05:誰かの意思に導かれ






 世界が降り注ぐ雨のメロディに満ちているなか、綱吉は窓硝子を伝い落ちていく雨の滴を目で追っていた。分厚い雲によって部屋の外は暗くどんよりとしている。今が夕方であることさえ、空模様だけでは判断できそうになかった。

 振り向けば、室内は見知った執務室で、ソファのうえには十四歳の家庭教師がボルサリーノを顔にかぶせて横になっている。彼は本当の意味では眠っていないだろう。綱吉が声を掛ければすぐに返答するだけの浅い微睡みのなかにいるだけだ。

 綱吉は小さなあくびをかみころして、執務室の椅子に座る。午後に予定していた仕事はすべて終え、夜の九時から始まる会合のための書類の用意もすんでいる。久しぶりにできた何もしない時間をリボーンは昼寝に使用し、綱吉は暇を持てあまし、雨だれを見つめていたところだった。

 整理を終えた書類に手を伸ばす。いちばん上にのっていた了平からの報告書――孤児院の建物の修復に関する見積もりと業者に関する情報――を手にとって目を通す。いくつかの項目をチェックして、ミスがないかを確認していると――机のうえの電話がなった。ソファで寝ているリボーンの足先が揺れる。綱吉はツーコールで電話をとった。


「はい」
『おー、ツナか』
「ディーノさん」

 リボーンの体がぴくりと動く。

「どうかしたんですか?」
『いやー、ちょっと時間が出来たから、ツナと夕飯でもって思ったんだが、どうだ? 仕事忙しいか?』
「いいえ。ディナーならご一緒できると思います、すぐ支度しますね。どこにしますか?」
『おー、いい反応! 可愛い!  んじゃあ、迎えに行くから用意して待ってろ』
「はい。では、また――」
『おー』

 綱吉が嬉しさを噛みしめながら受話器を電話機に戻すと、リボーンがソファのうえに起きあがっていた。


「ディナーだと?」


 ボルサリーノを被り直しながら、彼は憮然とした表情で言う。


「誰の許可で、急に予定いれてやがんだ」

「ディナーならいいいじゃない。相手、ディーノさんだよ? それに今から会って会食したあとでだって、今日の夜会にはきちんと間に合う時間じゃないか」

 リボーンは舌打ちする。

「あのガキめ。立場ってもんを理解してねぇらしいな」

「どうして? 食事するだけなのに、そんなにリボーン怒ってるの?」

「食事をするためだろうと、ボンゴレのボスとキャバッローネのボスが会うんだろう。その事実だけが一人歩きすれば、何か企ててんじゃねーかって考える奴らもいるんだ。まだ就任して一年も経ってねぇってのに、内輪でごたごたすんのは勘弁してくれ。ディーノのやつ、分かっててやってんのか? だとしたら、その喧嘩買ってやるぜ」

「えぇ?」

 陰鬱そうにリボーンが言うのを聞いて、綱吉は困ったように声をあげるしかなかった。綱吉がボンゴレのボスに就任して、約八ヶ月あまりが経過していた。ディーノは幼いころと変わらず、綱吉のことを気にかけ、よくしてくれている。最近では、仕事で困っていることがないかと、連絡をくれることが多い。綱吉は、そんなディーノの心遣いや気遣いを、ありがたく思っていたので、リボーンが快く思っていない事など気が付きもしなかった。

「リボーン、ディーノさんのこと嫌いなの?」

 呆れるような眼差しをリボーンはうかべ、綱吉を見た。

「嫌いとか、そういう問題じゃねーだろ。あいつは同盟ファミリィのボスなんだ。規模で言えば、あいつのほうが下だ。そんなファミリィのボスが、ボンゴレのボスをいいように振り回してるって露見してみろ。どっちのファミリィにとってもマイナス因子すぎる」

「――そうかなぁ。仲良くすることはいいと思うけど」

「仲良くする? おいおいツナ、ここは保育園じゃねーんだぞ。仲良くすることに意味はあっても価値はねーんだ」

 リボーンはソファに座ったまま、ボルサリーノのふちを指先でなぞる。

「おまえ、ディーノと距離をおけ」

「え」

「おまえにはまだ、うまく立ち回るってのがどういうことなのか、よく分かってねぇーようだからな」

「え、なんで。どうして?」

「公私の感情の切り替えがなってねぇからだ」

「公私、って? ディーノさんは確かにキャバッローネのボスだけど、昔っからのオレの良き理解者でもあるんだよ? どうして、リボーンに『ディーノさんと会うな』なんて、言われなきゃいけないの? リボーンには、オレとディーノさんとの関係、とやかく言われる必要ないだろう?」


 リボーンは怒っているのか悲しんでいるのか分からない、複雑な顔で綱吉を見た。綱吉は言い知れぬ不安と居心地の悪さに、つばを飲む。


「ツナ。分からないのか?」

「分からないよ」

「本当に?」


 リボーンの闇色の瞳がじぃっと綱吉を見上げている。綱吉は視線をリボーンから外し、机のうえの書類を見た。何の変哲もない書類の束のうえの文章の羅列を眺めながら、受話器ごしのディーノの声を思い出す。それだけで綱吉の心は幾分か晴れやかになる。

「食事。オレもついていくからな」

「え。別に、構わないけど……」

 顔をあげてリボーンを見る。リボーンはソファから立ち上がり、綱吉の顔を観察するように眺める。彼の視線が綱吉の心の輪郭を見極めようとしているように思え、綱吉は顔をしかめて彼の視線から逃れるように席を立った。

「なんだよ」

「ディーノのこと、どう思ってる?」

「は?」

「どう、思ってる?」

「えっと、頼りになるし、いっつも笑顔で格好良くて、オレのこと気に掛けてくれて、優しくって、まるでヒーローみたいな人で――」



「ファミリィとディーノ、どっちが大事だ?」



 綱吉は息を止める。
 唇はうすく開かれたまま動かない。
 リボーンと綱吉の視線が絡み合う。
 ゆっくりと呼吸をする。
 震えるように呼吸する口から言葉は出てこなかった。



 リボーンが近づいてくるのを綱吉は呆然と待った。彼の握られた小さな拳が綱吉の胸を打つ。まるで楔を打ち込まれたように痛みは服の上から心に響く。

「だからお前は馬鹿ツナなんだよ、ツナ。――距離をおけ。壁を作れ。決して今以上に近づくな。明確な境界線を決めろ。それができないのなら――」

 早抜きでホルスターから抜かれた拳銃の銃口が綱吉の心臓にあてがわれていた。

「いますぐここで撃ち殺してやるよ」

 口元にシニカルな笑みをうかべ、リボーンは肩をすくめる。

「不出来な教え子を撃ち殺して、オレも死んでやる」

「なに、言ってん、の」

「ディーノだけは駄目だ」

「なに、言ってるの、リボーン」

「駄目だ」


 きっぱりとしたリボーンの声が浮かれていた綱吉の心を突き刺す。


 ディーノがキャバッローネのボスであることは、幼いころから知っている。まだ綱吉がボンゴレのボスになると決定していないころからのつきあいだ。彼が居なければ、マフィア界になどとは、一生関わることなど拒否し続けただろう。しかし、ディーノがいる世界だからこそ、綱吉は彼の世界を知りたいと思い、マフィアというものを受け入れることができた。


 彼と距離を作る?
 公私混同?


 綱吉はリボーンの言葉を反芻する。綱吉がディーノに寄せている感情を、綱吉は誰にも話したことはない。ディーノが綱吉に寄せている感情も、綱吉以外には知られていないはずだ。微笑みあってキスをして、相手の存在を愛しく思って抱擁することで、崩れていくものがあるのだろうか。

 綱吉はディーノを愛している。ディーノが綱吉を愛してくれているように、深く強く、彼を心の支えにしている。そんな彼と距離を作って、壁を作ることが、綱吉のボスとしての資質に必要なことなのだろうか。


 リボーンの拳銃の銃口は綱吉の胸に突きつけられている。


「分かったか、ボス?」

 皮肉っぽく笑う彼の顔を見下ろす。

「――分からないよ」

「分かりたくねーだけだろ」

「……オレは人を愛しちゃいけないっていうの?」

「誰も愛すなとは言ってねーだろ。――あいつは駄目だって言ってるだけだ」

「オレは、あの人が、いいんだよ?」

「諦めろ」

 ざわりと全身が刹那的な熱に支配される。綱吉はリボーンの拳銃を持つ手を強く握ったあと、彼の身体を突き飛ばした。小柄な彼はよろめいたが倒れはしなかった。


「オレの気持ちはオレだけのものだ! リボーンに言われたからって、従うつもりはない!」


 拳銃を右手に持ったまま、リボーンは興奮している綱吉を憂いを帯びた目で見上げてくる。綱吉は彼の視線から顔を隠すように、右手で顔を覆った。油断をすれば涙が溢れてしまいそうなのを必死にこらえる。

「オレはな、ツナ。お前が駄目になるのを、黙って見ていられねーんだよ」


 静かなリボーンの声が部屋に溶けて消える。
 綱吉もリボーンも動かなかった。


 次第に強まっていく雨足が音を立てて窓を叩く。遠くで来客を知らせるベルの音が小さく聞こえる。ディーノが迎えに来たのだろう。綱吉は右手で顔をおさえたまま、涙がこぼれないことを祈った。泣き顔でディーノと出会いたくはない。


「オレは、お前のことを愛してるんだ。ツナ」

 リボーンの声がひどく優しく言う。

「オレの期待を裏切らないでくれ。ドン・ボンゴレ」


 綱吉は息をつく。深呼吸をして頭のなかで数を十まで数えた。意識を切り替えて目を開く。リボーンの黒い瞳を見下ろし、綱吉はうなずく。


「――おまえの言いたい事はわかったよ、リボーン」

「分かってくれりゃいーんだ」

 リボーンは目を伏せて、ボルサリーノのつばのふちに指先で触れる。

「恨むならオレを恨め、ツナ」

 うつむいているリボーンの肩に指先で触れ、綱吉は彼の前に跪く。彼は顔をしかめてあごをひく。


「恨まないよ……。リボーンが悪いわけじゃないもの。――ごめんね、オレ、ばれないって思いこんでただけだったんだね。気が付いたの、いつからだった? お前のことだからすぐには言えないで悩んでたんだろう? 心配かけたね」

 リボーンは肩をすくめる。

「馬鹿な教え子を持つと気苦労がたえねーよ」

「そりゃあ、すいませんね」


 曖昧に笑って謝罪を口にすると、リボーンの顔にいつも通りの皮肉っぽさが戻ってくる。少しだけ安心して、綱吉は立ち上がってリボーンと肩を並べる。ドアを一枚隔てた廊下から騒がしさが近づいてくる。ディーノたちと彼らを案内している執事が近づいてくる気配だ。

「リボーン」
「あん?」
「オレ、ディーノさんとのこと、諦めないからね」

 早口で言う綱吉をリボーンは冷えた目で睨みあげる。

「……じゃあ、何が分かったってんだ……お前は……」

「ファミリィを一番にするけど、二番目はディーノさんだってこと」

「あほか」

「あほでいいよ。――ファミリィより優先させない。それだけ守ればいいでしょ?」

「――お前にそんな器用な真似が出来るとは思わねーがな」

「やってみせるよ。オレ、大好きなものは諦めないから。ディーノさんだって分かってくれるさ」

 じぃっと探るような目でリボーンが綱吉を見上げる。彼の視線を受け止め、綱吉は微笑んでみせる。

「諦めるよりも、努力しなきゃいけないって、教えてくれたのはおまえでしょう? それにさ、オレはね、おまえが考えてるより、ずっとずるくって欲張りなんだぞ?」

 息がぬけるように「はぁ?」と肩をおとして、リボーンはドアへと視線を移す。

「やれるだけやってみりゃいいだろ。もしもヘマしやがったら撃ち殺してやるから覚悟してろ」

「――リボーンにはオレは撃ち殺せないと思うけどね」

 リボーンが「なぜ?」と問いかけるように綱吉を横目で見た。綱吉は不敵さがにじむ微笑を浮かべる。


「だってリボーン、オレのこと本当に大好きでしょう?」


「――ハア? 馬鹿か。自惚れるんじゃねぇーよ」


 吹き出したリボーンは右足を持ち上げて綱吉のすねを蹴ろうとする。綱吉は飛び退いて彼の蹴りを避け、にやっと笑う。


「オレ、リボーンにすっごく愛されてるの、わかってるからね?」

「勝手に言ってろ、色ぼけが」


 ドアがノックされる。
 綱吉とリボーンは肩を並べて、扉へと顔を向ける。


「ボス。キャバッローネの方々がお見えです」


 よく通る声で綱吉は言った。



「どうぞ」



×××××



 レストランの個室でのディナーは滞りなく終えた。

 綱吉と二人きりというわけにはいかず、影のように元・家庭教師が彼の隣に座って食事をしていたが、ディナーは終始、談笑につつまれていた。

 とはいえ、ディーノは綱吉のわずかな変化を見逃さなかった。彼はきちんと微笑をしながら話題をふったり、ディーノやリボーンの問いかけにも明るく答えていたが、どこかぎこちなさがあった。彼の様子のおかしさを、リボーンが見ている前で追求することは直感的にやめておいたほうがいいと思い、ディーノは食事を楽しむ外面を保っていた。

 それが正解だったと思ったのは、ディナーのあとで会合だと言っていた綱吉にリボーンが同行せず、レストランの前に了平と獄寺が迎えに来ていたのを知った時だった。綱吉は了平たちを引きつれ、車三台の列を作って、道路の車の流れに合流して消えていった。

 会合に同行しなかったリボーンは、案の定、ディーノに「一杯つきあえ」と言った。

 リボーンは、精神的な中身については問題がないほどに成熟していたが、彼はまだ十代半ばの少年だった。しかし、端整な顔立ちと特徴的な服装のおかげで、イタリアの有名なバーで入店を断られることはまずない。

 ディーノはキャバッローネの車に乗り込み、気に入りのバーに行くように運転手のロマーリオに伝えた。ロマーリオは何か言いたげに苦笑をしたが、「了解、ボス」と答えて車を発進させた。本来ならば、ディナーをした時間中に終わらせる仕事があったので、さっさと帰宅をして仕事をしなければならなかったのだが、リボーンの視線にはそれを許さぬ意志が感じられ、誘いを断ることは出来なかった。


 バーには十数分程度で到着した。会員制のバーの入り口で短い合い言葉のやりとりをして入店する。

 入り口のドアを内側に開いた黒服の男は、ディーノよりも同行していたリボーンを見て短く口笛を吹いた。闇の世界に片足をつっこんでいる人間にとっては、リボーンとの遭遇は奇跡に近い。

 紅色の照明に照らされた細長い廊下をまっすぐに歩いていくと、開けた空間に到着する。天上は半球体で、部屋を彩る装飾のすべてが赤と金と緑で統一され、中華的な飾り付けだ。アジア楽器特有の演奏が流れるホールのカウンター側から、少年のように髪の短いスレンダーな女が近づいてくる。服装は身体のラインがわかるほど密着度の高い藍色のロングドレスだった。彼女の顔の左半分には美しいアジア的な文様がラメでペインティングされていた。

 ディーノが個室を要望すると、女はディーノとリボーンはに着いてくるように言った。カウンターと相対する壁際に並ぶ五つのテーブル――それぞれテーブルの境目には豪華なついたてがたてられている――には、少人数のグループがそれぞれ酒を飲んでいるようだった。その合間をディーノたちは通り過ぎる。どの人間も、ちらりとリボーンの姿を見て、なにかを囁きあっているようだった。当の本人といえば、彼は視線などまるで感じていないかのように憮然としていた。


 女に連れてこられたのは、縦にも横にもゆったりとした部屋で、ごてごてとした中華的な装飾に飾られていて、色彩の海の中にいるような騒がしいイメージがする部屋だった。


 女は部屋の円卓の上に用意されていたウィスキーや氷などで、水割りをふたつ作ると、部屋を出ていった。個室を使用する場合は、ディーノは女のサービスを受けないことにしているのを、店はよく承知しているのだ。円卓の上には龍の絵が彫られた小さなボタンがあり、そのボタンを押さないかぎり人はやってこない。


 ようやくリボーンの話が始まると思い、ディーノは長く息をつく。昔から、リボーンから話があると言われると、無意識に厳しくしつけられていたことを思い出し、胃が痛くなるような感覚がディーノのなかにうずまく。いやな緊張がもやもやと胸のなかをただよっているのを感じていた。


 朱色の円卓を囲むように用意されていた黒い椅子に座る。背もたれには細かい龍と虎の彫り物がされており、座っても背もたれがディーノの頭上まで高さがあった。


「さあ、お話ってのを始めてくれねぇかな、リボーン」


 水割りのグラスに手を伸ばして、かわいた口の中を潤す。アルコールのやけるような感覚が喉を通り過ぎていく。次第に身体の内側から発せられる熱を感じながら、ディーノは向かい側に座ったリボーンを見た。彼は水割りのグラスには触れず、ボルサリーノもかぶったままで、華奢な腕を胸の前で組んでいる。


「オレに説教でもあるのかよ?」

「そんなところだ」

「リボーンの説教なんて、ほんと久しぶりだな。俺、なにかしたっけか?」


 ディーノが笑っても、リボーンは表情ひとつ変えなかった。まるでマネキンの人形のように無表情である。ディーノの背筋に一筋の緊張のラインが流れていく。


「それより、なあ、ツナのやつ、食事中、元気なかったろ。なにかあったのか?」

「ディーノ。ツナと別れろ」

「は?」


 ディーノは吐息だけで答え、そのあとで笑って首をかしげる。


「いきなり、なに言ってんの?」

「オレはあいつが大事だ。あいつが駄目になるのは我慢ならねぇ」

「それとオレと、何が関係してんのさ?」

「綱吉を愛人にするのはよせ。お前にはいくらだって愛人作れるだろ」

「ツナを愛人にした覚えはねぇな」

「恋人とでもいうのか?」

「ツナに盲目的に恋してんのは、オレだけじゃねぇと思ってっけどな」


 ディーノは不敵にリボーンを睨んだ。彼は動じる様子もなく、ディーノの視線を突き返す。どちらも引かない。ディーノは椅子の背にもたれ、首を振る。


「嫌だね。俺はツナを手放すつもりはねぇよ」


 軽蔑が絡んだ眼差しで、リボーンはディーノを睨む。


「お前、それでもボスか?」

「ああ――、ボスさ。ファミリィとツナを天秤にかけても、ツナを選べやしねぇ、どうしようもない、ボスなんだよ。……なあ、リボーン。そんなに俺は多くを望むつもりはねぇんだよ。ツナが幸せで、元気に生きていけんなら、それでいいし、あいつが苦労すっときは誰よりも近くで手助けしてやりてぇだけなの。許せよ、それくらい。お前らのボスを、どうにかしてぇえなんて思っちゃいねぇんだからさ」

「嘘をつけ」

「まぁ……本心じゃ、誘拐でも拉致でもして、逃避行ってのもいいとは思うが、そんなことしたって、ツナは幸せにはならねぇよ。――あいつは、なんだかんだいっても、ファミリィが大事だからな」

「ハン。そうだと、いいがな」

「なあ、お前も、いらん苦労抱え込むなって。ツナはどうだか分からんけども、俺はきちんと考えてるぜ。ファミリィとツナを天秤にかけて考えてなんか、初めからしてねぇさ」

「だったらなんで、気安くツナを誘うんだ? 今回のことも、その前の時も、おまえは人目をはばからずにツナを構いすぎだ」

「お前が勘ぐりすぎなんだよ。俺は弟分の様子が気になってるだけだ」

「にしては、頻繁すぎだろう」

「好きなんだから仕方ないだろ」


 リボーンは舌打ちする。


「ガキじゃねーんだ、そのぐらい自重しろ」

「あー、うん……。最近はちょっと我慢がきかなくなってた気が自分でもしてたし、――しょうがねえ、自重しよう」


 リボーンはグラスに注がれた水割りに唇をつけ、少量だけを飲んだ。酒は飲めるとしても、彼の身体はまだ子供すぎて、アルコールには弱い。グラスを持ったまま、リボーンはわざとらしく顔をしかめた。


「教え子がどっちもぼんくらだから、頭がいてえよ」

「そりゃあ、すいませんね」

「謝り方も一緒だもんな、最悪だ」


 グラスをテーブルの上において、リボーンはディーノを貫くように見た。綺麗な闇色の瞳は、冷たく鋭い眼差しを浮かべている。ぞわりと背中をなでていった殺気に、ディーノは気がつかないふりをして微笑をくずさなかった。


「ファミリィの名を失墜させるなよ」

「もちろん」

「誓えるか?」

「ああ。違えたらお前の銃弾で死んでもいいさ。でもオレは、お前に殺される運命なんて考えたこともねぇけど、それはそれで、運命的な導きがありそうだよな」

「運命的な導きだと? そんなんじゃねーだろ。おまえがそんな事態を引き起こさねーかぎり、オレは滅多な事じゃ、おまえを撃ち殺したりしねーけどな」

「そんなのわかりゃしねぇさ。いまここで、ツナをめちゃくちゃにしてやるって言ったらおまえは俺を撃ち殺してもおかしくないだろ? 俺も、おまえもさ、結局は身も知らぬ、空のうえの神様なんかに導かれてんだって。運命なんだ、抵抗したって無駄さ」

「神も運命もくそくらえだ」

「ロマンのねぇ奴だな」


 ディーノはグラスに半分ほど残っていた水割りを飲み干す。体が火照りだすのを心地よく感じながら、目を伏せて回転テーブルの中央にのっているウィスキーの瓶や氷が入っているアルミのバケツを眺める。天井の照明に照らされ、瓶や氷がきらきらと光を反射させている。


「俺は誰かに、たとえば神様なんて存在にさ、導かれてる気がするよ。こんなふうにマフィアのファミリィのボスになるなんて、ガキのころは思っちゃいなかったし、運命の相手は同じマフィアのボスで男だし。ガキのころに考えてた人生とはまったく違うけど、その誰かの導きのおかげか、あんがい幸せになれてるんだなぁと思うと、感謝してもいいかもなあって、な」

「………………」

「ん。どうかしたか?」

「――なあ、いま、なんとなく気がついたんだが」


 リボーンの発言に、ディーノはテーブルから視線を上げる。彼は不服そうでいて、少々の怒りを含んだような目で、ディーノを睨んでいた。思わずディーノは引きつったように笑う。


「え、なに?」

「おまえ、その、導いたのがオレだとでも言いてぇのか?」


 ディーノは自分の発言を振り返って、一瞬の間のあと、「ああ!」と声を上げる。


「そう言われれば、そうなのかもな! おまえが俺の家庭教師になんなかったら、俺はマフィアのボスになんてならなかっただろうしな」

「よし。その喧嘩、買ってやる」

「いや、喧嘩売ってるわけじゃねぇんだって。銃しまえ、銃」


 リボーンの銃から視線を外さずに、ディーノは両手を顔の前に突き出して左右に振った。鼻筋にしわを寄せて息をついたあと、リボーンは銃をしまった。ディーノは長々と息をついて両腕を下ろす。


「ったく、気が短ぇなあ。感謝してるって言ってんのに、なんで喧嘩売ってることになるんだよ」

「神様だ、なんだ、って、そんなもんに導かれてるなんてただの幻想だ。おまえはおまえの意志で自分のことを導いてるだけにすぎねーさ」

「へえ? 神様っていると思うけど」

「いるって思う奴のとこにしか、いねーんだよ」

「カッコイイこと言うなぁ、リボーン」

「ウゼェことばっかり言うな、青臭いガキじゃねーんだから」

「ははは。ガキに説教されちまったぜ」

「もう一回同じ事を言ったら撃つぞ」

「だから、銃を出すな」

「オレはガキじゃねー」


 不遜な態度でリボーンは銃口を上下させる。思わずディーノは銃の動きにあわせて頭を縦に振る。

「あー、はい、わかりました、よ!」

 リボーンは鼻で息をつき、銃をしまう。ディーノはくずれるように両手を下ろして、細長く息を吐く。嫌な汗がじっとりと浮かんだ手のひらを誤魔化すように、組んで、そのうえにあごをのせる。


「まあ、神様がいようといまいと、そんなことどうだっていんだけど」

 じろりとリボーンがディーノをうろんそうに睨む。

「どうだっていいことで、オレの貴重な時間を奪うんじゃねーよ」

「いや、言い方が悪かった、すまん。――とにかくさ、俺、ツナのこと諦めるつもりねぇから。それだけはよろしく」

「よろしくされたかねーな」

「そう言うなって」

「うちの守護者どもが黙ってるとは思わねーがな」

「ばれちゃいないだろ?」

「まだ、ばれちゃいないだけだ」

「ばらさないだろ、お前からは」


 わざとらしく片方の眉を持ち上げ、リボーンがあごを突き出す。


「なんで、そんなふうに思える?」

「だって、リボーン、ツナのこと好きだろ?」

「あん?」

「俺のことは気にくわないかもしんねぇけど、ツナのことは大事で仕方ねぇんだろ?」

「ハア?」

「とぼけんなって。リボーンにとっちゃ、ツナは可愛くて可愛くて仕方ない教え子なんだろ、今まででいちばんに気にかけてるしよ、ツナをボンゴレのボスにして、仕事は終えたってぇのに、ツナに依頼させてまで側にいるんだろ? え? そんなおまえが、ツナが悲しむようなこと出来るわけねぇさ」

「ほう。やけに自信たっぷりだな」

「だてに長いつき合いじゃねぇだろ、俺達だって」


 リボーンはグラスの水割りをちびちびと飲んだ。白い肌に赤みがさし、幾分か酔いがまわってきたのか、彼は眠そうに瞬きを繰り返す。


「――否定しねぇのな」

「否定して欲しいか?」

「してくれた方がいいね。身近なライバルは出来るだけ減って欲しいもんだ」

「くそくらえ」


 吐き捨てるように言って、リボーンは不敵に笑った。が、瞳だけは死と寄り添いあっているかのように、暗く冷たいものだった。


「不幸にしたら命はないものと思え。オレだけじゃなく、守護者全員でおまえのファミリィを潰してやる」

「おぉ、怖ァ」

 おどけるようにディーノが肩をすくめると、リボーンはぐるりと目線を回転させたあと、鼻から息をつく。

「どうして、オレの教え子どもは、教師を悩ませてくれるんだ」

「教えがいがある生徒たちだろ?」

「絶対に目を離さないからな。油断するんじゃねーぞ」

「……すげえ、これが日本でいう、嫁いびりか!」

「くだらねーこと言うんじゃねーよ」


 円卓に片肘をついて、てのひらにあごをのせたリボーンが、冷え冷えとした目線をディーノに投げかけてくる。ディーノはあごの下に寄せていた両の拳をといて、テーブルの上に腕をのせ、背中を丸める。


「不幸にはしねぇさ」


 疑わしいと言わんばかりに、リボーンの顔が左右非対称にゆがむ。


 ディーノは両手を組んで、顔を伏せる。


「いるかいないか分からねぇ神にじゃなくて、目の前にいるお前に誓おう。――俺は沢田綱吉のために生き、彼の幸福のために身を捧げよう」


 シニカルに笑った家庭教師が、右手の指を銃の形にして、ディーノへと向けた。


「誓いを違えたら撃ち殺すぞ」


 ディーノは組んだ手をほどいて、椅子の背にもたれて、あごをひく。


「違えないさ。――俺が俺を導いている限りは」


 リボーンはディーノの言葉を鼻で笑い、まだ半分以上残っているグラスを口元に近づける。ディーノはからになっていたグラスに氷とブランデーを注ぎ入れ、水をくわえて少し濃いめの水割りを作って、グラスを片手に持ち上げた。


「乾杯」

「……いまさら何に乾杯だ?」

「滅びることのない我らの愛情に、乾杯」

「意味がわかんねー」

「意味なんてねぇよ」


 リボーンは怪訝そうに眉間に皺を寄せたが、何も言わなかった。ちびちびとグラスをかたむけて、マイペースに水割りを飲んでいく彼の顔はほの赤くなってきている。あと一時間もすれば、彼は酔いに負けて自分の意志とは関係なく眠ってしまうような予感がディーノの脳裏をよぎる。


 リボーンが酔いつぶれてしまえば、彼を送るためにボンゴレの私邸に向かうことが出来る。あわよくば、まだ就寝前の綱吉と面会することが可能かもしれない。そんな一縷の望みを抱えつつ、自ら作った水割りを飲みながら、ディーノは目の前の家庭教師が酔いつぶれるのを待った。




『End』