆっくりと綺麗な微笑を浮かべた骸は、殴った右手に唇を寄せた。 「目ぇ、さめましたか?」 「……む、く、ろ……」 「僕は『そんな状態の』君にキスをされてもちっとも嬉しくありません。どうせキスしてくれるのなら、素面のときにお願いしますよ」 「――それは少し、許せんな」 了平の言葉に反応するように綱吉の視線が動く。 骸は嘲笑するように顔をゆがめ、わざとらしく双眸を細めた。 「おや。そうですか。僕はあなたが許せませんけどね。全面的に。――と、ここで僕とあなたが争いあっても仕方のないことですからね。僕は退散しますよ」 颯爽とドアへ向かっていった骸は、廊下へ出たあとで室内を振り返った。そして床にへたりこんだままの綱吉にむかって、上辺だけの笑顔を浮かべてかるくあごをひく。 「おやすみなさい。綱吉くん。明日、またお見舞いに来ますよ」 呆けたままの綱吉は閉まりゆくドアを黙って見送った。殴られたショックからまだ立ち直れないのか、綱吉は頭をうなだれて動かなくなった。 了平は己自身を落ち着かせるため、目を閉じて深呼吸をした。しばらくそうしたあとで、床に座り込んだままの綱吉のもとへ了平は近づいていった。彼の前で跪いて、うつむいているあごの下に人差し指で触れる。 綱吉は了平の手元に導かれるように顔を上向かせる。涙で潤み、焦点がぼやけている彼の頭をゆっくりと手のひらで撫でる。 「平気か?」 こくり、と綱吉は頷いた。痛みから反射的に流れていた涙はとまっていたが、頬には涙のあとが残っている。涙のあとを指先でぬぐおうとした了平は、彼の赤く腫れた頬に触れることをためらい、結局は手を引いた。 「水を飲むか?」 無言のまま、綱吉は首をたてに動かした。了平は彼の側を離れ、簡易キッチンがある部屋の隅へ行き――各守護者の部屋は並以上のアパルトマンの設備がなされている――、冷蔵庫からミネラルウォーター入りのペットボトルをとりだし、用意したグラスに注いだ。グラスを持って綱吉の元へ戻って差し出すと、彼は両手でそれを受け取って口へと運んだ。グラスから水を飲んだ瞬間、顔をしかめたのは、おそらくは殴られて口のなかを切ってしまったからだろう。 冷たいを水をグラス一杯分飲んだ彼から、カラのグラスを受け取った了平は、グラスを流しへ持っていった。冷凍庫のなかにあった小さめのアイスノンを手にして――了平自身が負傷した時用に凍らせてあるものだ――、洗濯済みのタオルにアイスノンをくるんで、綱吉の元へ戻った。腕を取って彼を立たせ、ソファに座らせた。従順に従ってソファに座った綱吉の手にアイスノンを包んだタオルを持たせ、腫れあがった頬を冷やすように手元を促す。彼は急な冷たさにびくりと身体をふるわせたが、細長く息をついて肩を落とす。まだ涙に濡れたままの彼の瞳と了平の瞳がかち合う。 「……ごめんなさい」 消え入るような声で綱吉は言った。 「なんか、オレ、あんまり、頭まわってなくて、よく、わかんなくて、……なに言ってるのかもなにしてるのかも、曖昧で――、オレ、いま、すごい悪いこと、しましたよね?」 「仕方がない。薬とアルコールのせいだ」 「骸が殴ってくれたから、いま、ちょっと、いろいろなことが、はっきりしてきました……。オレ、なんてことを……」 「ベッドに行こう。沢田。休んだ方がいい」 立ち上がった了平を見上げて、綱吉はあわてて首を振った。瞬間、殴られた頬が痛んだのか、眉間にふかいしわを刻んだ。 「あ、オレ、自分の部屋に戻ります。了平さんのベッド占領しちゃうから――」 「いいんだ。こんな状態のおまえを一人にしたくない。遠慮せずにここで寝てくれ。――おいで、沢田」 了平が微笑んで手を伸ばすと、――綱吉はためらうように了平の手のひらに指で触れた。遠慮がちな彼の手をがっちりと掴んで了平は彼の腕を引いた。立ち上がった綱吉の手を引きながら、了平は寝室に向かった。 ××××× 了平に手を引かれて、綱吉は彼のベッドルームへ入っていった。彼の部屋のベッドルームのサイドボードの上には、彼の妹の写真や学生時代の写真が何枚も飾られている。そのなかの数枚の写真は綱吉も同じものを所有していた。彼から焼き増ししてもらったものだから当たり前だ。 どの写真でも了平は笑っている。綱吉が迷い、惑い、闇に呑まれそうになっても、了平はいつでも力強く、『そこ』にいてくれる。逆境のなかでも笑っていてくれる。それがどんなにすごいことか了平はきっと知らないのだろう。 了平にうながされるままに、綱吉はスーツの上着と革靴――靴下も――ぬいでベッドのなかにもぐりこんだ。上着はベッドのヘッドポールにかけておいた。あとでしわになるとは思ったが、綱吉が着るスーツはそれこそ使い捨てをしてもしばらくは保ちそうなくらいに予備があるので気にする必要はなかった。 頭をのせた枕からは、了平が使っている整髪料の匂いがかすかにする。綱吉は、頬に押し当てていたタオルを片手でおさえながら、ベッドに腰掛けて、部屋の隅のルームランプの明度をリモコンで下げる了平を見上げる。 「了平さんも、寝ましょう?」 「俺のベッドはおまえのところにあるキングサイズのベッドとは違うから、俺が入るとせまいぞ」 「くっつけば大丈夫です」 「そうか」 綱吉が片手を伸ばして言うと、了平はクスリと笑って頷いた。彼は立ち上がるとウォーキングクローゼットへ行ってしまった。 素早く着替えをすませ戻ってくると、綱吉の隣へもぐりこんだ。二人はベッドの真ん中で身を寄せあうようにする。綱吉は枕を了平へ返そうとしたが、彼は「おまえが使え」と言ってゆずらなかった。仕方がないので綱吉は枕に頭をのせて、間近にある了平の顔を眺める。彼は綱吉の顔をまじまじと見て、残念そうな顔をした。 「赤くなってしまったな」 「自業自得ですから。このままでいいです」 「……正直、骸が殴らんかったら、俺が殴っていたかもしれん」 「え、ちょ……、了平さんに殴られたら、いくらオレでも……」 「だから、よかった。骸が先に殴ってくれてな」 了平は真摯な気持ちがこもった瞳で、綱吉の瞳を見つめてくる。綱吉は彼の目を見つめ返しながら、その瞳のなかの憂いにそっと胸をいためた。 「頼むから、もっと気をつけてくれ。今回は妙な薬程度ですんだが、微量でも口にしたら死んでしまうような劇薬だって世界にはあるんだ。おまえになにかあったらと、俺は時々、心配でたまらなくなるときがあるぞ」 「――今回は本当に、面目ないです。注意はしてたんですけど、話に夢中になってしまって……。今後は気をつけます。すみません」 「本当にな……、頼んだぞ」 「了平さんが、そんな顔をするくらいなら、オレ、もっと気をつけます」 了平は瞬きをしたあと、片手で己の顔をおおった。 「そんな顔とは? 俺はいったいどんな顔をしてるんだ?」 「……迷子になりかけて、泣きそうな感じの」 「それではまるっきり子供ではないか」 「そうですね。いつもの了平さんじゃないみたい」 低くうなるような声をもらし、了平はあごをひく。片手で顔をおおってしまった了平の顔の表情を綱吉はあまりよみとれなかった。 「さっき、すっごい怒ってましたね?」 顔から手を外して、了平は呆れたようなすねたような顔で不満そうなため息をもらす。 「それは、……そうだろう。あそこで怒らなかったら、俺の立場はないぞ」 「なんか、不謹慎だとは思うんですけど、ちょっとうれしいかもしれない……。了平さんが嫉妬してくれたの、初めてだから」 「そうか? ……嫉妬か。そうだな。嫉妬は、常々感じているがな――」 「え、そうなんですか?」 「今でも不思議なんだ。おまえの周りには俺よりも魅力的な人間が老若男女問わずに溢れていて、しかもほとんどの人間がおまえに好意を抱いているというのに、――どうして俺なんぞを選んでくれたのかがな」 「ええ? そんなに不思議ですかね? オレには了平さんしかいないって、そう思ってるのになあ」 「……………………」 てっきり、「そうか、俺も極限に愛しているぞ!」的な返答があると思っていた綱吉は、黙り込んでしまった了平の反応についていけなかった。 彼は、「オレには了平さんしか――」と言いながら笑みを浮かべた綱吉の顔をじぃっと眺めたあと、急にあごをひいて布団のなかに顔をうずめてしまった。まるで子供のような仕草に、綱吉は思わず吹き出してしまう。 「もしかしてすっごい照れてますか? 了平さん。顔、見せてくださいよ」 「駄目だ。今の俺は極限に情けない顔をしてるに違いないからな」 「あはは。まったくもう。了平さんてば、かわいいんだから」 綱吉は手を伸ばして、布団で顔をおおってしまっている了平の髪を優しく撫でる。髪質のやわらかい彼の短い髪は触れると気持ちがいい。 「オレはですね、了平さんが了平さんだから好きなんです。他の誰かが了平さんみたいな性格だからって、他の誰かが了平さんみたいな容姿だからって好きになる訳じゃないんです。オレは、オレ自身のすべてを賭けて、了平さんのすべてを愛したいって思ったから、了平さんに告白したんですよ? よく、拒絶されなかったなあって、今でも思うくらいですよ。オレみたいな、駄目なやつに好かれて――」 了平が急に布団から顔をあげたので、驚いた綱吉は手を引いてしまった。彼は赤い顔のままで――とっさに顔を上げてしまったことを少し後悔するかのように唇を噛んだが――、真剣な様子で言った。 「おまえは駄目な奴なんかではないぞ!」 「ふふ……、ありがとうございます」 礼の言葉を言いながら、綱吉は急に顔が熱くなってくるのを感じた。それはアルコールや、まして殴られたからではなかった。妙にばくばくと脈打ち始めた心臓を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐き出して、綱吉は苦笑をする。 「なんか、オレも恥ずかしくなってきちゃったんですけど」 「酔っぱらいにつきあっていたら、口がすべってしまった」 「え。オレのせいなんですか?」 綱吉がおどけるように唇をつきだすと、了平は片手で綱吉の頭をわしわしと撫でて笑顔を浮かべる。 頬の熱をうばってぬるくなったアイスノン入りのタオルをベッドの端のほうへおいた。冷やしたおかげで痛みはだいぶやわらいできていた。 了平の大きな手が綱吉の髪をゆっくりとすく。何度も何度も、飽きることなく彼は優しい表情で綱吉の髪に触れる。 どうして了平のような人間が綱吉のような人間を好いてくれたのか。綱吉には分からない。笹川了平という人間のおかげで沢田綱吉は生きている意味も生きている喜びも知ることができた。悲しいことも辛いこともあるけれど、了平がいれば越えていけると思えた。 ただ、綱吉は最近、考えることがある。 綱吉はマフィアのボスだ。 そして了平は守護者だ。 互いにいつ死ぬか分からない。 いつ、どこで、死ぬのか――。 おいて逝かれるのか、おいて逝くのか。 どちらになるかわからない運命のルーレットのうえに、了平も綱吉も存在しているのだ。 いま、綱吉の髪を撫でている了平の手がいつか消えてしまう日がくるのか。 逆に、了平の指先がいつか綱吉の髪に触れることが出来なくなってしまうのか。 どちらにせよ、同時に死ぬことはない。 同時に死ぬには、心中するくらいしかないだろう。 でも、綱吉は了平に死んで欲しくない。 綱吉は弱い。 だからおいて逝かれるよりは、おいて逝ってしまいたい。 酷いことを考えているなあ。 そんな自覚をしながら、綱吉はそうっと息を吐き出す。 綱吉の内心の葛藤など知るよしもなく、了平の指先は綱吉の髪に触れている。優しくて優しくて優しくてたまらない彼の仕草を感じながら、綱吉は唇をひらく。 「ねえ、了平さん」 「うん?」と返事をして、了平は髪を撫でる手を止めた。 綱吉は了平のきれいな瞳を見つめながら、静かに言葉を差し出す。 「もしも、オレが死んだときは、オレのことは忘れてくれていいですから、ちゃんと幸せになってくださいね」 「――何を言ってるんだ?」 了平が表情をこわばらせる。 「そんな悲しいことを言うな」 「了平さんが幸せになってくれないと、オレ、安心して眠れないですよ」 「俺がおまえを失って幸せになれるはずがないだろう?」 「……そう、ですか。じゃあ、オレ、死ねませんね」 「そうだ。おまえは死んだりしてはいけない。俺が守るんだ。俺より先に死んだりするはずなはい」 了平の語尾が震える。 彼の表情はこわばっていた。綱吉は両の手ひらで了平の顔をはさみこむように包む。 「泣かないで。了平さん」 「泣いてなんぞいない」 「はい。泣いてなんて、いませんね」 了平は泣かずに、奥歯を噛みしめるような顔をして綱吉を睨みつけた。傷つけてしまったと思って、綱吉は了平の頬を撫でながら「すみません」と謝罪を口にする。彼は何も言わず、頬に触れている綱吉の手に手を重ねた。 「オレは了平さんの側にいます。ずっと、……ずっと」 「ああ。俺もずっと、沢田の隣にいるぞ」 綱吉は了平の首もとあたりに頭を寄せて彼に寄り添った。了平の力強い腕が綱吉の背中に回る。暖かくて安心できる腕のなかで、綱吉は目を閉じた。 了平は気が付く事はなかった。 綱吉が声に出さなかった言葉の意味に、気が付く事はなかった。 そのままオレの戯言に気が付かないでいてくださいね。 心のなかで静かにつぶやいて、綱吉は口元に優しい笑みを浮かべた。 【END】 |
|
『オレは了平さんの《側に》います。ずっと、……ずっと。《たとえ、死んでしまったとしても、あなたの側に――。あなたが幸せになれるように、ずっと祈りながら……》』 |