03:音楽に似た ふとした瞬間に思考を駆け抜けるような想い





 談話室の扉を開けると、ソファの周辺でテーブルを囲んで騒がしく群れている人間達が目に入り、無意識のうちに雲雀は短く舌打ちをした。耳ざとく雲雀の舌打ちを聞きつけた骸が、雲雀にむかってわざとらしく笑みを向けた。


「やあやあ、おかえりなさい」


 骸の声にソファの面々が振り返る。

「ご苦労さん」シニカルに笑んで、リボーンは唇の片側だけを持ち上げる。

「おかえりなさい」とランボが片手を挙げて横に振った。

「おかえり、雲雀さん」と綱吉がやわらかく微笑む。

「ごくろーさん」と山本が口角を笑みの形にする。

「お疲れさまだったな!」と拳を突き上げて了平。

「………………」獄寺は何も言わずに雲雀を一瞥して終わった。


 硝子のテーブルを囲むようにコの字型にソファは並べられている。まず扉と向かい合わせにおかれたソファには右からランボ、綱吉、獄寺が座り、二人がけのソファにはリボーンが一人でかけ、扉を背にしているソファには了平と山本と骸が座っていた。
 雲雀は全員の顔を順番に眺めたあと、眉間にしわを刻む。


「いったい何の群れ?」
「トランプしてんだよ」


 カードを扇状に持った手を振りながら山本が言う。


「ババ抜き。なつかしーだろー?」


 肩をすくめた雲雀は扉の近くの壁に背中でもたれる。テーブルのうえには確かにトランプが散乱し、各々手元にはカードを数枚持っている。カードの他に、赤ワインの入ったグラスが人数分――とはいえランボの前には炭酸水のペットボトルがおかれている、リボーンは例外らしく彼の前には大人と同じグラスがあった――並べられ、全員がほろ酔いの状態になっているようだった。

「雲雀もやらないか?」

 了平の人懐っこい誘いに雲雀は首を振る。

「僕は綱吉に用事があって来たんだ」

「どうせ急ぎの報告じゃねーんだろ? だったら後でいいじゃん。なー、雲雀もやろうぜー? やってみると結構楽しいぜ?」

 山本の間延びした声がいちいち雲雀の苛立ちを刺激してくる。鋭く睨んでも彼は態度を変えず、にこにこ笑っている。

「何が楽しいの? 子供じゃあるまいし」

「いや、これは真剣勝負なんだぞ!」

「明日の飲み代がかかってるんだ」

 暑苦しく了平が言ったあとで、ランボが笑いながら言う。ランボの隣に座っている綱吉が、ランボと顔を見合わせて、穏やかに微笑む。

「ま、ランボはまだアルコール飲んじゃいけない年齢ですけど、得点が高かったらみんなでいつも飲んでるバーに連れてってあげることにしたんです」

「ツナ、約束だからな」

「はいはい。約束」

「飲み代に困る給料じゃないでしょ、みんな」

「あえて勝負することで熱く燃えることができるじゃないか!」

「君はいつも一人で白熱してるでしょ」

「おー、うまいこと言うなー、雲雀」

 雲雀が山本に対して皮肉を言う前に、唐突に骸が両手を叩いた。驚いてその場のみんなの視線が骸に集まる。


「よし! ではこうしましょう!」


 そういうと、骸はにっこりと笑って、綱吉の方を向いた。慌てた様子で綱吉は顔色を悪くした。

「え、おまえ、なに言うつもりなの、ねえ、骸」

「飲み代なんてちっぽけなことじゃなくて、いっそ一日、綱吉くんを好きにできるってのどうでしょうか?」

「はあ!?」

「お。そりゃ、いいな」

「え、リボーン、おまえがそんなこと言うなんて、珍し――」

 綱吉の問いに、リボーンは片目を細める。

「おまえの汚ぇイタリア語の筆記と、急いでいるとあやふやになる発音が前々から気に入らなかったんだ。一日、たっぷりみっちりイタリア語についてしごいてやるよ」

「え、な、……まじ、で……?」

 青い顔で言葉をなくす綱吉をよそに、他の面々は会話を続ける。

「じゃあ、じゃあ! ランボさん、ツナに遊園地に連れてってもらう!」

「俺は沢田と一緒にスポーツセンターに行って一日、いい汗をかいて過ごすぞ!」

「なんか、二人は純粋な願いだなァ。俺はそうだなあ、ツナとアウトドアして、のんびり過ごせりゃなんでもいいや」

「いい人ぶりますねぇ、山本武! 僕はあえて言うこともないので、秘密ということで」

「てめぇだけは絶対ぇに勝たせねぇからな」


 怒気をはらんだ声をあげ、獄寺が激しく骸を睨みつける。


「おや、スモーキンボムは綱吉くんの一日が手に入るなら、どうするんですか?」

「え、俺――、俺は……。十代目と一緒にいられればいいです」

「どこの乙女ですか、あなた……」

「うるせえ!!」

 獄寺の怒声もかるく聞き流した骸が、雲雀を肩越しに振り返る。


「で、あなたはどうするんですか?」


 短く舌打ちをして、雲雀は壁から背中を外す。

「今までの得点は全部クリアして。――僕もいれてゲームスタートしなおして」

 山本が短く口笛を吹いた。

「で、雲雀の願いはなんなんだ?」

「――秘密」

 冷たく言い放ち、雲雀は空いていたリボーンの隣の席に座る。リボーンは隣に座った雲雀にちらりと視線を移したが、文句は言い出さなかった。

 テーブルの上に散乱していたカードを山本がかき集め、各々からもカードを回収して、カードをきり始める。

「こんだけ人数がいると回転率がいいから、回数よか時間制限にすっか? 一時間くらいとか、どうよ?」

「そうだな、それぐらいがいいだろ」

 リボーンが頷く。

「ねえ、いま、気がついたんだけど、さ」

 控えめな調子で右手を挙げて、綱吉が発言する。

「オレが勝ったら、どうなるわけ?」

「その場合は、沢田が一日、自由に過ごせばいいんじゃないのか?」

 了平の言葉に、綱吉は一縷の希望を見いだしたように表情を輝かせる。

「ですよね! よーし、勝つぞー!」

「十代目、俺は十代目を応援してますからね! で、とりあえず、骸だけは勝たせないように、お前ら頑張れよな!」

「おやおや。スモーキンボムはなんで僕のことをそんなに毛嫌いするんですか? 僕だけじゃなく彼も秘密だと言ったのに」

 骸が視線で雲雀を示すと、獄寺は鼻で息をついて獲物を見るように両目を細める。



「てめぇが変態で雲雀が変人だからだ。変人よか変態のが危険だろうが」



 一瞬の静寂のあと、室内は爆笑の渦と化す。

言った獄寺と言われた両名だけが爆笑から取り残される。骸は獄寺の発言に気を悪くした様子もなく微笑んでいる。おそらくは変態だということを自覚しているからだろう。

 雲雀は自分自身がどう周囲から呼ばれようとも気にすることはない。獄寺に対しても何の感情もわいてこなかった。機嫌が悪い時であったならば殴りかかっていたかもしれないと、頭の隅で思う程度だった。


「獄寺、おまえ、最高……!」


 山本が引きつったように笑いながら、カードを各々の前に配り始める。



 それぞれの思惑を抱えたカードゲームがスタートした。



×××××



「はぁあ、……楽しかったですね」


 ほろ酔いの赤い顔で綱吉が、執務室の椅子に座って無邪気に笑う。雲雀は彼の使用している机に腰を預け、ふわふわと笑っている綱吉を眺める。機嫌が良さそうに今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子だ。

 結局、ゲームは序盤は骸がトップを独走していたのだが、彼が地獄道を使っている事実を綱吉とリボーンに気がつかれ、まず骸が戦線から離脱した。そこからまた改めて仕切り直し、中盤まではリボーンがトップ、次いで山本と雲雀が得点を多くあげていた。このままではイタリア語の猛勉強となる綱吉がようやっと本気を出し、持ち前の超直感によって、素晴らしい逆転劇をみせた。最終的には、綱吉、リボーン、山本がトップスリーとなった。

 家庭教師は皮肉っぽく笑って「まぁ、機会はいくらでもあるしな」と言ったのを雲雀は聞き逃しはしなかったのだが、喜んでいる綱吉を絶望させるのは忍びないので沈黙することを選んだ。


「――雲雀さんの報告、聞かなきゃですね」

 舌っ足らずな調子で言って、綱吉は机に肩肘をつき、上向けた手のひらにあごをのせた。

「……報告を聞くような態度じゃないね」

「んー……、そうですね、ちょっと頭が回ってないかも。いや、頭んなか、ぐるぐるかも」

「――今の君に話しても意味ないだろうから、報告はあとにしておくよ」

「そうですか? じゃあ、そうしましょう」


 にへらと笑って、綱吉は椅子の背にもたれる。頭を反らしたせいで彼の喉元があらわになる。すべらかな肌、かすかに突起するのどぼとけ――。


 咬みつきたい。
 と、思っても行動を実行には移せない。


 十代のころよりも、自分自身がどれだけ弱くなったのか、雲雀は見て見ぬふりを続けている。あのころの傍若無人さが今の自分にも残っていればいいと思うことがある。気が弱く優しい彼ならば、雲雀の強引な行動に引きずり回されて、簡単に手に入れることができる。

 しかし、それはできない。
 従順な犬になったものだ。
 雲雀は、自嘲気味に微笑む。

 めざとく雲雀の変化を発見した綱吉は、てのひらにあごをのせたまま、にっこりと笑う。


「雲雀さんも機嫌がいいんですね」

「君といるからね」

「うふふ! 雲雀さんったら詩人ですね、甘い言葉にくらくらしますよ」

「……君さ」

「はい?」

「どっかの反吐が出る道化と同じ態度になってるから、よしてくれない?」

「え、あー……骸ですか? それはちょっといやです、やめます。反省します」

 顔をしかめて綱吉は机についていた肘をやめ、椅子から立ち上がった。ふらりと体勢がゆらぎ、雲雀は思わず彼の腕を掴んだ。


「ちょっと。急に立つと酔いが回るよ」

「えへへ。……すいません。……なんか、変なスイッチ入ってて、戻んないんですよね」

「そこまで飲んだの? 君、お酒よわいんだっけ?」

「つよくはないですよ。寝不足とアルコールのダブルパンチ、綱吉ダウンダウン!て感じですかね」

「……もう寝なよ、綱吉」

「んー、どうしましょうかねー」

 相変わらずふわふわと笑ったまま、綱吉の両腕が雲雀の首に回る。体重の半分を雲雀に預けるかのように抱きつき、子供がぬいぐるみを抱きしめた時の無邪気な態度のように、頬を何度もすり寄せてくる。頬やあごに触れる彼のやわらかい髪のくすぐったさに雲雀は顔をしかめる。

「今度はなんのつもり?」

「――雲雀さん、雲雀さん、雲雀さん、雲雀さん」

「酔っぱらいの相手はしたくないよ。離れて」

 腕をゆるめた綱吉が少し身体を離して、雲雀の眼前に顔を寄せる。学生時代とあまり変化のない顔立ちから笑みが消え、急に真摯な表情が浮かんでいた。雲雀は驚いたことを顔には出さず、内心で身構える。

「なんなの? いったい」

「雲雀さん、どうして守護者になったんですか?」

「急にどうしたの?」

「急に思い出したんです」

 雲雀は内心で舌打ちする。


 どうして守護者になったんですか。


 綱吉のその問いは、イタリアへ渡る前も、その後も、それこそ聞き飽きるほど繰り返された問いだった。雲雀はその問いに答えたことはない。はぐらかすことも言わなかったし、言葉通り、何も答えずにいた。


「雲雀さん。教えてくださいよ。もう時効じゃないですか、あれから何年経ったと思ってるんです?」

 あと数センチで唇が触れ合う距離で、綱吉は続ける。

「オレは嬉しかったですよ。雲雀さんが一緒に来てくれて幸せでした。こうして側にいてくれて。でも、雲雀さんって、どうだったんだろうって、今でもふと思い出すんです。あんなに並盛のことを愛してた雲雀さんが、イタリアに来てくれた理由ってなんだろうって」

 雲雀はわずかに顔をかたむけて、綱吉の唇に唇をあわせた。ほんのりとワインの味がする彼の口の中に舌をいれてからめあう。目を閉じた綱吉は雲雀の腕に引き寄せられるがままに抱かれて、鼻から甘い息をもらす。

 唇を離すと綱吉が瞼を持ち上げる。

「教えてくださいよ、意地悪しないで」

「そんなこと、僕が分かってればいいことでしょ」

「オレも分かりたいんです。雲雀さんのことなら、なんでも知りたい」

「君であろうと、僕のことをなんでも知りたいなんて許さないよ」

「雲雀さんらしい答えですね。ずるいなあ。オレ、雲雀さんにそんな風に言われたら、何にも言えないじゃあないですか」

 唐突に真剣な表情をやめ、くすくすと綱吉が笑い出す。酔いが回っているせいで思いついた事柄を口にしているだけにすぎないのだろう。雲雀はもたれかかってくる綱吉の身体を抱きとめながら、彼の紅潮している顔を眺める。


 六道骸との戦ったころは無意識だった。

 守護者の指輪に関する戦いのときは予感がしていた。

 その後、あらゆる困難に立ち向かううちに、雲雀は確信した。


 雲雀を雲雀として保っていた並盛というアイデンティティが変革していることを。


 沢田綱吉という未知なる可能性を秘めた人間の側に立ち、彼を愛する立場こそ、雲雀が並盛よりも欲したものとなっていた。


 雲雀の変化を誰しもが不可解そうにしていたが、雲雀自身が一番に不可解だった。


 自分よりも小柄で気が弱く、甘さばかりが目立つ男が、自分よりも強いことに苛立ちを感じたときがあった。弱さと強さがたった一人の身体のなかに混在し、行ったり来たりを繰り返している。不思議な男だと思った。初めて並盛以外へ興味が向いた。その時に気がつけば引き返すことも出来たかもしれない。彼への感情に気がついた時には、もうすでに遅かった。振り返ろうとも引き返す道はなく、前を向けば雲雀に向かって手をさしのべる彼が立っている。


 その手をとらない選択が出来れば、雲雀は今までどおりでいられたかもしれない。


 愛情に負けて信念を曲げてしまった。


 そんなオーソドックスな理由を死んでも誰にも話す訳にはいかない。



 ぼうっとしていた綱吉の視線が雲雀と交わる。

 彼は子供のように無邪気に笑って雲雀の顔に顔をすりよせる。綱吉の鼻先が雲雀の頬に触れる。


「雲雀さん」

「……なに?」

「雲雀さんがどんな思いでイタリアに来たかは分かりませんけど、オレは雲雀さんがいてくれて本当に幸せです」

「それ、さっきも言ったでしょ。頭できちんと思考してる? 酔ってるんだから、もう休みなよ。隣、仮眠室でしょう?」

 雲雀は執務室の奥の扉を視線で指し示す。仮眠室といっても、ホテルのスィートにも負けない作りの寝室になっている。

「雲雀さんも一緒に寝ませんか?」

 ふふふ、といやらしく笑いながら綱吉が言った。雲雀は呆れて鼻から息をつく。

「いい加減にしないと怒るよ」

「雲雀さんがホントに怒ってるなら、いますぐにオレのこと突き飛ばして部屋を出て行きますよ。今日は優しいですね、雲雀さん」

「――君がめったにないくらいに甘えてるからじゃないの」

「甘えられるの、嫌いじゃないんですか?」

「嫌いだよ」

「オレのことも嫌いですか?」

「教えない」

「雲雀さんは秘密が多いですね」

 綱吉は雲雀にもたれたままで笑う。

「でも、オレはそんな雲雀さんが大好きですよ」

「知ってるよ」

「あはは、……うん、それだけ知っていてもらえれば文句はありません」

 そっと祈りを捧げるように綱吉が言う。

「――あなたが側にいてくれるだけで、それだけ、……それだけがオレの奇跡です」

 腕のなかの綱吉を甘やかすように抱きしめながら、雲雀は唇に笑みを浮かべる。

「神様に感謝するくらいなら、僕に感謝して欲しいんだけど」

「ああ、それはもう。雲雀さんには感謝してます。大感謝、大感謝祭ですよ」

「……やっぱり、君、もう寝なよ」

「雲雀さんも一緒に寝ましょ?」

「嫌だよ」

「いいじゃないですかー」

「駄目」

 すねるように突き出された綱吉の唇に、ついばむようなキスをおとし、雲雀は首にからまっていた彼の腕をはずす。

「つれない、雲雀さんがつれない、……のはいつものことだけど、つまんないですよ、オレのこと好きじゃないんですかー? ねー? ほらほら、たーべーごーろーでーすよー?」

 言いながら、綱吉はおぼつかない両手でネクタイを外して、シャツのボタンを外し始める。かるい目眩を感じながら、雲雀は呆れて首を振る。


「……君、そうとう回ってきたね」
「ひーばーりーさん!」

 引き離したはずの綱吉に抱きつかれ、雲雀は首を左へもたげてため息をつく。

「たまにはいちゃいちゃしましょうよう」
「君、お酒飲むのよしなよ。こんなこと、僕以外にしたら咬み殺すからね?」
「んふふ……、雲雀さん以外にするわけないじゃないですかー?」
「言動が、虫酸のはしる奴に似てきてるよ、殴りたいな」
「え、え? 殴らないでくださいよ、オレですよ、綱吉ですよ? 骸じゃないんですよ? あなたの恋人ですよ? ほらほら、よぉっく顔みてくださいよ」

 花咲くように笑って、綱吉は雲雀の首筋に顔をうずめる。悪戯に雲雀の首筋に吸い付いてくる綱吉の後頭部の髪を掴んで無理矢理に引きはがす。

「痛ッ! もう、何するんですか?」

「それはこっちの台詞。首は目立つからよして」

「じゃー、違うとこにチューしてあげますから、ね? 隣、行きましょう?」

 にやにやといやらしく笑いながら、綱吉が首をかしげる。

 相手が酔っぱらっているとはいえ、完全に据え膳の状態である。普段の綱吉から考えれば滅多にない機会であったし、綱吉から煽ってくることなどなかった。今ならば雲雀が言うがままに痴態を披露しそうな勢いだ。


「明日、身体が辛くったって知らないからね?」

「キス、雲雀さん、キスしましょう?」

「……人の話きいて――?」

 雲雀がため息をついてこぼした言葉は、綱吉のキスによってふさがれる。角度を変えて何度もついばむキスを繰り返し、綱吉はほとんど唇を触れあわせたままで言う。

「――愛しています、あなただけを、この世界で、たった一人しかいないあなたを、愛しています」

 歌うように囁いて、彼は泣きだしそうな顔で笑った。雲雀のなかで綱吉の囁きが心地よく波紋のように広がっていく。

 微笑む彼の身体を片腕に抱いて、雲雀はその首筋に顔をうずめる。わずかに香る彼の香水の匂いを胸一杯に吸い込みながら、抱く腕に力を込める。


 こんなにも惜しみなく愛情を差し出して捧げてくる対象を、愛さないでいられるのだろうか。


 並盛だけを偏愛していた過去の自分なら愛さないでいられたかもしれない。

 が、今の雲雀は綱吉と共に時間を共有しすぎた。もう彼を知らないころには戻れない。手放すことが恐ろしい、失うことが恐ろしい。雲雀は一人で静かに失笑する。本当に弱くなってしまった。胸にある愛しさが、彼の声に共鳴するかのように溢れ出してくる。
「……雲雀さん?」
 おずおずと綱吉の手が雲雀の髪を撫でる。

 雲雀は顔をあげ、綱吉の鼻先を舌で嘗める。彼はあごを引いてくすぐったそうに肩をすくめる。


「――となり、行こうか」


 綱吉はにやっと笑って頷く。

 二人は身体を密着させたまま、もつれるように仮眠室に向かう。綱吉は雲雀のネクタイに手を伸ばし、雲雀は綱吉の髪や頬にキスを落としながら歩く。

 雲雀が手を伸ばして仮眠室のドアノブを握って、ドアを押し開く。寝室は暗いが、何度か入ったことのある雲雀は、薄暗いなかベッドを目指す。


 やがて仮眠室の扉は静かに閉まっていった。





『End』