《Echo Again ―殺し屋―》










 骨組みの多い真っ黒で大きな傘を右手でさして、真っ黒なアタッシュケースを左手に持って、リボーンは夜の大通りを歩いていた。仕事はとても簡単なもので――それこそ人差し指一つで事が終わる程度の仕事だった――、とてもではないが達成感などかけらも感じることはなかった。鼻から息をついて水たまりがあちこちある歩道を歩く。時間はまだ零時前だったが、リボーンの年齢を考えるとあまりふらふらとしているわけもいかない。裏社会でいくら名を馳せているからといって、世間のすべての人間がリボーンを特別視するはずはなかった。この前など身も知らぬ老婆にせつせつと親不孝について語られて辟易したことがある。よく撃ち殺さなかったものだとその時の自分をリボーンはいまでも褒めてやりたかった。


 滞在しているホテルのスロープを歩きながら、傘を閉じて水滴を振り払う。中の上くらいのホテルで食事はまあまあだが、寝具がとても上等なところがリボーンは気に入っている。回転ドアをくぐり抜けてホテルのホールに足を踏み入れる。すると、フロントにいた金髪の青年がリボーンを見て、なにやらカウンターの下をごそごそとし始める。預けていた鍵を受け取らねばならないため、リボーンはまっすぐにフロントへ向かった。もう夜も遅いせいか、フロントのあるホールには誰もいなかった。


 フロントマンはリボーンが目の前までくるとにっこりと笑う。


「おかえりなさいませ。フェルナンド様。ご伝言をお預かりしております」


「ありがとう」


 フェルナンド。いくつもある偽名のひとつだ。リボーンはフロントマンへチップを渡して小さな紙と宿泊している部屋のカードキーを一枚受け取った。そのままエレベーターへ向かう。すでに到着していたエレベーターに乗り込んで、目的の階のボタンを押す。――ドアがしまってエレベーターがわずかな音を立てて上昇を始める。


 紙には一文だけ、斜めに走り書きされていた。



『部屋の花が枯れそうなので新しい花をお願いします』


 他の人間が読むと意味が分からない文章だったが、リボーンはすぐに察しがつく。


「阿呆が……」


 言ったあとで、笑っていた自分に気がついてリボーンはすぐに表情を隠すようにしかめ面をした。
 しばらくしてエレベーターが目的の階に到着する。開いたドアを抜けて、まっすぐに部屋へと向かい、カードキーを使用して部屋の鍵を開ける。入室してすぐの壁にカードを差し入れる場所があり、そこへカードをいれると室内の照明が点灯し、部屋のなかが明るくなる。傘をステンレス製の傘立てへたてかけ、リボーンは片手でネクタイをゆるめながら室内へと進んでいく。持っていたアタッシュケースをソファのうえに放り投げ、ついでにかぶっていたボルサリーノも放った。


 真っ直ぐに向かったのはサイドボード横におかれた、見た目だけはアンティーク調に装飾された電話だった。すでに記憶している番号を迷うことなくプッシュする。数回のコールのあとで、相手が電話をとった。


「花は枯れたか?」


 リボーンの第一声に、電話の向こうで相手が呆れたように嘆息する気配がした。


「よく、オレの滞在先が分かったな」


『そりゃあ、必死にね、探しましたからね……』


 卑屈そうに電話の向こう側で綱吉が言う。


『あのね……連絡くらいさ、催促するまえにして欲しいんだけど』


「オレは忙しいんだ、そんなにこまめに連絡できるわけねーだろ」


『――こまめにっては言ってないじゃない。十日の間、一度も音沙汰がないなんてヒドイって言ってんの! どれだけ、どれだけ人が心配したか分かってんの!?』


「なんだ、ボス。オレがいなくて寂しかったのか?」


『――ばかっ!』


 からかうように言うと電話の向こうで綱吉が切実な声を上げた。


『おまえに限って……って思ってたってな、オレは、どうしたって、不安なんだよ……、ばかやろう、ばか、……信じられない……、ひどい……、ばか、……リボーンのばか!』


 うっ、という声をあげて、綱吉は黙り込んだ。泣いたのかと思ってリボーンは黙っていた。だいたい彼の涙腺はいつだって弱々しく、興奮するだけで涙が出ることすらある。悲しくて泣くこともあれば、嬉しくても泣いたりする。対して、リボーンは泣くことはなかった。自分で記憶しているなかでも泣いた事などあったかどうだか分からないくらいだった。

 リボーンは目を閉じて――、執務室の机に座って電話を片手に泣いている綱吉の姿を思い浮かべる。年を重ねても細いままの肩が震え、昔と変わらない癖毛をゆらし、はらはらと耐えるように泣くのだろう。リボーンのことを心配して流すその涙こそ、リボーンにとっては宝のようなものだった。


「ツナ」


 ぐすぐす、と鼻をすするような音がしたあとで『……なんだよっ……』とぶっきらぼうな答えが返ってくる。


「さっき、最後の依頼を片づけてきたんだ。明日の朝一の飛行機でそっちに戻る」


『……本当?』


「ああ」



『……そう。怪我はない?』


「するわけねーだろ」


『そう……』



 気が抜けたような返事をして、綱吉は長々と息をついた。



「なんだ、嬉しくねーのか?」



『……嬉しいですよ』


 言葉に皮肉っぽい響きが込められていて、リボーンは思わず口元をゆるめる。
 リボーンがどんなに理不尽な振る舞いをしても綱吉は最後には許してしまう。どんなに振り回されようと、彼は決してリボーンの手を離そうとはしない。そのことでリボーンにとってどんなにか愉悦を感じているかなど、知りもしないし気がつきもしない。

 愛されている実感が指先にまで行き渡るのを待って、リボーンは含み笑いのままに口を開く。


「すねんな。――なにも忘れてた訳じゃねーぞ。連絡はしてなくったってな、オレはいつでもどこにいても、おまえのことを忘れたことなんてねーぞ、ツナ」


『うそだ……、リボーンなんて、オレのことどうだっていいんだろ? 電話なんてすぐにかけられるのに、してくんないしさ――、オレばっかりおまえのこと気にして、心配して、すんごい……理不尽ッ……』


 すねるように言って、綱吉は鼻をすする。リボーンの記憶のなかで、幼いころの彼の泣き顔が思い出された。出会ったころは考えてもいなかった思いがリボーンの胸のあたりにふわりと浮かんでくる。


「ツナ」


『なんだよ』


「オレがなんで電話しねーのか、わかんねーのか?」



『面倒くさいからだろ?』



「違う」



『じゃーなんだって言うんだよ』


 苛立った子供みたいに言う綱吉の声を耳で感じながら、リボーンはできるだけ甘ったるい声で囁いた。


「電話なんかして、おまえの声聞いちまったら、いますぐにでも帰りたくなっちまうんだ。だから仕事が終わるまでは電話できなかったんだぞ」



『……うそ、だっ』



「嘘じゃねーさ。なあ、ツナ。明日、朝一で帰ったら、キスして抱きしめて、めいいっぱい可愛がってやるから、今日のうちに仕事片づけて待ってろ」



『え、なにそれ、オレ、いまから徹夜で明日のぶんの仕事しなきゃなんないわけ?』



「オレといちゃつきてーなら、頑張るんだな、ボス」



『……うぅ……、おまえ、ほんと、さいあく……』



 片手で額をおさえている綱吉がイメージされ、リボーンはくすくすと笑う。どんなに年が離れていようと彼はリボーンの教え子なのだ。可愛い可愛い教え子が苦悩のうめきをあげるのを受話器ごしに聞きながら、リボーンは微笑む。


「オレの愛を注いでやるから枯れるんじゃねーぞ、ツナ」


『……なんか、卑猥じゃない? その発言……』


「卑猥なのはおまえの頭だろう、ツナ。そうかそうか、そっちがご無沙汰だから、欲求不満なのか、じゃあ立てなくなるまでしてやるからな、よしよし」



『ひぃー、なに言ってんの、ばか! 親父すぎる、親父趣味すぎるよ、リボーン!』



「おまえ、ぴちぴちの十代にむかって親父はねーだろ。そもそも親父なのはおまえだろうが」


 と言いつつも、リボーンから見ても童顔で背もあまり高くない綱吉は未だに大学生ですと言っても通用しそうなくらいに年齢不詳の容姿をしている。あと五年もすれば、リボーンは彼の身長を追い越すことが出来るだろう。そうなったころ、彼と肩を並べることを想像すると楽しみで仕方がなかった。



『オレだってまだ二十代だっ。――もう、ほんと、リボーンって変わらないよなあ、オレばっか、振り回されてさぁ……!』



「そんなことねーぞ」



 可愛らしくすねる恋人の顔を思い浮かべながら、リボーンは耳に受話器をあてたままで目を閉じる。



「最強のヒットマンって呼ばれるオレに電話させるのなんて、おまえしかいねーんだぞ。――ツナ」






《呪われた身に鞭打って生きて生きて生きて 彼のために死ぬことこそ幸福なのだと  そう思って殺し屋は今日もひっそりと微笑む》