3:明日も続けば それはホンモノ 「愛してるよ」 同盟ファミリィとの昼の会食から戻ってきた綱吉が、玄関のホールにて護衛として働いていたボンゴレの一員達に労いの言葉をかけている最中に、その声はかけられた。護衛たちの間に流れている空気が動揺したのを、綱吉は肌で感じた。発言した本人である雲雀は、仕事は終わりとばかりに、ホールを横切って二階へと続く豪奢な階段を上っていってしまい、すぐに姿が見えなくなる。 呆然と雲雀を見送った獄寺は、停電から復旧したロボットのように非常にゆっくりと綱吉に顔を向け、無言のまま、いったい今のは何だったんですか?!とでも言いたげな視線を向けてくる。とりあえず、何か言いたげな部下達を解散させ、各々へと仕事をふるようにリーダーへと命じ、綱吉は獄寺と連れだって執務室へ向かった。 「あ、あの、十代目。いったい、さっきの雲雀のあれは――」 「あー、……あれはね、ちょっとね、オレがね、不用意な一言を言ったっていうか、雲雀さんの性格を考えなかったっていうか」 「いったい、どういうことです?」 「ただの痴話げんかだよ。聞いたら呆れるよ?」 獄寺は先を促すように黙った。 綱吉と雲雀が恋仲ということは暗黙の了解となってはいても、やはり同性同士のことであるから、ファミリィのなかでは反発するものや嫌悪するものも少なくない。暗黙するのにも、綱吉と雲雀が大っぴらに恋人同士だと主張しないでいることが条件でもある。それを現在の雲雀は破っていた。ところ構わぬ愛してる発言に周囲は驚くやら引くやら様々な反応にあふれていた。 獄寺と二人、肩を並べたまま歩きながら綱吉は盛大なため息をつく。 「獄寺くん、アメリカから戻ってきたばっかりで、帰ってきてすぐにオレの会食に同行して、雲雀さんに合わなかったから知らないだろうけど。雲雀さんのあれ、オレと顔をあわせるたびに言ってるの。もう、今日で七日目」 「はあ。それで? 理由ってのは」 「……オレ、けっこうね、自信ないの。雲雀さんに愛されてるかどうか」 「はあ?」 「雲雀さんから愛してるなんて言われたことないし」 「ないんですか!?」 「うっ、いまちょっと傷ついた」 「すみません!」 「え、いや、いいんだ。獄寺くんの言葉に傷ついた訳じゃなくて、自分で言って自分でダメージ受けただけ。ともかく、それで言い争いになたわけ。昔だったら、オレだって引き下がったんだろうけど、今じゃ、ちょっとこれでも逞しくなったからさ、強気で攻めたわけ」 「それで?」 「『不安で不安で仕方ないってこんなに言ってるのに愛してるって言ってくれないんなら、もうオレあなたとは別れる! オレに飽きたんならもう勝手にすればいいだろ!』なんて、勢いにまかせて、言っちゃったり、なんか、して、ね!」 獄寺がなんと声をかけたらよいか分からないような複雑な顔で綱吉を見下ろしていた。綱吉は獄寺の視線をさえぎるように右手をのばし、意味もなく頷く。 「うん。言わないでもいいから。分かってるから。どこの不倫してる娘の台詞なんだってね、わかってるんだけど、なんか、言っちゃってさ。――そうしたらさ、雲雀さん、こう、オレの思考なんて凍り付かせるくらいの微笑を浮かべて、絶対零度で怒って、『じゃあ言ってあげる』って言って今日に至ると……。じゃんじゃん。お話おしまい」 「雲雀のやつ、まだ怒ってるってことですか?」 「怒ってると思うよ。顔あわせれば開口一番「愛してる」だもの。顔あわせて喋ってる最中にも何度も言うし。なんか、もう、最初は嬉しかった気がするけど、今だと、いつ言われるか心臓に悪くって――」 「せっかく言ってるのに喜んでもらえないなんて、雲雀も哀れですね」 「元はと言えば、オレが言ってくれなきゃ嫌だ!って駄々こねた訳だしね……。さて、そろそろ本気でどうしようかな……、このままじゃ、大事な会議のときにも目があっただけでばっさりと言われそうな気がしてきた」 「それは、ちょっとまずいですね。場が凍り付きます」 「だよね。まずいよね。困ったな……」 「この際、早めに謝ったほうがいいんじゃないですか?」 「謝ったからって許してくれるかな?」 「許すかどうかは雲雀次第ですけど。でも謝罪の姿勢をみせるのはいいことだと思いますよ」 にっこりと笑った獄寺は会食で配られた資料が入ったアタッシュケースを肩のあたりまで持ち上げる。 「俺、会食であがった議題についてまとめておきますから、十代目はあとでそれに目を通して置いてください。比較のための資料とかも集めておきますんで。十代目は雲雀と話してきてください」 「え、でも」 「雲雀があの調子でいたら、俺みたいにあいつの発言で薄ら寒い思いする人間が増えますし、雲雀が苛々し続けてると、こう、他の人間に当たる可能性がなきにしもあらずって感じじゃないですか」 「……うん、そうだね」 「仲直りできるといいですね」 人なつっこい笑みの獄寺に、綱吉はやわらかい気持ちで笑いかける。 「ありがと、獄寺くん」 獄寺とは廊下で別れ、綱吉は屋敷の雲雀の部屋に向かった。綱吉が現在いるのは仕事を行う屋敷だったが、各守護者たちとリボーン専用の部屋がどの屋敷にも設けられている。いくつもある屋敷の間取りを覚えるのに最初は四苦八苦したものの、もう慣れている。 綱吉は雲雀の部屋の前まで来ると、扉の前で深呼吸をした。おそらく、室内の雲雀は綱吉の気配を感じているだろう。頭のなかでいくつかの謝罪の言葉を考えるも、雲雀を前にしてしまえば、今現在考えている言葉などすぐに霧散してしまう。まずは獄寺が言っていたように謝罪だ。 「雲雀さーん?」 声をかけながらノックをすると、 「開いてるよ、入れば?」 そっけない声で答えが返ってくる。 綱吉はドアを開ける。雲雀はベッドにこしかけ、膝のうえにのせた何か雑誌を見ているようだった。雑誌から顔もあげない雲雀に一抹の寂しさを感じながらも綱吉は室内に踏入、後ろ手にドアをしめた。 「何か用? 僕、今日はオフのはずだけど」 「えっと、今日はこの前のことを謝りにきたんです。ごめんなさい」 雲雀が雑誌から顔をあげる。ドアの近くに立ったままの綱吉を深い黒色の瞳でじっと見た。 「何に対する謝罪?」 「俺がよけいな事言った事に対する、謝罪です」 「なにそれ」 「愛してるって言ってくれないなら、別れるってやつです」 「ああ、あれね。――もういいの?」 「う、あ、はい」 そう、と雲雀は呟いて雑誌に視線を戻し、それきり何も言わなくなる。 そんな簡単なんですか。 雲雀さんにとって今回のことはなんだったんですか。 綱吉は沸き上がってきたものを必死で飲み込もうとした。綱吉は雑誌に目線をおとしたままの雲雀の黒髪が彼がページをめくるたびに、さらりと揺れるのを見つめる。自分は相手の毛先まで愛おしいと思い、率直に言葉にして雲雀に還元しているというのに、どうして雲雀は強制されるまで言ってはくれなかったのか。 そう思うと、なんだか情けないような、苦い気持ちがあふれてくる。 「雲雀さん」 雲雀は雑誌から顔をあげる。バランスのとれた綺麗な顔立ち、きつい目元だけが彼の整った顔のスパイスとして強く印象づけらる。相変わらずの無表情のおかげで、綱吉はさらに落ち込んだ気分になった。 「なに? 人の名前を呼んでおいて、何も言わないわけ?」 「どうして、愛してるって言ってくれたんですか?」 「君が言わなきゃ別れるって言うから」 「じゃあ、言わなきゃ、言ってくれなかったんですか?」 「当たり前でしょ」 心臓が握りつぶされたかと思うほど胸が痛い。綱吉は乾いた笑いをもらし、頭をさげる。 「すいません。オフ中に邪魔しちゃって。オレ、もう行きます――」 頭を上げて身を翻し、ドアノブに手をかけたところで、 「待って」 背後で雲雀の声がする。ドアノブを握っていた綱吉の手に、雲雀の手が重なった。 「ねえ、きみさ、勘違いしてない?」 雲雀が呆れるように息をつき、綱吉の耳のうらにキスをおとす。振り返ろうとした綱吉の胴を片腕で抱き、雲雀は綱吉の頭に頭を寄せて囁く。 「僕が愛してるって言わない理由、きちんと分かってる?」 「……なんで、ですか……?」 「だろうね。だからきみは今、泣きそうになってるんだから。――ねえ、言葉にしなきゃならないほど、僕らの関係は不確かなものなの? 僕はそうは思ってない、それだけのこと。愛してるって言葉だけならいくらだって言えるけどそこに意味はない」 押し殺したような雲雀の低い声は、ひどく優しく続ける。 「言葉には意味はない。存在だけがすべて」 綱吉の手に触れていた雲雀の手が綱吉の胸元に触れる。呼吸をするたび、密着している雲雀の身体を意識してしまい、綱吉は緊張していくのを感じていた。 「この心臓は僕のもの。僕の心臓は君にあげる。――まだ何か必要?」 雲雀の腕のなかで、ゆっくりと綱吉は身体を反転させた。ドアを背に雲雀を向き合う。彼は普段の彼からは想像がつかないほど、穏やかな顔をしていた。それだけで綱吉は幸せになる。他の誰にもみせない雲雀の顔を知っているだけで、雲雀のすべてを手に入れた気がした。綱吉は両腕を雲雀の首にからませ、彼の唇にキスをした。情愛の味わいが舌先に感じるまで深くつよく求め合いながらキスを交わす。雲雀もそれに答え、綱吉の腰に腕を回し、きつく抱擁する。 確かに言葉が欲しかった時期があった。 しかし、結局は言葉なんて必要はなかった。 密着した場所から癒着してしまいたいほどの愛がある以上、離れることなど出来るはずはない。言葉がなくとも身体は正直に相手を求めている。 火照った頬と頬をすりあわせたあと、もう一度かるいキスを交わす。雲雀の欲情に濡れた瞳が綱吉に注がれる。 「でも、愛してるって言うたび、きみが可愛らしく照れる様は見物だったけどね」 「そう、でしたか? ああでも、言ってもらえて、オレはすごく嬉しかったですよ。雲雀さんみたいにオレ、あんまり精神的につよくないから。言葉にしてもらえるとすごく安心したし、幸せでした。雲雀さんに愛してるって言われて。愛されてるんだなって思えて」 ふうん、とそっけない返事のあと、雲雀は綱吉の両目をのぞき込むように額と額をあわせる。キスをされると思って身構えた綱吉だったが、雲雀はじぃっと綱吉の目を見たあとでアルカイックに笑った。 「愛してるよ」 「え、え」 「愛してるよ、綱吉。愛してる、愛してる、愛してる」 「ちょ、雲雀さん……っ」 意地悪な笑みを浮かべ、雲雀は綱吉の腕をとって歩き出し、ベッドの前までくると、綱吉をベッドへ突き飛ばした。仰向けに倒れた綱吉のうえへ、何の躊躇もなく雲雀は覆い被さってくる。綱吉は慌ててその両肩を掴んだ。 「愛してるって、もう、言わなくていいですから! 分かりましたから!! っていうか、こんな真っ昼間から、なに、しようと!」 「愛してるよ」 にこりと笑い、雲雀は綱吉のスーツのボタンを片手で器用にはずしていく。焦った綱吉が片手でそれを制止しようとすれば、片手で拒みきれない雲雀の上半身が綱吉の首筋にうずまる。生ぬるい舌が首筋をゆっくりと這い回る。背筋をかけあがるむずがゆい快感を綱吉は歯をかみしめてこらえる。 「気が変わったよ、綱吉」 首筋を強く吸われ、綱吉は思わず小さく嬌声をあげてしまう。 情欲によって湿り気を帯びた声音で雲雀は囁く。 「明日も明後日も言ってあげる。君が僕の言葉が必要なら僕は何度だって言ってあげる――愛してるよ、綱吉。愛してる。君を愛してる」 眩暈すら感じるほどの告白の連続に、綱吉は言葉をなくし、速く脈打つ心臓と体中が熱を帯びたかのように熱くなるのを感じた。顔といわず、首筋からなにからすべて、雲雀の言葉ひとつでじわりと熟れていくようだった。 すでにシャツのボタンまでとりおえた雲雀の手のひらが、じっとりと綱吉の鎖骨や胸元のあたりをはいまわる。予想される展開を思うと今のうちに言っておかねばと思い、綱吉は必死に声をあげた。 「ひっば、り、さん」 執拗に綱吉の首筋に舌をはわせていた雲雀が顔をあげる。欲に濡れた目は熱っぽく綱吉を見上げる。 「言うとき、は、――二人っきりのときに、して、くださいっ!」 雲雀は小さく声を立てて笑う。 「了解」 「雲雀さん、雲雀さん、雲雀さんっ」 獰猛に微笑む雲雀の顔を両手で掴み、綱吉は彼の唇に唇を重ね、何度も角度を変えてついばむ。もはや自分の呼吸する音と鼓動がうるさいほどだった。両手のなかにある雲雀の顔を食い入るように見つめ、綱吉は低く囁く。 「愛しています。雲雀さん。明日も、明後日も、ずっと、ずっと――」 雲雀は綱吉の言葉が身体に染み渡るのを待つかのように数秒ほど沈黙したあと、 「死ぬまで愛してあげるよ、だから大人しく愛されて」 欲動にかすれた声で囁き、綱吉のベルトに手をかけた。 シーツのうえで乱れあいながら、睦言として繰り返される「愛してる」の言葉の響きに綱吉は次第に溺れていった。 |