01:憧憬に似た 純粋で穢れの無い想い 了平が任務を終えて部下が運転する車で帰宅すると、玄関で出迎えてくれたメイドの一人が少し前にボス――沢田綱吉も帰宅していることを教えてくれた。時刻は夜の八時すぎで、いつもパーティや晩餐会を渡り歩いている綱吉が私邸に戻っていることは珍しい。調べ上げた書類が入ったプラスティックケースを片手に、了平はとりあえず彼がいそうな談話室を目指して歩き出した。 今回の了平の任務は、違法すれすれで住民達を苦しめるような土地の買収をしている不動産業者と、取引をしているマフィアについての事情について調べることだった。綱吉が心配していたとおり、不動産会社とそのマフィアの間には金に絡んだ癒着があり、非道な行いは日に日に悪化している傾向がみられた。地元の警察もぎりぎりに法を犯していないためか、静観をしている様子である。 了平はかるく息をつく。 調べ上げた書類に目を通した彼は、多くの恨みや憎しみをかうことになろうとも、不動産業者とマフィアの企みをうち破ることになるだろう。了平もおおむねは綱吉の判断に頷くが、いかんせん、彼はすでに両手にあまるほどに問題を抱えていようとも、他に問題があれば、そちらも抱えてしまい、抱えている問題をどこにも置くことができず、息をつく暇がないように思えた。身体も心配だったが、精神的な疲労の方が深刻に考えた方がいいのかもしれない。 無意識に寄せていた眉間のしわを、意識してとりのぞく。嫌な話題を暗い顔で報告するのは了平の流儀ではない。 談話室の扉をノックすると、中から返事がした。しかし、綱吉の声ではないようだった。 「入るぞ」 扉を開けて室内に入る。コの字型に配置された談話室のソファにはランボが寝転がり、肘置きに足をのせてファッション雑誌――十代半ばの少年には似合いそうにない大人の男に関するファッション雑誌だ――を読んでいるところだった。その正面のソファには山本が座り、同じように本を持っていたが、こちらは日本の漫画雑誌だった。 ランボは腹筋をつかって勢いよく上半身を起こし、にっこりと笑う。 「おかえりなさい、お兄さん」 「おー、了平さん、おつかれさん」 山本は片手に漫画雑誌を持ったまま、口角をもちあげた。了平は広い談話室に視線をめぐらせたが、綱吉の姿はなかった。 「ああ、ただいま。――沢田はここじゃないのか?」 「あ、ツナか? ツナは私室の方じゃねぇ? こっちには来てねーな。ランボ、何か聞いてるか?」 「読みたい本があるから自分の部屋にいるって言ってた」 雑誌を膝の上にひらいてページが閉じないように片手をおいた状態で、ランボは了平を見ながら言った。了平は頷く。 「そうか」 「なに? ツナに用事なのか、お兄さん」 「しばらく顔を見てなかった気がしたからな、ちょうど渡したい資料もあるし――じゃあ、私室の方に行ってみるか」 了平の言葉に、山本は右手を持ち上げて左右に振る。 「おー、じゃーな」 「またな、お兄さん」 ランボが両手を持ち上げて左右に振るのに片手で答え、了平は談話室を後にした。 |
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談話室からさらに移動して数分後、了平は綱吉の私室の扉の前に立っていた。 ドアノブを回して、室内に入ってみると、ソファやテレビなどがおかれているリビングは真っ暗だった。部屋の隅のパソコンデスクの脇にある書棚もガラス戸がしめられ、本が取り出されているような形跡はない。不思議に思いながら、了平は寝室の扉のドアノブを握り、ドアを押し開こうと――。 刹那、扉が勢いよく開いた。 眼前に黒い銃口。 とっさに了平の中で戦闘態勢へとスイッチが切り替わろうとしたが。 「あ」 銃を握っている人物の顔を見て、スイッチが切り替わることはなかった。 「なんだ、了平さんでしたか……、ノックくらいしてくださいよ。無意識で、ちょっと防衛本能発揮しちゃったじゃないですか……」 両手で拳銃を構えていた沢田綱吉は、了平の顔を見て安堵したかのように息をついて、銃を下ろした。 「それは悪かった、な……。というか、お前、その格好はどうかしたのか、沢田」 言って、了平は綱吉の服装を下から上まで眺め直した。彼はパジャマ姿だった。今までベッドに横になっていたのか、髪の毛も寝癖がついている。右手に銃を持ったまま、綱吉は左手で寝癖のついた髪をかきあげる。 「あー、ばれちゃいましたね。――実は最近、ちょっと体調があんまりよくなくて、今日、パーティに行く前に貧血をおこしちゃいまして……。たっぷりリボーンに叱られて叩き返されて、薬飲んで寝てたんですよ」 「そうだったのか。ランボは、沢田は本が読みたいから私室にと――」 「情けないから、みんなには内緒にしてたんです。了平さんも内緒にしててください」 「ああ、分かった。立ち話はいいから、早くベッドに戻れ」 「はい。いまはお言葉に甘えます」 ベッドに戻る綱吉の後をついて、了平はベッドサイドに立った。彼離れた様子で銃の安全装置をかけて、ベッドサイドボードの上に置いた。綱吉が布団に入り込み、上半身を起こした状態になってから、了平は発言した。 「食事はしているのか?」 「ええ、食事も睡眠もとってるんですけど、ちょっと、やっぱり……」 綱吉は今し方気がついたかのように、了平の手元のプラスティックケースに視線を向ける。 「あ。それ、例の件の報告書ですよね。見せてください」 「駄目だ」 「え」 「具合が悪い奴に見させられん」 「大丈夫ですって。シャマルが出してくれた薬も飲みましたし、さっきまで二時間くらいは寝てましたし。いまは気分がいいんです」 「駄目だ」 きっぱりと言う了平の態度に、綱吉は不服そうに唇を引き結ぶ。 「沢田。お前の身体はひとつしかない。お前が抱えられる問題にも限りがある。すべてを救おうとする意志には賛同するが、お前が倒れてしまっては元も子もないだろう」 綱吉は少し黙ったあと、つよい意志をこめた目で了平を見つめた。 「でも、了平さん、オレは出来る限りのことはしたいんです。なにかできるだけの能力と権力があるのならば、それらを駆使してよりよい方向へ導いていきたいんです」 「お前の考えはよく分かってるつもりだが、沢田、一人で頑張るんじゃない。お前には俺がいるし、他の守護者たちもいるんだ。もっと頼ることを覚えろ。俺たちはお前の声に応えられるように日々、精進しているのだから」 綱吉は微苦笑を浮かべて、頭を下げる。 「了平さんって、いつも正直に言葉を言ってくれるから、鈍いオレはすごく助かります。――心配してくださってありがとうございます」 「感謝して欲しい訳じゃないぞ」 「オレは了平さんの言葉が嬉しいんです。――それ、そこに置いといてください。明日の朝にでも、目を通します」 綱吉は手が届くベッドサイドを指さしたが、了平は退室後に彼がすぐに開封すると思い、ベッドから遠い場所にある、装飾品が並べられているサイドボードの上においた。その様子を見ていた綱吉は苦笑いで肩をすくめた。 「側に座ってもいいか?」 「ええ。どうぞ」 ベッドの端に腰をかけ、了平は綱吉の顔を見た。顔色は悪いほうではなかったが、疲労がたまっているように見える。もともと骨格が華奢なせいなのか、年齢を重ねても彼の身体は飛び抜けて成長することがなかった。肉弾戦を繰り広げるとは思えぬ細い体型は、一見して頼りなさが先行してしまいがちになる。しかし、彼が誰よりも強いことを、了平は今まで目にしてきたのでよく知っている。 「ドクターの薬でどうにかなるくらいの症状なのか?」 「はい。薬の投与で落ち着くだろうって言ってました」 「……お前の変化を見過ごしてしまうとは不覚だ……」 「いやだな。了平さんのせいじゃありませんよ。オレの自己管理のなさが原因です」 「沢田」 「はい?」 綱吉は了平を見て首を傾げる。 了平は綱吉を見つめる。 彼は戸惑ったように照れ笑いをうかべ、片手で髪をかきあげた。 「えっと、なんですか?」 「沢田は、もっと俺を頼っていいんだぞ。俺はお前の守護者なんだからな」 「あはは、今でも充分に頼りにしてますよ。さっきも言ってましたけど、オレ、そんなに一人であがいてますか?」 「ああ、なんでもかんでも一人で背負い込もうとしてるように見えるときがある。オレはそんなに頼りないんだろうか? まあ、お前がそんな風になるまで気がつけないなどと、俺の注意力が足らん証拠だ。頼りにされんでも、仕方ないのかもしれん」 「え。謝らないでくださいよ。困りますって」 綱吉は両手を胸の前に出して左右に振った。 「最近のお前は一人で頑張りすぎで、見ていて不安になることが多いぞ」 「――そう、なんですか? オレ、なんだか了平さんには心配ばかりかけてるみたいですね」 「周囲が激変してるというのに、お前が昔とちっとも変わらないからかもしれんな」 「変わってない、ですかね?」 「ああ。変わらないな。俺はそういうお前がマフィアになると聞いて、ついて行くしかないと思った。心優しく勇猛なお前がマフィアのボスになるのならば、俺はお前の志のために拳を振るいたいと、そう思ったんだ」 握った拳を胸に添え、了平は誇らしく胸を張る。 了平がボンゴレというマフィアの組織と関わるようになった発端は、ボンゴレリングの争奪戦だった。その後、綱吉を中心としたあらゆる抗争に了平は巻き込まれていった。初めは訳も分からずに、強さだけを追い求めてがむしゃらに戦っていただけだった了平が、綱吉の意志を組んで戦うようになったのはいつのころか、了平自身の記憶も曖昧だった。 綱吉はうつむいて、残念そうに息をつく。 「……了平さんがボクサーの道に進めなくなったのは、本当にオレのせいですよね……」 「いいんだ。強くなりたいと望んだのは俺自身だ。この拳で守れるものがあるのなら、俺はそれで充分だ」 「――了平さん……」 「オレはな、沢田。お前の強さに憧れていたときもあったんだぞ」 「え、オレにですか?」 「出会った頃は、お前という奴は強いのか弱いのかよくわからん奴だと思っていたが、ずっと見守っているうちに分かるようになってきた。獄寺や山本が言っていたおまえの特別なところがな」 「特別、ですか?」 「お前自身は分からないままでいいんだ。俺達が知っていればいいことだからな」 不可思議そうに目を瞬かせて、綱吉は短く唸った。 「オレよりも、みんなの方が特別だって思うんですけど」 「俺たちが、か?」 「だって……、こんな駄目なオレを信じて、みんなついてきてくれるんですから。それだけでオレにとっては特別なんです」 綱吉は照れたようにはにかんで肩をすくめる。了平は綱吉のやわらかい髪を幼い子供を褒めるかのように少々、乱雑に撫でくり回した。 「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」 「オレはみんながいてくれるだけで、本当に嬉しいですよ。――了平さんにもこうしてイタリアに来てもらって、本当に、本当に、感謝してます。」 ぼさぼさになった髪を片手で直しながら、綱吉はすまなそうに言った。 「本当なら、みんなも、別の道があったのかもしれないのに……。オレのせいで巻き込まれて、選択の余地なんてないまま、こうしてイタリアにまで来ることになっちゃったし……、オレ、本当はすごく――」 「沢田」 綱吉の言葉を遮るように了平は彼の名を呼んだ。 彼は黙ってうつむく。引き結ばれた唇から言葉の続きは紡がれなかった。 了平は頭の中で精いっぱいの語彙を使って、言葉を選びながら口にした。 「オレがここまで強くなれたのは、おまえと出会うことが出来たからだ。オレの方こそ感謝するべきかもしれん」 「え、そんな」 「ありがとう。沢田」 「いや、あ、了平さん、……なんか、照れるんで勘弁してくださいよ」 片手で顔を覆って、綱吉はうつむいてしまった。色素のうすい彼の髪に触れ、頭を撫でながら了平は言葉を続ける。 「――俺は今の自分を後悔しとらんから、おまえが負い目を負うことはないのだからな。それだけは分かっていて欲しい。俺は俺の意志でボクサーにならずに、こうしてお前の手足となったんだと、分かっていて欲しい」 綱吉は顔から手をはずして了平を見た。 了平は手を引いて、口角を笑みの形に持ち上げて片目を細める。 「お前は強くあればいい。誰よりも気高く、誰よりも優しく。――マフィアには不似合いな信頼や優しさなんて、それこそただの美麗字句にすぎないかもしれないが、俺は美麗字句にしようなんて思ってないぞ。本物にしてやるさ。この拳でな!」 「……了平さん」 了平は握った右の拳を綱吉の胸元に突きつける。 「だからお前はどんと構えていろ。――なあ、ボス」 顔の片側だけで了平が笑むのを見て、綱吉は困ったように眉を寄せて苦笑する。 「ほんとうに、了平さんって――」 綱吉が半端なところで言葉を切るので、了平は思わず彼の顔に顔を近づける。 「俺がどうかしたか?」 「了平さんは魅力的な人だと思って」 茶化すように綱吉は片目をつむって言ったあと、くすくすと笑い出す。意味がよくくみ取れなかった了平だったが、綱吉があまりに楽しげに笑うので、深く考えないようにした。 「ちょっといろいろ悩んでたことがあったんですけそ、なんか、すごく落ち着いてきた気がします。……了平さんのおかげかもしれません」 了平は微笑んだまま首を振った。 「礼などいいから……、少し喋りすぎた。もうお前は寝た方がいい。心細いならついていてやるぞ?」 「あはは、オレ、子供じゃありませんって。――了平さんこそ、仕事あがりなんでしょ? 私室に戻って休んでください」 「ああ! そういえば、資料の手直しを思い出した! 沢田、おまえの机の筆記用具を借りてもいいか? すぐに直さねばならん箇所なんだ!」 「――わざとらしいですよ、了平さん」 綱吉は肩を震わせるようにして笑う。了平が引かないことを察した彼は、観念したように布団のなかに潜り込んだ。 「ペンなら隣の部屋のパソコンデスクんところにありますから、勝手に使ってもいいんですけど、疲れたらいつでも休んでいいんですからね? オレ、もう寝ちゃいますからね?」 「ああ。分かった」 返事をしながら、了平は寝室の隣のリビングに向かう。部屋の隅に置かれているパソコンデスクから、ボールペンを手に取って寝室に戻る。サイドボードの上においた書類入りのプラスティックケースを持ち、ベッド脇に置かれたキュービック型のスツール――綱吉が怪我をして寝込んだ際に、見舞いと称して寝室に入り浸っていたランボが持ち込んでそのままになっているもの――に座る。ベッドサイドテーブルにのっている照明の明かりのヘッドを出来る限り、綱吉の視界にかからないように調節をする。 「眩しくないか?」 「明かりがあっても、オレ、眠れるんで平気です……」 少しぼんやりした調子で綱吉が答える。枕に頭を預け、彼はゆっくりと瞬きを繰り返している。 「俺はここで仕事をしてるが、沢田は気にせずに寝るんだぞ」 「……いや、気にするなって言われても、こんだけ近いと、ものすっごく気になりますけど、……まあ、あえて気にしない方向で眠りますよ」 呟いた綱吉は完全に目を閉じた。 了平はペンを片手に、ケースから出した資料に目を通しながら言う。 「おやすみ。沢田」 目を閉じたまま、口元に微笑みを浮かべて綱吉は言う。 「おやすみなさい。了平さん」 |
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『End』 |