《Echo Again ―元・用心棒―》 骸と雲雀が小競り合いをした際に割ってしまった、談話室の照明を大きな脚立に乗ってランチアが取り替えていると、廊下をかるく走ってくる足音がして、開け放たれたままだったドアからランボが顔を出した。 綱吉に報告書を提出したランボは、ランチアと一緒に久しぶりに外出をしたいとねだるので二人で出かけることになった。運転手付きの車に乗ったランボは終始ご機嫌だった。様々な店がひしめく大通りの一角に車を停め、ショッピングを楽しもうとしたランボの携帯電話に雷の部隊の一人から連絡が入った。彼はランチアに短く謝罪したあとで携帯電話に出る。 ランボの言葉だけをランチアが聞いた限りでは、どうやら隊長たるランボに結婚相手を紹介したいとの事だったらしい。ランボは「おめでとう」と「幸せにね」などのお祝いの言葉のあらゆるバリエーションをすらすらと披露した。普段は泣き虫で甘ったれのランボだったが、よく観察してみると、彼がとても頭が良いことが分かる。 ランチアはランボに乗ってきた車に乗って屋敷に戻り、電話の相手と会ったほうがいいと助言をした。ランボは他の守護者達よりも年若い。そんな彼に対して敬意をはらい、結婚の報告をしに来るような忠誠心のある部下は、ランボのことを若いからと言って、軽んじていないのだろう。そういう部下こそ、ここぞと言うときに背中を預けられるとても良い部下になりえる。 ランボは自分から誘っておいて帰れないと思ったようだったが、ランチアが笑って彼の背中を押すと、「すみません」と苦笑して謝罪をして、道路脇に停車していた車に戻っていった。 ランボを乗せた車が出発するのを見届けてから、ランチアは忘れていたことを思い出して、片手で額を抑えた。 「――ああ、……しまった……」 ランチアは、常々、リボーンや獄寺から言われ続けていたことがあった。 『お前の名前と姿は様々な連中の頭ん中に刻まれてんだぞ』『一人でうろうろするんじゃねえ、十代目にご心配されるだろ』『北イタリア最強の男が、執事の真似事をしながらボンゴレにいるなんて思ってる奴はいねーんだ』『六道骸のせいであんたは恨みを買いすぎている。その恨みが十代目にまで飛び火したらどうしてくれるんだ?』 彼等は、ランチアの顔を見ると、思い出したように同じような台詞を言う。 『ランチア。おまえがボンゴレにいたいのなら、外で一人になるなよ』 『ランチア。あんた、十代目にすこしでも恩義を感じてるんなら、不用意な行動はするんじゃねえぞ』 もっともなことだ、とはランチアも思っている。 しかし、たまには一人で出歩きたいのも事実だった。館での暮らしが窮屈な訳でも、ランチアを心配するボンゴレの人間達が鬱陶しい訳でもない。ただ、一人で買い物を楽しむことくらい、たった数時間だけの自由を満喫することくらいは許して欲しいと思ってしまう。そんなことを一人で考えて、ランチアはちょっとした罪悪感に胸を刺激されつつも、屋敷へとって引き返すことはしなかった。 数週間前ほどに、雨の部隊のメンバーの二人と一緒に訪れたカフェへランチアは足を向けた。まだランチアに『家族』がいたころも、屋敷から少し離れた大通りに美味いコーヒーを出すカフェがあって、よく四、五人で訪れては美味いコーヒーを飲みながら笑い合っていた記憶がゆらゆらと脳裏に浮かんだ。 通りを歩いて十数分、見つけたカフェに入店してホットコーヒーを注文をした。運ばれてきたコーヒーを、一番端の角のボックス席に、壁を背中にして座って、ランチアはホットコーヒーを堪能した。店の片隅においてあった古い作家の詩集をぱらぱらとめくって読んでいるうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。 カフェで飲んだホットコーヒーの代金を支払い、お土産にコーヒー豆をたっぷりと購入して、ランチアは店を出た。ランボと別れてすでに三時間以上が経過していて、カフェから出て見上げた空は少しずつ茜色に染まりつつあった。 スーツのポケットのなかで携帯電話のバイブレータが振動を始める。片腕で抱えていたコーヒーショップの紙袋を持ち直しながら、ランチアはポケットから携帯電話を取り出す。片手で器用に折り畳み式の携帯電話を開くと、ディスプレイには『沢田綱吉』の文字が表示されている。 「もしもし――」 『ランチアさん! いま、どこにいるんですか?』 「え」 『屋敷のどこにもいなくって、誰も行方知らないって言って――』 「すまない。ボンゴレ。いま○○通りに――」 『え……、だ、誰か、一緒に――』 「――ひとりだ」 受話器の向こうで、くぐもったような会話が交わされ始める。おそらくは携帯電話をスーツに押しつけ、綱吉が部屋にいる他の誰かと会話をしているのだろう。 「ボンゴレ?」 途切れ途切れに小さく聞こえるやりとりは聞きづらいが、「いますぐに」「しかし」「誰かを」「車を」などという言葉から、ランチアは綱吉がどういった指示を出したがっているのかを悟った。 「ボンゴレ!」 『――え、はい!』 強めに名前を呼ぶと衣擦れのような音がしたあとで、クリアに綱吉の声が聞こえるようになる。 「そんなに慌てることはない。てきとうにタクシーをつかまえて今から帰るから――」 『駄目です。いつ、どこで、誰が狙ってるか分からないのに――。この前だって、一人じゃなかったのに襲撃されたじゃないですか! あれからまだ一ヶ月も経ってないんですよ!? ランチアさんに何かあったら、オレ……、オレ、そんなの嫌です!』 「大丈夫だ。きちんと拳銃も、予備の弾倉も装備している。なにかあっても対処できるさ。それに……、そんなに心配することはない」 『迎えに行きます』 「それは駄目だ。ボンゴレ。お前と比べれば俺の命など、天秤に掛ける必要もないんだ。そんなことを言っては駄目だ」 『ランチアさんの命がかるくてオレの命が重いだなんてオレは認めませんからね! 絶対に迎えに行きます、いま、どこにいるんですか!?』 悲鳴のような声で綱吉が言う。 ランチアは大通りをそれて、車の通りのない細い路地へと歩みを進める。 「ボンゴレ。……お前が迎えに来るというのなら、俺は二度と屋敷には戻らないぞ。お前の身が俺のせいで危険にさらされるなど言語道断だ。そんなことになるくらいなら、俺は――」 ひゅ、と受話ごしに綱吉が息を呑む音が聞こえ、一瞬の沈黙のあとで短いうめき声が聞こえた。 『う、うう。……分かりましたっ。オレ、オレは、行かないですから、代わりに誰か――』 「子供じゃないんだ。ボンゴレ。落ち着け。俺はそこらへんの二流の殺し屋なんぞに殺されたりはしない」 『ランチアさん』 「ボンゴレ。――俺を信じろ。約束する。必ず帰る」 『やくそく……』 「美味いコーヒー豆を買ったんだ。そっちに戻ったら挽きたての豆でホットコーヒーを用意してやろう」 『わかり、ました……。待ってます』 「すぐに戻る。待っててくれ。――ツナヨシ」 『――はい、……はい、待ってますからね。すぐに、すぐに帰ってきてくださいね?』 「お前が俺を呼ぶのならば、どこへでも行こう」 誰よりも優しく誰よりも強く誰よりも気高く誰よりも傷つきやすく誰よりも――、 誰よりも誰よりも誰よりも、愛しいお前のもとへすぐに帰ろう。 胸の内側で囁いて、ランチアは携帯電話の通話終了ボタンを押した。そして電話をスーツのポケットにしまい、抱えていた紙袋を路上の隅へ放った。きちんと梱包された袋はごろごろと転がってビルの壁に当たって止まる。そのころには、ランチアは携帯していた拳銃を引き抜いて背後を振り向いていた。 立っていたのは三十代前後の男達だった。人数は三名。誰も彼もがすでに銃を抜いていたが、急に振り向いたランチアに驚いたような顔をしている。殺気もろくに隠せもしない連中だ。おそらくはランチアを殺して名声を手に入れたい殺し屋グループなのだろう。 「さて」 男達を睨め付けながらランチアは頭のなかでどう動けば相手を瞬殺できるのかを考え始める。 「すぐに戻ると言ってしまったからな。用件は手短に頼む」 男の一人が息を吐くようにして笑い、 「じゃあ今すぐ死ね!!」 拳銃を構え直して引き金を引く。ときには、ランチアは身を低めて躍り出るように走り出す。続けざまに聞こえる発砲音が七回、いちばん近い距離にいた男へ三歩で到達し、そのあごを拳銃のグリップで力加減なしに殴り上げる。嫌な手応えと共に男はのけぞるようにして倒れた。口から血の泡を吹いて倒れた男を中心に、残る二人の男はそれぞれに左右に距離を取って拳銃を構え直す。一瞬で仲間が一人やられてしまったせいか、彼等の表情からは余裕が消え、瞳には怯えのようなものが浮かんでいる。そんな集中力を欠いた頭で引き金を引いても銃弾が命中することなどわずかな確率にしかならないだろう。 ランチアは二人の男に注意を払いつつも、倒れ伏した男を一瞥した。かすかに胸が上下している。 相手を殺害することは出来るだけはしたくはない。ランチアが手を汚すことを綱吉はあまり快く思わない。彼は出来ることならば、ランチアには戦うことなどさせず、綱吉の庇護が包める範囲内で争いごととは無関係に生きていて欲しいと考えているようだった。 確かにランチアは過去に惨劇を体験した。 しかし、戦うことを本当にやめることなどできなかった。 沢田綱吉と出会って、彼のことを知って、彼に惹かれていけばいくほど、あんなにも絶望していた気持ちが薄れていった。彼を知り、彼に触れ、彼の微笑みのために、彼を守るために、戦うことへの高揚感がランチアの中に生まれ、確固たるものとして鎮座している。 「今すぐここに転がっている男を回収して姿を消すのなら見逃そう」 「ふざけるな。おまえはボンゴレの犬だろう? おまえの首を切り取ってドン・ボンゴレに送ってやる!」 「そうだ! おまえはここで死ぬんだ! 我々のリーダーを殺したドン・ボンゴレを俺達は許したりしない!!」 間髪いれずに帰ってきた答えに、ランチアはそっと息を吐いた。 どうやら、ランチアの私怨というよりは、ボンゴレへの私怨だったようだ。 過去の因縁があるせいでランチアは死ぬまで戦いから、争いから逃れることはできない。 ならば、戦う理由を『沢田綱吉の明日のために』とした方が、幾分かランチアの魂を救うことになるだろう。 頭のなかで動きを一瞬でシミュレートする。彼等が動き出したのを合図にランチアは動く。おそらく決着には一分もかからない。 男達は畏怖と憎しみの混じった目でランチアを睨んでいる。嫌な目だ。偽の六道骸として生きていた間、幾度となくランチアの身体に注がれ続けてきたどす黒い意志が込められた目だ。 胸の内に毒のように広がる陰惨な気持ちを振り払うように、ランチアは沢田綱吉のことを想う。 彼の顔、彼の声、彼のムスクの香り――、そして彼の笑顔。 ランチアは微笑する。 男達の顔が驚いたように歪み、警戒するようにすぐにきつい眼差しを浮かべた。 綱吉がランチアの帰りを待っている。 ランチアが姿を現すまで、不安を覚えながらも、いつもの執務室の椅子に座って、仕事など上の空のまま、帰りを待っているのだろう。 なんて愛らしい、ご主人様だろうか。 口元に笑みを浮かべながら、ランチアは二人の男へ不敵で獰猛な獣の目を向ける。 「――そちらが動かぬならば、こちらから動こう」 宣言の終了と同時にランチアは地面を蹴った。 《数々の絶望も葛藤もすべてを払拭してくれる、愛すべきご主人様のために。今日も獣は牙を血に染める》 |
|