03:硝子の地平線 ドン・ボンゴレの生誕日は、ボンゴレのファミリィはもちろん、同盟ファミリィも加わり、大々的なパーティが催される。 ファミリィの幹部達、同盟ファミリィのボスたち、そして何百人という各種要人達、著名人たちも招待され、料理に歌に踊りにとカーニバルのごとく大騒ぎとなる。その日は、街全体がお祭りムードとなり、一般市民たちもお祝いのケーキやごちそうと作り、玄関には感謝のしるしとして、ボンゴレを称える貝殻の飾りが飾られ、子供達はクリスマスにサンタクロースに祈るように、その日はドン・ボンゴレに感謝をして祈るようになっていた。 そもそも、ボスの生誕日がこれほどのお祭り騒ぎになったのは、九代目から十代目へとボスが代替わりし、五年から六年後だった。その年月というのは、綱吉の圧倒的な力は周囲を騒がす悪人たちを牽制しているのだという実感と、孤児院や福祉などへの多大な貢献が形になり始めた時間といえる。 ドン・ボンゴレの生誕日に貝殻の飾りを飾ることが町中で流行りだしたころ、ボンゴレのファミリィ内では、町中に溢れる貝殻の飾りを誇らしく思う者たちが増え、よりいっそうボスである綱吉への忠誠度が高まり、ファミリィとしての質や誇りも高まっていった。しかし、当の本人である綱吉は、マフィアのドンであるというのに、多くの人間に祭り上げられることに慣れておらず、照れくささで顔を赤くするばかりで、町中で市民に声をかけられても引きつったような笑顔を返すのが精一杯だった。 ボンゴレがマフィア界だけでなく、それ以外の世界でも認められているのだと思い、ファミリィの面々は守護者達を中心に調子づき始めた。 特に右腕を名乗る獄寺は、町中をあげて綱吉の誕生日を祝うというアイディアを思いついた瞬間から、実行に移した。悪友である山本も面白そうだと獄寺に協力し、素直な了平は彼らの言うとおりに会場をおさえパーティの準備を手伝い、ランボはボンゴレと親しいファミリィや取引先相手、ボンゴレの行動に賛同することを公言している要人や著名人を調べあげ、豪華な招待状を作って送った。 雲雀と骸の二人は、それぞれに別部隊を編成し、パーティの当日までに、ボンゴレに対して何らかを悪事を計画して実行しようと疑いのある人物たちを、片っ端から殲滅していった。疑わしいということだけなので、生命を奪うことはできず――綱吉の許可なしに相手を殺害した場合、守護者達は数ヶ月の謹慎および綱吉の警護から外されるということもあり、彼らはかたくなにその誓いを破らずにいる――、のちに雲雀も骸も殺したほうが簡単だったとぼやいたらしい。 第一回目のパーティについて、綱吉は何も聞かされていなかった。誕生日の日がオフだったのは、リボーンが気を回して休みにしてくれたのだと勝手に解釈し、前日の夜から朝方まで起きてなつかしい漫画の本を読んでいたりして、小鳥がさえずるころに寝たのだが、朝のうちにリボーンに叩き起こされ――文字通り殴られ蹴られ起こされたようだった――、眠いとぼやいても聞き流され、バスルームに突き飛ばされたらしい。訳もわからずにシャワーを浴びて外へ出れば、見慣れないフォーマルスーツが用意されており袖を通せといわれ、――彼はまだ頭が回っていなかったらしく、素直に袖を通した――リボーンの手によって、生花の赤い薔薇のコサージュをスーツの胸元に飾られ、車にのせられて連れて行かれた場所は五百人規模の招待客が待つパーティ会場だった。 多くの人間におめでとうと口々に言われ、そこかしこで乾杯という声とグラスが響きあう。素晴らしいボスが生まれてきてくれた日をみんなで祝おう。ありがとう。ありがとう。さざ波のように繰り返される祝福の言葉、オーケストラバンドによる演奏で陽気に踊り出すファミリィの面々、きらびやかな衣装を身にまとった老若男女、豪勢な料理と各国から集められたアルコールの数々、そのすべたが綱吉のために用意され、集まったのだと聞かされても、綱吉は驚きすぎて言葉にならなかった。 ぼうっとすることすら許されず、綱吉がパーティの会場に入ると、次々とお祝いの言葉がかけられ、それに応えたり、贈り物を受け取ったりしているうちに、寝ていなかった綱吉はだんだんとやけになり、思い切りはじけてパーティを楽しんでしまった。 それがいけなかった。 ボスに喜んでもらえたと思った守護者達はもちろん、パーティを企画する際にかかわったファミリィのメンバー達は、来年もまたやろう!と意気込んでしまった。それから三年、毎年のようにドン・ボンゴレ生誕祭と名付けられたパーティは繰り返されることとなる。 今年もまた生誕日が近づくにつれて、まわりが浮き足立っていくのとは反比例的に、綱吉は外に出たがらなくなっていった。祝われることを嫌がっている訳ではなく、生来、彼は目立つことが苦手なのだ。ファミリィ内でも顔をあわせればファミリィのメンバーも執事もメイドも庭師も調理人すら、「もうすぐですね。おめでとうございます」と言われ、街で車から降りれば、「贈り物です。どうぞもらってやってください」と食べ物から花から装飾品、洋服、雑貨品、ありとあらゆる贈り物が抱えきれないほどになる。もらってばかりで悪いと思い、彼が自分のポケットマネーから孤児院や福祉施設に寄付をすれば、たちまちその噂が街中に広がり、ボンゴレのボスはなんて素敵なお方なのだ!とさらに祭りの具合はヒートアップしていく。 ボンゴレの私邸の門前にも花束や鉢植えの花が並べられたり、ボンゴレへの感謝の手紙や贈り物が郵便車に満載されて届けられたりと、国外からの旅行者にとってはいったい何事なのだろうと呆れるであろう状態だった。最近では扉に綱吉の写真――新聞などの切り抜きだ――を額にいれて飾る者さえ出てくる始末で、いったいどこまで熱があがるのかは誰にも分からなかった。 町もそうであったが、ボンゴレファミリィ全員がお祝いムードということなので、綱吉はボンゴレの館にいるだけでも気を張った状態でいるしかなかった。 とてもではないが、仕事が出来る環境ではないと彼が弱音を吐き、それを聞いたリボーンがディーノに「ツナにおまえが遊びで使ってる部屋を貸せ」と命令した。 逆らう意志もなかったディーノは、彼のために自分専用――遊びとは言っても、女遊びというわけではなく、ときおり一人で過ごしたいときの休憩用の部屋だ――を綱吉に貸し与えた。ルームサービス付き、プールやジムやエステが使いたい放題、時間になればハウスキーパーが部屋を掃除しにやってくるという分譲ホテルのようなところだ。最初は彼も戸惑ったようだったが、ボンゴレでおちおち書類の整理もできないのを思い知っているので、静かな部屋で黙々と仕事をこなしていた。生誕パーティが終わるまでは、綱吉はディーノの部屋で過ごすことが通年となりつつあった。 今年は七日前からディーノの部屋で過ごすようになった。綱吉が私邸にいないこともあり、主役が見聞きしないことをいいことに獄寺や山本たちはいろいろな企画をし――きちんとファミリィとしてそれぞれの仕事もこなしながらだったが――、雲雀と骸は障害になりそうな者たちを殺さない程度に痛めつけて蹂躙してまわっていた。 雲雀と骸の働きは年々に力が入るようになっていた。おかげで綱吉の生誕日の月だけは、異様なほど犯罪率が低下しているという記事が新聞にのるほどである。 ボンゴレを対象とした悪事でないとしても、雲雀と骸は敏感に悪事の所在をつきとめ――だいたい彼らは綱吉のこととなると異様なほどに執着心があるので、彼の邪魔になる可能性が一_でもあればそれを見逃すことはない――、計画そのものすべてが破壊しつくされてしまう。せっかく計画をしても徒労となるのならばと、犯罪者たちも行動を見送ることが多くなっているのだ。 とうとう綱吉の生誕日が明日となった今日。 ディーノは手ぶらで彼のいる部屋に向かった。贈り物はここ数日で呆れるほどにもらっている彼にいま贈ったとしても、それは他の人間たちの贈り物にまぎれてしまう。違う時期にずれて渡した方が印象に残ることを計算して、ディーノはいつも彼の生誕日からちょうど三ヶ月後にプレゼントを渡すことにしている。 ノックをしたが返事はない。合い鍵を使用して部屋の中に入る。ドアに内鍵とチェーンをしたあとで廊下を歩き、リビングへ出る。リビングの左側にある書斎――扉が開けっ放しだ――をのぞいてみても綱吉はいなかった。 「ツナー?」 声をかけても反応はない。書斎とはリビングをはさんで反対側にある寝室――こちらもドアは半開きだった――をのぞいてみて、ディーノは苦笑した。 生誕日だけで犯罪者を抑制するドン・ボンゴレは、ワイシャツとズボンの姿でベッドに仰向けにたおれていた。片手で日本の漫画の単行本を掴んでいたが、それはカバーだけで中身はベッドの向こうに落下しているらしかった。 「ツナ」 声をかけながら近づいていっても彼は起きなかった。横に向けられた顔の口からよだれが流れている。少々間抜けな寝顔だった。ディーノは笑いながら、彼の前髪に触れる。やわらかい癖毛をなでると、彼はくすぐったそうに首をすくめ、なにやら口の中で呟いたが何を言っているかは分からなかった。眠っている彼に口づけをしてやろうかとも思ったが、いかんせん、よだれのたれた愛しい人の顔は愛せても、どうしても口づける前に笑ってしまいそうになる。 ディーノは耳元に口をよせ、出来うる限り恐ろしい家庭教師の声を真似て言った。 「おい。ツナ。仕事中に漫画を読んで寝てるなんていい度胸だな」 ばっとバネ仕掛けの人形のように飛び起きた綱吉は、手にしていた漫画を投げ捨て立ちあがろうとして失敗し、ベッドから転げ落ちて悲鳴をあげた。床の上で痛みにのたうつ綱吉を見ていたディーノは、あまりにも無様な狼狽っぷりに、むかしの自分を見た気がして声を立てて笑った。 「はははっ、ツナ。わりぃわりぃ」 「え、え、あ、ディーノさん。――あれ、リボーンは?」 「あいつはいないよ。悪かった。そんなに驚くとは思わなかったんだ」 痛む腰をおさえながら綱吉は立ち上がって、室内にボルサリーノを被った黒服の少年がいないことを確認したあと、ようやく事態をのみこんだ。うらめしそうにディーノをにらみ、彼は嘆息する。 「嫌な嘘つかないでくださいよ。オレ、死ぬかと思いましたよ」 「仕事、終わったんか?」 「ええ。とりあえず今日までのノルマは。明日は元から何も予定が入ってませんし、明後日から一週間分のタイムテーブルは獄寺くんから提出してもらったのを確認しましたし――。やること、なくなっちゃったんです」 「だから漫画と睡眠か」 「寝るつもりはなかったんですが、いつのまにか――」 照れたように笑った綱吉は、頬によだれのあとがあることに気が付いて、「顔洗ってきます」とそそくさと部屋を出ていった。二十歳半ばをすぎた青年がよだれを垂らして寝ているのを他人に見られるのは恥ずかしかたのだろう。 カバーのはずれた漫画に、綱吉が投げ捨てたカバーをかけてベッドの枕元におき、ディーノはリビングに戻った。大型のデジタルテレビを正面とし、カタカナのコの字型にならべられた三人がけソファのひとつに座った。 ちょうど綱吉がバスルームから出てきたところだった。彼はキッチンに入っていき冷蔵庫を開ける。 「ディーノさん、何か飲みますか?」 「あー、じゃあ、ミネラルウォーターで」 「え。お酒じゃないんですね」 「明日浴びるほど良い酒飲もうと思ってね」 乾いた笑いを浮かべた綱吉は、ペットボトル入りのミネラルウォーターを二本手に取ったあとで冷蔵庫をしめた。 ディーノが掛けたソファの向かい側に座り、綱吉はペットボトルをディーノに差し出す。 キャップをあけて飲み干すと、冷たい液体が体内をすべりおちていく。 「じゃあオレの分まで飲んでくださいよ」 「主役がなに言ってるんだ」 「オレ、今年は絶対にグラスは持たないようにしようと思ってるんです。グラス持ってるとね、次から次へとお祝いの言葉をかけられていろんな人からシャンパンを注がれて、飲んでも飲んでも飲んでも、永遠にグラスからシャンパンが無くならないんですよ、どんな悪夢ですか、それは」 ディーノが吹き出すと、彼は仏頂面でキャップをあけたペットボトルを口元で傾けて水を飲む。 「ま、確かにおまえ、あんまり酒つよくないもんな」 「はぁあ……。気が重い……」 彼は落胆するように肩を落としたあと、慌てて顔の前で手を振った。 「あ、違いますよ! 祝ってもらっておいてこんな事言うの罰当たりだって分かってるんですけど、こう、オレごときの誕生日でみんながもの凄い盛り上がってることが、ほんと不思議で――あ、あとは、こう、普段会わない人といっぱい会うので、緊張してしまうと言うか」 「おまえが人前苦手なのはよく知ってるぜ。何年一緒にいると思ってんだよ。今年で四年目でも慣れないもんなのかね。――そういやランボから聞いたんだが、また招待客増えたんだって?」 「ああ……、詳しく聞くの怖いからよしたんですけど。来年は会場をもう少し大きくしないととか、獄寺くんがはりきってました。もう、ほんと、獄寺くんすごい活き活きしててオレ、規模はこれ以上大きくしないで欲しいなんて言えなくって」 困り顔でうつむき、綱吉は短く息をつく。 「パーティでお金使うより他のことでお金使ったほうがいいって提案するんですけど、パーティのお金は一年間、ボンゴレの諸費用をこつこつ節約して貯めたもの使ってるらしくって、ファミリィのみんなも、そのお金でオレのこと祝おうとして節約するんだって一丸となってるらしくて……、それでも足りない分はファミリィのみんなでお金出し合ってるようだし……、街のみんなも少しずつカンパしてくれてるらしいし……、そこまでやられると、やめてくださいなんて言いづらいし」 「ははは。愛されてるといろいろ辛いわなぁ」 「本当に。身にしみます」 綱吉は微苦笑を浮かべる。 「オレ、頑張らないとなぁ。みんなにこんなによくしてもらって。……マフィアのドンなんて、みんなに怖がられて、嫌われるもんだと思ってたけど。こんなに慕われるものだとは思ってなかったなぁ」 「それはお前の人徳なんだよ。ツナ」 「……そうですかね」 「ああ。今までのボスの誰にもなかった魅力だと思うぜ。だからみんな、お前のことを讃えて敬愛してるんだ」 「そんな、おおげさな」 「俺は大げさだとは思わないぜ。お前がこの土地に与えた潤いが彼らを豊かにしたんだ、そういう事に関しては町の奴らは敏感なんだ。町の奴らにこんなに慕われてるボス、俺はお前以外知らないよ」 照れくさそうに赤い頬で笑って、綱吉はペットボトルを持った手で顔を隠す。 「やめてくださいよ。褒めたって何もでませんよ」 「俺だって誇りに思ってるよ。俺はな、ツナ、おまえがこんなに愛されるボスになるとは思ってなかったんだぞ」 「え」 きょとんと綱吉がディーノを見る。 ディーノは微笑をしてペットボトルをローテーブルのうえにおいた。 「――ツナが本当にボンゴレのボスになるかどうか、俺はお前が高校を卒業するまでは分からないと思ってたんだ」 「……それって、オレが不甲斐なかったからですか?」 綱吉はペットボトルを両手で持ち、膝の上に腕をのせ、うなだれたように前のめりの姿勢でディーノを見つめる。ディーノは首を振る。 「不適格だとか、そういう意味じゃあない。中学一年のころからずっと見てきたんだ。お前のことならよく分かってるつもりだった。だからお前が、俺のようにマフィアのボスになったら、おまえはきっと潰れちまうと思ってたんだよ」 「つぶれる?」 「いま思えば、それも俺が自分勝手に作り上げたツナへの妄想だった訳だな。お前は俺の予測に反してマフィアのボスとして立派に成長していった。お前は変わっちまったのかと思ったが、そんなことはなかった。ほんと、お前は強いな、ツナ」 ディーノに駄目出しを受けるのかと思っていたのか、綱吉は頭をもたげて溜息をついたあと、顔をあげた。 「オレは強くないんですよ。ただ、守るものがあるから、強くなるしかないだけです。ディーノさんだって同じ思いなんじゃありませんか?」 そういって彼は綺麗に微笑んだ。昔と変わらぬ優しさが含まれた暖かみのある微笑だった。彼は変わらなかった。その強さをディーノはまざまざと感じ、彼に対する愛しさがあふれ出して指先にまでじんわりとひろがっていく。 「ツナ。明日で、二十七か?」 「ええ」 「初めって会ってから、十四年も経ったんだな。とうとう、俺が知らない綱吉が生きてきた時間よりも、俺が知っている綱吉が生きてきた時間のほうが多くなったんだなあ」 「気障な台詞ですね」 「口説いてるからね」 「何言ってるんですか、もう。変なこと言わないでください」 冗談として取り合わないつもりなのか、綱吉はディーノの熱い視線から逃れるように横を向いた。そちらは壁で、何も見るようなものはない。 「ツナァ」 「なんですか?」 綱吉は横を向いたままだ。 「こっち来いって」 「どうしてですか?」 「愛してやる」 「いいです」 「遠慮すんなよ」 「いいです」 「ぎゅってしてやるぞ」 「いいです」 「ちゅーしてやるぞ」 「いいです」 「じゃあ、ちゅーしてくれよ」 「いい、で――あ、だめです!」 「ちっ」 「舌打ちしましたね、いま」 綱吉はとっさにディーノの顔を見るために、横を向いていた顔を元にもどした。その隙をディーノは見逃さない。ソファから腰をうかせ、ローテーブルに乱暴に飛び越えて、彼の肩と腕を掴んだ。何かを言うために開かれた綱吉の口を唇でふさぐ。背が伸びたとはいえ、未だに細い彼の体をソファに押さえつけるようにして、ディーノは綱吉の唇を執拗に攻めた。最初は腕や足をばたつかせて抵抗をみせていた綱吉も、数十秒たっても終わらぬキスに観念したのか、自ら舌をからめてキスを味わうようになった。たっぷりと口づけをかわしあい、満足したディーノが唇を離す。鼻先が触れ合うほどに近い綱吉の顔が呆れで脱力していた。 「そんな目で見るなよ」 「……何の前触れもなく、何なんですか」 「ツナが可愛いこと言ったから」 「可愛いこと?」 「俺と同じ思いだって」 「それは、ファミリィを思う気持ちってことで、ディーノさんとのことでは」 「それは分かってる。でも、俺はお前が俺のことを当然に分かっているような素振りで言ってくれたことが嬉しかったんだ。それだけ俺の気持ちをくんでいたんだろう?」 「あれは、べつに、自然と口から出た言葉であって――」 ちゅ、としゃべり出そうとする綱吉の口をついばむ。彼の言葉は口の中に消える。 「なんてな。ほんとはちゅーしたくなっただけだ」 「ディーノさん……」 「可愛い。ツナは可愛いよ。愛してる」 ディーノは綱吉の首に両腕をからめ、頬と頬をすり寄せるように抱きしめる。すこし遅れて、綱吉の腕がディーノ背中に回された。 「俺はな、お前に多くを望むつもりはないんだ。お前も俺もファミリィがあるし、ファミリィが俺達の存在理由でもあり、ファミリィが俺達のすべてだ。彼らを捨てることなんてきっと死んでもできないし、たとえ地平線の果てまで一緒に逃げおおせたって絶対に幸せになんてなれない。それはお前も俺も一緒だろう? だからおまえと『関係』することはこれから先もないだろう」 「……はい」 「俺もお前もマフィアのドンじゃなかったら、もっと生き方が簡単だったかもしれねぇよなぁ」 「そう、ですね」 「世間には後ろ指さされっかもしれねぇが、どこか二人でアパートを借りて、好きな仕事して、猫でも飼って幸せに暮らせたらって、時々考えるぜ。――そんなふうな日常があったら俺はその日に死んでも悔いはない」 「死んでも、なんて言わないでください」 綱吉の腕に力がこもる。ディーノは綱吉と額をあわせるように顔をあわせた。彼は寂しそうでいて、それでも嬉しそうな様子でディーノを見つめ返す。二人は引き寄せられるように口づけをした。貪るようなキスではなく、何度も角度を変えてついばむようなキスを繰り返す。しばらくそうしたあとで、綱吉はディーノの首筋に頭でもたれた。 「どうしてオレ達、マフィアなんでしょうね」 「血筋ってやつは、生まれたときから決まっちまってるからな。恨むとしたら、出会った自分たちの運命ってやつか?」 「ディーノさんと会わなかった方がいいなんて、一度も思ったことないですよ」 「それは俺だって同じだぞ」 綱吉は肩を震わせて笑う。 「オレがマフィアになる運命じゃなかったら、ディーノさんと会うこともなかったんですから。オレたち、結局はマフィアっていうカテゴリーからは逃げられないんですね」 「だな。――まったく何の因果なんだか。なぁ、ツナ」 「はい?」 「ファミリィの次に俺を愛してくれよな」 「ふふふ。はい。オレも、ファミリィの次でいいですから。愛してくださいね」 抱擁しあったまま笑いあっていると突然に書斎の電話が鳴った。ディーノが腕をゆるめて綱吉のうえから身をどかすと、彼はソファから立ち上がって書斎に向かう。ディーノも後を追った。 「はい。――あ、リボーン?」 ディーノは綱吉に許可を得る前に、電話機の外部ボタンを押して外部スピーカーへと音声を切り替える。綱吉の咎めるような視線は笑顔で跳ね返す。 『よう、ツナ』 外部スピーカーに切り替わっているとは知らず、リボーンは言葉を続けた。 『仕事は終わってんだろーな』 「もちろん。ノルマは達成ずみ。予行表も目を通しておいたよ」 『上出来だ。それなら明日は仕事は忘れて楽しみやがれ』 「うん。せっかくだし、そうするよ」 『ツナ』 「うん?」 『ハッピーバースディ。今までよく死ななかったな』 ディーノはとっさに書斎の机のうえの時計を確認する。デジタル時計には四つのゼロが並んでいる。舌打ちして己の愚かさを呪った。一番近くにいたというのに、祝いの言葉を言うのに出遅れるとは失態である。 綱吉はリボーンの言葉に微苦笑を浮かべる。 「もっと気の利いたこと言えないの?」 『来年の誕生日も死なねーで迎えられるといいな』 「意地悪」 『電話、かわるぞ』 「え?」 『あ。十代目ですか!』 「獄寺くん。リボーンと一緒なの?」 『ええ。みんなも一緒ですよ』 「え、みんな?」 『十代目、お誕生日おめでとうございます! これからも獄寺隼人、十代目のために尽くしていくので、どうぞ思いっきり使ってやってください』 「あはは。ありがとう」 『あ。山本にかわりますね』 「山本もいるんだ、え、じゃあ、みんなって――みんな?」 『おー。ツナァ。仕事どーだ?』 「あ、山本。うん。ちゃんと終わったよ」 『じゃあ、小僧に明日小言言われねぇですむな。よかったな』 「うん」 『誕生日おめでとうな。明日、会場で会おうな』 「うん」 『じゃあ、次、ランボに変わるぜ』 「え、ちょ。なに? ほんとにみんな一緒なの?」 綱吉が嬉しさ半分に動揺する。電話の周りにいったいどこまでの人間がいるのかは見えないので分からない。 『ボンゴレですか?』 「うん。そうだよ、ランボ」 『お誕生日おめでとうございます。オレ、ボンゴレが生まれてきてくれて本当によかったって思います。明日、久しぶりにお会いできるの楽しみにしてます』 「うん。ありがとう。明日会おうね」 『はい。えっと、じゃあ、お兄さんに変わります』 「ん? お兄さん」 『おー! 沢田か!』 「あ、了平さん」 『誕生日おめでとう。今回もみんなで全力で祝うから明日は楽しみにしているといいぞ』 「はい。ありがとうございます」 『料理の方も予行で作ってもらったものを一昨日にランボと一緒に食べたが、たいそう旨かった。それに今回はアルコールだけでなく、ノンアルコールのドリンクをそろえておくように言っておいた。沢田はそれを飲むといい。おまえは酒を飲むと具合が悪くなりやすいからな』 「あ、はい。気をつかっていただいて、すいません」 『いいんだ。主役が楽しめないパーティなどに意味はない。――ほら、次はお前だろ』 了平で終わると思っていた電話が誰かに渡されたので、ディーノは驚いてしまった。六人の守護者たちのうち、比較的に親交のある四名ならば、一台の電話を囲んでいてもおかしくない。ただ他の二名が問題で、群れることやなれ合うことを嫌う彼らが、他のメンバーと共に同じ部屋にいるとは思わなかったのだ。 綱吉も同じ思いだったらしく、二人は目を合わせて誰が喋り出すのか待った。 『………………』 「え、っと。――だれ、かな?」 遠慮がちな綱吉の声に、くぐもった笑い声が答える。獄寺の「何か言いやがれって、雲雀」という声が遠くから聞こえたおかげで、受話器の先にいるのが雲雀だとわかり、綱吉は少しばかりホッとしたのか息をつく。 「雲雀さん、ですか?」 『そう。僕。――きみ、今日生まれてきたんだね』 「は、い。そうです」 『生まれてこれてよかったね』 「あー、はい。……ありがとうございます」 『明日、久しぶりに会うんだから、少しは僕の相手しなよ』 「えっと、パーティ会場で乱闘はしたくないんですが――」 『勘違いしないで。君とやり合いたいなんて言ってないでしょ。とにかく、君は僕の目の届くところにいればいいんだ。――じゃあね』 がちゃん。 電話がきれた。 「愛されてるなあ、ツナ」 「愛されてますね、オレ」 「なんか可愛いな、おまえの守護者たちは」 「……ふふふ、可愛いですよね、ほんと。これに嬉しがってるオレも、そうとうガキだとは思いますけどね――」 笑いながら綱吉が受話器をおく――と同時に、またベルが鳴った。綱吉は反射的に受話器をとって耳に当てる。ディーノは再び電話機に手を伸ばして、外部スピーカーボタンを押した。 「もしもし?」 『あー、綱吉くんですか! こんばんわ』 六道骸の声だった。ということは、綱吉に一言「おめでとう」と言うためだけに、マフィアの世界でも有数の戦闘能力をもつボンゴレの六人の守護者が、一部屋に集まって一台の電話を取り囲んでいたことになる。ディーノは思わず盛大に吹き出し、それを抑えるために口元を手で覆った。腹がよじれるほどおかしい。まだ二十歳前後のランボをのぞき、それぞれにもう三十路が近い面々が、同じく三十路に一歩近づいた男に誕生日祝いの電話を掛けるために、日付が変わる頃に集まり、みなで時計をみて日付が変わるのを待っていたというのだろうか。最大最強のマフィアのボスを取り囲む守護者たちの脳天気ともとれる行動は、最強ゆえの余裕から来るものかもしれなかったが、あまりにも威厳からはかけ離れている。 ディーノはその場にしゃがみ込み、片手で口を押さえ、もう片手で腹を押さえ、笑いを必死に押し殺そうとした。想像するだけで笑える。六人すべてが仲が良い訳ではない。それぞれに苦手な相手もいれば、気にくわない相手もいるだろうに、綱吉におめでとうを言いたいがために、気持ちをこらえて広くもない部屋にいたのだろう。そうやって我慢できるのであれば、普段でも我慢できそうだと思う。でもきっと、今日という日が特別なのかもしれなかった。 爆笑し続けるディーノの様子を横目で見た綱吉は、失笑に近い苦笑いを浮かべ、電話を右手から左手に持ち替えた。 「こんばんわ。骸もいたんだね」 『そうですよ。どっかのトリが電話を切ったんです。腹立たしい』 その背後で「やるっていうんなら相手になってあげるよ?」と雲雀の挑戦的な声音が聞こえてくる。 「ちょ、そこで喧嘩したら、オレ、許さないよ!」 『ええ。ええ。どっかのトリ頭のさえずりになんて、僕は耳を貸しませんからご安心を――』 ごしゃあ。という打撃音のあと、獄寺と山本の慌てる声がして電話の向こうがいっとき、騒がしくなる。 「ちょっと、どうしたの?!」 『大丈夫です。トリがみんなに取り押さえられて部屋の外に連れ出されただけです。あやうく電話機を破壊されるとこでした。とっさに持ち上げて死守した僕を褒めてくださいますか? それでも、机はあとで買い換えるようですが』 「……うん。よかったよ。電話が壊れなくて。――机は、うん、あとで家具店に注文しておいて」 『わかりました。よいデザインのものを発注しておきます。――声の調子だけで判断しますけど、お元気そうでなによりです。お仕事の方はおすみですか?』 「うん、終わってるよ。っていうか、みんな、なんで仕事が終わってるかどうか聞くの? オレ、そんなにさぼってるように思えるの?」 『違いますよ。終わってないようなら、誰か手伝いに行こうって話になっていたんです。もっとも、誰が行くかでもめそうだったので、仕事が終わっていて何よりです』 「それは、本当に、よかった」 『お誕生日、おめでとうございます。綱吉くんがこの世に生まれてきてくれたなんて、これほどの幸福が満ちあふれた日を僕は知りません』 「骸は大げさだなあ」 『おおげさだなんてことはりません。あなたは僕を変えたんですよ。憎しみに焦がれ夜の闇そのものだったこの僕を! あなたがいなければ僕は未だに憎しみと怒りにとらわれ、永遠に救われることなく生きていたはずです。僕は変われたことに感謝しています。あなたという存在がどれだけ僕の支えとなり、僕の糧となり、僕の生きる意味となっているのか、あなたは知らないんでしょうね。でもいいんですよ。あなたは知らなくていい。僕が抱いている想いなんて知らなくていいんです。あなたは前をむいていればいい。僕はあなたの背中を見つめ、あなたの背中を守りますから』 「骸はいつも言うけど、オレ、おまえに何か特別なことをした覚えはないんだけど……」 『あなたはそれでいいんですよ。綱吉くんが何気なく与えてくれるものが、僕にとっては神の祝福よりも価値があるものだというだけ。――これからもそのままの綱吉くんでいてくださいね。僕はそのためにならば何も惜しみません』 「よく、すらすらと、そんな恥ずかしいことが言えるね」 『くふふ。僕がこんなにも慕うのは綱吉くんだけです、綱吉くんにしかみせませんよ。僕のこんなところ』 他の守護者たちにはない何かが骸の言葉の端々に見え隠れしている。骸が綱吉に抱いている感情は、おそらく他の守護者達よりも、よりディーノの感情に近い。ディーノは胸の奥が焦げたような気がした。 ディーノは立ち上がり、電話を持つ綱吉の手に触れる。微笑んでいた彼はディーノの顔をみてかるく目を見開いた。 「――ねぇ、骸。そろそろ、オレも明日にそなえて寝ておくよ。どうせ、また日付が変わるまで踊り明かすんだろうし」 『ええ。そうしてください。明日はリボーンとスモーキンボムが迎えに行くそうですから。時間は遅めの九時だったとは思いますから、ゆっくり休んでください。――おやすみなさい、綱吉くん』 「うん。骸もね。おやすみ」 そういって綱吉は受話器を電話機に戻し、困ったような顔でディーノと視線をあわせる。 「なんかさっきから今までで、ディーノさんが怒るようなこと、ありましたっけ?」 「え」 「こわい顔になってますよ」 綱吉の指先がディーノの眉間に触れる。目を閉じて眉間のしわをとりのぞき、ディーノは息をついて、乱れている感情の流れを修正する。綱吉にも骸にも非はない。二人の関係についてディーノが思うところがあろうと、それはディーノの問題でしかない。 「ディーノさん?」 「あんまりにも、おまえがファミリィに愛されてっから、ちょっと面白くなかった。あと、誕生日、おめでとう。だいぶ出遅れちまったけど」 「ありがとうございます」 「くそう。日付が変わったらすぐに言うつもりで来たはずだったのに、おまえに会ってるうちに本来の目的忘れちまったんだよ、馬鹿か俺は。いちばんに言ってやりたかったのに」 綱吉ははにかむ。 「またそんな、子供みたいなことを」 「なんでかね。おまえを相手にしてっと、子供みたいになっちまうんだなあ。格好悪ぃ」 ディーノは右手で乱暴に髪をかき乱した。 「お前の前じゃ、いつだって格好良くいたいってのにな」 「ディーノさんは、じゅうぶん格好いいですよ」 「そうかあ?」 「格好いいですよ」 「繰り返されると信憑性がないな」 声を立てて笑った綱吉は、ディーノの背に腕を回すように抱きついた。彼の柔らかい髪質がディーノのあごのあたりをくすぐる。ゆったりと綱吉の体を腕のなかにとじこめ、ディーノは彼の匂いを感じるように目を閉じる。愛しいという気持ちだけが純粋にあふれてくる。彼を愛していたし、彼のためならば、何でも出来る気がした。けれど、ファミリィと彼を比べることはできない。本当にどちらかを選ばなくてはいけない日が来たら、ディーノは彼を選ぶことはできない。たった一人のために数千の部下達を捨てられはしない。きっと綱吉も同じだ。 「ディーノさん」 「んー」 「もう遅いですし、今日、泊まって行きますか? キングサイズのベッドだし、大人ふたりでも眠れると思いますけど」 「んー。魅力的な申し出だが、やめとく。明日の朝、あいつらが迎えに来た時になに言われるかわかんねーから」 「そうですかね?」 「ダイナマイトと早撃ちヒットマンの相手は、寝起きじゃできねぇよ」 体を離し、綱吉はくすくすと笑う。ディーノは彼の唇に触れるだけのキスを落とし、ふわふわと揺れる癖毛を撫でる。 二人はリビングから玄関に続く細い廊下を歩く。 「明日は来てくれるんですよね?」 「もちろん。愛の証に百本の赤い薔薇の花束を持参して行くよ」 「ディーノさんと百本の薔薇! 見応えがありますね。ふふ。楽しみにしています」 玄関のドアチェーンをはずして鍵をあけ、扉を押し開ける。綱吉は扉の内側に立ち、ディーノは部屋から出るまえに、かすめるように綱吉の唇を奪った。彼は廊下を気にして、驚いて身を引いたが、廊下に誰もいないことを確認してから行動したのでディーノに動揺はない。綱吉は半歩ほど玄関を出て、ドアノブを握ったままでディーノを見上げる。 「気をつけて帰ってくださいね」 「ああ。おやすみ、ツナ」 「おやすみなさい。また明日に――」 扉が閉まる。 ディーノはしばらく閉じられたドアを見つめていた。ドアはドアでしかなく、透けることもなく、つめたく重いままそこにある。鉄の壁一枚で簡単に綱吉とディーノの世界は隔てられてしまう。もっと簡単に綱吉とディーノを隔離してしまうものがいくつか思い浮かんだが、ディーノは考えるのをよした。 指先で扉に触れる。当然、ドアは冷たく固い。 「なに、感傷にひたってんだか」 ひとり呟いて、ディーノはドアから手を離す。 明日は沢田綱吉が生まれた日。 愛する綱吉が年をかさねる日。 ディーノは百本の赤い薔薇の花束を手に彼の前に跪き、その右手の甲に口づけをして彼への愛と忠誠を誓おうと思った。ディーノが綱吉の手の甲にキスをすれば、守護者達のそれぞれの慌てふためく反応――怒りといった方がよいかもしれなかったが――が容易に想像できるのが愉快だ。 小さく笑い声をもらしながら、ディーノはエレベーターホールに向かった。 |
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『End』 | |