06:憎しみに似た 心まで焼き焦がすような想い





 ふいに襲ってくる破壊衝動。

 耳元でがんがんと鳴り響く鐘の音――そんなものは実際には鳴っていないのに――喧しいくらい鳴り続けて、僕の感情を逆立てていく。

 ああ、気が狂ってるんだ。

 自分の一部が冷静に呟いて己を嘲笑する。

 狂っている。

 狂っている!

 そんな言葉はうんざりするほど聞いた。

 恐ろしい。

 化け物め。

 呪われろ。

 繰り返される呪詛にも微笑できるほど飽きていた。

 壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、

 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して――。

 世界から何もなくなってしまえば、僕はもう生まれることはない。

 それこそが僕にとっての祝福。

 生き飽きた僕にとっての希望。


 救いなんて望まなかった。

 そんなものに価値があるなんて思っていなかった。


 彼に出会う日までは――。





×××××





 眠りから目覚めると、普段と違ったベッドの感触に違和感を覚える。手のひらで寝ている場所を確認すると、それはベッドではなく革張りのソファだった。高級ホテルの上等なソファといえど、ベッドのように快適には眠ることはできない。身体のあちこちの関節が妙な具合に軋んでいるような気がしながら骸は起きあがった。


「あ――、起きた?」


 室内を見回す前に声がかかる。
 一泊数十万もするスィートルームのダブルベッドを占領していたのは、ノーネクタイの白いワイシャツに濃い灰色のスラックス姿の沢田綱吉だった。両手を万歳するかのように持ち上げた不自然なポーズで、ベッドに横になっている。


「おはよう、骸。あのさ、さっそくだけど、これどうにかしてくんない?」
「『これ』って、なんですか?」

 骸はソファから立ち上がる。

 ベッドの上で両手を頭上に持ち上げている綱吉を見下ろすと、彼の手首にはシーツを引き裂いて作ったような布がきつく結ばれ、布の先はベッドの足へとがんじがらめに結ばれている。


「素敵な格好ですね」
「ほどけ、あほ!」


 室内を見回してみれば、そこは骸が仕事に追われて忙しい時に癒しを求めて利用するお気に入りのスィートルームの寝室だった。骸が眠っていたソファは明らかに寝室には不似合いな大きさで、おそらくは隣室のリビングから無理矢理に引きずって移動させてきたに違いない。――運んだ記憶はないが。


「……なんで、あなたがそこにいるんですか? おかげで僕がソファで寝るはめになったんじゃないんですか?」
「え、ちょ! おまえがこんな状態にして、勝手に寝たんだろ!」


 綱吉がじたばたと手足を動かすとベッドが軋んで音を立てる。ダブルベッドの端に腰を下ろし、大の字に寝ころんでいる綱吉を見下ろす。彼は再度「ほどけ」と訴えたが、聞こえない振りをした。


「よく逃げ出しませんでしたね」

「だってどう考えてもオレが炎を使ったらベッドに焦げ作っちゃうし、あやうく他のものにでも引火して火事とかにしちゃったらまずいし――。酔っぱらってこんな状態になるまで気がつかなかったから自業自得かと思ったし、まあ、うん、逃げようと思えば逃げられたかな」

「どうして逃げなかったんです?」

「おまえの様子、すごいおかしかったから……。でも、眠ったら落ち着いたんだな、よかったよ」


 拘束された状態のままでホッと息をついた脳天気な青年を見下ろして、骸は卑屈な笑みを浮かべる。

「放っておけばよいものを――」

 綱吉は形の良い大きな瞳を骸の方へ向けた。

「おまえって、本当に何の前触れもなく、はじけ飛ぶよな」
「はじけ飛ぶ、だなんて、人をなんだと思ってるんですか?」
「じゃあ、急に中身が入れ替わったように変化するよな」
「多重人格者とでもお言いになる?」
「単一人格者なんてこの世のどこにもいないよ。誰だって幾つもの顔を持っていて、臨機応変に様々な顔を使い分けているんだから。――っていうか、昨日のこと、覚えてるの?」


 問われた骸は目線を上向けてしばし沈黙して考えてみる。

 昨夜は綱吉と共に、ホテルのラウンジで散々にグラスを交わし――誘ったのは自分だったのだろうが実際のところどうして誘ったのかは都合良く忘れてしまっている――、上機嫌になっていた二人はホテルの一室に戻ってルームサービスを頼み、再び飲み交わしつつ談笑して――、記憶はそのあたりから曖昧になっていく。


「正直なところ、あまり」


 骸が肩をすくめると、綱吉は顔をしかめて息をつく。

「ほらな。おまえが泥酔するなんてなかなかあり得ないのに……。何があったんだよ? 誘ってきた理由は何度聞いても教えてくれやしないし、別の話題ばっかりで盛り上がっててさ、おまえ全然語らないんだもの」

「ああ、綱吉くん、それ外して差し上げますよ」

「はぐらかすなよ」
「あ、外さないでいいんですか」
「いや、外せって。いい加減、寝返りうちたいんだよ」
「いい眺めですね」
「むーくーろー」
「もうちょっと、そのままでいてくださいね」


 ベッドから立ち上がった骸に向かって綱吉は腕を伸ばそうとしたが、拘束の紐に阻まれて腕はベッドから少し浮いただけだった。短く舌打ちして彼は叫ぶ。


「こらっ、どこにいくんだ!」
「ルームサービスを頼んできます。やっぱり人間、寝てるだけでも空腹になるものなんですね」
「あほー! 放置してくな!」
「すぐ戻りますってば。寂しいからって泣かないでくださいね」
「誰が泣くか!! ――こら、骸……ッ」


 わめきたてる彼をおいて骸は寝室を出た。リビングにおかれている電話からフロントへ電話をかけて、軽めの朝食のメニューを注文して、返事が無くともリビングに放置してすぐに退室するように伝え、受話器を元に戻す。

 先ほどの綱吉の様子を思い出して、骸は静かに笑った。朝から綱吉は元気だ。目覚めてからすぐに機嫌がよくなることなどあまりない。ドアの隙間にボーイへのチップを挟んで、骸は気分よくベッドルームに向かった。


「おかえり」


 寝室に戻ってみると、綱吉が半眼で骸を睨んでくる。骸はたっぷりと好意にまみれた微笑を浮かべて、再びベッドサイドに勢いよく腰を下ろす。スプリングが軋んだ。


「注文しておきましたよ。あんまり空腹でもありませんし、フルーツとヨーグルト、それにパンを数種類頼んでおきましたから。よろしかったでしょうかね?」
「うん、まずオレに何が食べたいか聞いてからルームサービスに電話して欲しかったな」
「おや? 追加しますか?」
「……いや、いい」
「僕のチョイスでよかったのでしょう? くふふ、僕はあなたのことならば何でも分かるんですよ、綱吉くん」
「もうそんなことはいいから、ほどけって」


 両腕を揺らして綱吉はため息をつく。第二ボタンまではずれたシャツから鎖骨がのぞいている。呼吸のたびに上下するうすい胸板のうえに骸は手のひらをおいた。綱吉は呆れたような視線で骸を見上げる。


「せっかくですし、楽しみますか?」
「はあ?」
「愛して差し上げますよ」
「いきなり何を言い出すと思えば……」
「いつもと違って拘束されたままシテさしあげますよ、けっこう興奮するんじゃないですか?」
「ばか。主に興奮するのはおまえの方だろ」
「なんなら幻覚で好きな相手を見ながらでもオーケィですよ、リクエストはありますか?」
「やめろ。骸」


 綱吉は冷えた声音で一喝する。ぞわりと快感が背中を滑り落ちていく。彼が時々見せる君臨する者がもつ威厳――帝王の気質とでもいうのだろうか――は、いつも骸を興奮させる。

 
 琥珀色の瞳が強い意志を宿して骸を睨んでいる。

 骸は片手をあげて左右に振った。

「怒らないでください、冗談ですよ、ジョーダン!」

 骸が笑っても、綱吉は笑わなかった。

 探るような目つきで骸を睨みつけたままだ。

 居心地の悪さを感じ、骸はますます仮面的な微笑をせざるえない。

「あのな、骸。おまえの能力はそんなことに使うべきじゃない。どうしたんだよ、最近は落ち着いてきたなって思ってたのに……、ヒドイ顔するようになってきてるぞ」
「よく僕のことをご覧になってるようで」
「おまえは隠すのがうまいから、よく観察してないとマズイだろ」
 
 ジィッと綱吉の目が骸を見ている。
 骸も綱吉の目を見ていた。
 二人の眼球には互いの顔が映っているだろう。


「なにがあったのか、オレに教えて欲しい。オレは、おまえのこと、もっと知りたいんだよ、骸」

「なにが、あった、って……」

 綱吉の瞳を見つめたまま、骸は呟く。

 なにがあったのか。
 どうして綱吉をラウンジに誘い。
 どうして綱吉を拘束したのか。

 どうして。
 どうして。
 どうして……?


 突然、骸の中で、昨夜の出来事が蘇る。


 一昨日の夜。

 綱吉は久方ぶりのオフ日に、久方ぶりの遠出をして海を見たいといいだした。彼の希望を叶えるため、護衛として雲雀と獄寺が同行して屋敷を出発していった。
 しかし、やはり大きなファミリィのボスであるがゆえか、言った先で襲撃にあい、綱吉に怪我はなかったものの、獄寺が負傷した。彼は近くの病院で検査入院として一夜を過ごすことになった。

 獄寺をおいて帰ることを拒否した綱吉は、雲雀と一緒にボンゴレの系列に入るホテルの一室に泊まり、夜を過ごした。

 次の日には検査を終えた手当済みの獄寺と共に、綱吉達はボンゴレの邸宅に戻ってきた。

 獄寺が入院していたということは、雲雀と綱吉は二人きりで一夜を共にしたのだ。

 昨日の夕刻、山本との何気ない会話から一連の事情を聞いてから、骸の中でどす黒い炎が胸の内にくすぶり始めた。表に出してはいけないと思い、我慢できたのは二時間だけ。気がつけば、執務室に出向いていき、仕事に飽きていそうな綱吉を言葉巧みにいつも使用しているホテルのラウンジに誘った。たまたまリボーンが不在だったことに助けられ、骸は綱吉とグラスを交わすことが出来た。

 酒を飲んで陽気になる彼を微笑んで見つめながら、骸はどこか冷えていた。


 あの男と寝たんですか?


 何度も唇にのせようとした言葉をとどめて、他愛のない話ばかりをして彼を笑わせた。機嫌がよい彼はホテルの部屋に戻っても飲み続け、泥酔して前後不覚になりつつあった。動かなくなった綱吉をベッドに寝かせ、スーツを脱がせ、ネクタイをとりさっても、彼は起きない。

 雲雀の前でも、こんな姿をさらしたのだろうか。

 指先を綱吉の首にからめようとして、すんでのところで躊躇した。

 意識のない彼の服を脱がして滅茶苦茶に犯してやろうかとも考えた。

 しかし、彼の素肌に一昨日の夜の痕跡を見つけてしまったら、骸は今度こそ綱吉を殺してしまう。

 それだけはやりたくはない。

 キングサイズのベッドで骸も眠ることは簡単だったが、綱吉の隣で何もせずに眠れるはずはない。苛立ち任せにリビングの重たい革張りのソファを寝室に運び入れ、彼の顔が見える位置に配置して倒れ込んだ。

 意識が睡眠に負けるまで、骸は気持ちよさそうに眠る綱吉の顔を眺めていた。

 愛しい人間の顔を眺めながら眠りについたのだ。




「……骸……?」




 静かに綱吉が名を呼ぶ。

 骸は狂気的に笑いながら綱吉を見下ろす。

「ここにナイフがあったら、あなたをここに磔にするのに。昆虫標本みたいに」

「怖いこと言うなよ」

「……綺麗な箱にしまって僕だけのものにして、ときどき取り出して眺めたり触れたりして愛してあげるんです」

「それはとてもおまえらしい発想だね。でもオレは磔になるのも、箱にしまわれるのも嫌だから全力で抵抗させてもらう」


 骸のわずかな殺気すら感じているであろうに、綱吉は怖じ気づく様子もみせずに言いきる。一抹の寂しさが骸の胸中にひろがった。昔の彼は、骸の一挙一動に怯え、恐がり、目に涙を溜めて震えるような少年だった。今では懐かしい光景だ。

「あなたは変わりましたね」

「おまえと出会ってからどれだけ年月が経ったと思ってるの? 呼吸しているだけでも時間は過ぎていくんだから、変化していくのは仕方がないと思うけど? そういうおまえだって変わったと思うよ」

「僕は変わりたくなかった」

「そう。でも、オレはいまの骸が好きだよ」

 さらりと言ってのけ、綱吉は真っ直ぐに骸を見上げる。

 その瞳の綺麗さに射抜かれ、骸は鼓動が止まったような気がした。指先にまで走った歓喜を味わい、息を吐き出す。

「ああ、あなたを今すぐにでも殺してしまいたい」

「こらこら。物騒な奴だな。オレは殺されたりしないからな」


 嘆息する綱吉の顔に顔を近づけて、骸は囁く。


「あなたを殺したら、きっと僕は最高に満たされるかもしれないけれども、その後で死にたくなるくらいに絶望するんでしょうね」

「冷静な自己分析するね」

「僕はいつだって僕がやりたいようにしてきました。これからだってそうしていたい。なのに、あなたに対してだけは、そのやり方が通用しない。……憎らしいくらいに」

「……オレのことが憎いの?」

「ええ。とても憎らしいですよ。誰にでも優しいあなたに対しての苛立ちや嫉妬など、抱えきれないほどに毎日毎日感じていますとも。僕を受け入れたくせに、僕にキスをするくせに、身体をゆるしたくせに、あなたはいつだって誰にだって優しい。許せないくらいに、あなたはあなたなんですよ。本当に殺してやりたい、殺してみたらこの苛立ちはなくなるでしょうからね……」


 綱吉は短く苦しそうに息をついて、弱々しく首を左右に振った。柔らかい質感の髪がふわふわと揺れる。


「どうして骸は、オレのことを信じてはくれないの?」

「信じる? あなたの何を信じろと言うんです?」

「おまえのことを想っているオレの気持ちくらい、信じてくれやしないの?」

「誰にでも優しいあなたが、同情と哀れみで僕を受け入れたことを――信じろと?」


 刹那、目が眩むような閃光が目の前で弾ける。顔をそむけて目を閉じると急に胸ぐらを掴まれて引き寄せられる。眼前に怒気をはらんだ綱吉の顔があった。


「馬鹿にするな! オレはおまえのことを見て、おまえのことを考えて、おまえを恋人にしたんだ! 同情や哀れみだって感じたことはあるさ、でもね、それだけじゃない、それだけじゃないからな! ちゃんと好きになれるって思ったから受け入れたんだ! 人の感情まで勝手に決めて悲劇ぶるんじゃない!」


 綱吉は一気にまくし立て、骸の胸ぐらを両手で突き放した。


 骸は乱れた襟元のまま呆然とした。その鼻先に焦げ臭さが香る。同時に綱吉も気がついたらしく、勢いよく振り返り顔を青くさせる。綱吉の炎によって焼き切った紐の一部がシーツをじりじりと焦がしている。音のない悲鳴をあげた綱吉は枕を自由になった片手で掴んで、何度もくすぶっている箇所を叩いた。

 シーツの一部が焦げたものの、引火することはなかった。

 火災にならなかったことを安堵するように、脱力した綱吉は焦げ跡がうつって所々黒くくすんでいる枕を抱えて盛大にうなだれた。


「あああああああ、……やっちゃった、よ……。だからほどけってあんなに言ってたのに」

「……どうするんですか?」

「弁償するしかないだろ。寝煙草しました、とでもいってさ。っていうか、ここ禁煙だし、滅茶苦茶怒られるよ。あー、もう! 骸も一緒に謝ってよね」

「あ、……はい」


 焦げのことなど骸の脳裏においておく場所はない。
 骸の頭の中は、先ほどの綱吉の叫びでいっぱいだった。何度も繰り返し思い出して忘れないように心に刻んでおかなくてはという、焦燥感が胸によぎる。

 もしも、彼の側で死ぬことができなくとも、先程の綱吉の言葉を思い出すことができれば、骸は幸せに逝けるかもしれない。それだけの価値が彼の叫びにはあった。

 上の空の骸を見つめていた綱吉は、「ああ」と小さく呟いて、一人で頷きだす。

「分かった、おまえがおかしくなったの、なんか予想がついた。昨日のおまえの態度とか、いまの言動で。――あのな、オレは確かに気が弱いし、見栄っ張りだから、誰にだっていい顔しようとして優しいかもしれないけど、だからって誰とでも寝る訳じゃないんだよ。……どうせ、あれでしょう? 一昨日の夜、雲雀さんと急遽外泊したこと知って、暴走したんだろ……。オレは雲雀さんとは寝てない。部屋は確かに同じだったかもしれないけれど、それは護衛のためで仕方なくだったんだよ。本当にオレ、信用されてないんだね、骸に」

「生まれて一度だって、僕は他人を信用したことなどありませんよ」

「じゃあ、生まれて初めてでいいから、オレのことを信じてよ」

「よくも簡単にそんなことが言えますね。時が経てば嘘に変わるのに信じろだなんて――」

「確かに、不変だとは約束できないかもしれないけどさ、でも、オレは骸のことが好きだよ。未だに人間のことは嫌いだし、人の話はきかないし、時々やんなるほどに残酷だけど、骸がオレのことを好きだって言ってくれるだけで、オレはおまえのこと抱きしめてやりたい気持ちになるくらい、好きだよ? おまえが笑ってくれて、オレのこと好きだって言ってくれるんなら、なんでもかんでも許して、腕の中にしまいこんじゃいたいくらいだよ。……オレは心配だよ。悪魔みたいに強いくせに、時々、ひどく壊れやすいんだもの、おまえ」


 くすくすと笑いながら、綱吉は自由になった手を胸元にそえて首を傾げる。

「ねえ、骸。――これだけ言ってもオレを信用できない? オレは誰とでも寝るような奴だって思うの?」

 骸はすぐに首を振った。

「いいえ。……すみませんでした……。僕が全面的に悪かったですね、ごめんなさい……」

 赤く擦れた後が残る手首に骸は指をはわせる。綱吉は「こんなのは平気だよ」と言って片目をつむる。

「多少、寝苦しかったけど、謝ってくれたから許す。もう今後、こういったことはしないように」
「……しません」

 綱吉は微笑んで両腕を広げる。

「おいで」

 骸は彼の腕のなかに吸い寄せられるように身体を寄せ、成人男性にしては細い彼の身体に両腕を回した。綱吉の指が優しく骸の後ろ髪を何度も撫で始める。よく知ったムスクの匂いを感じながら骸は目を閉じる。

「まったく……、訳も分からないままに暴走されても対応に困るっての」

「仕方ないでしょう? 嫉妬なんてコントロールできませんから」

「いつもならポーカーフェイス貫き通せるのに、時々どこまでもおまえはガキになるね……」

「ほんとうにあの人とはなにも?」

「ずいぶんと疑うなぁ。なにもないって。あのね、オレにだってね、貞操観念ってものがねあるの。恋人がいるのにほかの人と寝る訳ないでしょ。雲雀さんにだけ、やけに気にするよね、骸」
「そんなことありませんよ。僕はあなたに近づく人間すべてが気に入りませんから」

「あ、そう」

 かるく吹き出したあと、綱吉は声を立てて笑った。あまりに楽しそうに笑うので、つられて骸も笑う。二人で額を寄せ合うようにして笑いあい、自然と引き寄せられるように唇をあわせた。離れて触れてを繰り返して味わうように唇を重ね合う。


 そっと唇を離し、頬を寄せ合うようにして抱き合う。


「焦げについては後で考えるとして。ルームサービス、食べない? おなか減っちゃった」

「ええ。持ってきましょう」

「え。ここに?」

「たまにはいいでしょう?」

「あはは、ベッドの上で食事だなんて、映画みたい」


 ベッドのうえではしゃぐ綱吉から身体を離して、骸はリビングへ向かった。
 電話で頼んでいたとおり、ボーイは銀のトレイがのったカートを部屋のなかにおいて立ち去っていた。ポットの置かれた小さなキッチンスペースでホットコーヒーをふたつ用意してトレイにのせ、ベッドルームに戻る。
 こぼれやすいコーヒーカップをベッド脇のサイドテーブルにおいて、トレイをベッドのうえに置く。綱吉は両足をベッドから下ろすように座り直す。

「お待たせいたしました、ご主人様」
「ごくろう、ごくろう」

 綱吉はにこにこと笑う。
 彼の笑う顔が骸は好きだ。
 出来ればずっと笑っていて欲しい。
 そして骸のことをずっと愛していて欲しい。
 人の気持ちが移ろいやすいことを骸は嫌というほど経験してきていた。
 綱吉を信じたい気持ちはあれど。
 信じることは永遠にないだろうとも思う。

「いっただきまーす。っていうか、骸もここ、座れば?」

綱吉くんは食事をしていていいですから」

「へ」

 骸はベッド脇に膝をついて、綱吉の太股の傍らに頭を寄せ、彼の服の裾を掴んだ。

「甘えさせてもらっていいですか」

 微苦笑を浮かべて、綱吉は首をかしげる。

「……へんなやつ……。おなか空いてるんじゃなかったの?」

「あなたが空いていると思ったから頼んだんです」

「あ、そう。それはありがとう。じゃあ、一人で食べちゃうからな」

 骸のへりくつにおかしそうに笑った綱吉は、右手でスプーンを持ってヨーグルトを食べ始める。
 ふと、彼の左手が優しく骸の髪を撫で始める。


 ゆっくり。ゆっくりと。
 あやすように撫でていく。

 あまりに優しくて。
 あまりに愛しくて。
 あまりに切なくて。

 泣きだしたいような衝動にかられ、骸は目を閉じた。

 恋情に、愛情に。
 胸を焦がして焦がして焦がして――。

 残った灰はどんなものなのか。

 骸はまだ知らない。




『End』