暖かい午後の日差しが窓から差し込んでいる執務室に、大きめなノックが三回続く。室内にいた綱吉と了平は同時に書類から顔をあげてドアを見た。

「はあい」

 綱吉の答えを待ったようにドアが開かれる。姿を現したのはブラックスーツを着た長身のスクアーロと、ブラックスーツの上に、裾にアンバランスなカッティングが施された外套をはおったザンザスだった。

綱吉は思わず椅子から立ち上がって、机の横を通り過ぎて、室の中央まで進んできた二人の前へと近づいていった。

「あ、れ? スクアーロと、ザンザス? わっ、どうしたの? おまえがこっちに来るなんて珍しい! 元気だった? あんまり顔を見せてくれないから、どうしてるのかと思ってたんだけど、報告書とか見てると、忙しいのかなあって思ってたんだ……、て、どうかしたの?」

 スクアーロの顔が複雑そうにゆがむ。ザンザスは綱吉の問いかけの半ばあたりで、小さくあくびをかみころし、ソファに座ってしまい、懐から出した細い葉巻に火をつけていた。

「沢田」

「あ、はい」

 机の脇に立っていた了平は、笑いながら手に持っていたクリアファイルを顔の横に持ち上げる。

「とりあえず、この案件は俺が預かっておく。急ぎのことではないし、また時間をみて、打ち合わせをしよう」

「わっ。すみません! よろしくお願いします」

「――すこし、休憩したらいい」

 綱吉の横を通り過ぎる際、了平は何気ない仕草で綱吉の頭を撫でていった。照れくささにはにかみながら綱吉は退室していく了平の背中を見送る。ドアを出ていく際に振り返った了平に手を振って――了平は満面の笑みで綱吉の仕草に答えた――、綱吉は彼を見送った。

 持ち上げていた手を下ろし、綱吉は再びスクアーロへ視線を戻す。彼は胸の前で腕組みをし、綱吉を見下ろしている。何故だか、怒られているような、責められているような雰囲気をスクアーロから感じて、綱吉は背筋を伸ばして彼と対峙しなおした。


「あ、のう……。スクアーロ。なんか、怒ってんの?」

「写真」

 スクアーロではなく、ソファにふんぞり返るように座って葉巻を唇にひっかけたままのザンザスがそっけなく言う。

「え」

「写真、見たんだよ」

「あーぁ、あれか! はは、マーモンてば、本当にザンザスに売ったんだねえ。っていうか、ザンザス、買ったの? もしかしてスクアーロも?」

 ザンザスは悪びれもせず、かといって照れた様子もなく、こくりと頷いた。綱吉に見つめられたスクアーロは、一瞬だけ動揺するように目を泳がせたが、すぐに綱吉を睨み付けてきた。

「う゛ぉおおい! てめえは、ボンゴレのボスとして、いったい、何をやらかしてやがるんだ、ああん?」

「うっわ、すいません! でも、キルベティにはドンだってばれてないからいいじゃない?」

「――マーモンの奴、ボンゴレでもおおいに写真売りまくってるぞ。おまえの許可もらったっつってな。……許可、したのか?」

「うん」

 間髪いれずに頷いた綱吉の様子に、スクアーロは片手で頭をおさえて「ああぁああぁ」と言葉にならないような声をあげて落胆と苛立ちを込めた嘆息をついて肩を落とす。

「阿呆か!!」

「え。ただの写真でしょ? 別になんの害もないじゃない。それにさ、あんなの、別になんでもないよ? スカートはいて、お化粧して、にこにこ笑ってただけだし。痛い思いもしないし。――それに違う人間になるのって、けっこう楽しいよ? 生で見たいってんなら、あれぐらいの変装ならしてもいいけど?」

「――ばっ」

 スクアーロが赤い顔で言葉を詰まらせた瞬間、ザンザスが「本当か?」と至極まじめな声音で問いかけてきた。綱吉はたてに頷いて、片目を細める。

「そのかわり、あとでボンゴレからの仕事、優先的に取り扱ってくれたりするんなら、いいよ」

「そうか。面白い。――綱吉、今度の週末の夜あけておけ」

「うん?」

「この格好で、俺の仕事を手伝え」

 ザンザスがおもむろにスーツの胸ポケットから写真をとりだしてローテーブルのうえに置いた。それは紛れもなく、あの日、マーモンが撮った「アリス」の写真だった。ザンザスが「アリス」の写真をスーツのポケットに仕舞っていた事実に、綱吉は思わず吹き出してしまった。

「う゛ぉおおい! ボス、なに言いやがる!」

「え、なに? ザンザスの仕事って、あれ、暗殺とか? えー……、オレ、暗殺はちょっと」

 テーブルにおいた写真を再びスーツのポケットに仕舞いながらザンザスが言う。

「暗殺じゃねえ。とあるパーティにもぐりこんで、新たな人脈を作りてえんだ。女同伴だって招待状にあってな、辟易してたとこなんだ。ヴァリアーの女は物騒だからな。華やかな場所にはそぐわねえ」

「オーケィ。今週末ね? 仕事のタイムスケジュール調整するから、あとで正確な日程をよこして――」

 綱吉の言葉の途中で、執務室のドアが急に開いた。室内の三人の視線が一瞬でドアへと向けられる。

 開かれたドアの先に立っていたのはリボーンだった。まだ幼い体躯のサイズで仕立てられた黒いトレンチコートにボルサリーノ、片手には革張りのトランクを提げている。

「――ツナ」

 美しいと評されることこそ相応しい顔立ちの少年は、綱吉と視線をからめてシニカルに笑った。

「誰の許可を得て、またあんな格好しようとしてんだ、ええ?」

「えー、いいじゃない。お仕事、お仕事」

「楽しんでるだろ?」

 綱吉が微笑で答えると、リボーンは鼻から息をつくようにして顔の片側だけで笑う。室内に踏み入ってきた彼は、ザンザスが座っていたソファの向かい側のソファへトランクを置き、脱いだトレンチコートをソファの背もたれにかけながら口を開く。

「よお、ザンザス、スクアーロ。元気そうじゃねーか」

 ザンザスは唇をゆがめてリボーンの声に答え、スクアーロは肩をすくめるようにした。

 リボーンの漆黒の瞳が綱吉を見つめる。
 暗殺の依頼でボンゴレを離れていた彼を目の前にするのは三日ぶりだ。
 だらしなく笑っていることを自覚しつつも、おさえきれない。綱吉のことなどお見通しなのか、リボーンは「ふん」と鼻で息をつくように笑い、両腕を広げる。綱吉は小さく笑いながら歩を進め、誘われるようにリボーンの腕のなかへ身を寄せる。

「おかえり!」

「ただいま。ダーリン。良い子にして待ってたか?」

 ぽんぽん、と。リボーンの手があやすように綱吉の背中を叩く。彼の体温の温かさに安堵しつつ、綱吉はリボーンの頭にあごを寄せる。

「ちゃんと言われたとこまで仕事は終わらせておいたよ。一緒に昼ご飯食べようと思って待ってたんだ。――あ、そうだ、スクアーロとザンザスもどう? 一緒に」

 リボーンとの抱擁を解いて、綱吉は笑顔のままで二人を振り返った。

 ザンザスはいつもの通りの仏頂面でソファに座っていたのだが、スクアーロは何か言いたげに眉を寄せて顔をしかめている。

 綱吉との抱擁を終えたリボーンは満足したのか、スクアーロのことなどお構いなしに、ソファに座ってトランクを膝のうえにのせ開き、中から無造作にクリップでまとめられた書類をローテーブルのうえにおいて、書類の仕分けを始めだしてしまう。食事の前に簡単な書類の整理をすましてしまおうとしているようだった。


「すく、あーろ?」

「……俺は帰る」

「え、なに、スクアーロ、どうしたの?」

「いろいろ、つきあってられん」

 そう言うと、スクアーロは別れの言葉もなく、ドアから廊下へ出ていってしまった。

「ばいばーい……」

 あっという間にいなくなってしまったスクアーロの背中に手を振っていた綱吉は、ふと、ソファに座ったままのザンザスに気がついた。彼はひどく興味なさげな顔でスクアーロが出ていったドアを眺めていたが、視線をそらして壁際に並べられたサイドボードのなかの膨大な資料ファイルの背表紙などを眺め始める。

「えっと――。いいの? ザンザス。スクアーロ、帰っちゃったけど」

 ザンザスは「放っておけ」と冷たく言い放ちながらソファを立った。
 
「お昼は?」

「昼飯はいらねえ。これからちょっと人と会う約束してるしな」

「そう……。あ、でも、スクアーロ」

「あいつは俺がてめぇのとこに行くって情報を聞きつけて勝手についてきやがっただけだ。もともと俺は一人で行動するんでな。――てめぇのように守護者を連れて歩くのは性に合わん」

「あ、そう」

 ザンザスは綱吉の目の前に立った。背が高く、体格もいいザンザスに目の前に立たれると、綱吉は嫌でも「あー、オレもこんなふうに頑丈な感じに育ちたかったなあ」と考えてしまう。もとが貧相すぎる綱吉はいくら鍛えても筋肉がつかないので体格が良くなることは決してない。ザンザスはいいなあ。などと口にすれば、彼は「フン」と鼻で笑うだけだろう。

 綱吉に兄弟はいない。とはいえ、兄弟みたいなものといえば、ランボやイーピンやフゥ太の名前をあげることができる。でも彼等は弟や妹のようなものだ。一人っ子の綱吉は昔から「兄」や「姉」などという年上の兄弟に憧れたものだった。成長した現在から過去を振り返ってみると、自分を無条件で守ってくれる存在、味方になってくれる存在をほしがっていたのかもしれないと思えた。

 ザンザスにも兄弟はいない。

 彼が綱吉の「兄」になってくれたらいいのに。

 と、思っていても、一度だって口にしたことはない。


 それがとても残酷な一言だということを自覚しているから口にはしない。


 誰よりも血を、絆を、ファミリィを――。
 憎みながらも愛しているザンザスのことを思うと、ふざけてでも「兄」などと呼べるはずもなかった。


 綱吉が黙って見上げている視線を、ザンザスは静かに受け止めている。何を考えているのか綱吉にはさっぱり分からなかったが、それでも昔のように怒鳴られたり、すぐに殴られたりしないだけ、彼も成長したんだなあと不躾なことを考えてしまった。

 ふいにザンザスが綱吉から視線を外し、リボーンを見た。敏感にザンザスの視線を感じ取ったリボーンが、ローテブルの上に置かれた書類から視線を持ち上げてザンザスを見る。

「なにか用か?」

 リボーンの問いかけに何も答えず、ザンザスは綱吉の方へ顔を向ける。

「綱吉」

「うん?」

「週末、楽しみにしてるぜ。――マイ・フェア・レディ」

 綱吉が顔を上向けるのと、ザンザスが綱吉の顔に顔を寄せたのはほとんど同時だった。ザンザスが使っている香水の匂いがふわっと香り、次に唇にやわらかいものが触れる。あ。キス。と思ったのも束の間、腕を掴まれ、振り回されるように強く引かれるままに綱吉はよろけるように歩く。

「え、ちょ――」
「死、ね!」

 異なった銃声音が数発重なるように響き、乱暴なドアの開閉音――というかドアが蹴り開けられ破壊される音――がした瞬間、ぱ、と掴まれていた腕を解かれ、綱吉はとっさに目をつむって手を伸ばし、指先に触れた壁にべたりと身体を寄せる。目を開いて見れば、黒い外套の裾を翻しながら走っていくザンザスの姿が廊下の角に消えていくところだった。

 綱吉は嘆息をつきながら廊下の壁に背中を預け、蝶番が破壊されてななめになって壁にぶらさがっているドアと、右手に拳銃を構えて舌打ちしているリボーンを眺めた。

「あはは、……愛されてんなー、オレ」

 ぴくりと眉をひくつかせ、銃口よりも恐ろしいリボーンの鋭い視線が綱吉を射抜いた。

「――うっ、すいません、ごめんなさい、すいません」

 部屋の扉の近くで拳銃を仕舞うリボーンに綱吉は近づく。彼は不機嫌さを隠そうともせず、苛立ったようにザンザスが姿を消した廊下の角を睨み付けている。

「浮気なんてしないよ」

「するわきゃねーだろ。おまえはオレにベタ惚れだもんなあ」

「それはこっちの台詞ですぅ」

 綱吉が唇をつきだして片目を細めると、リボーンが大股で近づいてくる。綱吉が身構える前にリボーンは背伸びをして綱吉の口元をスーツの袖口で乱暴に拭い始める。口と言わず鼻先までこすられ、思わず綱吉は顔をしかめて首を振る。

「ちょ、痛い、痛い、いたいっ」

「てめえ、あんな奴に唇ゆるすんじゃねーよ。阿呆が」

 憮然としているリボーンの様子に愛らしさを感じた綱吉は、じんじんと痛む口元を手で押さえていたまま、にやにやと笑う。

「あ、消毒したい?」

「あいつがキスしたあとにすぐキスなんてできっか」

「なんだよ。愛が足りないなぁ」

「口ゆすいで、顔あらってこい。そうしたらたっぷりキスしてやる」

「え、本気で言ってんの? ひどくない? ここは、ふつーさ、「オレが、消毒してやるよ」くらい言うもんじゃないの?」

「少女漫画の読みすぎだぞ、ボス」

 馬鹿にするように笑ったリボーンの態度に綱吉は不満を感じて、鼻から息をつく。

「別に、キスくらいさあ」

 一瞬の苛立ちを消すように呆れるような眼差しを浮かべたリボーンは、右手の人差し指を己の唇に添えて皮肉っぽく唇を歪める。

「おまえ、オレが他の奴とキスしてもなんとも思わないのか?」

「え」

「それでもいいなら、オレはおまえのことを咎めはしねーけどな」

「――う。……それは嫌だ」


 だろう?
 と、でも言いたげに、リボーンは片方の眉を持ち上げる。綱吉はかるく笑って、口元を覆っていた手をとりはらい、頷く。


「わかりました。気をつけます。先生」

「それでいい」

 唇から手を下ろしたリボーンは歪んだ扉がぶらさがった壁に背でもたれ、目線とあご先で廊下の奥を示した。廊下を曲がって少し先の場所には洗面所とトイレがある。

「はいはい。分かりました。今すぐ、洗面所行って来ます」

 苦笑したまま、綱吉は壁から背中を離して歩き出す。

「早く帰ってこい。ばかつな」

 歩きながら身体を反回転させ、後ろ向きに進みながら綱吉はリボーンを振り返った。
 リボーンは右手で口元を覆ったあと、その手を綱吉のほうへ差し伸べる。

「帰ってきたら、たくさんちゅーしてやるぞ」

 クスッと悪戯ぽく笑ってリボーンが片目を閉じる。

 綱吉は笑いながら再び回れ右をして、軽い足取りで洗面所へ向かう。顔に張りついたにやにや笑いを引っ込めることなど出来そうにない。部下達や執事達にも見られないように祈りながら、綱吉はリズムよく歩を進める。


「ばっかだなー……。でも、それは、お互い様、かな?」


 綱吉は良い気分に酔うように笑い声を立てて、洗面所の扉の取っ手を握った。









【END】