通い慣れてしまった病室のまえで、リボーンは重たく溜息をついた。病院のロビーで見た時計は午前五時五分をしめしており、まだ面会時間には到底なっていなかったが、看護士たちに咎められることなくリボーンは病室までくることができた。おそらくは存在自体が目立つリボーンのことがナースステーションでは知れ渡っているのだろう。 何度目かの溜息をついて、リボーンは病室のスライドドアの取っ手を握って引いた。病室のドアというものは開け閉めの際にほんのわずかな音しか立てない。というのに、ほぼ同時に眠っていただろう六道骸が目を開き、ベッドに突っ伏していた沢田綱吉が身を起こした。 骸の視線をたどるように背後を振り返った綱吉は、見る間に顔を青くした。 「時間厳守ができねえんなら、また当分、外出できねえと思えよ」 綱吉はパイプ椅子から飛び降りるような勢いで床に正座すると、両手をついて土下座の体勢になった 「す、すいませんでしたああああ! 今すぐ戻ります、戻ってお仕事させていただきます!! だから、もう軟禁すんのは勘弁して!」 額を床につけている綱吉の頭を一度だけ強く踏みつけて――「ぐえ」といううめき声でリボーンの怒りは多少おさまった――、リボーンはベッドでニヤニヤしている骸と目を合わせる。 「おい、骸。ここ引き払って屋敷に戻ってもらうぞ」 「はい?」 「え? だって骸、まだ入院してなきゃ駄目だろ?」 床に座り込んだままで綱吉がリボーンを見上げる。額が床とぶつかったせいか、赤くなっている。綱吉の目を見て、骸の目を見て――、リボーンは予感が確信に変わるのを感じて、かるい目眩のようなものを感じた。 黙っているリボーンを不思議そうに見ている綱吉の目を真っ直ぐに見つめながら、リボーンは確信を現実に変えるために言葉の引き金を引いた。 「――おまえら、デキちまったんだろ?」 「え、え!?」 「オレをなめるんじゃねーぞ」 「いっ、やー……、はは、は!」 真っ赤な顔で引きつった笑いをしながら、綱吉はよろよろと立ち上がった。そして何故か、リボーンと距離をとるように、骸のベッドに寄り添うように立った。おそらくはリボーンに責められる、もしくは怒られると思っての行動だったのだろう。とはいえ、リボーンは、骸と綱吉の関係は破綻するか成功するかのどちらかしかないと思っていたので、予測の範疇内のことでしかない。責めるつもりも怒るつもりもない。ただ、この先、二人のどちらかが出来上がった関係を崩された場合――という最悪の事柄が起きないことを祈ることしかリボーンには出来ない。 「ツナは単純馬鹿だからな。今後、おまえに会いたくなったら絶対に抜け出すに決まってる、無駄な手間をはぶいてやるって言ってんだ」 「ほんと? リボーン! ありがと、大好き!」 満面の笑みを浮かべた綱吉は、両腕を広げたかと思うと、身体をぶつけるような勢いでリボーンに抱きついてきた。彼の方がまだ大きいのでリボーンは危うく倒れかけたが、踏ん張ってこらえる。嬉しそうにほおずりをしてくる綱吉を放っておいて、リボーンは抱きしめられたままでベッドのうえの骸を見た。不機嫌そうな顔をしていた骸は、リボーンと目が合うと、皮肉ぽく顔の片側だけで笑んで肩をすくめる。 「……おまえ、大変だな」 「大変ですよ、まったく……」 「え、なにが?」 綱吉はリボーンを抱きしめたまま、大袈裟に溜息をついた骸を振り返る。リボーンは右手を握り込んで、きょとんとしている綱吉の腹部にパンチを繰り出した。ぐへ、といううめき声と共に、綱吉は腹部を片手で押さえて数歩後退した。 握っていた右手の人差し指を綱吉の鼻先へ向け、リボーンは言い放つ。 「おまえはオレと一緒にさっさと屋敷に戻るんだ」 「分かったよ、もう。すぐに殴るなって!」 「骸、今日の午後にでも退院の手続きして、クロームとランチアを迎えによこすからな」 「はい。お手数おかけして申し訳在りません」 「まあ、いいぜ。おまえのおかげでツナがいい働きしてくれてっからな。時々、死ぬような目にあってくれねーか?」 「リボーン!」 意地悪く笑うリボーンを咎めるように綱吉が甲高い声を上げる。そんな綱吉の後ろ姿を嬉しそうに眺めてから、骸は幸福そうに微笑む。 「すいません。綱吉くんが泣くのでそれはできませんね」 「こいつが泣くのはいつものことだろ」 「それはそうなんですが」 「二人とも、ひどい!」 むくれた綱吉の頭を撫でて、骸はその腕をとって強く引いた。短く悲鳴をあげた綱吉はベッドにぼすんと尻餅をついてしまう。驚いている綱吉のあごを掴んで引き寄せた骸は、素早い動作で綱吉の額にキスを落とし、にっこりと善意に満ちた――表向きはだろうが――笑顔を浮かべる。 「怒らないでください。もう綱吉くんが泣かないですむように、僕が力をつくしますから」 あまりにもきれいに骸が微笑するので、綱吉は見とれてしまって口がきけないようだった。リボーンはかるい苛立ちのようなものを感じながら、こみ上げてきたものを吐き出すために大きく嘆息した。六道骸は容姿だけは美しい。それは食虫花と同じだということを、おそらくは綱吉は理解していないのだろう。いまさらリボーンがそのことを話したところでもう遅い。 綱吉が骸の手をとった――十年以上前にもう運命は決まっていたといっても過言ではないのだから。 「……恥ずかしい奴らだな……」 リボーンの呟きで意識を覚醒させた綱吉は、ベッドから立ち上がると頬を真っ赤に染めたままで叫ぶ。 「違う! オレは恥ずかしくない! 恥ずかしい人なのは骸だ!」 「おい、あんなこと言ってっぞ」 「いいんです。僕が恥ずかしい人間でも、綱吉くんはきっと好きでしょうし」 ごく普通のことのように言って骸は笑む。ちらりと綱吉の様子をうかがってみれば、彼は「うぅ」と赤い顔で呻くばかりで否定はしなかった。 「……もう、勝手にしてろ、オレは帰る」 「え? ぅえ? オレも一緒に帰るんだろ?」 無自覚の塊のような綱吉をうろんそうに見上げ、リボーンは骸へ視線を移す。 「……壊したら、許さねーからな」 リボーンの言葉を聞いた骸は、吐息で笑って、右手を胸に添えた。 「重々承知していますよ。家庭教師殿」 「リボーン? 骸? なに言ってんの?」 「行くぞ」 怪訝そうな綱吉の右腕を掴んで、リボーンは歩き出す。 「綱吉くん」 スライドドアを開けたリボーンは、室内を振り返る。同じように綱吉も振り返った。 白いベッドで上半身を起こしている六道骸は、両手を掛け布団のうえに置き、姿勢よく座って綱吉を見ていた。 「――またすぐにお会いしましょうね。僕の、可愛い人」 微笑む骸に対して、綱吉は照れくさそうに笑って頷く。 「うん。またね。骸」 綱吉の腕を掴んだまま、リボーンはひっそりとした予感が脳裏を過ぎていくのを感じた。 綱吉はまだ骸の『現実』を知らないだろう。 いつか綱吉が、骸の『現実』を知ったとき、彼はどうするのだろう。 リボーンは綱吉の腕から手を放す。廊下に出て、彼が廊下に出るのを待った。綱吉は骸に右手を振ってから廊下へ出た。リボーンは押さえていたスライドドアから手を放す。かすかな音を立ててスライドドアが閉まっていく。 微笑んで見送っていた骸がドアによってさえぎられると綱吉は「じゃあ、行こうっか」と明るく言って廊下を歩きだした。 馬鹿なやつだ。 ほんとうに、馬鹿なやつだ。 厄介なやつを好きになって、これから先、どれだけ苦しむかも分かっていないで。 呆れをこめてリボーンは息をつく。 どんなに綱吉が騙されやすく愚かな人間だろうと、リボーンは綱吉の側から離れるつもりはなかった。恋人や愛人のように、途中で途切れる可能性のある絆などリボーンは欲しくない。 彼の隣で不変の絆を感じながら生き続けることこそ、リボーンの望みそのものだ。 「リボーン、おいてくよー」 数メートル先で、綱吉が呑気な声を出している。 リボーンは病室を横目に睨んで、 「……あいつを裏切りやがったら、殺してやる……」 音のない声で低く囁く。ドアの向こう側からは何の気配もしなかった。 リボーンが視線を前へ向けると、綱吉が廊下の真ん中に立って、こちらを見ていた。 「いま、行く――」 リボーンは綱吉に近づくために一歩を踏み出した。 |
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【End】 |