2 優しい宣誓














 もぞりとシーツの上に手を這わすと、隣で寝ていたはずの恋人の身体が指先に触れなかった。了平は浅い眠りのなか、諦めきれずにもぞもぞとシーツのうえを探るがやはり恋人の肌に触れない。
 小さくあくびをかみ殺しながら目を開けてみると、部屋のすみに置かれたルームランプの淡いオレンジ色の明かりのなか、テーブルに座っている綱吉の姿が目に入る。彼はトランクスを履いたうえに白いワイシャツをはおっただけで、ボタンをとめていなかった。テーブルのうえにはベッドへなだれ込む前に酌み交わしていたワイングラスが残っていて、綱吉は片手にグラスを持っていた。


 一泊するだけで普通の家庭の生活費など吹っ飛ぶくらいの高級ホテルの一室に了平と綱吉はいた。本来ならば極上のスィートルームは綱吉のために用意されたもので、了平が寝転がっているベッドも綱吉が眠るはずのキングサイズのベッドだった。
 特別室には、了平のような警護の者が休む部屋も完備されていたものの、今までそういった部屋を使ったことはない。綱吉は了平が別室で休もうとすると、あれこれと理由をつけて自身の寝室へ引っ張り込み、結局は出張というれっきとした仕事中であるというのに、夜ごと愛し合うことになってしまう。


「――お目覚めですか?」


 了平がベッドのうえで身体を起こすと、綱吉は椅子から立ち上がってベッドへ近寄ってくる。素肌にシャツをはおっているだけなので、普段よりも随分と艶めかしい風貌だ。
 とはいえ、了平もボクサーパンツを履いただけの格好なので綱吉の姿とそう変わらない状態だった。


「起きてたのか?」


「寝てたんですけど、さっき、喉が渇きすぎて目がさめちゃって」


 ベッドの脇へ立った綱吉は、のど元に触れて肩をすくめる。普段よりも幾分かハスキーな綱吉の声が了平の耳に甘く注がれる。了平は思わずクスリと笑みをもらして双眸を細める。

「声がかすれてて、色気があるな」

「うは。了平さんてば、えっちい言い方しますね。なんですか、喘ぎすぎですか、オレ?」

 そう言って、綱吉はゆっくりと見せつけるように唇を舐めた。

「はしたないぞ」

「了平さんの前だと、オレ、はしたなくなっちゃうんです」

「酔ってるだろ」

 くすくすを笑いながら、綱吉はベッドにのりあげて、座っている了平の膝にもたれるようにして寝転がった。

「酔ってますよ。だって飲んでんですもん」

 あぐらをかいた了平の膝のうえにあごをのせ、綱吉はクスクスと笑う。寝転がってはだけたシャツの下から彼の腰がのぞく。薄暗いなかでも分かるように、綱吉の腰の辺りが赤くなっている。何かにぶつかったかのような、打ち身のような跡に了平は眉をひそめる。


「……沢田、なんだか腰のあたりが赤くなってないか?」

「ああ、これですか?」

 了平の太股のうえに顔をのせたまま、腰に手を伸ばして、綱吉はこともなげに言う。

「これ、了平さんが掴んだとこですよ」

「うん?」

「無意識なんだろうなあとは思ってんですが、本当に無意識だったんですね。了平さん、なんていうか、行為に一心不乱になってくると、オレの腰つよく掴むもんだから――」

「沢田っ」

 照れくささから思わず声をあげてしまった了平に対して、綱吉はにやにやと笑う。両腕を了平の腰に回して、ぱたぱたとシーツのうえで両足をばたつかせて楽しそうに身もだえる。

「なに、いまさら照れてんですか、もう。――かわいいなー、了平さんてば」

「……すまない」

「いいんです、いいんです。オレ、そんなにも強く求められてるんだなあっていっつも実感してんですから。――夢中になっちゃうくらい、オレとするのが気持ちいいんですもんねえ」

 にやにやと、まるで六道骸のようにいやらしく笑う綱吉をかるく睨みつけ、了平は太股のうえに乗っている綱吉の側頭部に手をおく。

「からかってるだろう」

「かわいいなあ。かわいい。了平さん。オレ以外の前でそんな顔しちゃ嫌ですからねー」

「俺は可愛くなどない」

「じゃあ、オレは可愛いですか?」

 了平の太股にもたれたままで、綱吉が笑顔のままで問いかけてくる。期待に満ちあふれた綱吉の頭を思い切り撫でくり回すと、彼はまるで小型犬がはしゃぎ回るように笑いながら転がって、自らベッドから転げ落ちて悲鳴をあげた。了平が思わず吹き出すと、綱吉は床に座り込んだまま、ベッドにもたれかかって、声をたてて笑った。どうやら綱吉は相当にアルコールに酔っているらしい。
 ひとしきり笑ったあとで、ふらりと立ち上がった綱吉は、元いたテーブルまで近寄っていき、グラスに残っていたワインを一気に飲み干した。


「了平さんも飲みます?」

 グラスを持ち上げて問いかけてきた綱吉に、了平は首を振る。

 そうですか。と言って、綱吉はグラスをテーブルにおいてベッドへ戻ってくる。膝でキングサイズのベッドにのりあげ、そのまま了平の隣までくると、もぞりもぞりと布団のなかにもぐりこむ。了平も布団をめくりあげて、綱吉の隣におさまった。
 綱吉は枕元に置かれていた腕時計に触れて時間を確認し、小さな声で「わお」と呟く。一瞬、脳裏に元・風紀委員の彼の顔が思い浮かんで、了平は苦笑いを浮かべた。


「もう、四時かー。あと二時間ちょっとくらいですかね、眠れるの」

「明日はちゃんと眠るんだぞ。さすがに二日続けて仮眠程度の睡眠では集中力が保てなくなる」

「えー。そんなんじゃあ、了平さん不足になっちゃうじゃないですか」

 おどけるように綱吉が不満そうな顔をするので、了平は困ったように苦笑するしかなかった。

「あのですね、オレはね、了平さん。了平さんとこうして同じベッドで眠るとね、本当に安心できるんです。まあ、大人なんで、純粋に眠るだけって訳にはいかないですけど……。オレだって、ふつーの成人男性ですからね、好きな人と肌と肌で触れ合って、生きる活力ってもんを補充したいんですよ。そういうのって、好きな人とじゃなきゃ意味ないじゃないですか」

「俺だっておまえ以外とこういうことはしたくはない」

「それはオレも同じです」

「しかし、連日ではおまえの身体への負担が心配だ。そんなに確かめることはない。沢田。俺は迷うことなくおまえのことを愛している。不安がることはない」

 了平の言葉を聞いていた綱吉は、細長く息を吐き出して、大きな枕に顔をうずめた。そして枕から顔をあげると、不満そうな顔のままで頷く。

「……わかりました。明日はしません。でも、一緒には寝てくれますよね?」

「………………」

「だめなんですか?」

「寝るだけならな」

 了平も成人男性だ。
 好きな人間が隣にいれば、意識せずにはいられない。
 どうして男というものはこうも即物的なのだろう。
 そんなことを了平が考えていると――、綱吉は何かを察したようににんまりと笑って何度も頷いた。

「まあ、別に了平さんがしたいんなら、オレは構いませんけど」

「待ってくれ。俺にも自制心はあるぞ」

「じゃあ、了平さんの自制心にかけましょう。明日の夜は」

 ふふふ、と忍び笑いをもらして、綱吉は了平の頬に指先を伸ばしてくる。頬に触れた彼の指はすこし冷たかった。

「オレのことを大事に思ってくれて、ありがとうございます。けど――」

 綱吉の指先が頬をすべり、了平の唇の端に触れる。

「オレは了平さんに力強く愛されてこそ、オレでいられるんだって、そこんとこは分かっててくださいね?」

 彼の指先に導かれるように、了平は肘をついて綱吉の方へ身を寄せる。
 二人で何度かキスを交わして、身を寄せ合ったままで呼吸をする。

「……俺は沢田には勝てそうにないな」

「なに言ってんですか。昔っから、オレは了平さんに勝てたためしなんて一回もありませんよ」

「二人でお互いに負け続けているということか」

「そういうことになりますよね」

「なんとも間抜けだな」

「いつか、勝てるときがきたら、お互いに健闘をたたえ合いましょう」

 ベッドのなかで身体を寄せ合ってクスクスと笑う。布団のなかで綱吉の手が動いて、了平の手に触れる。自然と二人は手を繋ぎ合った。

「じゃー、二時間しか眠れないんですけど――なんて言っても、原因は明白かつ自業自得なんだけど――。寝ましょう。おやすみなさい。了平さん」

 綱吉は了平の顎下あたりに頭を寄せて目を閉じる。

「おやすみ」

 綱吉の身体に片腕を回してかるく抱き寄せ、了平はそっと囁く。
 
「良い、夢を――」













【end】