『Echo Again―雨―』










 最高に気分がいい。
 体がアルコールによって火照り、身体の輪郭が曖昧になっているような感覚がする。

 山本率いる雨の部隊の活躍ぶりで、ひとつの抗争に決着がついた夜だ。

 今回の抗争に関わった部下を引き連れて、気に入りのバーを山本の金で貸し切って大騒ぎをした。酒は飲み放題、食べ物は食べ放題、美しく上品な女達に、山本と部下達は久しぶりにハメを外して、歌ったり踊ったりして夜を過ごした。

 気分の良い酔い方をした山本は、館まであと数キロの地点で車を停めさせた。部下達の制止をふりきって、「歩いて帰るわァ」と笑って言い、車を降りる。部下達の数名が同じように歩いて帰るのを断り、先に館へ戻るように命令をした。

 部下達は仕方なく山本を残して車を出した。

 隊長! 今日は楽しかったです! 
 ありがとうございました!
 また飲みましょう!
 最高でした!
 俺、一生ヤマモトさんについてきます!

 車の窓から上半身を出した、酔っぱらった部下達が口々に最高の笑顔を浮かべて叫ぶのに、右手を振って答えた。


 夜道を歩きながら最近、獄寺が聴いていたアメリカのスリーピースバンドの曲を鼻歌で歌う。

 夜風は酔って熱を持った身体にはちょうどよい。


 屋敷まではあと数キロだ。のろのろと歩けば一時間くらいだろう。そのころには酔いによる高揚感も醒めて、よく眠れるかもしれなかった。

 しばらくは鼻歌を歌っていたがそれにも飽きて、山本はスーツの内側に手をさしいれて携帯電話を取り出す。片手でひらいた携帯電話の電源がオフになっている。どうやら酔っぱらっていた最中に無意識に電源をきってしまっていたようだ。携帯電話をみて連鎖的にボスへの定期連絡を怠っていたことを思い出し、一人で笑って情けない声をあげる。

「ツナ、怒っかなあ?」

 履歴から番号を選択してコールを開始する。

 コールは三回。

『はい』

「おー、ツナァ。わりぃ」

『山本!? もー、定期連絡くらい、ちゃんとやってよね。携帯の電源も切っちゃってさ! 心配したんだからなあ!』

「わりぃわりぃ。今日、あれだったんだ、打ち上げつーか、おつかれ様会っていうかさー」

『……ああ! それ、今日だったの? なんだ……、そっか、ならいいんだ……よかった』

 受話器の向こうで安堵したようなため息がもれる。
 ちょっとした悪戯心から山本は笑いながら彼に問いかけた。

「心配、したん?」

『するよっ。――なにかあったかと思うだろ! まさか山本に限ってとは思ってたけど、でも、……オレたちの世界じゃ、何があるかわかんないしっ』

 動揺に震えた綱吉の声音に、山本は自分の悪ふざけが悪趣味だったことを瞬時に悟った。

「ごめん。ツナ、――ごめんな。悪かった。おまえのこと、心配させたかった訳じゃないんだ。もう携帯の電源なんて一生きらねーから、定期連絡もちゃんとするから、――泣くなよ?」


 受話器の向こう側から何の反応もない。
 綱吉の泣き顔が頭の中にフラッシュバックし、山本は自然と歩く速度が速くなっていく。

「――ツナ……?」

『ふ、――』

「ふ?」

『ふふ、あはははっ。びっくりした? ――心配かけたお返しだよ! いっくらオレがダメツナだからって、泣くわけないでしょ、それぐらいで!』

 思わず脱力して地べたにへたりこんで、山本はおおげさに息をついた。

「ツナァ、勘弁してくれー……」

 綱吉はまだ笑っている。
 なんだか山本も笑えてきて、受話器ごしに二人で笑った。

『あ。――いま、山本んとこの幹部補佐がきた……』

 受話器の向こう側で、綱吉と幹部補佐との会話が短く行われるのを、山本はぼんやりと聞きながら、再び立ち上がって歩き出す。

 しばらくして綱吉が『もしもし』と呼びかけるまで、山本は黙っていた。

「ん?」

『山本、いまどこにいるの? 歩いてるってほんと?』

「あー、あと二十分くれーで帰れっと思う」

『なにしてんの?』

「散歩」

『うん、そりゃ、外を歩いてんだから、散歩だろうけどさ』

 綱吉が笑いながら言う。

『一人でなんて危ないだろ? 誰か迎えに行かせるよ』

「いいよいいよ。もう着いちまうしさ。それにちゃんと武器は携帯してるし」

 言いながら、山本は左手でベルトから下げている刀の柄を握る。

「すぐにちゃあんと帰るから、ツナはいい子で待ってな」

『なにそれ、もう、おかしいんだから、山本はっ。そうとう飲んだの?』

「飲んだ飲んだァー、うちの隊の若いのがデジカメで、無数に転がる空き瓶のヤマの写真とってたから、あとで見せてやんよ。驚くぞー? ま、おかげで懐がさみしーから、今月はちょっと多めに仕事いれてくれていいぜー?」

『それもみんなの飲み代に消える予定なの?』

「だって、あいつらかわいいーんだもんよ」

『あはは、妬けるなぁ』

「大丈夫。俺の一番はツナだからな。安心して俺のこと愛しててなー」

『あーあ、酔っぱらいと話してると恥ずかしいなぁ、もう! じゃあね、戻ったらオレんとこに顔だしてよね』

「あいあい、了解」

 くすくすという綱吉の笑い声が山本の耳元をくすぐる。

『じゃあね』

「ああ、またなー」

 電話を切ってスーツの内ポケットに入れる。
 深く息を吸って、アルコールの臭いがする息を盛大に吐き出す。

「あーあァ、せっかく最高の夜だってのになー」

 唇に笑みをのせて背後を振り返る。
 果てしなく続く道路には車の姿はない。
 が、左右に広がる森林の合間から、いくつかの視線が――殺気が山本に向けて放たれているのが長年の経験から感じ取ることが出来た。
 暗い森に視線を這わせても姿を確認することは出来なかった。

「もうバレてんだ、姿見せろって」

 山本の声に左右の森林から数名の人間が飛び出してきた。六人。一瞬で数を数える。おそらく倍の人間がまだ森の中に潜んでいるかもしれなかった。
 
 こりゃ、同じ場所で長い時間大騒ぎしすぎたんかなー。

 内心でつぶやいて鼻から息をつく。

 男たちはじりじりと各々手に持った武器を構えて山本を円陣で囲む。

 山本は右手で刀を引き抜く。
 白刃が夜闇に鈍く光った。

「さっさと終わらせるぜー、俺、早く帰ってあいつに会いてーんだから」

 山本は両手で刀を握って体勢を低く保つ。

 つかみ所のない笑みが瞬時に獰猛な獣の笑みへと変貌する。

 血と戦いに飢えた一匹のケダモノが黄金色の瞳を開いて白い牙を剥き出しにして笑う。


「誰から俺と踊ってくれんの?」




《そして獣は上手に瞳と牙を隠して、愛しい人の前で優しく微笑んで――幸福に口づける》